2008年07月21日

地下より天空へ

学校も夏休みに入ったようだ。それにしても暑い。午前中はともかく、午後になると体が対応できない。じっとしているだけで汗ばんでくる。木陰にはいって、ぼんやりする時間が増えるばかりだ。ぼやいても仕方がないので、昨日の続きを行う。昨日は八朔の救出だったが、本日は温州ミカンの救出だ。最初の1本目はツルだらけ。足下から刈払機を使っていく。ふと枝先をみると、どこかで見たような物が。

        温州ミカンがツルに絞め殺されている、といった状況ですね。


懐かしいですね。最近はとんとご無沙汰しておりました。7年余の地下牢生活からようやく脱出し、天空の世界へと旅だっていったのでしょうか。そう言えば今年はまだ鳴き声を聞いてませんな。なんでも17年周期で大量発生するとか。今年は平常年なんでしょうか。小生が少年期にはどこにでもありました。そして鳴き声もうるさいほど、あちこちから聞こえていました。時代が、環境が、変わってしまったのでしょうね。

               少々ピンぼけなのはご愛敬ということで。


蝉の抜け殻にみとれていないで作業開始。とりあえずツル性の雑草を引きちぎろうと引っ張れば、あらあら、温州ミカンの本体がグラリと倒れてしまいました。テッポウ虫にやられ、根本が腐っていたようです。こうした事例が頻繁に発生します。ミカン農家の大敵はゴマダラカミキリ虫。

          少しの力でツルを引くと、いとも簡単にひっくり返りました。


やむを得ないので次なる対象へと移動。こちらもジャングル状で、どうやら1本は枯れ死かかっているようです。残りの二本は救出できるかな。刈払機とノコギリで妨害草や樹木を切り払っていきます。ミカンを蘇らせるには、通風と太陽光線の確保が急務ですね。
 
                     どれが温州ミカンの木か、わからないですね。

こうした作業を続けていると、頭のうえのほうからエンジン音が。注意して観察すると、耕作放棄地となって久しい丘の上の棚田に耕耘機の姿がみえました。どうやら、もう一度農作業の再会を試みる方が現れたようですね。ありがたいことです。我々のような物好きな方か、祖先からの農地の現況を見かねた若き世代か、状況は不明ですが頑張って継続していただきたいものです。

                原野となった耕作放棄地に耕耘機の姿が。






     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇     おことわり     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

どうやらPCの調子が限界状況へ来たようです。画面が震度8級に大揺れし雨降り状態となってしまいます。ハードの物理的要因かウイルスによるものかわかりませんが、症状が次第にひどくなっています。原稿のアップが変な時間になったり、アップできなかったりする可能性があります。買い換えできればいいのですが、6桁の金額は山の神の決裁が困難です。事情ご賢察のうえご容赦を賜りますようお願いいたします。

     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  

2008年07月20日

八朔の救出を

谷間の農園の隣は地主のばあさまのミカン農園だが、作業ができないようだ。ミカンの木が枯れかかり、薮に埋もれ、ゴマダラカミキリの巣窟となっている。あまりにも状況がひどいので、最悪部分だけでもと救出作戦を行うことに。ミカン達もせっかくの命を全うし、たくさんの実りをもたらしたいであろうとの観測による。今回は4~5本の八朔の木を整備しよう。

        一番まともな八朔の木。まだゴマダラにやられていないようだ。


作業の基本原則は足下からである。足場の確保を行うため、刈払機で雑草を切り払っていく。ツル性の雑草が繁茂し、一度や二度では切れてくれない。何度も刈払機を振り回しながら徐々にカットして、足下がすっきりしたのが上記の画像。ここまで来るだけで大変だった。なかには既に手遅れの八朔もあった。下記の画像などがそれで、こうなるとダメな部分を切断するしかない。大きめのノコギリを準備し、大胆に削除していく。

 

ゴマダラカミキリが繁殖しているようだ。株元をご覧いただきたい。小さな穴があいている。これはゴマダラの幼虫であるテッポウ虫が食い破った後なんだ。例年、夏の時期にゴマダラの雌が一匹平均200個くらいのタマゴを主に柑橘類に産み付け、タマゴが幼虫となって幹を食害するのである。枯れ死する果樹木が多々存在する。

              直系1センチ弱の穴が多数あいている。


ツルといっても馬鹿にはできない。下記の画像を見ていただきたい。中央に垂直に垂れ下がっているのがツルの幹、直径3センチ位はあるだろうか。こんなのが八朔の幹にまといつき樹冠を覆って光合成が出来ないようにしてしまうのだ。

         




小生の谷間の農園もばあさまのミカン農園も雑草の浸食に脅かされている。すぐ真下の棚田まで既に侵されているのだ。下記の画像をご覧頂きたい。ここが、かっては緑の稲穂がそよ風にゆらめいていた瑞穂の土地と誰が想像できるだろうか。完全なジャングルである。ここまで雑草にやられると元の棚田に復帰させるのは不可能に近い。早めの段階で対策を講じたいのだが、耕作放棄され見捨てられていく棚田が増えるばかりだ。

           すぐ真下の土地まで雑草が繁茂している。
         ここが米作りをしていた棚田と誰が想像できるだろうか。

  

2008年07月19日

梅雨明け宣言

ようやく梅雨が明けたようです。いつも慎重な気象庁が今年は素早く宣言を出してくれました。近畿地方は16日だそうです。おかげさまで、ギラギラした真夏の太陽が容赦なく照りつけてくれます。湿度は高いし、気温も高い、風は全くといっていいほど吹かぬしヤブ蚊は多いし・・・・・・・・・・・・・こんな時は作業がなかなか出来ないですね。午前は早朝から11時位まで、午後は3時頃から6時頃まで、ここらが可能な作業帯でしょうか。

           畑の真上の雲です。どこから見ても真夏の雲ですね。


無論、長ズボンに長袖シャツ、麦わら帽子に白いタオル、草刈り用のゴーグル、足は長靴と完全装備です。おかげでモロに暑いこと暑いこと。冷たい麦茶はたっぷりと持参しますが、どうかすると半日持たないですね。こうした日常の故か、メタボには縁遠いようですね。在職中は血圧も高めでしたが、最近は標準値前後に落ち着きました。ありがたいことです。よく言われるのが、このくそ暑いときに何を好きこのんで百姓仕事を・・・・・・・・・確かにそんな見方も存在有りでしょうね。汗びっしょりで作業中は確かにしんどいです。でも作業を終えて水風呂にはいり、冷たい麦茶をもう一杯となれば、何とも言えない幸福感に包まれます。ウソだと思われたら一度お試しあれ。やみつきになりますよ。

