2008年09月02日
稲穂が咲く
遅れていた我々の田圃にも待望の日がやってきたようです。青々としていた稲穂に、ほんのりと黄色がかった色彩が・・・・・・・。花が咲き出し実を着け始めたようです。「まつりばれ」を植えつけた田圃は、とっくに実が着き頭をたれています。まもなく稲刈りか、という雰囲気だけに、少々はあせりがありました。だが自然界は不思議なものです。忘れることなく時期が来れば花が咲き実がみのるのですから。太陽と風と雨と土に感謝・・・・・・・・ただその一言に尽きます。
ようやく実が着き始めました。白っぽいのは花のようですね。

あちこちで実っていますね。ありがたいことです。
我々が作っている品種「ひのひかり」は少々晩稲のようです。田植えの時期が遅かったという事情もありますが、9月にはいってようやく開花・結実ですから。それでも正直、うれしい、の一言に尽きますね。ようやく収穫の目処がついてきたようです。これで後は台風さえ来なければ万々歳なんですが。ひのひかりは収量は少ないものの、食味はいいものです。もう少しで今年の新米も出回ることでしょう。時期がきたら是非にご賞味下さい。
棚田に広がる稲穂の群れ。まさにグリーン一色ですね。緑の回廊かも。
足下を見ると、分けつもしっかり行われて本数も増えています。植え付けは3~4本程度でした。茎も大きく丈夫に育っているようです。それこそ台風さえ来なければバッチリですね。ここらはイノシシの心配もありませんから。
畦道も刈り込んでいます。まもなく彼岸花(曼珠沙華とも言います)の開花シーズン、ここらの棚田にもカメラを担いだマニアの方が多数おいでになります。少しでも良い写真が撮れるように、環境を整えておきましょう。稲穂の黄色と彼岸花の赤、それに真っ青な蒼空・・・・・・・・・いいコントラストです。さてこの彼岸花ですが、てっきり野生種のものと思っていました。加藤のどかさんのブログ(「都会育ちの田舎暮らし」)を拝見してて理解できたのですが、モグラや野ネズミからの被害防止に農家の方々が植栽したものだそうです。ご存じのように彼岸花の球根には毒素がありますが、これがネズミやモグラを寄せ付けない効用があるそうです。従って畦道に植え込んでおけば田圃の水漏れが防げると言うわけですね。そういえば彼岸花の咲き誇るのは大半が田圃の畦道のようです。
2008年08月28日
色づく棚田
まだ8月の終盤だというのに、棚田でははや色づき始めた一帯がある。二期作をやるような四国の暖地ではない。南河内の山間部なのにだ。継続して見つめているが、田植えもそう早くはなかった。日当たり抜群、通風最高、とはいえ我々の田圃とそう条件が異なる訳ではない。我々の田圃は(?)、まだ青々とした稲穂がスックと立ち上がっているだけだ。高さがようやく1メートル近くになったかな。
まるで今にも稲刈りが出来そうだ。実るほどに頭を垂れる稲穂かな。
ここらは棚田百選にも選定された一角、地形的には東南向きの丘陵で冷たい清水が流れてくる所だ。日当たりと通風は最高で、居住地としても選択できるような場所なんだが。一帯は農業専用区域のようだ。何度訪れても癒してくれる場所で、カメラ片手に畦道でのんびりと佇むのがとても楽しい。幸福とは、こんな一瞬を言うのではないかな、とふと考えたりもする。文部省唱歌(古いな)の一つに、ふるさと、という歌曲があるが、こうした情景の中で育たれた作曲家が作られたものだろう。いわば日本人の原風景とも言うべき景観なのだ。DNAの中に組み込まれた風景とも言えるかも知れない。
まさに日本人の原風景ですね。
田圃と森と畦道とのコントラストがとても気に入ってます。
物知り博士のKさんに聞いてみました。何でやねん、と。Kさんの話によれば、ここら一帯は「まつりばれ」という品種を栽培しておられ、それはやや早稲種に当たるとか。早めに収穫できて収量も多いそうだが、若干食味に劣るとか。ちなみに我々が作っているのは「ひのひかり」という品種。こちらは、まつりばれとは正反対の性格のようだ。「ひのひかり」はJA推奨の品種らしく、西日本では栽培農家も数多いようだ。師匠のNさんもひのひかりを栽培しておられるが、もう実が着いている。これは田植えの時期の早さのようだ。
