2008年08月10日

盛夏到来

PLの花火大会も過ぎ、暑さもひとしおの盛夏となりました。各地の集落からは盆踊りなのか河内音頭の演奏が聞こえだしています。とある集落の分踊り大会を覗いてみました。河内っ子の河内音頭に寄せる思いは格別なようです。村々に音頭取りの名人と称される方々が多数おられ、セミプロとして各地の盆踊り大会に出演されてるようです。今回のぞいた集落は新興地の故か音頭取りではなく機器による演奏でした。

              雷雨もあがり、涼やかな夜風の下で踊りまくる。


オープニングは夕刻の4時、まだ日差しがきつい中、地元高校の太鼓クラブの面々が出演して歌や踊りを披露してくれました。グローバリズムとか称するアメリカ文化の猿まねが流行っていますが、彼らの演目は伝統芸能に即したもの。ローカリズムこそ文化の神髄ではと喝采したくなるような取り組みです。歌あり踊りあり笛あり太鼓あり・・・・・・・・・今後の活動を期待したい若者達です。

 

























途中ではにわかに雷鳴が轟き、大変な豪雨となりました。お客さん達はテントに避難したり自宅に戻ったり、それでも雨のなかで再開を待つ人々もたくさんおられました。河内っ子の面目躍如かな。

 
 


でも日頃の精進がよろしいのか、30分程で雨もあがってくれました。雨がなければ又踊り。まったく河内の人間と盆踊りとは切っても切れない仲のようです。DNAの中に組み込まれた独自の集積回路が存在するのでしょうか。ともあれ、普段は疎遠であった近隣の方々とも親しくなれる格好の場所なのかもしれませんね。ご先祖様達はそうした効用を含んだうえで伝統として残してくれたのかな。






 





 

  

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2008年08月03日

PL花火大会

毎年8月1日はPL教団の花火大会である。当地のイベントというより、もはや全国ブランドではあるまいか。各種のツーリストがツアーを組んでお客様をご案内する。従って当日はお昼過ぎくらいから大混雑となる。沿線の商店はにわかに活気づいて、従業員も一気にふくれあがる。空き地などは臨時駐車場となり、場合によっては法外な料金を請求されることもあるとか。年に一度の稼ぎ時なのかな。マスコミの報道では17万人位の観客数だったそうだ。

             教団のシンボルタワー。南河内のランドマークだ。


この花火大会だが、打ち上げ数が10万発から一気に2万発となり、物議をかもしたそうだ。教団の説明では数え方の変更とか。なんでも従来は、発射された花火の数ではなく天空で散らばった花火の数をカウントしていたそうだ。早い話が猟銃から1発散弾の弾丸を発射して、一発としてではなくその後に散らばった散弾の数を数えていたとか。常識的には、ライフルから飛び出した弾丸の数でカウントすべきだと思うが。まあっ、どうでもいいことだけど。



250人程の花火師が参加されたそうだが、花火はまさに芸術品。一瞬にして消え去っていくところが日本人の感性に合うのだろう。春の桜に酔うのと同じ心情かな。次々と打ち上げられる花火が圧巻だ。とあるビルの屋上に上らせていただいたので、仕掛け花火は見えない。上空にあがったのを遠くから眺めているのである。



 

PLの花火大会を見ると真夏だなと感じてしまう。南河内ではPLの花火が節目となっており、これからが夏本番。各地で盆踊り大会が頻発する。小生の場合も地元の町会で夏祭り担当となっており、中旬に盆踊りをメインとしたお祭りを開催する。当地一帯は河内音頭の本場であり、生粋の河内っ子は一晩中踊りに酔いしれるのだ。


 

花火師の方々は、たった1時間強ほどの演出のために1年間かけて準備をされるそうだ。火薬を扱うので危険でもあるだろうに、一瞬の感動を堪能してもらう為に、1年間黙々と前準備を続けられる姿に敬服する。どんな仕事でも一緒だろうが華やかな場面はほんの一瞬なのである。下積みの永い準備期間が必要な事は、どこの世界でも同じではなかろうか。1年間の準備期間の結晶が一瞬にして消え去って後には何も残らない、これが又いいことなのだろう。


 

  