         1時間ほど経過したら、雲の形がガラリと変わりました。 

7月の中旬から9月の中旬位までのおよそ2ヶ月間は灼熱の太陽下での作業となります。怖いのが日射病と脱水症。連続作業をしないのと程よい休息それにたっぷりの水分補給が必要ですね。山仕事にはいるときは2リットルのテルモス2本を持参してましたが、さすがに4リットルはお腹にこたえます。やはり2リットル位が適量かな。日陰での休息を頻繁に取ることの方が大事でしょう。



夕方の4時頃になれば結構過ごしやすくなります。反面、ヤブ蚊の活動時間帯となり、集中攻撃を受けるはめに陥ります。蚊取り線香などあまり効果ないですね。何せヤブ蚊の数が多いですから。アラブの女性ではないですが、全身を覆って肌を露出しないのが一番賢明かもしれませんね。真夏の太陽のメリットは乾燥が早いこと。刈り取った草があっという間に茶色く変身します。おかげで焼却処分がはかどること。ライター1本で簡単に処分できます。公式には野焼き処分はいけないのでしょうが、分量も少ないし、残りの灰はいい肥料になるし、手間はかからないし・・・・・・・・・・ということで山火事に注意しながらの放火とあいなります。
 
          大量にあったツル性の雑草がきれいに燃えてくれました。

  

2008年07月18日

1ヶ月目の米

田植えが済んで丁度1ヶ月になる。稲穂も25センチぐらいに伸びてくれた。従って厳密な意味ではまだ米ではない。1ヶ月目の稲穂とすべきだろうが、米への強烈な思いということでお許しを。素人集団がチームを組んで米作りを始め、かれこれ数年になるだろうか。最初は不安だったが、何とかなるものである。ご近所の田圃を眺めつつ、師匠の助言もあって、最初の年から収穫が出来た。自分たちで作った米を炊いて食べたときの感激はひとしおであった。実際、原価計算をすれば購入した方が安価なのだが、この喜びには換えられない。

             Aの田圃。三角形で田植えがしにくい土地だ。


面積も小さく収穫量も少ない。チームメンバーで収量を分配するから、一人あたりの持ち帰り量は極めて少々である。それでも皆が嬉々として米作りを行うのは、金銭に換えれぬ喜びがあるからだ。とりわけIさんなどは超熱心である。早朝から田植え靴をはいて田圃にはいり、黙々として田草取りに励んでおられる。

             Bの田圃。耕耘機やトラクターが出入りしやすい場所だ。 


水守りさんが得意なのはKさんだ。水路から水を引き入れ、4枚の田圃に程よく水が流入するように調整する。この微妙な加減が絶妙なのだ。水路の水量は常時変化する、その動向を把握しながら田圃への流入量を加減するのだ。細かな気配りが要求される、結構めんどい作業なのである。

             Cの田圃。昨年はヒエの大量発生に泣かされた。


農薬や化成肥料に強いのはUさんである。どこで探してくるのか、時期時期に必要な資材を調達してくる。ゲストハウスの建築資材なども彼が集めまくったものだ。大阪中に人脈があるのでは、と想像してしまう。最高齢者だが体力は最強で、彼のベースになかなかついて行けないのが他のメンバーなのだ。

       Dの田圃。一番大きな田圃で左上の師匠の田圃から常に水漏れが。



4枚の田圃を合計しても1反位の面積だろうか。プロの農家からみれば、ままごとみたいな米作りだろう。この狭い田圃で数名のメンバーが賑々しく大騒ぎしながら米作りを行っているのである。1ヶ月目で25センチ程度、これがあと3ヶ月ほどすれば1メートル位に成長して沢山の実りをもたらしてくれるのだ。4ヶ月から5ヶ月で主食が確保できる、なんともありがたい米作りである。



平成7年の食管制度の廃止と新食糧法の施行は事実上の米の自由化であろう。政府による米の買い入れ価格も次第に下がり、1俵1万円を切ったとか。10キロ2000円にもならない。棚田で細々と米作りをやっても採算ラインに乗る訳がないですな。耕作放棄地が増加するのも、ある意味必然であろうか。平野部であれば大規模化して省力化し、コストの削減を図るという手段も講じれるだろう。中山間地域の棚田は、販売用ではなく自家用米の生産に限定されるのだろうか。もっとも耕作者の高齢化はどんどん進んでおり、自家用米の生産もいつまで続くことやら。

  

Posted by とんび at 05:16Comments(0)TrackBack(0)米づくり

2008年07月17日

滝畑の里

今日は南河内の奥座敷、滝畑の里を訪ねてみよう。ここは平家の落人集落の伝説が残る土地である。ということは、交通不便な人跡未踏に近い雰囲気を持った里であったようだ。がらりと変わったのは、昭和55年に完成した滝畑ダムによる。石川の上流域である川沿いに小さな集落が点在していたが、大半が水没し、高台へと移転されたのだ。現在はダム湖畔に立派な道路も造られ、キャンプや紅葉狩り或いは水遊びなどでたいそうにぎわっている。ただ草深い深山幽谷の趣は、今も尚漂っているかのようだ。

         現在も山は深く地形は厳しい。川沿いに細い山道が和歌山へと続く。


高台の丘に登ると、河内長野市教委のふるさと文化財の森センターがある。集落にあった茅葺き民家を移設し資料館としたものだ。担当者のUrさんがとても気さくな方で、手すきであれば土地の風俗や慣習或いは古民家の話などを語って下さる。地場産業であった竹細工の講習などもやっておられるようだ。当地が何故、爪楊枝の産地であったのが疑問だったが、彼の説明でよく理解できた。かってこの地は材料であるクロモジの木が大量に存在していたようだ。そして今は杉・檜の植林やメイドインチャイナの席巻によって次第に弱体化しているとの話も。

