2008年02月29日
方丈庵の建築ー3
波板の張り方を、少しずらしてみる。外から見る分には雨風が入らぬように出来上がるはずだ。フムフムなんとか様になってきた。凝視しなければ、正常に仕上がったかのようだ。
次は内部の仕上げ、まずは床板を張る。これは粗大ゴミの日に、近所のゴミ置き場から拾ってきたものだ。まだゴミのシールが張ったままになっている。1畳大のものが3枚あったので、床板と側壁に充当する。なかなか良いできだ。棚も作っている。ここはあまり強度がないので、薄いボード板を1枚買ってこよう。
壁張りが完了した。ドア部分で苦労したものの、とりあえず野菜や農具達を雨風から守ってやれる。まずまずの出来と自己満足している。細かい部分はまだ残ってはいるが、一応の完成としたい。残る課題は天水の確保設備とソーラーパネルの設置だ。パネルで電気の自給が可能となれば、CDラジカセを持ち込み、モーツアルトの40番を聞かせながら野菜達を育てて見たい・・・・・・・・そんな大それた野望をも密かに抱いているのだが。はてさて何時になることやら。
方丈庵の遠望もいいものだ。鴨長明のように、ここで「心の静寂を」となればいいのだろうが、生臭の身にはまだまだ欲があり、次は何にチャレンジしようかと燃えている。
2008年02月28日
植え時はいま
店先はてんこ盛り。ジャガイモの種芋がどかっと積み上げてある。当地では今が植え付けの旬の時。お店も力がはいる。専業農家の方は、トンネル使用で1月下旬位からの植え付けだが、露地栽培の我々は2月下旬から3月上旬が最盛期である。本来なら、すでに畝立てなどの前準備が終了していなければならないのだが・・・・・・・・・・・・・。「方丈庵」作りでスケジュールが狂ってしまった。何せ物作りはあまりにも楽しすぎる。
ジャガイモ名人Kさんの畑を覗いてみる。なんと畝立てが完全に終了している。さすがとしかいいようがない。予定を組んで、事前準備が周到に進められているのだ。一部の畝は既に植え付けてあった。仲間内でも一番の手際よさである。
既に植え付けが・・・・・・・・・・・・・・
ジャガイモにも沢山の品種があるが、当地ではダンシャクやメークインがメジャーな存在だ。仲間の間では、ベニアカリやアンデスレッドを好む人が多い。鮮やかな赤色と反メジャー性がお気に入りなんだろうか。小生はここ数年アンデスレッドを植えてきたが、昨年の秋ジャガはダンシャクにした。ご近所の奥様方の強い要望だったのだ。大好評で、大半が食材とはならずに、彼女達のオヤツとして消え去ったようだ。
今年もダンシャクにしようかな。
2008年02月27日
柿の木のある坂
ムラ(集落)一番の働き者だった。ばあさまが惚れた若き日のじいさまである。そして二人は一緒になった。そのじいさまが黄泉の世界に旅立って、もう十数年にもなるだろうか。息子夫婦を充てにもせず、一人で頑張ってきたばあさまも体が弱ってしまった。じいさまと作ってきた谷の畑に通えなくなったのだ。こうして小生がばあさまの代わりに谷の畑を耕す事となった次第である。下り坂に古い柿の木がある。ばあさまとじいさまが、若い頃に一緒になって植えた。思い出の柿の木だ。長い間たくさんの渋柿を実らせてきたが、最近は荒れはてていた。
木々はツルに覆われ悲惨な状況だった。樹冠がクズで一杯になり、お天道様が葉っぱにあたらなくなってしまった。当然、実もならず、手入れもされず、立ち枯れ寸前だった。刈払機とナタとチェーンソーで大手術をおこない、すっきりさせたのが下の写真である。直径数センチもあるようなクズを切り刻んだ。それでも樹冠には手が届かない。腐って落下するのを待つのみである。