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2008年07月12日

れんげ祭りー2

本日のクライマックスである護摩供養と火渡りの儀式が始まった。修験道で一番華やかな場面かもしれない。それぞれの行為に意味があるのだろが、理解できずとも、一種荘厳な雰囲気に包まれながら進行していく。まずは古参と覚しき山伏が出て、口上を述べ始める。開会宣言みたいなものだろうか。

  

続いて弓矢のうち込みが始まった。これも意味のある儀式なんだろう。よく理解できない口上を述べながら、東西南北の四ヶ所に向かって矢を射るのだ。打ち込まれた矢を拾うとご利益があるのか、大勢の人が駆け寄っていた。



若き修行僧が松明に点火して貰う。晴れの舞台のようだ。点火された松明を持ち、一定の歩行法に則りながら祭壇(と呼ぶのかどうかは不明だが)に進み出て、やおら点火。最初は小さな炎であったが、次第に大きな炎と変わり杉の青葉が囂々と燃えだした。山伏の読経のなかで、願い事が書かれた護摩木が次々と祭壇に投じられていく。

                                    
 



 


本山の大先達も動き出された。これから一番重要な儀式を執り行われるのだろう。従者の山伏を従え、所定の場所へと進まれる。



祭壇の火が下火になった頃、火渡りの準備が始められた。そして、その周囲では山伏達の奇妙なダンスが始まったのだ。ヨガのポーズみたいな形をとりながら、呪文をとなえつつ祭壇の回りを一周するのである。意味のある行為なんだろうが、何とも魔法使いの呪術のような印象を受けてしまう。




さて、いよいよ火渡りの儀式だ。ここでも日本の伝統に則った。即ち「指揮官先行の原則」である。転法輪寺の若き住職が先陣を切って、塩で清められた祭壇の前に立たれた。炎が吹き出している祭壇の上を素足で渡っていくのである。織田信長の火攻めにあわれた武田軍の快川和尚が「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と喝破して亡くなられたようにはいかないものである。無事に渡れるのかと案じていたが、十字をきりながら渡り終えられた。


 

住職に続き、次々と山伏達が渡っていく。小生も渡らしてもらおうと考えたのだが、後ろを見るとあまりにも大勢の信者さん達が順番待ちをしておられた。とてもじゃないが下山時間に間に合わない。確か昨年もそんな状態で諦めたようだったが。

  

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2008年07月11日

れんげ祭りー1

南河内の東部、奈良県との県境には、金剛・葛城の連峰がそびえ立っている。標高は1000メートル前後に過ぎないが、結構山は深い。ここは修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)が最初に修行をした場所として知られている。飛鳥時代に奈良県の御所市付近に生まれた彼は、日夜金剛葛城に登って修行に励み、時には雲にのって空を駆けたとも伝えられている。奈良時代が始まる少し前に、箕面の山で入寂したとも言われている。毎年7月7日は彼の命日、金剛山では「れんげ祭り」を行って彼の遺徳を偲んでいる。

      メインスタジアムの転法輪寺。ここは葛城神社との神仏混合だ。


転法輪寺は真言宗醍醐派に所属する。宗派とは、宗教界の派閥といえば叱られるかな。古来から自然発生的に始まった山岳宗教が、弘法大師や伝教大師によって真言・天台の大きな組織に集約され、明治維新まで興隆を極めたが明治政府の廃仏毀釈によって廃れていった・・・・・・・というのが受験用日本史の知識だったような。

      京の醍醐寺から一行が到着された。本社の社長さんにあたる御方。

信者の方が続々と登って来られる。普段でも登山者の多い山だが、今日は格別のようだ。無論、大半のかたが白装束で、各地のお堂などでは般若心経の静かな読経の声が流れてくる。



正午から祭りは始まった。ホラ貝を持った山伏を先頭に、お寺や神社或いはお堂などを粛々と参拝する。時折聞こえるホラ貝の音や読経の声が、静かな山域を震わせる。あまりにも多数の山伏のため、時間調整が必要なようだ。

  

 

 

転法輪寺の若き住職。彼は「司講」という組織を結成し、真言密教に則った修験道の復活をめざしておられるようだ。参加者も次第に増え、毎月修行日を定めて祈りの回峰行に励んでおられるそうだ。ちなみに修験道とは、人間が外界を感知するための感覚機能である五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を山岳修行によって鍛え上げ、五感を超えた超能力(現在科学では説明不可の意)としての第六感を獲得しようとの活動のようだ。
  
         転法輪寺の若き住職。宗教界のイノベーターとなられるか ?