     田の字形の部屋割りは風通しがよくとても涼しい。昼寝の場所に最適だ。


別棟の資料館には古民具などが展示してある。当地が炭焼きや林業で栄えた往時の名残であろうか。狩猟や農業はあまり行われていなかったようだ。おもしろい道具も見つけた。「ぶりなわ」といって、木登り専用の簡易な用具である。これを使って枝打ちや木の実取りなどを為さっておられたのだろうか。

           ぶりなわ                          ノコギリ
 
             鎌とハサミ。茅葺き屋根の修復道具のようだ。
 























この古民家は当地独特な建築らしく、玄関が妻にあり、はいってすぐが台所となっている。下記画像の白い部分が正面玄関である。隣のへっついさんが、今で言うシステムキッチンであろうか。湯沸かしの大釜と蒸し器がのっかていた。土間の横にはあがりこまちがあり、囲炉裏も切られていた。作業から戻っても、わらじがけのままで休息や炊事が出来るような配慮であろうか。

               囲炉裏端から正面玄関とへっついさんを見る。




里を一変させた滝畑ダム、大阪府の手によって昭和55年に完成した。治水目的だろうが、農業用水と河内長野・富田林の水道用水にも利用されているようだ。他のダムと異なり、水面に流木等がなく湖水がとてもきれいだ。岩湧山からのわき水が水源なので、両市の住民の方は安心して飲用できるだろう。生水が飲める環境を、何時までも維持していきたいものである。

                 滝畑ダム。とてもきれいな湖水だ。
  

Posted by とんび at 05:14Comments(2)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年07月16日

一村一品運動

一村一品運動とは大分県の代名詞みたいなものである。その大分県は、県教委が震度8級の大地震で大揺れ状態だが、それはさておき、30年程前にこの運動を提唱された平松守彦知事(当時)の先見性には敬服する。過疎と貧困のただ中にあった地方自治体の住民に自信と誇りとを植えつけたのである。「梅栗植えてハワイに行こう」とのキャッチフレーズを今でも明確に記憶している。たった一人のリーダーによって大分県の村々は生まれ変わったのである。さてそれがどうやねん、との突っ込みが来そうだが、適地適作が豊かな生活へとつながったのは今でも通用する基本原理ではなかろうか。


我々の共同農園では数名の仲間達が農作業を行っているとは、既に紹介している事だが、これが結構個性的というか独自性があっておもしろい。同じ場所なので地域性や土壌の相違等はないだろうが、作る作物が結構違ってくるのである。好き勝手に作っているのだが、その「好き勝手」に各位の個性が出てしまうのである。ある日ある時の畑を覗いてみると・・・・・・・・・・・・・・・


         Kさんの畑。代表作は種なしスイカ、3年はかかるそうだ。

         マクワウリ                          ゴマ    
 

続いてはOkさんの畑。この方は定規で測定したような畑作りが特徴だ。代表作はトマトとナス。トマトは水気を嫌い、ナスは水を好む。この相反する性質をうまく調和させた独自の農法には感服する。

          トマト                              ナス                          
 

次はMtさんの畑。Mtさんは徹底した草抜きが特徴である、最近は忙しいのか暑いのか少々草が蔓延っているようだ。代表作はミョウガとゴボウである。
          ミョウガ                          ゴボウ
 

続いてはIさんの畑。彼は、アルバイトと畑の掛け持ちで時間的制約が大きいのだが、こまめに手入れを為されている。竹を組み上げた棚作りカボチャが代表作、それと大葉かな。

         カボチャ                           オオバ
 

次はIkさんの畑。例の新婚さんである。彼のところは労働力が極めて豊富、何せ父君と奥方が常なる助っ人なんだから。3人で一人分の畑だから、微に入り細に入りで耕作が可能だ。今はトウモロコシとミニトマトが代表作。森が近いので敵機来襲に気をつけて。

        トウモロコシ                        ミニトマト
 

最後は大御所のUさんだ。最高齢者だが体力年齢は一番若いとの、もっぱらの噂である。自称37歳というのも、当たらずとも遠からずというところだろうか。

            代表作の通常版スイカ。畑にゴロゴロしている。


          赤シソの畑。梅干し用に、むしり取る仲間達が多いのだ。



かように同じ場所でつくっても滅法に作物が違ってくる。各位の好みと適性とで自ずからなる選択が為されているのだろう。大分県の一村一品運動ではないが、各位の得意分野で勝負してもらい、全体として大いなる成果を上げられればと願っている。平松知事のような名リーダーは存在しないが、集団の英知というものもある。頑張って参りましょう。



  

2008年07月15日

スイカ救出作戦

昨日のブログでスイカが危ないと書いたが、実際いつ落下してもおかしくない。何せ斜面の一番上部に引っかかった状態で生育しているのである。本日はその救出をということで出動したものの、ツルが切れ、スイカは既に下の畑に落下していた。残念ながら1日遅かったようだ。直径20センチ位、まだ小さくて完熟には程遠いのに。

           下の畑に落下していたスイカ。一番期待していたのに。


落下防止用のストッパーを作ろうと早朝に竹林で切り出し、準備していたのに。もう一日早かったらなあ、助かっていたはずだ。



こんなストッパーを作ってスイカの周囲に打ち込み、スイカの荷重を支える予定だった。スイカのツルが斜面をよじ登り、頂点付近で結実していたのだ。場所が良すぎた。

        

残念だが落下した物は仕方がない。残ったスイカを保護してやることだ。よくよく探してみたらまだ4個のスイカが残っており、ご丁寧に全部が斜面上に存在している。何てことだ。平地で結実して欲しいな。

         画面上部が低い土地。そのままだとスイカの荷重で落下する。


 


初めて挑戦したスイカ栽培、やはり想定外の事態が次々と発生するようだ。果実が大きいだけに落下の問題まで生じるとは。鳥対策しか考えてなかったのが敗因のようですね。やはり経験を積むのが最善の策かな。失敗は来年以降に活かすとして、残ったスイカをカラス軍団にやられないよう守ってあげないと。


 

  

Posted by とんび at 05:22Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月14日

その後のスイカ畑

早朝から夏晴れのいいお天気、こんな日はスイカを覗きに参ろう。何せ砂漠のご出身の野菜だ、暑さには滅法強いはず。本年初めてスイカ栽培にチャレンジと過去に書いたが、チャンと育てられるか正直なところ不安はあったのだ。苗を植えつけたのが2ヶ月前、その間ツルは伸び放題に伸びた。スイカ畑はツルに覆われ、緑の草原状を呈している。さて実はついているのか。

         積乱雲のような雲がもくもくと。真夏だ。スイカには最適 ? 

