2008年05月31日
その後のキジ一家
雨もあがりすっきりとした青空が広がっている。まさに五月晴れであろうか。山里には穏やかで静かな時間がゆったりと流れ、命の成長をにこやかに見守っているかのような雰囲気だ。かの国からの黄砂や、日々の埃なども時折の雨が洗ってくれる。水と緑に囲まれた恵み豊かな国土である。聞くところによると、オーストラリアでは旱魃がひどく、農業用の水利が政府によって売買されているとか。資金的に裕福な者が水を買い占め、豊かな農産物に恵まれて善の循環を果たし、不足する者は水利や農地を手放す他はないとか。例の温暖化現象によるものだそうだ。
マイ農園も水には恵まれていないが、それでも時折の雨や、田畑から染み出るかすかな水を蓄える事は可能だ。かろうじて農作物が出来る所以でもある。翻って鳥たちはどうしてるのかな、と気になってしまう。もっとも彼らは飛行能力があるから、適地まで出かけるのかも知れないが。ラッキョウ畑のキジ君もどうしてるのか気がかりだ。彼女が抱卵を初めて、かれこれ二週間になる。もう雛が誕生してるのでは、と静かに近づいてみた。
上記の画像がラッキョウ畑である。草刈りを控えているので、ブッシュ状態だ。写真ではわかりにくいだろうが、中央部の薄茶の固まりが抱卵する雌キジである。まだ続いていたのだ。この雌キジが出歩いてる姿を見たのは1~2度ぐらいである。二週間の大半を抱卵し続けているのだろう。体力も消耗しきっているのではなかろうか。小生が近づいても全く動かない。当然、気配でわかってはいると思う。雛の誕生に持てる全部のエネルギーを集中しているのだろう。
マイ農園の背後には木々に囲まれた豊かな里山が広がっている。こうした環境が存在するからキジも安心して子育てが出来るのだろう。里山は自然のままではなく、人が生活の場として関わることで、心ときめく景観や多くの命をはぐくんできた。これから先も同じ働きを継続できるだろうか、大きな不安も存在する。遠目には緑ゆたかな里に見えても、森の中はブッシュ状態で、鳥や動物やさらには人間の生存に活用できない場所となった事例も数多い。南河内は比較的恵まれているとはいえ、人の関わりが途絶えたら廃墟の森と化するだろう。多くの仲間達の森作りへの参入を期待したいものだ。例のキジ君一家もそう願ってるのではなかろうか。
2008年05月30日
粉もん文化
オオサカジンは粉もんが好きとは良く聞く話だが、それも尋常な段階ではないようだ。門前町をのぞいてみて、その実態がよく分かった。参道の両側に露店が並んでいるのだが、粉もんのお店が多いこと。お好み、焼きそば、大判焼きはいうに及ばずあらゆる種類の露店が並んでいる。よくぞこんなにあるものと思えるほどだ。順番に訪ねてみよう。
おいしそうな酒まんじゅ。実は小生も好物なのだ。
定番の大判焼き 酒まんじゅう屋さん
大阪名物のお好み焼き。巨大タマゴがお店の看板か。
大阪風お好み焼き 広島風お好み焼き
三笠焼き
たいやき
ご存知ですな。焼きそばのお店。
ゴマ団子。これは粉もんと違うかな。
大阪ケーキのお店
これも定番ですね。小生の田舎では回転焼きとかいってましたっけ。
子ども達が大好きなドラちゃんカステラ。
蜂蜜まんじゅう屋さん。

まあ、あるわあるわ。どれだけのお店やねん・・・・・・・と思うほどだが、これで全部ではないんでっせ。いかにオオサカジンが粉もんを愛しているかとの証明でしょう。ここまでくると粉食は大阪のれっきとした食文化とも言えるかもしれません。露店を覗き回るのはとても楽しいものです。どっかから、ひょっこり寅さんが現れたりして。「生まれも育ちも葛飾は柴又の・・・・・・・・・・」あの名せりふをもう一度ききたいものですね。
2008年05月29日
春季大祭
本日はお不動さんの春季大祭、当初の予定ではカメラを抱えて一日張り付く段取りだったが、諸般の事情で二時間程度しか時間が取れなくなった。これでは全体像がつかめない。やむを得ないので、念願だった山伏の行進と護摩会場の撮影に限定することにしよう。駅前に着いたのが10時半頃、駐車場のおっちゃんに行進は11時からと聞き、車を預けて山門に向かう。参道は善男善女で一杯だ。
寺内は人が一杯。やはり例月祭よりは参拝者が多い。