とんびの果樹園もそうだが、果樹の育成には大変な手間暇と長い時間がかかる。もっとも手をかければ、それなりに応えてくれるのが、嬉しいところではあるのだが。この冬の荒療治で、秋からは実りが期待できるだろう。ばあさまも、喜んで柿の実を食べてくれるだろうか。どうか、じいさまとの熱き日々を思い出して欲しいものだ。
2008年02月26日
里は花盛り
風は冷たいがどことなく春の気配、ポカポカ陽気に誘われて里道を歩いてみると、あらまあ、あちこちが花盛り。金剛山麓は緩やかな起伏が織りなすが、特に千早赤阪村のそれがすばらしい。例によって、楠公さん(楠木正成)ゆかりの地をゆっくりと逍遙する。水仙が真っ盛りな場面に遭遇した。余計な説明より画像のアップとまいりましょう。
水仙はヒガンバナの仲間で、学名はナルシサスといい、ギリシャ神話の美少年の名前とか。ナルシストとはここから生まれた言葉だそうな。そういえばどことなく雰囲気が似通っているかな。
金剛山麓には豊かな里山が広がっています。雑木林と農家集落と田畑と水路とくねくね曲がった里道と・・・・・・・・・・。いつまでもこの風景を絶やしたくないものですね。
撮影現場は楠公さんの奉建塔の近く。ここには昭和15年に完成した、非理法権天の塔があります。「非理法権天」とは、非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず、の意味で楠木軍の旗印となったものです。今風にいえば、企業ポリシーというところでしょうか。かって上杉謙信が領土的野心ではなく義の為に戦い続けたように、楠公さんもまた天の意志に従おうとしたのでしょうか。
2008年02月25日
焼き畑農業
他ならぬ事情が生じたのだ。実は昨年の米作りで、草取りが十分にできなかった。無農薬農法或いは低農薬農法というのは、やたらと人手がかかる。農薬使用を停止或いは軽減する結果、大量の雑草などが発生する。それを手作業で抜いてやらないと、米が生育出来ないのだ。残念ながら、とんびの田圃も草取りが不十分で、ヒエが大量発生した。植物の本性で、たくさんの子孫達を田圃にばらまいている。冬場は田圃の中で種たちが冬眠中だ。こやつらを火炎放射器で焼き払おうとの作戦なのだ。
CO2の発生を気兼ねしつつ、田圃の上で枯れた竹を燃やす。立ち枯れや倒壊した竹なので、勢いよく燃え上がる。かなりの熱量だ。土地の表面近くの種は焼死したと考えられる、否、考えたい。さて、本年の米作りが楽しみでもあり、怖いようでもあり・・・・・・・・・・・・・・・。
2008年02月24日
方丈庵の建築ー2
物作りにはまってきた。建築の楽しさに魅了され、頻繁に畑へ通っている。今回は屋根作りと壁作り。明るさとコストパフォーマンスを考え、ビニール波板張りとする。波板とトタン釘を仕入れ、順番に貼り合わせていくが、これがなかなか難しい。まず屋根・壁にあわせた裁断、その後は打ち付けとなる手順だ。
最初は屋根張り、これは容易だった。脚立に乗り、屋根より少し高めに頭を出して順番に打ち付けていく。釘を握った手先が滑りやすいのが難点だろうか。
おっとっと、壁張りの前に防腐処理が必要だ。柱が地面に接する部分に防腐用塗料を塗っていく。最近の塗料はシンナーで薄めずに塗れるので楽になった。
防腐処理が終わると壁張りだ。こいつはやっかい。波板を重ねた部分になかなか釘がはいらない、どうかすると折れ曲がってしまう。何カ所も釘穴をあけれないので、微妙に釘を調整しながら打ち込んでいく。もう一つやっかいなのが、壁と壁との接する部分。理屈ではきちんと重なって隙間は出来ないはずなんだが・・・・・・・・・・・・・。
壁張りがおおむね完了。残すところはドア周りだけになってきた。ドア作りは慎重に行ったが、大きな問題も発生した。次回の壁張りでカバーできるかどうか。
