2008年09月05日
シュウカイドウの花
雨に濡れたピンクの花が、なんともいい雰囲気を醸し出します。
咲き誇るシュウカイドウの大群落です。
ここらは岩湧寺の山域にあたり、かっては修験道の道場として栄えた場所です。苔むした参道がひっそりと残っており、古い歴史を語りかけているようでした。雨とはいえ静かな森を独り占めです、相合い傘でないのが残念ですが、しばしの散策を楽しませてもらいました。
岩湧寺の多宝塔
岩湧寺への参道です。かっては修験者で賑わったのでしょう。
シュウカイドウはここ一週間くらいが見頃とか、お天気の良いときに再度訪問したいものです。それにしても何度見ても見飽きない光景ですね。6月頃のシャクナゲのピンクと同じような雰囲気です。いずれも雨に濡れる風情が良い雰囲気を醸し出しますね。
檜の樹林とシュウカイドウの群落とがマッチしていますね。
森の中ではこんな樹木を見つけました。樹種は不明ですが、胸高直径が1メートル以上はあるかと思える巨木です。相当な樹齢を重ねているのでしょう。何となく森の妖精が住み着いているかのような雰囲気でした。人でも樹木でも年輪を重ねたものは、それなりの雰囲気を醸し出すのですね。エブラハム・リンカーンでしたっけ、人は40歳を過ぎたら自分の顔に責任がある、と語っていました。年輪の重さ、すなわちその方の生き様を問いかけているのでしょうね。
2008年09月03日
産土神(うぶすなのかみ)
小さい頃から氏神様とは仲良くして育った。九州の片田舎であったので、昔からの習俗が色濃く残っていたのであろう。大阪にきてはや40年余り、こちらの方が故郷みたいなものになってしまった。ここ南河内も大阪とはいえ、どちらかというと田舎に近い環境と風俗が残っている。近くの集落の産土神を訪ねてみた。訪ねた場所は旧の三日市村、高野街道に則した宿場町である、否あった。とっくに街道はすたれ宿場の旅館等も残ってはいないのだが。
中央部の黒っぽい森が産土神の神域だ。
三日市村は石川の上流域の河岸段丘に開けた村である。川沿いに旧の高野街道が通っており、宿場町として栄えたのは上述した。現在は大阪市内に通勤するサラリーマンのベッドタウンであろうか。何せ大阪の中心部の難波まで電車で30分なのだから。それでも田舎の風情は一杯だ。下記の画像をご覧下さい。こんな森(産土神の森)がいたる所に残っているのですから。
産土神の森。いわゆる鎮守の森である。在来種の樹木がしっかりと残っている。
産土神は土地の神様である。かっては村々の高台に存在され人々の信仰を集めていた。ここ三日市村の産土神も村全体を見下ろす東南部の高台にある。名称を赤坂上之山神社という。三日市村に住み着く人はこの神社に挨拶し、新築時には地鎮祭を行って居住の許可を求めたそうだ。
なんとも簡素な作りのお社である。質実剛健でいいかな。
さてこの産土神だが、小生は氏神さんと同じものと思っていた。だが神道の世界では明確に区別されているそうだ。産土神は上述したように土地の神様、すなわち地縁社会をベースとした神様である。翻って、氏神様とは氏すなわち一族の神様であり、血縁社会をベースとしたものだそうだ。本来は土地の神様である産土神と一族の神様である氏神との両神を祭っていたが、一族が固まり住んだ土地に他の人々がはいりこみ、他の人々にとっては産土神を自分たちの氏神として祭ったようだ。長い歴史の中で両者が混同され、いつしか産土神と氏神との区別が曖昧模糊となってきたようである。
みごとなハス池である。開花時期でないのが残念だが。
お隣は禅宗(曹洞宗)のお寺さんである。神仏が仲良く同居しておられるのは日本独自の光景かもしれない。一神教の世界観を持つ人々にとっては何とも野蛮な光景にうつるのであろう。だが、八百万の神々を共存させる、日本人の懐の深さを良しとしたいものである。物事を白と黒にしか識別できない絶対神を信仰するよりも、神々の共存を認める生き方の方が、これからの社会構築には有益なのではあるまいか。21世紀以降には日本人のこうした包容力が世界をリードするのでは、と密かに期待している。
2008年08月12日
森への逃避行
疲れてきたら森へ逃げる・・・・・という訳でもないが、森の持つ不思議な力に惹かれて、よく森の中へと小さな旅をする。学問的にはフィトンチッドとか言うそうだが、森の持つ不思議な力の源泉だそうだ。堅い話は別として、森にはいるとホッとして肉体と精神とが解放される気分を味あう事が多い。照葉樹林の中で暮らしてきたご先祖様のDNAが、我々の体内にも蓄積されているのだろう。林野庁の資料によれば、森には以下の6個の働きが存在するとのこと。順にあげると、「水源涵養機能」・「土砂流出防止機能」・「土砂崩壊防止機能」・「保健休養機能」・「野生鳥獣保護機能」・「大気保全機能」。無論、ここでいう森とは照葉樹林を主体とした、いわゆる雑木林を指しているものと理解したい。
森の秘密基地。いわゆる男の隠れ家だ。
その森が乱開発や放棄や所有者の高齢化などで荒れ果てている。NPOやボランティア等が微力を尽くしても、ほんのわずかな力にしかなり得ない。わずかな力でも数が多ければ、それなりの効果が出てくるとは思うのだが。量的拡大も遠い彼方のようだ。たくさんの方々が森の現実と果たしている効用とを、深く考えていただければと願っている。温暖化の進行もあり、北極の氷やシベリアの凍土も溶け出してきていて、南極の氷が全面的に融けたら海水面が65メートルも上昇するとか。森が豊かであれば、こうした事態も避けうるかもしれない。
森の中に集落が点在する、こうした暮らしをご先祖様は当然とされた。
△△△△△△△△ お詫びとお知らせ △△△△△△△△
いつも当サイトにお立ち寄りいただきまして、まことに有り難うございます。拙い写真と
駄文の羅列にすぎないブログですが、皆様のお立ち寄りを励みに、日々更新を行って
おります。おかげさまで、半年あまり継続してこれました。
暑さにめげた訳でもないのですが、時はお盆の季節、お盆休みということでしばらくの
間ブログをお休みさせていただきます。又、来週あたりから再開させていただきますの
で、しばらくの間ご容赦の程をよろしくお願いいたします。
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2008年08月05日
命かがやく朝
早朝の野山は実に美しい。畦道を歩いていると、朝露に濡れた雑草の中に、小さな命達が食を求めてか動き回っている。何ともいえず、つい立ち止まって見とれてしまうのだ。限られた命の制約のなかで、精一杯に生き抜いている。その健気さが人の心をつかむのだろうか。天敵も存在するだろうし、灼熱の太陽も襲いかかる。生き伸びるのが大変なのは人間様と同じかな。
朝露です。なかなか、森のどんぐり屋さんのようには撮れないですね。
夜が明ける前に旅立ったようです。わずか1週間ほどの短い旅路をしっかりと楽しんで、おもわずそう声かけしたくなりますね。今頃は相方に出会っているかな。
おやおや、せっかく採れてもお好みではなかったかな。