我々の田圃。いまだ青年期といった感じですね。
てふてふが一人(一匹?)静かに遊んでいました。
もうしばらくしたら、稲刈りが始まります。収穫とはいいものですが、主食の米となれば、また格別です。多くの国で主食の収穫後に収穫祭が行われるのも、ある意味当然でしょう。家族が命を引き継げる喜びと感謝に、素直に頭を垂れる、あたりまえの光景なのかも知れません。我が国では次第に薄れつつあるようですが。天地自然の神々に(八百万の神々がおられるそうですから)感謝して、収穫物をありがたくいただく、こうした慣習を失いたくないものですね。
2008年08月07日
土用干し
当地では土用の季節に田んぼを干しあげ、地面にひび割れ状態を作りだす慣習がある。稲作技法の一つとして伝えられてきたもので、なんでも土中のガスを抜き取る作業だとか。大半の田んぼでは既に完了しているのだが、我々の田んぼも遅ればせながらようやく終了した。よって、田んぼに水の流入をと思ったら水が来ない。炎天続きで雨がないのと、どこの田んぼも土用干し後の水の使用で、下流域まで回らないようだ。こればっかりはどうしようもない。順番を待つか、大雨を祈願するか・・・・・・・と思案していたら関東地方は集中豪雨、大阪にも大雨警報とか。ほんまかいな。
田んぼは完全に干し上がった。後は水だけなんだが。
おかげさまで稲は順調に生育している。高さ80センチ以上にもなってくれた。後は水を注入して台風さえ来なければ、と願っているのだが。ヒエやコナギなどもあまり見かけない。昨年よりは稲の環境が良さそうだ。苗のとき、Iさんが新調の田靴をはいて、せっせと草抜きをやって下さったおかげかな。
畦に植え込んだ黒豆も生育が良さそうだ。収穫祝いを兼ねて生ビールで一杯・・・・・・ついつい想像力が働いてしまう。楽しみは多い方がいいですね。米作りに参加していない仲間達も、この黒豆をねらっているようだ。
なかなか良い出来映えだ。さすが農学部出身のIkさんの作品。
肝心の水が流れて欲しいのだが。上流域で使い込んでしまっているようだ。昔から米作りでは水争いが絶えなかったとか、灌漑設備が完備された現代でも、状況はさほど変わってはいない。雨が降ってくれないことには、設備はあっても流れる物がないのだ。雨乞い祈願かと考えてたら、雷鳴が聞こえだした。どうやら雨の予感、頼みますぞ。
田圃への用水路もかそぼい流れだ。水がない。
2008年07月18日
1ヶ月目の米
田植えが済んで丁度1ヶ月になる。稲穂も25センチぐらいに伸びてくれた。従って厳密な意味ではまだ米ではない。1ヶ月目の稲穂とすべきだろうが、米への強烈な思いということでお許しを。素人集団がチームを組んで米作りを始め、かれこれ数年になるだろうか。最初は不安だったが、何とかなるものである。ご近所の田圃を眺めつつ、師匠の助言もあって、最初の年から収穫が出来た。自分たちで作った米を炊いて食べたときの感激はひとしおであった。実際、原価計算をすれば購入した方が安価なのだが、この喜びには換えられない。
Aの田圃。三角形で田植えがしにくい土地だ。
面積も小さく収穫量も少ない。チームメンバーで収量を分配するから、一人あたりの持ち帰り量は極めて少々である。それでも皆が嬉々として米作りを行うのは、金銭に換えれぬ喜びがあるからだ。とりわけIさんなどは超熱心である。早朝から田植え靴をはいて田圃にはいり、黙々として田草取りに励んでおられる。
Bの田圃。耕耘機やトラクターが出入りしやすい場所だ。
水守りさんが得意なのはKさんだ。水路から水を引き入れ、4枚の田圃に程よく水が流入するように調整する。この微妙な加減が絶妙なのだ。水路の水量は常時変化する、その動向を把握しながら田圃への流入量を加減するのだ。細かな気配りが要求される、結構めんどい作業なのである。
Cの田圃。昨年はヒエの大量発生に泣かされた。
農薬や化成肥料に強いのはUさんである。どこで探してくるのか、時期時期に必要な資材を調達してくる。ゲストハウスの建築資材なども彼が集めまくったものだ。大阪中に人脈があるのでは、と想像してしまう。最高齢者だが体力は最強で、彼のベースになかなかついて行けないのが他のメンバーなのだ。
Dの田圃。一番大きな田圃で左上の師匠の田圃から常に水漏れが。