今回の屋根・壁作りで最も困難だったのは、波板を割らずに釘をまっすぐに打ち込むこと。熟練の技が必要だ。少しの油断が波板にひび割れを生じ、雨漏りの原因となる。2~3カ所やってしまった。どう補修するのか悩んでいる。トタン板を使用すればこの問題は生じないだろうが、室内が暗くなり、夏は暑い。コスト的にも割高なのが問題だ。
2008年02月23日
哲学の小道
田圃や畑は、労働の場であると共に思索の場でもある。鍬や鎌を動かしながら、そよ風に吹かれて思いを巡らすのが実に爽快だ。鈍いアタマも冴えてくる。血の巡りが次第に快活となるからだろう。そうした田畑に向かうには、やはり桜吹雪の小道を、なれぬ歌でもうたいながら、のんびりと歩きたいものだ。
この小道の片側に、10カ所ほどの穴を掘った。桜の植樹用である。今年は1年かけて土作りをやる予定だ。まずは灰の仕込み、それに蛎殻や油かすなども埋め込んでおきたい。1年の時間が、土と肥料とをしっくりなじませてくれるはずだ。肥料は多すぎてもダメだが、少なくても具合が悪い。加減が難しいのだ。
樹木の育成には時間がかかる。山に植えた檜は、三代100年でようやく伐採が可能となる。腰を落ち着けて、次の世代に引き継ぐ予定で樹を植える。気のながーい話である。
思索の場である田畑にむかう道、桜吹雪に囲まれながらのんびりと歩ける道、時にはメジロやウグイスなどがさえずりだしてくれる道、タンポポや野アザミなどが咲き誇る道・・・・・・・・・・・・・そんな小道が出来上がったらどんなにか素敵だろう。そうだ、京の都に習い、この道を哲学の小道と名付けよう。
2008年02月21日
方丈庵の建築ー1
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて・・・・・・」古典の授業でおなじみの方丈記の冒頭部分である。1212年すなわち鎌倉時代の初期にこの方丈記を出版した鴨長明は、下鴨神社の宮司の息子だった。今でいうエリート階層である。それがある日突然出家し、方丈(約3メートル四方)の庵を結んで心の静寂を求める道にはいったとか。生臭な小生にはそんな高尚な気持ちはサラサラないが、似たようなサイズの館を建築するにあたり、「方丈庵」の名前を拝借することにした。
まず行うのは地割りである。1辺がおよそ2メートル四方の木造建築の館を予定している。もっともらしくロープを引っ張って建築地を定める。昔、武将が城を築くとき、縄を張って地割りをしたので縄張りといったとか。ヤーさん業界でいうところの管轄区域を表現することば 「縄張り」 とは、ここが語源だとかそうでないとか。(あまり信用しないように)。
次に柱を立て、横板をかませながら骨組みを作っていく。自称3級建築士としては、構造計算や耐震設計など出来ようはずもなく、ただ、台風に負けない作り(初代のテント小屋は台風で壊滅した、二代目の竹小屋は老朽化)をと、頑丈そうに組み上げる。
おおまかな骨組みはできあがった。耐久性は未知数である。家庭用住宅であれば、「棟上げ」というところだろうか。
ここまで来るのに一週間ほどの時間を割いている。未知の世界に取り組むのには、多大な時間を要するものだ。専門の大工さんであれば、1日すら要しないであろう。だけど、自らのアタマと自らの腕で物を作り上げることの、何と楽しいことか。こんなにおもろしい世界を他人に任せてたまるか・・・・・・・・・・というのが正直な感想である。小学生に訪ねると、一番なりたい職業は大工さんだとか。子どもは直感的に本質的なものを見極める能力を持っているようだ。
2008年02月20日
力つき果てて
彼の名はハーベスター、簡単に言うと、自走式の脱穀機である。稲刈りでは重要なパートナーで、刈り取った稲束から籾を分離する役割を担っている。最近はコンバインの普及で影が薄くなったが、中山間地域では今なお現役選手である。写真の彼は相当な年代物で、近くの農家から無償で譲っていただいたものだ。ここ数年元気で頑張ってくれていたが、とうとう動かなくなった。