いずこの世界も生き抜くには食べることが必要。食べるとは命をいただくこと、まさに「いただきます」の世界ですね。食物連鎖の厳しい掟が厳然として存在します。
ひと夏の恋 ? 命の引き継ぎも天からの指令のようです。

こちらはまだ朝食前のようですね。「おい、飯」という訳にはいかないようです。しっかり罠を仕掛けて獲物がかかるのを待つとしようかな。毎日根気よく網の手入れをしているようです。生活の基盤だもんね。そんな様子を木の上から横目でじっと眺めている奴もおりましたっけ。


真夏の炎天下で、命のかがやきが毎日繰り返されています。「明日のことを思い煩うことなかれ、明日は明日の風が吹く」・・・・・・・そんな言葉を語った聖人がおられたっけかな。彼らはそんな事を想像だにせず、今日一日を精一杯に生き抜いているのだろう。
2008年07月29日
岩湧の森ー2
岩湧の森を構成するもう一つの施設である四季彩館を訪ねてみよう。ここは河内長野市の市教委に所属する教育施設のようである。無論、住民の方の野外活動を支援する拠点施設でもある。常住スタッフもおられ、何かと相談にものっていただける。定期的な講習会やイベントなども開催されているようだ。標高が結構高い場所にあるので、涼しいことが何よりのご褒美だろうか。広々としたウッドデッキに座っていると、ゆったりとした時間が静かに流れていく。
四季彩館。ログハウスの素敵な建物だ。
涼やかな風に吹かれてのお昼寝に最適な場所かも。
四季彩館はまた岩湧山の登山基地ともなっている。ここから岩湧山まで1時間から1時間半くらい、直登ルートと迂回ルートの2本があるようだ。訪ねたときも堺市からバイクでこられた年配の登山者に出会った。退職後に健康管理のため週に3回ほど登っているとか。7時頃自宅を出発、登頂後に四季彩館でゆっくり休憩して昼までには自宅へ戻るそうだ。
四季彩館の内部。右端は休息される堺市からの登山者。
この地を愛する人は多いようだ。四季彩館の内部には資料や書籍等が保管されているのだが、個人で作られた写真集が結構多いのである。この地に通い詰め、写真を撮り続けた方が、お気に入りのものを写真集としてまとめ寄贈されたのだろう。思わず引き込まれてしまう写真も少なくない。相当な時間と労力が費やされているのだろう。
アジサイが最盛期だ。 庭園からの眺望