4枚の田圃を合計しても1反位の面積だろうか。プロの農家からみれば、ままごとみたいな米作りだろう。この狭い田圃で数名のメンバーが賑々しく大騒ぎしながら米作りを行っているのである。1ヶ月目で25センチ程度、これがあと3ヶ月ほどすれば1メートル位に成長して沢山の実りをもたらしてくれるのだ。4ヶ月から5ヶ月で主食が確保できる、なんともありがたい米作りである。
平成7年の食管制度の廃止と新食糧法の施行は事実上の米の自由化であろう。政府による米の買い入れ価格も次第に下がり、1俵1万円を切ったとか。10キロ2000円にもならない。棚田で細々と米作りをやっても採算ラインに乗る訳がないですな。耕作放棄地が増加するのも、ある意味必然であろうか。平野部であれば大規模化して省力化し、コストの削減を図るという手段も講じれるだろう。中山間地域の棚田は、販売用ではなく自家用米の生産に限定されるのだろうか。もっとも耕作者の高齢化はどんどん進んでおり、自家用米の生産もいつまで続くことやら。
2008年07月07日
寡黙な働きマン
早朝だった。朝露に濡れた村の小径を楽しんでいたのは。ふと気になって田圃に立ち寄ると、見たような後ろ姿が・・・・・。Iさんであった。新調した田植え靴をはいて、黙々と田草取りをやっておられる。田圃には除草剤をまいているとは言え、全く田草が生えない訳ではない。又、除草剤に打ち勝つヒエやセリのような強烈な相手もいる。結果的には田圃にはいり、手で抜き取っていく作業が欠かせないのだ。彼は早朝から、一人黙々と作業を続けておられた。
どこかで見たような後ろ姿が。
確かに日中よりは早朝のほうが作業は楽だ。農家の朝が早いのも、気温の関係で作業時間をずらしているのだろう。まさに朝飯前の仕事ぶりである。彼の家は遠い、相当早くに自宅を出られたのだろう。愛用のスクーターが路傍で光っていた。
田草とりは根気のいる仕事、寡黙な作業が続いている。
寡黙な作業が静かに続いていく。腰が痛いだろうに。黙々と作業を続けられるIさんの姿に感謝。米作りチームのメンバーは皆がこんな調子なのだ。多くを語らず、自己の果たすべき作業を黙々と実践していく。かっての、企業戦士たちの激烈な仕事ぶりが、かいま見れるような風景だ。たいした収穫があるわけでもないのに、きつい作業に不満も漏らさず、黙々と作業を実践していく。仲間達の働き続ける姿に、日本人の原型をみるような気がして嬉しくなってくる。働くこと自体が、大いなる喜びなんだろう。
田植え靴をはいても足がぬかるむ。結構歩きにくいのだ。
作業を続けられるIさんに感謝しつつ、あえて田圃には入らずにマイ畑へと向かう。夏野菜が少しづつ育ってくれている。インゲンはもう数度の収穫を終えた。トマトやナスはこれからだ。昨年の種が残っていたのだろうか、大葉も見事な茂りを見せている。全く、たくましい野菜なんだ。
根本の実から順番に熟していく。最後は頂点近くだ。
植えてもないのに立派に育ってくれる大葉(青シソ)の群落。
野辺では名前もわからないのだが、小さな花が朝露に濡れて光っていた。可憐な花だ。早朝からのIさんの働きぶりを、そっと褒め称えてくれてるのかな。
せめて名前や由来などを語れたらいいのだが。
2008年06月30日
水守りさん
水稲とはよくぞ言ったものである。水を要する稲、まさにその通りで水がないと米が作れない。棚田を構築して山の上まで作っても、その上に水があっての話なのである。その貴重な水を巡って、古来、争いが絶えなかったとのこと。当地でも大和国と河内国との水争いの民話が残っている。結果、大和国に敗れ河内国に流れる水は少なくなったとか。現在の水越峠付近のことである。
米作りの最も貴重な資源なのだ。古来、争いの元。
水路の元口で分岐させ、我々の田圃の方へ水を引き込む。
上流の方で大量に使用されると我々の田圃まで水が来ない時がある。そういってケンカも出来ないが、取水を弱めてもらうか、時間の来るのを待つか。何せ水がなければ始まらないのだ。俗に言うザル田が多い当地では、水漏れも結構激しい。毎日の補給作業が日課でもある。米作りチームも、別段当番表などを作っているのではないが、各位が程よく出勤して水管理を行っている。
前日満水でも翌朝は干潟状態。水漏れが激しいのだ。