「形あるものは必ず壊れ、命あるものは必ず滅ぶ」といわれる、大乗仏教の教えのとおりである。なかなか律儀な男で、10月の稲刈りでは、最後の最後の稲束まで働き、最終の1本が終わった時点で息を止めた。それ以降何度スターターを引いても動いてくれない。雨に濡れない場所へと願うのだが、動けないので田圃のなかで一人さびしくたたずんでいる。
ホームレスのようにブルーシートをかぶり、何やらぽつねんと寂しそうだ。雨にあたらぬように小屋の中へ運んであげたいのだが・・・・・・・・・・・・
寄り添う菜の花がなんともいじらしい。
米作りには多数の機械が必要だ。テレビドラマのようにすべてを手作業でやるのは事実上不可能で、大なり小なり機械のお世話になっている。とんびの米作りは予算がないこともあり、最少限度の機械利用だ。それも借用したり、彼のように古い物を譲っていただいたり、代用品を活用したり・・・・・四苦八苦の工夫を楽しみながらやっている。この年になって、手仕事の楽しさ・おもしろさを再発見した次第である。集まる仲間達も同様とみえ、どことなく顔がほころんで生き生きとしている。組織社会では満たされなかったものがあるのだろう。好みの問題はあるが、これからリタイアされる方々には特に、是非、農のある暮らしをとお薦めしたい。
2008年02月19日
ちいさき友
畑で農作業をやっていると、「おーい、元気でがんばっているかい」 そんな感じで日に数度、友は訪ねてくれます。エンドウの竹竿にとまったり柿の木のてっぺんでひなたぼっこしたり、時には建築中の小屋の中にまではいってきます。かわいいものです。小柄な体躯で茶褐色の背とオレンジの腹回りが大きな特徴、とても数千キロの旅路をしてきたとは思えぬしなやかさです。
彼の名はジョウビダキ、北満州やサハリン方面を本籍とする冬鳥です。秋に飛来し、春先に故郷へと帰っていきます。つれあいはいないのか、いつも一匹で遊びにきます。早くいい子を見つけてカップルで遊びにおいでや。
意図的にボカしたのではありません。小生のパナソニックではズーム最大でも届かない。ああ、300ミリのレンズとデジタル一眼が欲しいなあ。
彼は艶やかでとても優雅な姿です。次回はしっかりと捕捉し、華麗な飛揚をアップしたいものです。乞うご期待、ということで先のお楽しみに。
2008年02月18日
魂の森を行け
いつもは105円のユーズドブックしか買わない小生が、久方ぶりに金438円也を支払って新刊書を購入しました。一志治夫さんが岩波文庫から発刊した「魂の森を行け」です。主人公は横浜国大名誉教授の宮脇昭さんで実在の人物です。サブタイトルが「3000万本の木を植えた男」ということでわかるように、宮脇さんが生涯をかけ木を植え続けていることを追いかけ問いかけたものです。
岡山の山間部である成羽町(現在の高梁市)に生まれた宮脇さんは体が弱く、実家の農業を手伝いできない悔しさから、 ;百姓は何故しんどい思いで草取りをしなければならないのか: と疑問をいだき植物生態学への道を進みます。学会では異端視されながらもドイツ留学で恩師となられるチュクセン教授との出会いが運命を変えたようです。木を植え続ける意味、それは「都市の周りの森林を破壊したとき、その文明は破滅させられ、その周りは砂漠化していく」 という宮脇さんの言葉に集約されると思います。
この本を呼んでいて最も感銘したのが、チュクセン教授が研究に悩む宮脇さんに語る言葉です。「いまの若者にはふたつのタイプの人間がいる。ひとつは見えるものしか見ようとしない者。こいつらにはパソコンを持たせて遊ばせておけばいい。もうひとつは、見えないものを見ようと努力するタイプだ。宮脇、おまえは後者のタイプなんだから頑張りなさい」 と。