付近は閑静な森の中、先日の岩湧寺もお隣である。清冽な沢水の流れもあり、1日をのんびと過ごす場所としては最適かもしれない。出来れば岩湧山に登山後、四季彩館でゆっくりとお過ごしいただければ。内部に保管された資料や書籍を見てるだけでも楽しいですよ。
スズメバチの巣。民家に作られた本物です。
清冽な沢の水
帰路の道中では大江時親邸の跡を見つけました。彼は楠公さんこと楠木正成の軍学・兵法の師匠にあたられる御方です。正成少年(幼名は多聞丸)は馬にのって千早赤坂から草深いこの地まで学問の修得に通ったのでしょうか。車で走っても結構な距離です。一途な向学心が伺えますね。
2008年07月27日
岩湧の森ー1
岩湧の森入り口。河内長野の市街地から細い九十九折りの山道が・・・・・・・。
南海電車の三日市駅前から旧村へとはいっていきます。道は次第に細くなり九十九折りへと変わっていきます。できれば軽自動車かバイクのほうがいいでしょうね。約20~30分位で到着です。駐車場もあり、キャンプ場向けなのか相当な台数が駐車可能なようです。
岩湧寺の本堂
このお寺は、いわゆる役行者の創設と伝えられており、かっては天台密教に所属していたようですが、最近は念仏宗に帰属されているようです。巨大な杉林の中にあり、鬱蒼とした雰囲気はいかにも密教系の寺院といったたたずまいですね。楓類の樹木も多く、紅葉の時は鮮やかな色彩を期待できるようです。
六地蔵のお出迎え 多宝塔
寺内には鬱蒼たる杉の巨木やシャクナゲ、あじさい等の樹木が多々みられます。大切に育てられてきたのでしょう。シュウカイドウの大群落もみごとでした。ここを訪ねたら是非にご覧になってください。
樹齢400年と伝えられる杉の巨木。圧倒されますね。
シュウカイドウの大群落がありました。この花はベゴニアの仲間だそうで元々は中国南部からマレー半島あたりに自生する花だそうです。
江戸時代に日本に持ち込まれ、以降、栽培されてきたようですね。初秋に淡紅色の小さな花を咲かせるようで、開花期に再度訪れたいものです。少々湿気を好むようで、ひんやりとしたやや明るい場所に群生するようですね。当地もぴったりの場所でした。
岩湧寺を裏門からみたところです。なかなか趣のある素敵なお寺さんですね。どんな住職さんが住まれておられるのやら。その裏門では重要文化財に指定されたみごとなカヤの樹が門番をしてくれてました。
2008年07月17日
滝畑の里
現在も山は深く地形は厳しい。川沿いに細い山道が和歌山へと続く。
高台の丘に登ると、河内長野市教委のふるさと文化財の森センターがある。集落にあった茅葺き民家を移設し資料館としたものだ。担当者のUrさんがとても気さくな方で、手すきであれば土地の風俗や慣習或いは古民家の話などを語って下さる。地場産業であった竹細工の講習などもやっておられるようだ。当地が何故、爪楊枝の産地であったのが疑問だったが、彼の説明でよく理解できた。かってこの地は材料であるクロモジの木が大量に存在していたようだ。そして今は杉・檜の植林やメイドインチャイナの席巻によって次第に弱体化しているとの話も。
田の字形の部屋割りは風通しがよくとても涼しい。昼寝の場所に最適だ。
別棟の資料館には古民具などが展示してある。当地が炭焼きや林業で栄えた往時の名残であろうか。狩猟や農業はあまり行われていなかったようだ。おもしろい道具も見つけた。「ぶりなわ」といって、木登り専用の簡易な用具である。これを使って枝打ちや木の実取りなどを為さっておられたのだろうか。
ぶりなわ ノコギリ

鎌とハサミ。茅葺き屋根の修復道具のようだ。
この古民家は当地独特な建築らしく、玄関が妻にあり、はいってすぐが台所となっている。下記画像の白い部分が正面玄関である。隣のへっついさんが、今で言うシステムキッチンであろうか。湯沸かしの大釜と蒸し器がのっかていた。土間の横にはあがりこまちがあり、囲炉裏も切られていた。作業から戻っても、わらじがけのままで休息や炊事が出来るような配慮であろうか。
囲炉裏端から正面玄関とへっついさんを見る。