祈りの回峰行を終えた山伏達が戻ってきた。さあ護摩供養と火渡り儀式の始まりだ。今年は、何とかして小生も火渡り儀式に参加しようと願っているのだが。

      

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2008年05月29日

春季大祭

本日はお不動さんの春季大祭、当初の予定ではカメラを抱えて一日張り付く段取りだったが、諸般の事情で二時間程度しか時間が取れなくなった。これでは全体像がつかめない。やむを得ないので、念願だった山伏の行進と護摩会場の撮影に限定することにしよう。駅前に着いたのが10時半頃、駐車場のおっちゃんに行進は11時からと聞き、車を預けて山門に向かう。参道は善男善女で一杯だ。

            寺内は人が一杯。やはり例月祭よりは参拝者が多い。


         神域への侵入者に大あわて。法力での阻止は困難だったか。


        座り込んでないで、神域をガードしないと。結界を破られますよ。
 

      斎戒沐浴とまではいかないが。                大量の護摩木
  

時間が迫ってきた。山門に戻り、山伏一行の到着を待つ。これが本日のメインとなる撮影対象だ。かすかにホラ貝の音が響いてくる。どうやら到着のようだ。

       独特な衣装だ。それなりの由緒があるのだろうが、小生には不明。


 

見事な行列だ。およそ200名近くの山伏たちであろうか。これだけの修験者がそろう大祭も珍しいのではなかろうか。専用の装束に身を固め、粛々と行進は続く。時折ひびくのはホラ貝の音。確かに壮観なのだが、何かものたりない。何であろうかと思案してて、ふと気づいた。そうだ読経がないのだ。毎年7月7日は金剛山のれんげ祭り、この時もたくさんの山伏が参加されるが、読経しながらの回峰行となる。お経の故なのか、場所によるものなのか、修験者全部が一体となった読経の声は、まるで天からの贈り物、天女のメロディのような心地よさだ。優秀なグリークラブに勝るとも劣らぬ雰囲気である。宗教者は音楽の持つ効用をフルに活用すべきではなかろうか。確かに駅前から山門までの長い坂道を、読経しながらの行進ではたいそう辛い事とは理解できるのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。




 

  

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2008年05月01日

楠公祭・春祭ー2

春祭の神事も無事に終了し、奉納太鼓の演奏となった。わざわざ広島から来演してくれた、太鼓ユニット我龍のグループである。竹内孝志さんをリーダーとする若手の太鼓打ちだ。舞台衣装や坊主頭に、一瞬その筋の方かとも思ったが、なかなか礼儀正しい若者だった。挨拶の中で、自分達なりに楠公さんについて勉強したうえで参加したこと、名将の御霊の前で演奏できるのをとても光栄に思っていること・・・・・・・・・・等々を静かに語っていた。

 

 

様々な太鼓を自在に操り、リズミカルな演奏に多くの聴衆もうっとり。神社の境内と和太鼓演奏とはよく似合っているようだ。楠公さんもひょっとしたら出陣の触れ太鼓と勘違いされるかも。





彼らはなかなか芸達者で、獅子舞のパフォーマンスも見せてくれた。子ども達は頭を噛まれて思わず泣き出す幼児も。

 


















     
      

                      篠笛の演奏も始まった。
 

最後は「餅まき」となった。祝い事の最大のイベントかもしれない。モチはかっては山里のハレの日の食べ物だった。その餅を皆で取り合いして喜びを分かち合う、今風に言えば「喜びのシェア」とでもいうのだろうか。おそらくは、全国各地に残っている風俗ではなかろうか。カメラ片手に撮影を続けながら、小生もちゃっかりと6個も拾っていた。


  

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2008年04月30日

楠公祭・春祭ー1

4月25日は楠木正成こと楠公さんの生誕日と伝えられている。彼は、地元千早赤阪村から出自した最大の偉人だろう。誕生日を村中で盛大に祝うのもある意味当然かも知れない。楠公祭・春祭として、各地からの来訪者も含め、毎年多数の参加で開催されている。まずは式典から始まった。生誕地での神事である。

 
          神職の登場。これからは神事なので撮影は中止とします。

 