       小生のスイカ畑。まだネットを張ってなく、白いロープで防鳥対策。


ありました。まちがいなく正真正銘のスイカが。畑の中心部は不明だが、ロープの下部に2個のスイカを発見した。結構大きい。ドッジボールの少し小さめ位かな。今のところ、カラス軍団にもまだ気づかれていないようだ。早くネットを張らねば、と思いつつも作業が遅れている。それと存在地が斜面なので落下防止の対策も講じないと。


          最初にみっけたヤツ。結構大きめ、崖から落ちないように。 

      2個目を発見、1個目と大きさは同じくらい。こちらも崖の中途だ。


スイカ畑の中は不明だが、みつかったのは何れも傾斜のきつい斜面上。スイカの落下防止策を講じねばならない。鳥対策もまだなのに大変なこっちゃ。明日にでも竹を切り出し、ストッパーを作ることとしよう。

            スイカの花。咲いてからおよそ40日~50日で収穫です。                        


少々不気味な感じがしないでもないですが、スイカのツルの先端部です。ひげのような触角(?)を伸ばし、どこまでもツルを這わしていきます。棚田で作っているのですが、上段の田にも下段の田にもツルを伸ばしています。なかなかネットを張れない理由でもありますね。2個のスイカを発見しましたが、花はこれからのようです。ということはまだまだ実が付くと期待できるかな。




スイカも最初のチャレンジにしては2個の結実もあり、まずまずの成果と言えるかも。カラス軍団との争奪戦に打ち勝ち、みごと冷えたスイカを食したい、というのが最近のささやかな願望です。1日の作業も終え、夕日が棚田を照らし始めました。カラス達もまもなく遊び疲れて帰宅するでしょう、何せ、彼らのねぐらと小生の農園とはお隣さん。むやみな争いは避けたいのだが。

  

Posted by とんび at 05:18Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月13日

地蔵街道

仏教の世界には六道輪廻の思想という考え方が存在します。六道とは人間の心の状態を現したもので、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の六つの世界だそうです。輪廻とはこの六つの世界を出たり入ったりしながら彷徨っている状態を指すようです。人間のこうした精神状態に対して救いの手を差し延べてくださるのが地蔵菩薩だとか。通常、我々が想像するお地蔵さんは、村はずれの辻に立たれて子ども達を見守っておられる・・・・・・・・・・・・・そんなイメージなんだけど。この地蔵菩薩が十体以上も立ち並んでおられる山道がある。金剛山の正面道と呼ばれる登山ルートだ。なんとも不思議な光景である。

          順不同で数体を紹介してみよう。箴言付きなんだ。


父ちゃんと母ちゃんの仲がよいこと、やっぱりこれが一番だ。貧しくても楽しい家庭はいっぱいある。やっぱり △△△だから。
 
 





毎日訓 晴れても曇ってもがんばってもなまけてもいちにちは一日 △△△精一杯生きてみる まずそれから。 




 

人間の一生 永遠に続く喜びもなく、永遠に続く悲しみもない。色んな感情が生まれては消え、生まれては消え、人生はつづいていく。それが人間の一生、それが生きているということ。


こんなお地蔵様が、10体以上も登山道の脇に鎮座されているのである。どなたが、或いはどなた達が設置されたものだろうか。制作費だけでも相当な金額になるはずだ。前に置いてある箴言の板は同一人物であろうか、全部が同じ筆跡のようだ。達筆すぎて一部は読めない文字もあったが。



思えば、お地蔵様は道祖神と一体化したような形で信仰されてきたようだ。八百万の神々の考え方と一緒かも知れない。笠地蔵の民話が語り継がれたように、素朴な信仰心が地蔵菩薩への信仰と重なったものだろう。正面道のお地蔵様も、こうした発想を持つ方々が浄罪を出し合って設置されたものではなかろうか。六道輪廻の旅路で、悶々としている我々衆生のもがきや苦しみへの、限りなきやさしさからではあるまいか、と想像しているのだが。

  

Posted by とんび at 05:30Comments(0)TrackBack(0)金剛山

2008年07月12日

れんげ祭りー2

本日のクライマックスである護摩供養と火渡りの儀式が始まった。修験道で一番華やかな場面かもしれない。それぞれの行為に意味があるのだろが、理解できずとも、一種荘厳な雰囲気に包まれながら進行していく。まずは古参と覚しき山伏が出て、口上を述べ始める。開会宣言みたいなものだろうか。

  

続いて弓矢のうち込みが始まった。これも意味のある儀式なんだろう。よく理解できない口上を述べながら、東西南北の四ヶ所に向かって矢を射るのだ。打ち込まれた矢を拾うとご利益があるのか、大勢の人が駆け寄っていた。



若き修行僧が松明に点火して貰う。晴れの舞台のようだ。点火された松明を持ち、一定の歩行法に則りながら祭壇(と呼ぶのかどうかは不明だが)に進み出て、やおら点火。最初は小さな炎であったが、次第に大きな炎と変わり杉の青葉が囂々と燃えだした。山伏の読経のなかで、願い事が書かれた護摩木が次々と祭壇に投じられていく。

                                    
 



 


本山の大先達も動き出された。これから一番重要な儀式を執り行われるのだろう。従者の山伏を従え、所定の場所へと進まれる。



祭壇の火が下火になった頃、火渡りの準備が始められた。そして、その周囲では山伏達の奇妙なダンスが始まったのだ。ヨガのポーズみたいな形をとりながら、呪文をとなえつつ祭壇の回りを一周するのである。意味のある行為なんだろうが、何とも魔法使いの呪術のような印象を受けてしまう。




さて、いよいよ火渡りの儀式だ。ここでも日本の伝統に則った。即ち「指揮官先行の原則」である。転法輪寺の若き住職が先陣を切って、塩で清められた祭壇の前に立たれた。炎が吹き出している祭壇の上を素足で渡っていくのである。織田信長の火攻めにあわれた武田軍の快川和尚が「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と喝破して亡くなられたようにはいかないものである。無事に渡れるのかと案じていたが、十字をきりながら渡り終えられた。


 