里を一変させた滝畑ダム、大阪府の手によって昭和55年に完成した。治水目的だろうが、農業用水と河内長野・富田林の水道用水にも利用されているようだ。他のダムと異なり、水面に流木等がなく湖水がとてもきれいだ。岩湧山からのわき水が水源なので、両市の住民の方は安心して飲用できるだろう。生水が飲める環境を、何時までも維持していきたいものである。
滝畑ダム。とてもきれいな湖水だ。
2008年07月06日
朝露の小径
夜明け過ぎの頃、村の小径をのんびりと歩いてみる。わずかに朝日が差し込んでくる小径では、花々達が装いも新たにひっそりと咲き誇っている。今日も良い天気だよ。早くから農作業を始めなさいよ、昼間は暑くて出来ないよ、お昼寝の時間なんだよ、そんな言葉を語りかけているかのような。彼らもにぎやかなおしゃべりを楽しんでいるのかな。
この季節の定番は、やはりアジサイでしょうね。
路傍ではホタルブクロが秘めやかに咲き誇っている。寡黙で控えめな花だ。強烈な自己主張をするのでもなく、路傍のかたわらでひっそりと静かに咲き誇る。それでいてどっしりとした重さを持っている花、人間としてもかくありたいと願うのだが。現実はなかなか。
朝露を踏みながら野道を歩き回る。そこかしこに咲く花は、野生のもの、村人が植えられたもの、様々であろうが風景にとけ込んで何とも言えない雰囲気を醸し出す。村がもつ固有の美しさかな。これだから千早赤阪村への訪問が欠かせない。何にもない村なんだが、何でもあるかのようなとても豊かな村、そんな不思議な感覚にとらわれてしまう。
白百合の花言葉は、威厳、清純、上品、無垢、だとか。縁遠いな。
この村には、やはり青と緑がよく似合うような。
森と田圃と曲がりくねった小径くらいしかない村ですが、是非に時間を作って訪ねてみて下さい。心の中が洗い清められるかのような、不思議な想いにとらわれます。森の妖精達の仕業かも知れませんね。できれば早朝に、一人の方がいいかもしれませんよ。
2008年07月03日
狭山池
数日前に水守りさんの事を書かせてもらったので、ついでと言うわけではないが、南河内の水瓶である狭山池を訪ねてみた。ここは1400年程前に開かれた治水・灌漑用のため池である。ダム式のため池としては日本最古のものらしい。ため池といえばすぐに弘法大師伝説となるのだが、この池はお大師さんよりも古い。奈良時代の築造のようだ。大阪府の手によって整備され、周囲は桜並木の遊歩道となって市民の憩いの場にもなっている。メタポ対策でかサイクリングやウオーキングの人々が多数おられた。
満々と水を蓄える狭山池。(大阪狭山市)
この池は国家プロジェクトとして取り組まれたようだ。当時の基幹産業である農業にとって、水は最大の資源である。狭山にため池を作ることで下流域の、富田林市・羽曳野市・松原市・堺市・大阪市の南部あたりまでが恩恵を被ることとなる。池の完成で膨大な新田開発が為されたようだ。今風に言えば、八郎潟の干拓事業みたいなものかもしれない。池の北側に、府立の狭山池博物館(無料なのだ)が存在するので立ち寄って見られたどうだろうか。お客さんは少ないし、冷房完備だし、図書室はあるし、コーヒーは安いし・・・・・・・・・・夏場の避暑にはうってつけの場所かも。(橋下さん、ごめんなさい)
無茶苦茶涼しい水爆の世界 (府立狭山池博物館)
さてアホな話は別として、水稲に水が必要なことは古今東西変わらぬ原理である。上流域に水がないと、いわゆる天水頼みとなり、水稲栽培が非常なリスクを抱える事となる。水は天からもらい水・・・・・・・・というのは民謡の歌詞で留め置きたい。当地も狭山池の水源で下流域がどれだけ潤ったか。国費投入の効果は充分あったと考える。現在もこの池水は水稲栽培に利用されているが、肝心の栽培農家が高齢化・減少化しているのを、築造者達はどんな目で見られておられるだろうか。
ふるさとの山、金剛山は、何も言わずに見守っておられるが。
当時の最新技術を駆使して池は築造されたようだ。発掘された資料が博物館に展示されている。数点を表示するので、技術の高さをご覧下さい。池から水を誘導する、各種の樋門や水路の構築物です。