宮脇さんに始めてお会いしたのは、昨年秋、堺市内で行われた講演会でした。80歳を超えるお年でありながら、2時間近く情熱的に語り続けられました。木を植えることについて・・・・・・・・。たくさんの聴衆から質問や要望が飛び交います。支援を要請した植木職の若者に 「私は本物の人間しか相手にはしない。あなたが本気で木を植えようとするなら、命がけで桃源郷を作ろうとするなら、私は全面的に協力します 」そう語っておられました。現場に生き、現場で死のうとする気迫が周りの人間を圧倒します。とんびの仲間達にも是非読んでいただきたい書物の一冊です。
成羽町は学生時代の友人の故郷でした。40年ほどの昔、彼の帰省に連れ立って訪問したことがありますが、高梁駅から長時間のバスに揺られて山を登った雲上の世界だったのをかすかに記憶しております。
2008年02月17日
剪定作業
垂直に近い斜面にある妨害木に、木登り名人のIさんが登って、枝切りをやってくれました。ここは、かって転落死亡事故があった場所。慎重にまいりましょう。
妨害木の枝切りが実施された結果、後背地にある栗と柿がすっきりとなりました。たくさん日があたり、多くの実がなることでしょう。そういえば、昨年は、皆さんこぞって干し柿を作りましたよね。筆頭の干し柿名人はKさんでした。
多くの樹木で太陽光線を必要としますが、果樹には特に大切です。果樹、すなわち柿やミカンや栗などの実を大きくするのも、また太陽の働きです。ミカンなどは葉っぱ25枚で実が一つと言われております。25枚の葉っぱが太陽光線で光合成作用を行うことで、ようやく1個のミカンを成長させるんですね。実を大きくするには、まだその他に摘蕾や摘果の作業が必要です。また、折々に紹介してまいりましょう。
このように果樹栽培には表に現れにくい裏方作業がたくさんあります。季節毎においしい果物を安心して食べるには、それなりの努力が要求されます。政治家や学者の先生方からの、外国から安い食品を輸入すればいいんだ、やれグローバリゼーションだ、やれ国際分業だ、・・・・・・・・・・・・・そんな言葉に踊らされた結果が、例のギョーザ事件ではなかったのでしょうか。「家族の食べる分は荒野を耕してでも作っていく」 つい数十年前まで誰もが持っていた生活者としての視点を、最近はどこかに置き忘れてしまったようです。そういえば今日のニュースで農水省が4月から小麦の価格を3割アップすると発表してましたが。自給率39パーセントとはどこの国だったっけ。
2008年02月16日
春はもうそこ
5年前に植えた苗木がこんなに大きくなりました。
白梅はもう開花してます。
梅の花にはある種の気品と高貴さが漂います。真冬の寒風のなかで、凛として咲き続ける姿が、人の心を引き締めてくれるのでしょうか。我々が見失ってしまった、人としての生き様を、静かに物言わず指し示しているかのような・・・・・・・・・。白梅が持つ古武士の風格、紅梅が持つ乙女のはじらいのような雰囲気、いずれも捨てがたいものがあります。
2008年02月15日
夏みかんピール
とんびくらぶでは果樹園を経営しています。すべて完全無農薬栽培が大きな特徴です。様々な樹種がありますが、最近収穫できるものは八朔やレモン或いは夏みかんといった柑橘類でしょうか。そうそう、かわいらしいシイタケも収穫できましたよ。果樹はごくごく一部を出荷していますが、大半はメンバーや家族の胃袋の中に直行します。無農薬栽培ですので、小さな子どもにも安心して提供できますしね。某国の食品のように、含有防腐剤がどうとか、薬物の混入がどうとか、余計な心配事は一切不要です。ある意味、もっとも贅沢な食生活をやっているのかもしれませんね。金銭とは、とんと縁のない生活なんですが。
果樹園の一部です。今年は残雪が多いですね。