チームワークの良さというか、別段の取り決めがなくとも各位が必要な仕事を選択し、順次、こなしていく。ある者は草刈りに、ある者は妨害草の除去に、ある者は枝豆の植え付けに、ある者はモグラ穴の補修に・・・・・・・・やはり皆さん大人である。指示命令がなくとも必要な仕事を発見して、自ずから処理していくのだから。最高のチームかもしれない。これだから米作りが楽しいのだろう。
田圃も充分に冠水したようだ。水は多すぎてもダメなのだ。適量を。
水の落とし口。ここからオーバーフローしないように。
田圃には化成肥料と除草剤を散布している。水がオーバーフローすると両者が水路へと流出してしまう可能性がある。水は過不足無きように注入しなければならない。天候の問題もある。毎日の調整が肝要なのだ。毎日、田圃を見回って水の管理を行う、この仕事を水守りさんと言う。まさに言葉のとおりである。そうそう、除草剤を散布したことでとても気になっていたことがある。田圃の中の小さな命達だ。薬剤が強すぎて、ひょっとしたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・と気になっていたが。とても元気そうに泳いでいた。やれやれの一安心である。
やがて、食物連鎖の厳しい掟が現実問題となってくるのだが。
2008年06月23日
補植作業+除草剤
朝から土砂降り、当然本日の予定である「とんぶくらぶ」は開催中止となった。そのメールを見計らったようにUさんからの携帯コール、例によって田圃への出動指令だ。田植えから一週間、除草剤の散布時期にあたるのと、稲の補植作業が必要なので午後から集合との案内だ。田植え靴を準備し早めに昼食を済ませて田圃へと走る。さすがにUさんは到着済みで田圃を見回っておられた。
黙々と補植作業中のUさん。滅茶苦茶、腰が痛くなる。
欠株の補植作業と田草取りとを同時並行で行う。
セリやヒエといった稲の妨害草が結構発育している。これらを手作業で抜き取っていくのだ。腰は痛くなるし数量は多いし、気が遠くなるような単純作業である。いわゆる無農薬栽培とは、こうした作業を延々と繰り返すのだ。並の体力と気力ではできない話である。大半の農家が除草剤の魅力に負けるのも無理の無いことだと思われるだろう。我々もこうした作業を厭う訳ではないが、エンドレスで続ける訳にはいかない。しかし出来るだけ農薬には頼りたくない。そこらの折衷案で、毎年1回だけ除草剤を使用することにしている。俗にいう低農薬農法だ。
購入した秘密兵器。およそ3キロだ。
これを出来るだけ薄く広く均等に蒔かねばならない。熟練の技が要求される・・・・・ということでベテランの登場とあいなった。Kさん得意のフリフリダンスで順番にまきこんでいく。この作業は腰の動きが肝要だ。腰痛では出来ませぬぞ。
小雨の中で作業を続けていると、新婚のIkさんご夫婦が来訪される。とんびくらぶのフィールド巡りをして畑に立ち寄ったのだとか。本部から梅の実を、と言われてたようで気がかりだったのだろう。今年の梅は不作、やはり収穫はできなかった模様だ。
とんびくらぶのリーダーであるIkさん。フィールドから畑への立ち寄り。
新妻も控えめに付き添っておられた。
農作業も厭わぬ娘さんだそうだ。これ
からは強力な助っ人の下、二人三脚
でビジネスと農とに励まれろことだろ
う。
跡継ぎは農夫としての英才教育が始
まるのかな。どうだろうか。
2008年06月19日
プラスαの楽しみ
米作りは米を収穫することが目的であるが、他にも色々と楽しみが付加される。田圃の水の中には幾多の生命が泳ぎ回り、時には虫や蝶は言うに及ばず野鳥たちの飛来もある。サギなどの大型鳥がエサをついばむ姿も見られることがある。双眼鏡は必需品なのだ。でも一番の楽しみはやはり食べることかな。飲んべえさんにはたまらない枝豆である。丹波の黒豆といえば超高級品のマメだが、我々も同じような黒豆の枝豆を作っている。無論、発案者は例の新婚さん、Ikさんである。
主役は米なのだが、無論それだけではない。