住職に続き、次々と山伏達が渡っていく。小生も渡らしてもらおうと考えたのだが、後ろを見るとあまりにも大勢の信者さん達が順番待ちをしておられた。とてもじゃないが下山時間に間に合わない。確か昨年もそんな状態で諦めたようだったが。

  

Posted by とんび at 05:15Comments(2)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年07月11日

れんげ祭りー1

南河内の東部、奈良県との県境には、金剛・葛城の連峰がそびえ立っている。標高は1000メートル前後に過ぎないが、結構山は深い。ここは修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)が最初に修行をした場所として知られている。飛鳥時代に奈良県の御所市付近に生まれた彼は、日夜金剛葛城に登って修行に励み、時には雲にのって空を駆けたとも伝えられている。奈良時代が始まる少し前に、箕面の山で入寂したとも言われている。毎年7月7日は彼の命日、金剛山では「れんげ祭り」を行って彼の遺徳を偲んでいる。

      メインスタジアムの転法輪寺。ここは葛城神社との神仏混合だ。


転法輪寺は真言宗醍醐派に所属する。宗派とは、宗教界の派閥といえば叱られるかな。古来から自然発生的に始まった山岳宗教が、弘法大師や伝教大師によって真言・天台の大きな組織に集約され、明治維新まで興隆を極めたが明治政府の廃仏毀釈によって廃れていった・・・・・・・というのが受験用日本史の知識だったような。

      京の醍醐寺から一行が到着された。本社の社長さんにあたる御方。

信者の方が続々と登って来られる。普段でも登山者の多い山だが、今日は格別のようだ。無論、大半のかたが白装束で、各地のお堂などでは般若心経の静かな読経の声が流れてくる。



正午から祭りは始まった。ホラ貝を持った山伏を先頭に、お寺や神社或いはお堂などを粛々と参拝する。時折聞こえるホラ貝の音や読経の声が、静かな山域を震わせる。あまりにも多数の山伏のため、時間調整が必要なようだ。

  

 

 

転法輪寺の若き住職。彼は「司講」という組織を結成し、真言密教に則った修験道の復活をめざしておられるようだ。参加者も次第に増え、毎月修行日を定めて祈りの回峰行に励んでおられるそうだ。ちなみに修験道とは、人間が外界を感知するための感覚機能である五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を山岳修行によって鍛え上げ、五感を超えた超能力(現在科学では説明不可の意)としての第六感を獲得しようとの活動のようだ。
  
         転法輪寺の若き住職。宗教界のイノベーターとなられるか ?

祈りの回峰行を終えた山伏達が戻ってきた。さあ護摩供養と火渡り儀式の始まりだ。今年は、何とかして小生も火渡り儀式に参加しようと願っているのだが。

      

Posted by とんび at 05:20Comments(0)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年07月10日

ゴマダラカミキリ

なんとも愛嬌のある虫である。子ども達が戯れて遊ぶには格好の虫である。カブトやクワガタにも匹敵するのではなかろうか。最も大人にとってはやっかいな相手である。特に我々のように果樹栽培を行っている者には、とんでもない害虫なんだ。果樹木に入り込み、中から幹や葉を食害する。結果、枯れ死する樹木が後をたたない。とりわけ柑橘類がお好みのようだ。

             体長は約3センチ、黒い羽に白い斑点が特徴だ。
   

丁度この時期が活動期だ。6月~8月頃に盛んに飛び交い、主に柑橘類の枝や葉を食い荒らす。成虫の生存期間は3ヶ月~4ヶ月くらいと言われるので、この時期に恋をして産卵する。1匹の雌が平均200個ぐらいのタマゴを産み付けるそうだ。この時に狙われやすいのが、柑橘類の根本付近である。

         なんとも愛嬌のあるヤツなんだが、食害さえなければなあ。


無論、人間様も手をこまねいている訳ではない。対策用の薬剤も存在するのだが、なかなか効果的とは言えないようだ。とある果樹農家に教えていただいたのが、厚手のビニールによる被膜である。肥料等が入っていたビニール袋を切り裂き、二重三重にして根本に巻き付けるのだ。下記の画像がそれである。こうすればゴマダラカミキリが産卵できず、結果的に個体数が減っていくとの理屈なのだ。廃物利用なので経費不要の対策法だ。もっとも果樹木は守れても、クヌギやコナラなどでも産卵するので個体数の減少につながるかどうか。

          レモンの木                  ウンシュウミカンの木
 

子どもの頃にはゴマダラカミキリを捕まえてよく遊んだものだ。今の子ども達はどうだろうか。ひょっとしたら存在自体をしらないのかも。個室のなかでゲーム機相手や、日々の予習復習に追われていたら、野山に出ることもないのかもしれないな。考えようによってはとても恵まれた存在なのだが、反面、一番不幸せな存在かもしれない。





    

2008年07月09日

7月6日定例会報告ー2

果樹の収穫は確かに楽しいが、それは一年のうちのほんのわずかな期間だ。大半の季節は実をならせるための下準備を行っている。本日はキーウィの添え木作りを行うことにした。昨年だったか、植え込んだキーウィが無事に活着し、枝を伸ばし始めたのだ。彼らが育ちやすい環境作りが必要なんだな。雄と雌の株がうまく棚の上で出会えるように添え木を作ることにした。無論、こうした分野はKさんの独壇場である。各員に的確な指示が飛んでくる。さっそく手分けして材料集めだ。

          早速に支柱用の竹を切り出すKさん。最も得意な分野だ。

            他のメンバーもそれどれに材料集めへと動き出す。
 

早速に加工が始まった。キーウィは成長すると結構に重い。その重量に耐えうる強度が必要なのだ。本来はスチール製のパイプで組み上げるのが上策なんだが、資材がない。手近にある竹や木材を活用することにした。小学校の工作の時間みたいなものかな。嬉々として作業に励むオジサマ達。

  
                 まずは支柱の埋め込みが必要だな。

         竹の添え木にキーウィのツルをからませる。大きく伸びろよ。

ニュージランド原産とか聞くキーウィだが、結構、日本の風土にもあっているようだ。既にたくさんの実りをもたらしてくれるキーウィもすぐ近くに存在する。12月頃が収穫期かな。生食もいいがジャムを作るとたいそうにおいしい。新しいキーウィを見て、これが実っても俺は食べれないだろうな、とKさんのつぶやきが。すぐに突っ込みがはいる。いいや、まだまだ30年くらいは木を植えてもらわないと・・・・・・・・・当分はこき使うつもりだ。愉快な仲間達である。