発掘されたスコップ。形は今と一緒ですね。木製で鉄板が張ってあります。
ため池の博物館なので、水稲栽培についてはあまり資料がないようです。それでも米作りと水との関係を再認識するには、うってつけの教材かと思えます。お暇がありましたら是非お尋ね下さい。2階の図書室には、少数ですがいい書籍をプールしてくれてます。3階のコーヒールームと行ったり来たりしながら、のんびりと読書の時間もいいかもしれませんよ。
狭山池の堤防で見つけました。何の花でしょうね。
2008年06月28日
ビワ茶を作る
温暖化現象がかなり進行しているのか、きわどいようなニュースが流れてくる。怖いのは食料危機の可能性、どこかの評論家先生が、日本は技術大国だから工業製品を輸出してその代金で世界中から安い食料を購入すべき・・・・・・・・とか何とかわめいておられたのだが。食料を戦略物資として外交戦の取引材料とする国、輸出規制に走る国、干魃等で国内需要もまかなえなくなった国・・・・・・・他国への輸出どころではなさそうだ。我々ができることは食料の自給と代替食料の確保を図ること位かな。今回はAbさんご推奨のビワ茶にチャレンジしてみよう。お茶の自給が可能かも知れない。
どこにでもあるビワの木。これが原料倉庫なのだ。
できるだけ綺麗な葉を選んで採取しよう。
Abさんのご指導に基づき、まずは採取した葉を水洗いし、水気がなくなるまで乾燥させよう。この時、汚れや産毛或いは部分的な枯れ葉等は除去しておいたほうがいいだろう。
採取した葉はしっかりと水
洗い。この時汚れなどは除
去しておこう。
水洗いした後の葉は竹籠
等に入れて陰干しする。
しっかりと乾燥させるのが
コツかな。
しっかりと乾燥させたら、ハサミで適当な大きさにカッティッングしていく。昆布切りのような感じかな。
カットした葉をフライパンで煎っていく。全体がまんべんなく煎れるように何度もフライパンを上下させながら葉をひっくり返していく。香ばしい臭いが漂うまで続けるのだ。
フライパンで煎ったら竹籠に入れて再度干し、熱を冷ましていく。このさまし方がいいかげんだとカビが生えるそうだ。フライパンの熱がとれ、パリパリの状態になってたら完成。空き缶等にいれて保管する。
使用するときには適当な分量の葉をヤカンにいれ、5分~10分程度、沸騰させたらいいそうだ。どんな風味のお茶になるのか、まだ試飲前なのでなんとも言えないが。Abさん宅では日常的に使用しておられて結構おいしいそうだ。今回ビワ茶作りを初めてやってみたが、結構簡単に出来上がる。お茶の自給としてチャレンジされてはいかがだろうか。考えたくはないが、イモのツルで飢えをしのいだという時代が再びこないとも限らない。
2008年06月25日
カリン実る
貴重な2個のうちの1個。少々ピンボケなのはご愛敬ということで。
カリンの特徴なのか背丈だけは5メートル位もある。購入した苗木は1メートル弱だった。8年間でここまで成長したのである。8年前はまだ現役のビジネスマン、毎日仕事に追いまくられていた。畑に通えるのも月に数回がやっとで、野菜類の栽培は困難と思い、各種の苗木を植えたのだ。柿や栗或いは梅などはとうに実を提供してくれたが、カリンだけはまだだった。8年目の実りである。
こちらはプルーン。昨年から実を着けだしてくれた。
とんびくらぶでプラムに出会い、その甘さとおいしさに魅了されてしまった。早速植え込んだのがプラムの木、小さな苗木を購入し今年で2年目だ。各種の品種を取りそろえ、5本植え込んだが、背丈は2メートルにも成長した。内の1本に早くも実がついたのだ。
各種のプラムがきれいに5本並んでいる。プラム畑だ。
幹を生長させる時期で実は早いのだが。少ないので成らしてみるかな。
カリンはカリン酒やハチミツ漬けなどに活用できる。プルーンはもっぱら生食。プラムは生食とジャム作りかな。梅は梅ジュースや梅酒或いは梅干しに、甘柿は生食に渋柿は干し柿に、栗は栗御飯や茶碗蒸しなどに用いる。旬の時に旬の素材で食を楽しむのだ。全くの無農薬、無肥料で自然農に近い手法で育てている。それでもこうして立派な実りをもたらしてくれるのだから。大地の力はとても偉大なようだ。
柿の木もかわいらしい実を着け始めた。
2008年06月24日
ヒメジョオン
似たもの同士と言う言葉がある。いわゆるそっくりさんの事だが、人物と限らず植物の世界には多々存在する。ややもすると、そっくりさんと見間違えてとんでもない誤判断をしてしまうのだが、どうやら又やってしまったようだ。過去のブログで下記の花が1~2度登場していると思うが、確かノギク(ノジギク)として紹介していたようだ。少し考えればわかることだが、菊は秋の花である。春先から初夏に咲くものではなかった。
北アメリカを原産地とするヒメジョオン。異国からの渡来種である。
野辺を歩くと、あちこちに咲き誇っている。田畑の畦やちょっとした小道或いは道筋のガードレールの下などに咲いている。ちょうど今頃が開花期なのだ。ノギクと同じキク科に属するが、ノギクはキク科キク属なのにヒメジョオンはキク科ムカシヨモギ属に分類される。ノギクは在来種でヒメジョオンは外来種の相違もある。外来種の勢いが強いのはセイタカアワダチソウに限らない。ヒメジョオンをあちこちで見かけ、古来のノギクのように野辺に居座っている。誤判断してしまうのも無理ないか・・・・・・・・・・・・・と自己弁護。(苦しい)
図鑑をパラパラとめくっていて、偶然、気がついた。ノギクの開花期は10月~11月の頃。その常識をすっかりと忘れていたのだ。こういうそそっかしい男なので、他にも同じような事例があるかも知れない。間違い探しのゲームとして、このブログをご覧いただければ・・・・・・・・・・少々苦しい弁解かな。
世間的にはただの雑草ですが、きれいな花ですね。
こんな場所でも、したたかに生き抜いています。
図鑑によれば、ヒメジョオンとよく似た花でハルジオンという北アメリカ原産の渡来種があるそうな。全く同じような花で、違いは花びらに薄くピンク色がはいっているのが特徴だとか。開花期も4月~5月頃のようだが、まだお目にはかかっていない。似たものが多くて花の識別が大変だ。なかなか山野草が専門の方のようにはいかないな。少しづつ覚えていくこととしよう。
どうしても、菊に見えてしまいますな。
2008年06月22日
花街道
ドイツにはロマンティック街道と称される妙なる名称のロードが存在するそうだ。数多のツーリストがここ目当ての種々のツアーを組んでいるところを見ると、優れた景勝地なのだろう。当地にも、花街道と呼ばれる(呼んでいるのは小生だけだが)花々が咲き競う、曲がりくねった里道が存在する。私宅から借用している農園までの20分程の道のりだ。野草があったり、里人が植え込んでおられたり・・・・・・・・・・季節事に種々の花々が咲き誇っている。この道を走るのは実に楽しい。スピードを落とし、風に吹かれながらのんびりと走る。
あちこちに咲き誇る花々。名を知らぬのが辛いとこだが。
青や赤が多いが、純白のアジサイもいいものだ。
ロマンティック街道がどういう場所なのか想像もつかぬが、多分に、花々に囲まれた風光明媚な景勝地なのだろう。当地も負けず劣らずと言えば褒めすぎか。それにしても、山里に住まれる方々が街道筋のちょっとした空き地や田畑の畦などに花々を植え込んでおられるのは実にいいものだ。住まれる方々のみならず旅人までも癒やしてくれる。特別な観光地はないが、時折来訪される歴史好きな訪問者もどことなくホッとした表情を示される。