柑橘類が元気よく生長しています。生食でも加工でも、無農薬栽培品は安心・安全ですよね。
菓子作り名人のOさんが、夏みかんピールのレシピを送ってくれました。秘伝(?)の製造法だそうです。これからの季節、お役に立つことも多いとおもいますので、下記に紹介いたします。
◇材料
夏みかんの皮 330グラム
水 大さじ1.5杯
砂糖 390グラム
◇作り方
1.皮の表面をこそげ、食べやすい大きさに切る。
2.熱湯に3分浸け、冷水に3分浸ける。これを3回繰り返す。
3.最後にたっぷりの冷水に一晩つけておく。
4.厚手の鍋に水・砂糖130グラムを入れ、少し糸を引くぐらいに煮詰める。
5.鍋に水気を切った皮を入れ、ふたをしてとろ火で煮る。いつも鍋を振り動かして煮る。箸やスプーンを使用しない。
6.煮詰まったら砂糖130グラムを加え、とろ火でふたをして再度煮る。ふたに付いた水滴は鍋に落とし込む。差し水はしないように。
7.再度水分がなくなったら砂糖130グラムを加え、今度はふたをせずに煮詰める。鍋はいつも振り動かす。
8.熱いうちにグラニュー糖をまぶし、別皿にとってさます。
完成した作品です。あちこちから手がのびて、残り少なめに。
2008年02月14日
おおきくなあれ
気象条件の影響は大なるものがあります。雪国の方は大変だろうな。
ほうれん草もまだまだです。冷え込みで甘さは増すようですが、食べれる大きさにはなっていません。
冬は鍋料理が定番。水菜はどうにか間に合ってくれました。シャキシヤキした柔らかめです。
チンゲンサイやシュンギクも小さめですね。
春物野菜ですが、キヌサヤエンドウはすくすくと育っています。エンドウは小さいときほど耐寒性があり、大きくなると弱まる特性があります。種まきを遅めに小さい状態で冬越しを、が栽培のコツのようです。当地では12月にはいってから種まきする農家の方もかなり多いです。マイ農園では11月中旬の種まきでした。収穫は4月中旬くらいかな。
2008年02月13日
クマ退治
ゲストハウス(世間では野小屋とゆうそうな)に置いていた昼の弁当とオヤツをやられた、とKさんの怒りの声。どうもクマがやってきて、人様の食べ物を荒らしているらしい。一度覚えた人間の食物は、山の食べ物よりも美味なようだ。誰でも一緒で美食に走りがちなもの、糖尿病にならないようにね。それはともかく、何とか対策をと考えたKさん、秘密兵器を持ち出してきた。下の写真がそれで、中のエサを食べるとバネ仕掛けで扉が閉まり出られなくなる仕組み。さてこの勝負、秘密兵器が勝つか、クマが勝つか。
クマ退治に執念を燃やすKさん。もっとも、「ほんまに捕獲できたら殺処分となるのかな。それもチトかわいそうなや」と同情される一面も。心やさしき人物のようです。
犯人はこやつ。そうクマはクマでもアライグマ。元々は日本に存在しなかった動物で、ペットとして輸入され飼育されていたものが逃走したのか、故意に放棄したのか、いずれにしても心なき人間の手によってニッポンの住人となった次第。雑食性で集落近くの水辺を好むそうな。夜行性なので昼間に対面することは少ないのですが、農作物にかなりの被害が出ている模様です。とある地域では猟友会が出張って、捕獲作戦(死刑執行)を展開するとの案も出たようですが、人里で猟銃をぶっ放すのもどうしたものかと、沙汰止みに。
2008年02月12日
雪つもる
大阪の名峰、金剛山が積雪に覆われています。今年は例年になく雪が多いようで、麓から見ていても真っ白な状況です。山頂付近は樹氷が激しいようですね。9合目付近のブナ林がもっともお気に入りなんですが、しばらくご無沙汰で、コゲラ達も元気にしているか気になるところです。石川啄木が「ふるさとの山に向かひて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな」とつぶやいたとか、つぶやかなかったとか。人間も自然界の一部、山を含めた風土によって育成されるんですね。