枝豆は畑で作ってもうまくいかない。何故だろう。数年前には枝豆を畑作してアブラムシにやられ全滅した。他の方も似たり寄ったりのようだ。丹波の方はどのようにして作っておられるのだろうか。一昨年位から、農学部出身であるIkさんの提唱で、田圃の横の畦で作るようになった。畦を少しだけ掘り、その中にぬかるんだ田圃の土を入れ込む。その土に枝豆の苗や種を植え込むのだ。こうすると不思議と良くできる。昨年は大豊作だった。
左側が田圃、右側が畦。泥土の固まりが枝豆の寝床となる。
黒豆の苗を作っていたので、早速畦道に植え込んでみる。自宅でのポットより、やはり畦道のほうが快適そうだ。早生の品種なので、米の収穫前に枝豆でのビアパーティとなるかな。
枝豆君もどことなくうれしそうだ。水を得た魚かな。
当然準備したポット苗だけでは不足してくる。そこには買ってきた枝豆の種を、直にまいていく。今からでも十分間に合うはずだ。数日後は雨とかの予報が出てる。丁度いい案配かもしれない。
田圃の土を入れ込んだ場所に3粒~5粒づつ種蒔きしていく。
どうやったら、うまいビールが飲めるか。人間にとって永遠の課題かもしれないな。もっともポピュラーなのは、肉体労働の後のビールであろう。畑や田圃で汗を流し、一風呂浴びてから枝豆をおつまみにちょっと一杯・・・・・・・・・至福の一時かもしれない。これ以上の喜びが他にあるだろうか、とすら思えるだろう。そのビールが近年高くなって、発泡酒や第三のビールで代用せざるを得ないところが辛いとこですね。勤労者のささやかな楽しみを奪わないで、と訴えたいが。
2008年06月18日
早苗立ち並ぶ
午後から時間が取れたので田圃へと急いだ。水の状態が心配だったのだ。そうすると、あらまあ、早苗が立ち並んでいる。どうしたものやらと思っていたら、KさんやUさんがニヤニヤと笑っておられる。昨日、植えといたからな・・・・・・・静かな言葉が返ってきた。昨日の日曜日は私用と自治会の役員会があって田圃には来れない、と語っていたのをしっかりと覚えておられ、電話連絡もなかったようだ。丁度、田植機も借用できたようで、KさんUさんIさんで田植えを実行してくれはったそうだ。
田圃一面にみごとな早苗が立ち並んでいた。
それにしてもにくい面々である。年齢的には小生よりも数段年輩の方々ばかり、結構な肉体労働をこなしながら、「植えといたで」と静かに語り、にこやかに笑っておられる。さすがに大人の男である。おまけに堀り立てのジャガイモまで焼き込んであった。料理上手なKさんがダッジオープンで石焼きイモを作っておられたのだ。
今年は苗の配分がうまくいき少々余ったようだ。
焼きたてのジャガイモを頂く。師匠のNさんも仲間に入り、ゲストハウスでしばしの休息。この地で永年暮らしてこられたNさんが、地元の風習や過去の米作りなどを語ってくださる。貴重な経験なのだ。在野の民俗学者、宮本常一さんになったような心境で皆が聞き込む。数十年前までは当地も冬場は相当な雪だったらしい(今では想像できないが)。雪合戦やソリ遊びの話、猪子祭りや河内音頭の踊りなど次々と地元の風俗が現れ、時間のたつのも忘れてしまう。
規則正しい足跡が。田植機を使い直線で歩いた痕跡かな。
夕日が田圃を照らしてくれる。いつ見ても心なごむ風景だ。
ひ弱そうに見えるが、数ヶ月後には立派な実りをもたらしてくれる。
今年もどうやら田植えが実施できた。年に一回しか出来ない貴重な経験なのだ。特に我々のように、年齢を重ねてから農を始めた人間にとって、とりわけ貴重な作業となる。出来る回数もカウントダウンなのだ。あと、希望するのは若い世代が同じ想いで米作りに参加していただくことである。米があってこそ、この国と国土は保っていける。是非にとご参加を呼びかけたい。
今日も葛城山が静かに見守ってくれる。

2008年06月15日
代掻き作業
今日は朝から激しい雨、こんな時は漬け物作りをやろうかとラッキョウの薄皮むきにかかる。しばらく作業してると携帯の呼び出しコールが。早朝からかけてくるのはUさんだろうなと思っていると案の定。今から代掻き作業をするので田圃まで出動出来ないかとのお誘いの言葉。何でも、倶楽部の社長に電話したら、雨だから使う人もないだろうと快くトラクターを貸してもらえたとか。ありがたい事である。今日は孫娘の子守当番も兼ねているので、午後から出動する旨返事をして作業を続ける。
Uさんの勇姿。農機具の操作はお手のものだ。