それにしても見事な花々だ。どなたが植えられたのだろう。道の脇のちょっとしたスペースに植え込んである。花々がお好きなのは当然としても、美しさや心地よさを共に分かち合いたい、との慈愛に満ちた広い心根が感じられる。
6月はやはりアジサイが主役だろうか。
こうした花々を愛でながら毎日農園に通っている。GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)には全くと言っていいほど縁のない生活だが、ブータンの前国王が提唱されるGNH(国民総幸福量)には近いかもしれない。どのような生き方を選ぶかは個人の価値観によるが、少なくとも花々を愛でる時間ぐらいは確保したいものである。
2008年05月30日
粉もん文化
オオサカジンは粉もんが好きとは良く聞く話だが、それも尋常な段階ではないようだ。門前町をのぞいてみて、その実態がよく分かった。参道の両側に露店が並んでいるのだが、粉もんのお店が多いこと。お好み、焼きそば、大判焼きはいうに及ばずあらゆる種類の露店が並んでいる。よくぞこんなにあるものと思えるほどだ。順番に訪ねてみよう。
おいしそうな酒まんじゅ。実は小生も好物なのだ。
定番の大判焼き 酒まんじゅう屋さん
大阪名物のお好み焼き。巨大タマゴがお店の看板か。
大阪風お好み焼き 広島風お好み焼き
三笠焼き
たいやき
ご存知ですな。焼きそばのお店。
ゴマ団子。これは粉もんと違うかな。
大阪ケーキのお店
これも定番ですね。小生の田舎では回転焼きとかいってましたっけ。
子ども達が大好きなドラちゃんカステラ。
蜂蜜まんじゅう屋さん。