山麓に広がる雑木林、こちらは山頂付近と異なり、雪もすっかり解けてしまいました。急な斜面に広がる棚田も今は冬眠中のようです。
いわゆる中山間地域と呼ばれるところは、休耕地或いは放棄地ともいわれる無耕作の農地が増加しております。金剛山麓も例外ではなく、荒れはてた農地があちこちで目につきます。ご先祖様たちが営々として築き上げ、残してくれた遺産が朽ち果てていくのは忍びがたいものです。農のある暮らしを望む方々は結構存在されます。こうした人々と無耕作の農地とをうまくコラボレーションする手だてはないものでしょうか。
2008年02月11日
2月10日(日)定例会報告
作業開始。ほだ木を作るため、余分な樹木を先に片付けます。チェーンソーの操作が得意なIさんが次々と玉切りしていきます。
林内には我々のシイタケ工房もあります。真冬だというのに、かわいいシイタケが育っていました。むろん帰りのお土産となります。そういえば、今夜は鍋よ、とつれあいが言っていたっけ。
山での楽しみは昼のお弁当。料理上手なKさんが熱々の甘酒を振る舞ってくれました。菓子作り名人のOさんは、ミカンで作ったお菓子を持参。あっという間に無くなります。
作業の合間にオヤツタイム、これがいいんですよね。疲れた体に甘い物がしみわたります。それにしても山で食べるものの、何とおいしいことか。
作業もはかどり、ほだ木もだいぶ準備できました。植菌は次回の定例会とします。それにしてもクヌギが少なくなってきたなあ。ドングリを拾い集めて苗木を作らないと。
2008年02月10日
森の音楽隊
自作の竹楽器によるオープニングです。
ネパールの民族楽器「マーダラ」による「リッサンフイリイリ」の演奏。結婚式で演奏される曲目だそうです。
ヴォーカル担当Nさんの透き通るような歌声がホール一杯に響き渡ります。曲目は「千の風になって」おなじみですね。
二胡の名手、Tさんの姿も見えました。琴との共演で「古城」の名曲が演奏されます。
ノコギリが楽器だとは今日の今日までしりませんでした。曲は「ゲゲゲの鬼太郎」。
ダンシングチームまで登場、場内が一気に盛り上がります。演目は「働きマン音頭」。
どんぐりバンドの活動を見ていますと、塩見直樹さんの「バリ島モデルから」というメッセージを思い出します。一部を引用しますと、「バリ島では朝早く水田で働いて、暑い昼は休息して、夕方になるとそれぞれが芸術家に変身する。毎日、村の集会所に集まって、音楽や踊りの練習をする。あるいは絵画や彫刻に精魂を傾ける。・・・・・・・・村人一人一人が農民であり、芸術家であり、神の近くにもゆく、つまり一人一人が実存の全体をまるごといきる」と。 時代が変わりつつあるようですね。毒入り餃子事件に垣間見られるごとく、対立と競争を行動原理とした資本主義社会は末期的症状を呈してきたようです。次に現れる新しい社会はどのような形なんだろうか。願わくば、調和と共生をベースとした、真に豊かな社会であることを。
最後は全員で「ふるさと」を合唱しました。日本人の心の原風景となっている曲です。親から子へ、子から孫へと歌い次いでいきたいものですね。
2008年02月07日
上赤阪城にて
久方ぶりに上赤阪城に登りました。鎌倉末期から室町期に活躍した武将「楠木正成」の要塞の一つです。典型的な山城で、城郭も石垣すらも残っておらず、わずかな解説板等で往時をしのぶのみです。複雑な地形をうまく活用しており、難点は水の確保だったようです。本丸跡からは遠く大阪方面が望まれ、攻め寄せる幕府軍の来襲を見張っていたのでしょう。
一の木戸(正面玄関)付近
木戸から本丸への道
楠木正成の生誕地と隣の資料館
本丸跡からは雪化粧の葛城山が