   なんとか参加者にお土産をと必死に探すIkさんとIsさん。心根のやさしき人々だ。

帰路は例によって夢の村の共同農場へ立ち寄る。Nkさんから梅干し用の赤シソが欲しいとの要望があり、探すことに。Isさんも共同農場が初めてなので見学して貰う。彼も農作業はお好きとみえ、Ikさんと一緒にレタスの定植を始めだした。各位の農園を回って持ち帰れそうなものをお土産とする。産地直送の新鮮野菜だ。

 






  

Posted by とんび at 05:21Comments(0)TrackBack(0)とんびくらぶ

2008年07月08日

7月6日定例会報告ー1

暑い、とにかく暑い。山の中なのに朝からムンムンとした熱気が襲ってくる。気分的なものもあるのかな。今日はプラムの収穫日、朝から2~3個口に放り込んでルンルン気分で作業開始、そんな思惑が完全に外れてしまったのだ。全くない、それこそ1個もない。プラムの木は青々として葉が茂っているだけである。先月は青い実が充分なほど実っていた。時期的には丁度の収穫期なのだ。地面には落下した気配すら見あたらない。考えられることは一つ、窃盗団の襲来である。以前にシイタケでも似たような事例があった。

        プラムの周辺には落下物一つすらない。完全な収奪のようだ。


ご丁寧に、Kさんが丹誠込めた柿の接ぎ木も、活着枝が1本へし折られていた。やることが悪質すぎる。民家からは離れた山中なので、事情を知った者が狼藉しているとしか考えられない。お腹をすかした旅人が、数個をこっそり持ち去るようなかわいげがない。日本人の資質と品格が相当劣化しているようで、残念でならない。

     テープは剥がされ、右側にあった活着枝は折られて捨てられていた。


今回が二度目の参加であるIsさんに、刈払機のレッスンが続く。便利な道具ではあるが、反面、危険な側面も有している。基本的な事項をマスターしてもらい、徐々に練習量を増やしていこう。早速の草刈りだ。

      講師はリーダーのIkさん、受講生はIsさん。本日が2回目の参加だ。


草刈りを続けるのだが、あまりの暑さと、不愉快な出来事のため、皆の士気もあがってはくれないようだ。準備した水分があっという間に減少していく。持参の水筒も1日は持たないな。休息する頻度が次第に多くなる。無理もないかな。Kさん差し入れの梅菓子(?)をいただく。なんでも梅ジュースを飲んだ後の梅の実だそうな。疲れが一気に吹き飛ぶかのようだ。

             休息と水分補給の頻度が次第に増えてくる。


夏場の野外作業は大変だ。今日は他のメンバーは学校林の整備に回っているのだが、暑さにバテているだろうな。風通しが良くて動きやすい服装はしてるものの、あまりの暑さに頭がボーとなってくる。こんな時は事故が起こりやすいのだ。通常よりは休息の頻度をあげ水分補給を増やす。夏場は最低でも2リットル位の水分と少々の塩分が必要なようだ。飲み過ぎよりも脱水症状のほうが怖い。



真夏はミョウガ位しか収穫物がない。お土産がなくて参加者には気の毒だが、秋の収穫準備をやっておこう。一番早いのが栗かな、その次が柿、その後にキーウイかな。その順番で草刈りを行う。下草の刈り取りと、肥料への転用だ。一番活躍するのは、やはり刈払機。二度目参加のIsさんも、刈払機に慣れはったら協力な戦力となられるだろう。期待して待っておこう。

  

Posted by とんび at 05:16Comments(0)TrackBack(0)とんびくらぶ

2008年07月07日

寡黙な働きマン

早朝だった。朝露に濡れた村の小径を楽しんでいたのは。ふと気になって田圃に立ち寄ると、見たような後ろ姿が・・・・・。Iさんであった。新調した田植え靴をはいて、黙々と田草取りをやっておられる。田圃には除草剤をまいているとは言え、全く田草が生えない訳ではない。又、除草剤に打ち勝つヒエやセリのような強烈な相手もいる。結果的には田圃にはいり、手で抜き取っていく作業が欠かせないのだ。彼は早朝から、一人黙々と作業を続けておられた。

                  どこかで見たような後ろ姿が。


確かに日中よりは早朝のほうが作業は楽だ。農家の朝が早いのも、気温の関係で作業時間をずらしているのだろう。まさに朝飯前の仕事ぶりである。彼の家は遠い、相当早くに自宅を出られたのだろう。愛用のスクーターが路傍で光っていた。

            田草とりは根気のいる仕事、寡黙な作業が続いている。


寡黙な作業が静かに続いていく。腰が痛いだろうに。黙々と作業を続けられるIさんの姿に感謝。米作りチームのメンバーは皆がこんな調子なのだ。多くを語らず、自己の果たすべき作業を黙々と実践していく。かっての、企業戦士たちの激烈な仕事ぶりが、かいま見れるような風景だ。たいした収穫があるわけでもないのに、きつい作業に不満も漏らさず、黙々と作業を実践していく。仲間達の働き続ける姿に、日本人の原型をみるような気がして嬉しくなってくる。働くこと自体が、大いなる喜びなんだろう。

           田植え靴をはいても足がぬかるむ。結構歩きにくいのだ。

作業を続けられるIさんに感謝しつつ、あえて田圃には入らずにマイ畑へと向かう。夏野菜が少しづつ育ってくれている。インゲンはもう数度の収穫を終えた。トマトやナスはこれからだ。昨年の種が残っていたのだろうか、大葉も見事な茂りを見せている。全く、たくましい野菜なんだ。
           
            根本の実から順番に熟していく。最後は頂点近くだ。
      
    
        植えてもないのに立派に育ってくれる大葉(青シソ)の群落。


野辺では名前もわからないのだが、小さな花が朝露に濡れて光っていた。可憐な花だ。早朝からのIさんの働きぶりを、そっと褒め称えてくれてるのかな。 

           せめて名前や由来などを語れたらいいのだが。


  

Posted by とんび at 05:24Comments(0)TrackBack(0)米づくり

2008年07月06日

朝露の小径

夜明け過ぎの頃、村の小径をのんびりと歩いてみる。わずかに朝日が差し込んでくる小径では、花々達が装いも新たにひっそりと咲き誇っている。今日も良い天気だよ。早くから農作業を始めなさいよ、昼間は暑くて出来ないよ、お昼寝の時間なんだよ、そんな言葉を語りかけているかのような。彼らもにぎやかなおしゃべりを楽しんでいるのかな。