まあ、あるわあるわ。どれだけのお店やねん・・・・・・・と思うほどだが、これで全部ではないんでっせ。いかにオオサカジンが粉もんを愛しているかとの証明でしょう。ここまでくると粉食は大阪のれっきとした食文化とも言えるかもしれません。露店を覗き回るのはとても楽しいものです。どっかから、ひょっこり寅さんが現れたりして。「生まれも育ちも葛飾は柴又の・・・・・・・・・・」あの名せりふをもう一度ききたいものですね。
2008年05月26日
三日市の宿
金剛山の西側山麓には高野街道が走っている。京・大坂の街の衆や皇族方が高野山にお参りする為の参拝道として開かれたものである。弘法大師による高野山開闢以来だから相当な年月となるだろう。げに恐ろしきは信仰の力、と言えばお大師さんに叱られるかな。東高野街道、中高野街道、西高野街道と3本のルートがあり、南海電車の河内長野駅前で合流して高野街道となる。この合流点から数キロ南に下がった宿場が三日市の宿である。かっては大きな旅館も残っていたが、今は町並みに往時の風情をしのぶのみとなった。
格子戸を持った古い家並みが続いている。
高野街道は車1台分くらいの道幅だろうか。当時としては大路だったのだろうが、車社会の今日では裏道となってしまった。近在の方の生活道路である。この道を歩いて高野山まで参拝しようと思うような奇特な方も少ないだろうな。2年前、物好きにもつれあいと奥の院まで、つなぎ歩き(南海電車の路線とほぼ並行してます)をしてみた事がある。5日かかった。健脚の信仰者であれば半分以下の日数だろう。
女人堂まで8里の道標が 宿の出口、新高野橋。ここからスタート。
京や大坂から来られた参拝者は三日市の宿で泊まり、翌朝スタートして高野口あたりでもう一泊し、翌々日に高野山に着かれたのではなかろうか。ほぼ同じルートが残っているので興味のあられる方は歩かれるのをお薦めしたい。時速4キロ以下位のスピードでないと見えない物もあると思います。国道筋からは離れているので、のんびりとした旅路を楽しめますよ。ただ街道筋にはほとんど店舗がないので水と非常食料は必携です。
司馬遼太郎さんの作品に「街道を行く」というのがあります。掲載されている場所を訪ね歩きたいとの想いは非常に強いのですが、残念ながらまだ期が熟していないようですね。車(最初は自転車、次はバイクだったのだが)とテントを使った野宿旅による日本一周という大きな夢も、子ども時代から持ち続けたままなんだけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2008年05月16日
楠妣庵観音寺
富田林の市街地から、東南の方角へ路線バスで30分程。そこは、金剛山の山懐に抱かれた谷間にあった。楠妣庵観音寺、読みにくい文字だが、なんびあんと読む。かの楠木正成すなわち楠公さんの久子夫人が祈りの余生をすごされた草庵のあとである。現在は禅宗の臨済宗に属するお寺となっている。行政区は富田林市だが、楠公さんの産まれ在所である森屋から、ほど近い場所にある。幼少の頃学問の修得に通った観心寺までの中間くらいだろうか。
バス道路からの入り口

六地蔵がお出迎え
もともと久子夫人はこの地、甘南備の生まれでもある。1336年の湊川の合戦で夫の楠公さんが戦死、1348年の四条畷の合戦で長男と次男並びに一族郎党が戦死したのを儚み、尼僧としてここの草庵で祈りの余生をおくられた。楠公さんの遺跡を巡る者としては、ゆっくりと全体を探索したいのだが、今日は時間がない。山門までの往復だ。
お寺の山門には宗教的格言
みたいな言葉を記したところ
が多いが、ここではお経を読
む意味について書かれてい
た。
途中には久子夫人の愛用の井戸(との伝承)が残されていた。中は覗けないが今でも水がわき出ているようだ。
参道は苔におおわれ、長い歴史とひっそりとした存在を想像させられる。いかにも尼僧が住まれた草庵の跡といった雰囲気だ。
ようやく山門に到着。日本庭園を思わせるような静かなたたずまいだ。カエデが多く、紅葉の頃が一番いい風景ではなかろうか。時間があれば寺内を散策したいのだが、本日は農作業の予定が詰まっている。残念だがここでUターンだ。11月の紅葉の頃、再度の訪問としよう。
2008年05月14日
棚田の風景
棚田はいつ見ても美しい。とりわけ、いい風景となるのが田植えの時期である。田圃に水がはいり、カエル達が泣き出し、早苗がそよ風に揺らめいている・・・・・・・・・・そんな光景を期待して千早赤阪村のとある一角を訪ねた。ここは棚田百選にも選定された場所で、小生のお気に入りの場所でもある。いつか外国の若者が語っていた。日本人は地域に存在している本物の財産にまだ気づいていないようだ、との言葉を思い出す。さて田圃はと思いきや、まだまだ水もはいってなかった。
ご存知の方も多いだろう場所。このカーブでタイヤを鳴らしているのは誰かな。
ここに水がはいると、いい風景となるのだが。この地域では田植えはまだのようだ。耕耘機の走行跡がついているので、準備は進んでいるようだな。それにしても狭い。どうやって耕耘機を入れたのだろう。
農作業の人にも全く出会わなかった。草刈りも終わり、耕耘機もかけた、あとは苗の出来上がるのを待つだけ、といったところだろうか。この近辺では裏作もほとんど為されていない。稲作一本のようだ。傾斜地、狭い、水が得にくい、機械使用が困難、車が出入りしにくい、地形が複雑・・・・・・いずこも同じ棚田の特性のため活用しづらいのだろう。耕作者の高齢化も一因のようだ。