昼食後、子守を連れあいにバトンタッチして田圃へと急ぐ。田圃では既にUさんとKさんとで作業が進んでいた。米作りにとって、耕耘作業と代掻き作業とは、田植えの前の重要な任務である。代掻きの目的は、田圃の均平化と土を田植えできる粘度にこねる事にある。昔の方は牛と鋤とでやるのがせいいっぱいだったのだろう。トラクターや耕耘機が使用できるようになった今でも結構な重労働である。
田圃の中に島が出来やすい。機械があっても手作業は必要不可欠なのだ。
道すがらの観光客の方が話しかける。昔は米作りしていたけど大変だった、今も作られる方がいらっしゃるのね、との内容である。年齢的には70台後半くらいだろうか。米作りが無くなったらこの国は消滅しまっせ、と冗談半分に応答する。我々が米作りしてるのは、借地で約一反位のちいさな田圃である。地主のおじいちゃんは高齢で数年前に農作業をやめられ、我々に後事を託されたのだ。誰かが続けないと田圃は原野と化してしまう。荒れはてた田圃を元に戻すのは難しい。食料が戦略物資として外交戦の取引材料にされてる昨今、手前の食料は自分たちで確保しないとね、例えわずかな量であっても。
ほぼ水平が取れたようだ。島も無くなった。
午後5時過ぎに全ての作業が終了した。まだ太陽は残っており結構明るい。夏場はこれだから助かる。用水路を調整して、田圃からの自然漏水分位を補給できる程度の水量体制とする。化学肥料を埋め込んでいるので、水で流されないようにするためだ。後は借用してるトラクターを洗い、返却に向かうだけだ。
夕日が田圃を照らしてくれる。いい光景だ。
確かに経済合理性から考えたら、米は作るより購入した方が得策だろう。原価計算をすれば、例えば、時給800円也のパートでもやってその代金で米を買うほうが安くつく。機械を使える今でも、労働の厳しさが無くなった訳ではない。ある意味アホか、と呼ばれる精神がないと出来ない作業かもしれないな。少々堅い話になってしまうが、国際情勢を考えるとこの国はこれでいいのかなと思えることが非常に多い。食糧問題などその典型だろう。中国やインドなど新興国(失礼)が輸出国から輸入国へと転じ、ビルマやタイ、或いはブラジルなども輸出規制にかかっている。オーストラリアなどは大旱魃だ。どこでも自国民の食料確保が先決なのは当然だろう。おまけに生活水準の向上で、米と味噌だけあれば、の生活は困難だろう。食の自立無くして国家の自立はありえないと考えますが、皆様はいかがでしょうか。
2008年06月09日
直前の田起こしー2
耕耘作業が始まった。慣れぬ機械だがそこはそれ、元トラッカーのOkさん、難なくマスターしてしまう。さすがにエンジン走行車には滅法強い。ちょっとさわっただけで勘所がつかめるようだ。小生には出来ない技である。大型耕耘機が軽快な作動音と共に田圃を縦横に駆け回る。なかなか絵になる風景だ。
5分位で操作法をマスター。軽快な作業風景だ。
手分けして他の作業も同時並行で実施する。Uさんは田圃のセリ取り、Iさんと小生は畦シートの埋め込み準備、Kさんは畦シートの手配・・・・何も言わずともそれぞれ自分に合った作業を分担していく。そこにIkさん父子が登場。新婚さんだか、奥方の姿は見えないようだ。父子鷹で豆類の作業を始められる。
セリの撤去作業中 バケツ一杯位はすぐだ。
畦シートの埋め込み準備。重労働だ。
父子鷹

畦シートの埋め込み作業だ
疲れたらゲストハウスでコーヒータイム。話題は無論、新婚生活。
熱い話題に表に飛び出し、頭を冷やす方も。
夕方4時過ぎに予定した全部の作業を終了。やはりチームワークの良さだろうか、何事も極めてスムーズに進行していく。やはり皆さん企業社会で活躍されてこられた面々だ、仕事の進め方や段取りの良さ或いは作業風景に企業戦士の面影が残る。作業が終了したら、拝借した大型耕耘機の手入れを行う。機械類はメンテナンスが基本だ、ここらも皆さん抜かりがない。気候的には梅雨時、雨の可能性もある。シートをかぶせて大事に保管しておこう。何せ大事な借り物だから。
2008年06月08日
直前の田起こしー1