約1時間に及ぶ神事も無事に終了した。次々と参拝される方々の名を聞いてびっくり、地元のみならず神戸の湊川神社、島本町、四条畷市、神社庁、政治家、行政関係者、各種団体・・・・・・・・・・多数の方々の参加である。楠公さんが今も尚、いかに多くの人々に影響を及ぼしているのか、再認識する。名誉や栄達或いは一族の繁栄などは求めず、己の志操に殉じた高潔な精神に人は惹かれるのかもしれない。


幼稚園の子ども達が登場し、奉納太鼓の演奏を行ってくれた。年長組らしく、音程もしっかり取りながら、聞かせる演奏となった。わずか4~5歳位でみごとなものである。楽器の弾けない小生は、うらやましい限りだ。 
 

会場を建水分神社に移し、春祭として趣を変える。ここは楠公さんの御霊を祭る神社でもある。季節の花シャクナゲが見事に咲き誇っていた。いい雰囲気だ。建水分神社でも新たな神職が登場し、神事が始まるのだが、参加だけさせてもらって撮影は控えておく。


       


楠公さんの御霊を守っているのだろうか。護衛の兵士達が無言のまま、警護の任務についていた。忠実な兵士のようだ。最後まで楠公さんに従った楠木軍の若武者達であろうか。  
                               
 






































  

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2008年04月24日

山里の春ごとー3

午後の部は社長訓辞、イヤ違った代表による歓迎の挨拶から始まった。シャイな社長は少々照れくさそうに、山奥までのお運びに感謝と春ごとの趣旨説明を行う。それにアイリッシュフルート奏者のHATAOさんが、わざわざ持尾城趾まで出向いての演奏を実施されることの紹介をも。

         

子ども達(大人の方が多いか)は花より団子のようだ。バウムクーヘンは別腹らしい。しっかりと焼き込んでいる。山の上でのお菓子はまた格別なんだろう。
                                 
 

小腹を空かすために、子ども達(キッズクラブという名の里山体験倶楽部があるのだ)の秘密基地を探訪するミニツアーを実施する。詳細は明日にでも紹介したい。民家をのぞいたり、野花を愛でたり、土の小道を踏みしめたり・・・・・・・・・・・かれこれ1時間近くも歩き回っただろうか。


さあ、いよいよ演奏会の開催だ。葛城連峰をバックにフルートとバイオリンの共演だ。

 

お弟子さん達も共演を始める。実は当倶楽部のメンバーがHATAOさんのフルート教室に通っていたのだ。 


 

  

 

彼女たちが吹いているのはティン・ホィッスル、HATAOさんのがアイリッシュフルート、いずれもアイルランドの民族音楽で使用される楽器だ。ケルト音楽といったほうが早いだろうか。ティン・ホィッスルは日本の子ども達が使用しているリコーダーによく似ている。ブリキ製の縦笛だ。安価に購入できるそうで、軽くて小さいので山での使用には向いているかも。そのうち里山倶楽部楽団が出来たりして。
                      




何かひとつ楽器を弾ける方をとてもうらやましく思う。音楽のある生活、楽器を弾ける生活を夢見るのだが・・・・・・・・・・・・・・・手も足も出ない。悲しい事だが、出来ないものは出来ない。せめてしっかりと聞かせていただこう。

  

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2008年04月23日

山里の春ごとー2

祭りといえばやはり食べ物だろう。買い食いと立ち食いとは人間の本能みたいなものだ。もっとも参加費をお一人1000円頂いているので、飲み食いは無料である。元を取るぞ、と考えたかどうかは知らないが、しっかりと各ブースを食べ歩く強者達も多い。代表的な人物をお一人ご紹介しよう。


           巨大焼き鳥をほおばるMtさん、ゆうに三人前位はありそうな。 
    

この焼き鳥は3月まで某レストランを経営していたNgさんの作品だ。3月で定年と決め、最近は悠々自適な生活。森作りが一番楽しみな趣味だとか。ど組の代表選手でもある。焼き鳥は秘伝のタレでしっかりと味付けしてある。肉類が苦手な小生も思わず数個も食べてしまった。

 

竹細工も始まった。子ども連れでぐい飲みを作っている。ここにはお酒はないぞ。まっ、ぐい飲みでジュースを飲んでもいいか。
                              
 













                      
                           
御飯も食べよう。マキで炊きあげたハガマの御飯だ。米は有機無農薬栽培のヒノヒカリ、ご当地ブランドである。これも餅米と一緒でタントンハンのメンバーが作り上げたものだ。焦げた部分が一番おいしいぞ。