それにしても何と見事な曲線なんだろ
う。とても人間が作り出した物とも思え
ないが、まぎれもなく人が作った田圃
なのだ。
人と天との合作かも知れない。

田圃の畦道で、風に吹かれながら、ぼんやりたたずんでいる小生をノアザミが笑っているかのようだった。彼らが主役の場、端のほうからそおっと覗かせていただこう。
2008年04月29日
畦道の華
春到来と喜んだのがつい最近なのに、山里ははや初夏の彩りか。新緑が鮮やかになってきた。そういえば農作業も汗ばむ陽気、薄着になって仲間達も鍬をふるっている。先般、畦道の華と題して野辺の花々を紹介させてもらったが、同じ場所であっても野草や花が変化してきた。わずか一ヶ月程度なのに。再び、畦道の華と称して、順次、近隣の野辺の状況を報告したい。
山里ははや新緑の季節となりました。
最初に登場願うのは、「ノアザミ」。どこにでもある野の花ですが、改めて見つめ直すと意外に美しい花ですね。この花をモチーフとしたアザミの歌と称する歌曲があったような。
こちらは食用の野草かな。おなじみの物ですが、身近な場所に結構たくさんあります。かっては日常生活でも盛んに利用されていたのでしょうが、最近はあまり採取する方も見ないですね。
ヨモギ フキ
樹林帯にひっそりと咲く「シャガ」、日当たりのいい場所は好まないようですね。木漏れ日がはいる、少々ひんやりした場所に群生しています。
さて日当たりのいい場所には。やはりご陽気な黄色系の花が多いようです。
ハハコグサ カタバミ

白系統の花々もありますね。最初のドウダンツツジは車を止める駐車場の片隅に、シロバナノヘビイチゴは農園の畦道に、それぞれしっかりと咲き誇っています。簡素な色合いですが、艶やかさがないのもいいものです。
ドウダンツツジ
シロバナノヘビイチゴ
いかがですか。山里のなんでもない野辺の畦道が、結構、立派な花園ですね。何も花屋さんとか植物園とか訪ねる必要はないですよね。ご近所のちょっとした里道をのんびりと歩いてみましょう。新たな発見がありますよ。
2008年04月27日
タマゴの正体は
山里の大木でタマゴが見つかった。白い小柄のタマゴで2個ある。何のタマゴか、と仲間達は大騒ぎ。少なくともニワトリの卵でないことだけは確かだ。
この画像だけでは判断しかねるだろう。もう少し情報提供をしたうえで、ご判断をお願いしたい。まず数量は2個、色は白色、大きさはニワトリの卵を少しこぶりにした程度、場所は地上7~8メートル位の樹上、枝が3本に分岐した股の部分、少し腐葉土がたまりわずかな草がある、人の出入りは少ない、竹林の中にある榎木の大木、・・・・・・・・・・・判明しているのはそんな程度。さて対象木を紹介しよう。過日のミニツアーの秘密基地だ。
仲間内では二つの意見が拮抗している。(1)カラスだ、(2)フクロウだ、・・・・・・・さてどうだろうか。この両説を検討してみよう。
(1)カラスだろうか。
*カラスの目撃談があるが、カラスは雑食性で卵は好物だ。食料捕獲のためにこの樹に
接近したのでは。
*童謡の七つの子でわかるように、カラスは5~6個以上の卵を産むようだ。
*カラスは小枝を集め皿のような巣を作る傾向がある。
(2)フクロウだろうか
*フクロウは大木の祠の中に巣を作る、オープンな場所で巣作りするだろうか。
*カラスはフクロウの天敵、カラスに見つかりやすい木の股に卵を産むだろうか。
*タマゴの数、大きさはフクロウのそれに近い。
さて皆様はどのように考えられるだろうか。正直いって知識不足のために判断しかねています。確かな情報をお持ちの読者の方がおられたら、情報提供をよろしくお願いします。
2008年04月26日
再びの春
再び春が巡ってきた。そう言っても過言ではないだろう。また桜が咲き出したのだ。ソメイヨシノはとっくに散ってしまったが、今度は八重桜の出番。なんとも美しい。4月は二度も花見ができるから、とてもいい季節だ。青空には鯉のぼり、目の前には満開の八重桜、足下には可憐な野草や名も知らぬ花々たちが・・・・・・・・・・・いい国に産まれたものだ。

川辺も温んできた。流れる水もどことなくあったかそうな。
さて桜たちにお出まし願おう。ご近所の斜面に咲き誇る八重桜の軍団を。私宅が山奥の高台にあるせいか、近在にはたくさんの桜軍団がある。遠隔地まで出かけずとも、居ながらにして桜見物なのだ。

さて、桜以外の花々は・・・・・・・・ツツジも満開ですよ。楓も新緑をつけて、はや初夏の彩りか。

足下には又別の花々が。下記の画像は似たような種類だが一つはイタドリ、もう一つがスイバである。地方によってはイタドリをスカンポ呼んだり、スイバをスカンポと呼ぶ地域もあるようだ。小生の田舎ではイタドリをスカンポと呼び、スイバをギシギシと呼んでいた。

さてここで皆様に質問。下記の画像は何の花でしょうか。ワタスゲと答えた人はかなり近いかも。でも違うな。
こたえ・・・・・・・・・・4月7日の記事。20日ほど経過した後の姿です。