1ヶ月ほど前に田起こしをやったのだが、あっという間に草ぼうぼうとなってしまった。それに妨害草のセリが大量発生しているようだ。緊急に対策をということで、再度の田起こしとなった次第。米作りチームは近隣の農家からいただいた機械類やあちこちからの拝借物で作業をやっている。今回はご本家の里山倶楽部から大型耕耘機を拝借することにした。セリは手作業で撤去するとしても、耕耘作業は手作業では困難だ。それにしても機械類がなかった昔の米作りは大変だっただろうな。お米には88回の手間がかかっている、一粒たりとも無駄には出来ないぞ、といい聞かされたのも当然だろう。
拝借した大型耕耘機。ヤンマーのYHS800機だ。
拝借したこの機械、かなりの年代物である。ジーゼルエンジンだが始動方法がL型クランクの手回し方式なのだ。機械工業の進展を垣間見るようで、かなりレトロな感覚で楽しめる。始動にはちょっとしたコツが必要で、左手でデコンプのレバーを引きながら(圧力を抜いて)右手でクランクを回すという方法だ。ゴトゴトという始動音と一緒に黒煙が舞い上がる。さあこれでスタンバイ、後は他の耕耘機と似たような操作方法だ。
L型クランク(取り付け部)
デコンプのレバー(黒いカバーの部分)

耕耘作業と肥料の散布とを同時並行で行うことにする。散布した化学肥料を耕耘機で土中に均等に埋め込もうとの魂胆だ。ちょっとでも楽をとの合理的思考が働く。早速肥料の準備、KさんがGTカーでJAまで走り、購入してくれはったものだ。JA大阪南ブランドの肥料で基肥一発ユーコート604という水稲用の専用肥料だ。結構値も高い。バケツに入れ込んで散布していく。
やはりキャリア豊富なベテラン組のほうがよさそうだ。均等散布は結構難しい。
肥料も田圃にはいった。これからが耕耘作業だ。同時並行で畦シートの埋め込み準備にも取りかかる。本当は畦塗りという作業が必要なのだが、職人芸が要求される。我々は手抜きで畦シートで代用するのだ。目的は水漏れ防止とモグラの侵入防止がメインだ。結構ハードな作業となる。さあ耕耘作業を始めよう、運転手は交代制だ。
2008年05月27日
田圃に水はいる
当地でも田圃に水がはいりだした。どうやら今年も米作りが始まったようだ。棚田地帯を訪ねると、農家の方が三々五々。畦を焼いたり、苗床の手入れをしたり、水路の補修をしたり・・・・・・・・・・・作業が始まっている。どうやら来月初旬あたりが田植えの最盛期のようだ。我々も準備に入らねばならないが、今年は手違いがあって苗の準備がまだ出来ていない。どう手配するか悩んでいる。
水が張られた田圃。田植えの開始もまもなくだ。
苗床でも順調に育っているようだ。手入れをされる農家の方もどことなく楽しそうな。山里に移住した方が語っていたっけ。軒先に1年分のマキをどかんと積み上げ、同じく1年分の米を納屋にため込んだら、とても幸せになってくる・・・・・・・・と。そうかも知れない。食いはぐれる心配がない、と言う自信ほど強いものはないだろう。
畦も焼かれた。田植えはいつでもOKのスタンバイ状態だ。人が仕事に情熱を傾け、気合いがみなぎっている作業風景はとてもいいものだ。熱気がこちらにまで波及してくる。太古の昔からそうやって米作りを継続してきたのかもしれないな。まもなく梅雨にはいる。気候と農作業とがピタリと一致した絶妙なタイミングだ。
棚田百選の一角を訪ねるが、こちらは準備がまだのようだ。それでも水路には水が流れ出している。用水路の手配は終了しているようだ。時間の問題だな。水が張られて早苗がそよめくようになれば、なんとも言えない桃源郷の風景が出現する。我々が心の原風景と思っている故郷の姿とは、人々の延々と続く情熱に支えられた労作の賜なのだ。自然のままの風景ではないのである。
何度見てもみあきぬ光景だ。柔らかな曲線がとても美しい。
大半の地域では米作りは年に1回しか出来ない。生涯を費やしてもせいぜい30回から40回位だろうか。技術やノウハウを学んで覚えた頃には次世代に譲らねばならない。願わくば、これから後も同じように継続して米作りが継承されていくことを。食の自立が無くして国家の自立はありえないのだ。かのローマ帝国も農業を軽視して国が滅びた。一部の学者や評論家さんが語るように、金を稼いで世界中から安い食料を輸入すれば・・・・・・・・・そんな甘いご時勢ではないだろうに。
2008年04月19日
春の田起こし