             この季節の定番は、やはりアジサイでしょうね。


路傍ではホタルブクロが秘めやかに咲き誇っている。寡黙で控えめな花だ。強烈な自己主張をするのでもなく、路傍のかたわらでひっそりと静かに咲き誇る。それでいてどっしりとした重さを持っている花、人間としてもかくありたいと願うのだが。現実はなかなか。




朝露を踏みながら野道を歩き回る。そこかしこに咲く花は、野生のもの、村人が植えられたもの、様々であろうが風景にとけ込んで何とも言えない雰囲気を醸し出す。村がもつ固有の美しさかな。これだから千早赤阪村への訪問が欠かせない。何にもない村なんだが、何でもあるかのようなとても豊かな村、そんな不思議な感覚にとらわれてしまう。
   
          白百合の花言葉は、威厳、清純、上品、無垢、だとか。縁遠いな。


              この村には、やはり青と緑がよく似合うような。


森と田圃と曲がりくねった小径くらいしかない村ですが、是非に時間を作って訪ねてみて下さい。心の中が洗い清められるかのような、不思議な想いにとらわれます。森の妖精達の仕業かも知れませんね。できれば早朝に、一人の方がいいかもしれませんよ。

  

Posted by とんび at 05:25Comments(0)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年07月05日

1冊の絵本のような村

早苗が青々と茂り、そよ風がそこはかとなく吹き抜けていく。空には真っ青な青空と白い雲たちが・・・・・・・・村は旬の季節なのかもしれない。畦に腰掛け、冷たい麦茶を飲みながらぼんやりとたたずむ。ゆったりとした時間が流れていく。何にもない、ただ座っているだけなのだが、至福のひとときなのだ。村の持つ何かの力だろうか、人をしてとてもおだやかな慈愛に満ちた心境へと変化させてしまうのは。駐車場で村長のMさんと出会った。村のままで合併しなくてもいいんじゃない、と問いかけてみる。彼の話では、人口30万以下の市町村はどこかへくっついて大型市にならざるを得ないのだとか。介護保険、後期高齢者、を始めとして自力では生き残っていけないそうだ。合併して△△市となったとき、村が持っていた不思議な力は果たして残っているのだろうか。

       真っ青な空と真っ白な雲・・・・・・ただそれだけでいいのだ。


村は棚田の里、ご先祖様達が苦労して切り開いてくれた棚田が青々として早苗を育ててくれている。貴重な遺産なのだ。だが耕作する村人たちも年老いた。若い人はほとんど見かけない。街への通勤なのだろうか。我々のような物好きな部外者が、例外的に入り込んでる位だ。我々のような者が、耕作放棄地を細々と耕しても追っつかないだろう。村の若い衆が農への志を持って欲しいものなんだが。

            葛城山を望む棚田の一角、絵になる風景だ。

                ここにも透き通るような青空と白い雲が。


Mさんが語っておられた。「俺は首になってもいい、村の人が何とか生き残れる道を準備しないと・・・・・」苦渋の上の決断だったようだ。自称「村の応援団」としても、なんとか力になってあげたいのだが。出来うることは村の良さと村の美しさとを発信するぐらいだろうか。

              無限遠に伸び続けるかのような早苗達。
 
              村の中にもこんなおしゃれなレストランが。


世間的には何にもない村、ただ感性豊かなごく少数の人々にとっては夢の村。絵のような風景がそこかしこに広がっている。あるのは山と森と田圃と水と真っ青な空と白い雲と・・・・・・・・たったそれだけなのだが、充分すぎる程なのだ。曲がりくねって細めの小道を、のんびりと歩いてみよう。普段は気づかなかった、何かが見えて来るかもしれない。

           村の中は緑と青と白の世界、透明感の漂う色彩だ。

      雲は既に真夏の装い、積乱雲へと変化するのも時間の問題。


村中にポエムの世界が広がっている。もっとも感じ取れるか否かはあなた次第かもしれないが。梅雨の合間の中休みに訪ねてごらん、森の妖精達が喜んで迎えてくれることだろう・・・・・・・・と信じていますが。


        

2008年07月04日

真夏の格闘戦

柿の木坂がジャングルとなった。ここは、地主のばあさまが亡くなったじいさまと一緒に柿の木を植えた思い出の場所なのだ。傾斜がきつく土も崩れやすので、草刈りが難儀な場所である。ほっとく訳にもいかないので意を決して草刈りに挑むことにした。刈払機が思うように使えない場所なので、メインの道具は鎌となる。最も古典的でベーシックな道具だ。反面、体にかかる負担は半端じゃない。まるで半世紀以上前の、満蒙開拓団みたいな装備である。

             本日の主役達。メインを刈払機としたいのだが。


鎌は本日のために新たに購入したものだ。通常の鎌では、柿の木坂の現状には太刀打ちできない。柄が長くて約70センチ位ある。刃は厚く少々の物はぶっちきる程だ。師匠のNさんも、いつか語っておられた。「百姓の道具はいい物を選んで大事に永く使いなさい、その方が仕事もはかどるし結果的に得だから」「借り物ではだめだよ、自分の道具をそろえないと」・・・・・・・・と。確かにいい道具を選べば作業がはかどる。ただ一般的に、道具の品質は価格に比例するのがつらいところかな。

                                       格闘戦の最強の武器かな。
             


さて現場の状況だが、下記の画像のような実態で、高い雑草は2メートル近くある。当然に堅くて強くて、少々の力では切れてくれない。足場が悪いので左手で草の根をつかみ体を確保し、右手で雑草を刈り込む。二度三度と鎌をふるい、ようやく切り倒す。なかなかしたたかな雑草だ。切り株が槍のようになってるので歩行には要注意。長袖長ズボンに長靴姿なのに、虫にやられたのかかぶれたのか、左腕が赤い斑点状になっていた、えらくかゆい。