 


















                    

里山商品も並べてみた。里山倶楽部のメンバーによる手作り商品群だ。さてなんぼか売れるかな。商機に便乗してハヤトウリを並べる御仁も。

 

一個250円の値札が付いている。芽が出ているので、そう心配せずに成長してくれるだろう。無事に大きくなれば1本で100個くらいの実がなるぞ。あとの活用をしっかり考えておかないと。定番は漬け物だろうか。



待ちこがれた豚汁は、とうとう昼までには間に合わなかった。手順が狂ったようだ。担当のMzさんは早朝から頑張っておられたのだが。焼きそばとのダブル担当がこたえたかな。



農作業を休み、ごちそうを作って食べて・・・・・・・・・・・・春ごとの精神はみごとに引き継がれているようだ。あとはこの行事が集落の、或いは地域の伝統行事として再び定着してくれることを願うのみである。
         

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2008年04月22日

山里の春ごとー1

似たような風習は各地に残っていることだろう。「春ごと」とは神社・仏閣のお祭りに合わせ、農作業を休んでごちそうを作り、遊山見物する慣習のことである。当地では4月28日に代々行われてきた。その慣習を復活しようと、ここ数年、里山倶楽部による再現が行われてきた。地元のじいさま・ばあさまや他府県からの遠来組も混じって賑やかなお祭りとなった。

      バス停から30分のくねくね山道をトコトコと登り詰めて・・・・・・やっと受付だ。
 

 
                
                 地元選出の元ミスユニバース達。

早速に何やら始まった。竹細工とおもいきや、参加者用の食器作りとか。マイ食器は自分自身で作ってもらおうとの趣旨のようだ。 

 

イベントのメインとなるのは、やはりこれだろう。大人も子どもも大好きなもの。今ではイベントでないと、なかなか見れないぞ。ヨモギもここならわんさか取れるのだ。餅米は無論、「無農薬有機栽培」のもの、タントンハンという米作り専門チームの作品なのだ。19年度産米である。

 

へっぴりごし、と見えたのだろうか。気になってばあさま達も飛び入り参加。やはり昔とったなんとやらだ。サマになっている。この世界でもキャリア優先かな。

 























各地に残る伝統行事などをこうして少しづつ復活していくのもいいものだ。人間のアイディンティティとは、地域と慣習とを見つめ直すところから生まれるものかもしれない。在野の民俗学者、宮本常一さんが全国を訪ね歩きながら記録し続けたのも、そうした想いが根底にあったのかもしれないな。

  

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2008年03月31日

お不動さん

久方ぶりにお不動さんを訪ねる。ここは日本三大不動の一つで、毎月28日が月例祭すなわち縁日である。近在の人ばかりでなく他府県からの参拝者もおおく相当な賑わいとなる。農作業を少し早めに終わり、車を石川の河川敷に止め、ぶらぶらと歩き出す。季節の故か植木屋さんや花屋さんが多い。子どもの好きな鯛焼きやイカ焼き、おこわにだし巻き、リンゴあめや綿菓子などの露店も多数並んでいる。


お不動さんの本堂。中では護摩供養が行われていた。たくさんの善男善女が手をあわせ、祈りを捧げる。

 




















一番多いのは植木屋さん花屋さんか。

 

地域が農村地帯の故か、刃物屋さんや農具屋さんも多い。商店街や量販店などが出来るまでは、ここが生活物資の主たる購入場所だったのだろう。













































孫達にねだられたのだろうか。綿菓子や鯛焼きを買い求めるじいさま・ばあさまが、とてもうれしそうだ。孫を持てた喜び、孫と一緒に参拝出来る喜び、今日も元気で歩ける事の喜び・・・・・・・そういったものが自ずと表情に表れているようだ。

 
 

そういえばもうお昼時、河川敷では持参したお弁当や買い求めた赤飯などを広げる人々が。のどかな春の一日、家族そろって参拝するのもいいものだ。5月28日は春季大祭、およそ200名近くの山伏が集結し、ホラ貝を鳴らし読経しながら行進するそうだ。聞くところによれば、ここは弘法大師が開祖のお寺、真言密教の修行の場でもあったのだろう。春季大祭をとても楽しみにしている。 

  

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