作業が遅れていた。ホンマは冬の間に済ませておくべきなのだが。まもなく米作りが始まるのに、田圃の準備は何も出来ていない。誰が呼びかけるでもないのに、急遽、米作りメンバーが集まって田起こしにかかる。以心伝心とでもいうのだろうか。ここらへんが気心の知れた仲間達、誰が何を考えているのか不思議とわかるのだ。早速、田圃の草刈りから始めよう。
メンバーで最高齢なのに一番元気なUさん、今日も先頭に立つ。
田起こしは基本的にトラクターか大型の耕耘機かで行う。小生の相棒こまめ君では全く歯がたたないのだ。もっとも不耕起栽培といって耕耘しない栽培法もあるが一般的ではない。本来なら収穫後か冬の間に2~3回行い、田圃の土の中に酸素を送り込んでおくべきだが、遅れてしまっていたのだ。泥縄方式もいいところだな。
耕耘前 耕耘中
障害物に要注意 (用水路のパイプが埋め込まれている)
水が流れるための水路も必要だ
下の田圃への排水路
耕耘作業もようやく終了、なんとか2日がかりで完成だ。土がひっくり返って虫でもでてきたのだろうか。ハクセキレイが田圃の中をうろつき回る。白黒ツートンの優美な姿だ。どうにかして画像をと思うのだが、その動きにカメラが追いつけない。
さあこれで最低限の下準備はできた。これから籾蒔きや苗育て田植え等の作業が続くのだ。本年もいよいよ米作りの始まり、忙しくなりそうだ。そうそう今日はいいことがあった。過日(2/20)に「力つき果てて」と紹介させていただいたハーベスターが動いたのだ。耕耘作業にじゃまだなと思いつつスターターを回すと、不思議とエンジンが始動。詳細はまた後日に報告しよう。
2008年02月25日
焼き畑農業
他ならぬ事情が生じたのだ。実は昨年の米作りで、草取りが十分にできなかった。無農薬農法或いは低農薬農法というのは、やたらと人手がかかる。農薬使用を停止或いは軽減する結果、大量の雑草などが発生する。それを手作業で抜いてやらないと、米が生育出来ないのだ。残念ながら、とんびの田圃も草取りが不十分で、ヒエが大量発生した。植物の本性で、たくさんの子孫達を田圃にばらまいている。冬場は田圃の中で種たちが冬眠中だ。こやつらを火炎放射器で焼き払おうとの作戦なのだ。
CO2の発生を気兼ねしつつ、田圃の上で枯れた竹を燃やす。立ち枯れや倒壊した竹なので、勢いよく燃え上がる。かなりの熱量だ。土地の表面近くの種は焼死したと考えられる、否、考えたい。さて、本年の米作りが楽しみでもあり、怖いようでもあり・・・・・・・・・・・・・・・。
2008年02月20日
力つき果てて
彼の名はハーベスター、簡単に言うと、自走式の脱穀機である。稲刈りでは重要なパートナーで、刈り取った稲束から籾を分離する役割を担っている。最近はコンバインの普及で影が薄くなったが、中山間地域では今なお現役選手である。写真の彼は相当な年代物で、近くの農家から無償で譲っていただいたものだ。ここ数年元気で頑張ってくれていたが、とうとう動かなくなった。
「形あるものは必ず壊れ、命あるものは必ず滅ぶ」といわれる、大乗仏教の教えのとおりである。なかなか律儀な男で、10月の稲刈りでは、最後の最後の稲束まで働き、最終の1本が終わった時点で息を止めた。それ以降何度スターターを引いても動いてくれない。雨に濡れない場所へと願うのだが、動けないので田圃のなかで一人さびしくたたずんでいる。
ホームレスのようにブルーシートをかぶり、何やらぽつねんと寂しそうだ。雨にあたらぬように小屋の中へ運んであげたいのだが・・・・・・・・・・・・
寄り添う菜の花がなんともいじらしい。
米作りには多数の機械が必要だ。テレビドラマのようにすべてを手作業でやるのは事実上不可能で、大なり小なり機械のお世話になっている。とんびの米作りは予算がないこともあり、最少限度の機械利用だ。それも借用したり、彼のように古い物を譲っていただいたり、代用品を活用したり・・・・・四苦八苦の工夫を楽しみながらやっている。この年になって、手仕事の楽しさ・おもしろさを再発見した次第である。集まる仲間達も同様とみえ、どことなく顔がほころんで生き生きとしている。組織社会では満たされなかったものがあるのだろう。好みの問題はあるが、これからリタイアされる方々には特に、是非、農のある暮らしをとお薦めしたい。