                 柿の木が雑草の中に埋もれている。
     
         ツル性の雑草は柿の小枝をとらえ、樹冠へと伸び上がっている。
 

右手に力が入らぬので少々手こずるが、鎌自体はいい切れ味だ。商品に雑草用と表示してあるだけの事はある。師匠の話ではないが、やはり道具には資金を投入せざるを得ないようだ。聞くところによれば、大工の見習いにはいった者は給与の大半を道具代につぎ込むという。道具の善し悪しが仕事の結果に響くことを体験的に感じ取っているのだろう。





1日作業を続けて、どうにかお日様が柿の根本に差し込むようにはなってくれた。梅雨時のこと、1ヶ月もしないうちに又元の状態へと雑草は伸びるかもしれない。イタチごっこみたいだが、夏場の宿命だろう。刈払機が全面的に使えれば非常に助かるのだが。ちなみに亡くなった地主のじいさまは、全部の田畑や森を鎌だけで刈り取っておられたそうだ。並外れた体力と気力と根性の持ち主だったようである・・・・・・・・と軟弱青年は想像している。

















  


Posted by とんび at 05:23Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月03日

狭山池

数日前に水守りさんの事を書かせてもらったので、ついでと言うわけではないが、南河内の水瓶である狭山池を訪ねてみた。ここは1400年程前に開かれた治水・灌漑用のため池である。ダム式のため池としては日本最古のものらしい。ため池といえばすぐに弘法大師伝説となるのだが、この池はお大師さんよりも古い。奈良時代の築造のようだ。大阪府の手によって整備され、周囲は桜並木の遊歩道となって市民の憩いの場にもなっている。メタポ対策でかサイクリングやウオーキングの人々が多数おられた。

               満々と水を蓄える狭山池。(大阪狭山市)


この池は国家プロジェクトとして取り組まれたようだ。当時の基幹産業である農業にとって、水は最大の資源である。狭山にため池を作ることで下流域の、富田林市・羽曳野市・松原市・堺市・大阪市の南部あたりまでが恩恵を被ることとなる。池の完成で膨大な新田開発が為されたようだ。今風に言えば、八郎潟の干拓事業みたいなものかもしれない。池の北側に、府立の狭山池博物館(無料なのだ)が存在するので立ち寄って見られたどうだろうか。お客さんは少ないし、冷房完備だし、図書室はあるし、コーヒーは安いし・・・・・・・・・・夏場の避暑にはうってつけの場所かも。(橋下さん、ごめんなさい)

            無茶苦茶涼しい水爆の世界 (府立狭山池博物館)


さてアホな話は別として、水稲に水が必要なことは古今東西変わらぬ原理である。上流域に水がないと、いわゆる天水頼みとなり、水稲栽培が非常なリスクを抱える事となる。水は天からもらい水・・・・・・・・というのは民謡の歌詞で留め置きたい。当地も狭山池の水源で下流域がどれだけ潤ったか。国費投入の効果は充分あったと考える。現在もこの池水は水稲栽培に利用されているが、肝心の栽培農家が高齢化・減少化しているのを、築造者達はどんな目で見られておられるだろうか。

         ふるさとの山、金剛山は、何も言わずに見守っておられるが。


当時の最新技術を駆使して池は築造されたようだ。発掘された資料が博物館に展示されている。数点を表示するので、技術の高さをご覧下さい。池から水を誘導する、各種の樋門や水路の構築物です。
                 
         
 

 

      発掘されたスコップ。形は今と一緒ですね。木製で鉄板が張ってあります。

ため池の博物館なので、水稲栽培についてはあまり資料がないようです。それでも米作りと水との関係を再認識するには、うってつけの教材かと思えます。お暇がありましたら是非お尋ね下さい。2階の図書室には、少数ですがいい書籍をプールしてくれてます。3階のコーヒールームと行ったり来たりしながら、のんびりと読書の時間もいいかもしれませんよ。


             狭山池の堤防で見つけました。何の花でしょうね。

  

Posted by とんび at 05:22Comments(0)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年07月02日

夏の風物詩

子どもの頃を振り返ってみよう。夏になると甘酢っぽい思い出が多々あられるのでは。梅雨が明けると夏休み、子どもにとって一番楽しい季節かもしれない。一昔前まで、子どもの遊びといえば、山であり川であり原っぱであり田畑であり・・・・・・・・・・自然のフィールドの中で自分たちで工夫したものだ。与えられた遊具など皆無であった。中でも楽しかったのが夜店のひやかし。お小遣いなど潤沢にあるわけでもないが、露店から露店へと彷徨い歩くのが楽しみだった。なかでも香ばしい臭いと一緒に大きなトウモロコシが並んでいるのは壮観だった。

                    実りだしたトウモロコシ畑。


そんな思い出が根底にあるのか、トウモロコシを毎年作っている。野菜類の中では比較的連作障害も出にくく、作りやすい部類だ。自家受粉なので必ず二列縦隊で植えつける。今年は二列縦隊を二組、即ち4列植えつけた。ボチボチ実が着き出して収穫もまもなくかも知れない。鳥たちの来襲に備えなければならないな。

            株の先端即ち頂部は雄花である。雌花は幹の途中にある。


このトウモロコシも近年は話題をさらっている。いわゆるバイオ燃料のことである。ガソリン価格が高騰し、7月にはいったらレギュラーで180円突破。従前の倍の価格である。スタンドに行っても気軽に満タンとは言えなくなった。当然に、知恵ある人間は代替策を考える。それはいいのだがトウモロコシは貴重な食料なのだ。メキシコなどはトルティーヤといって主食になっている。代替策は非食料でお願いしたいものだ。

                世間ではヤングコーンとか言うそうな。
    

まだまだ収穫にはほど遠いようである。収穫期の目安は、コーンのひげが茶色くなって先端部が黒っぽくなってきた頃である。カラスやキジ或いはヒヨなどの方が収穫期をよく知っていて、タイミングを外すと全滅の可能性があるので要注意だ。小生も過去に苦い体験がある。安全策としてはネットを張るのが一番いいかな。 

       トウモロコシは夏の風物詩。こどもの季節を表現しているのかも。

梅雨のど真ん中で蒸し暑い日々が続いている。雑草だけは遠慮なく成長して、野菜よりも雑草が勢い良さそうだ。この草取りが日課なのだが、湿度が高くて蒸れるのでなかなか進まない。作業時間より休息時間のほうが長いかもしれないな。冷たい麦茶を飲みながら畦道を眺めると、オレンジ色の綺麗な花がけだるそうに咲いていた。