神域への侵入者に大あわて。法力での阻止は困難だったか。
座り込んでないで、神域をガードしないと。結界を破られますよ。
斎戒沐浴とまではいかないが。 大量の護摩木

時間が迫ってきた。山門に戻り、山伏一行の到着を待つ。これが本日のメインとなる撮影対象だ。かすかにホラ貝の音が響いてくる。どうやら到着のようだ。
独特な衣装だ。それなりの由緒があるのだろうが、小生には不明。
見事な行列だ。およそ200名近くの山伏たちであろうか。これだけの修験者がそろう大祭も珍しいのではなかろうか。専用の装束に身を固め、粛々と行進は続く。時折ひびくのはホラ貝の音。確かに壮観なのだが、何かものたりない。何であろうかと思案してて、ふと気づいた。そうだ読経がないのだ。毎年7月7日は金剛山のれんげ祭り、この時もたくさんの山伏が参加されるが、読経しながらの回峰行となる。お経の故なのか、場所によるものなのか、修験者全部が一体となった読経の声は、まるで天からの贈り物、天女のメロディのような心地よさだ。優秀なグリークラブに勝るとも劣らぬ雰囲気である。宗教者は音楽の持つ効用をフルに活用すべきではなかろうか。確かに駅前から山門までの長い坂道を、読経しながらの行進ではたいそう辛い事とは理解できるのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2008年05月28日
一本&三本仕立て
果菜類の育成にはそれぞれ独自な仕立て方が存在する。本を読んで知識は得れても、実際の作業となると、とまどいが多いものだ。畳の上の水練みたいなものである。本日は師匠のNさんが実地の手ほどきをしてくださった。生徒は小生とチョイ悪オヤジのKoさんだ。共同農園に植えている小生のナスとトマトをみたNさんが、これではあかんぜよ、との話から緊急実施となった。
トマトの一本仕立て
まず果菜類の代表選手であるトマト。これは原則として一本仕立てにするそうだ。苗が少し大きくなると四方八方に枝を伸ばしてくる。これを切断して主幹一本に仕上げるそうだ。そういえば小生は脇芽は取っていたものの、小枝は放置していた。従って成長するとブッシュ状態となってしまっていたのだ。主幹一本に集約した方が栄養分が実に回りやすいとのこと。教官の言葉に従い、植えている12本の桃太郎を仕立て直す。
すっきりとなったトマト軍団。大きな実がなるかな。
続いてナスの仕立て。これは三本仕立てが原則だそうな。トマトと同じように根元付近から何本もの小枝が伸びているが、これを撤去し、主幹を中心とした三本の幹に仕上げるそうだ。師匠のNさんにお手本を示してもらう。実際に現物の対処方を見ると理解が早い。師匠のNさんは、この道うん十年・・・・・・・・・・・・・・やはり経験の積み重ねは貴重だ。どんな分野でもそうだが、知識のみでは実践の場で対処できないのである。
ナスは添え木にそって、順調にまっすぐ伸びている。画像中央部したの根元付近をご覧下さい。みごとに三本仕立てになっています。無論、これは師匠のお手本によるもの。以下同文ということで、残りのナスを弟子が仕立て直しました。
余談になりますが、パイロットの養成には一人あたりうん千万の経費が必要とか。高価な機材の使用とマンツーマンの育成方法それに必要滞空時間に示されるような実践活動の積み重ね等に基因するものでしょう。農業もある意味似たような事情かもしれません。確かに農学部などで基礎教育は出来るでしょうが、実際の農業技術の習得は実践の繰り返しからとなります。ここでも「守破離の原則」は必要なようです。良き師匠と実践活動の時間と場の確保、これが出来るか否かに将来がかかってくるのでしょう。人材養成に情熱と時間と経費を投入し続けられるか否かに盛衰がかかっているのはどんな分野でも同じようです。、
2008年05月27日
田圃に水はいる
当地でも田圃に水がはいりだした。どうやら今年も米作りが始まったようだ。棚田地帯を訪ねると、農家の方が三々五々。畦を焼いたり、苗床の手入れをしたり、水路の補修をしたり・・・・・・・・・・・作業が始まっている。どうやら来月初旬あたりが田植えの最盛期のようだ。我々も準備に入らねばならないが、今年は手違いがあって苗の準備がまだ出来ていない。どう手配するか悩んでいる。
水が張られた田圃。田植えの開始もまもなくだ。
苗床でも順調に育っているようだ。手入れをされる農家の方もどことなく楽しそうな。山里に移住した方が語っていたっけ。軒先に1年分のマキをどかんと積み上げ、同じく1年分の米を納屋にため込んだら、とても幸せになってくる・・・・・・・・と。そうかも知れない。食いはぐれる心配がない、と言う自信ほど強いものはないだろう。
畦も焼かれた。田植えはいつでもOKのスタンバイ状態だ。人が仕事に情熱を傾け、気合いがみなぎっている作業風景はとてもいいものだ。熱気がこちらにまで波及してくる。太古の昔からそうやって米作りを継続してきたのかもしれないな。まもなく梅雨にはいる。気候と農作業とがピタリと一致した絶妙なタイミングだ。
棚田百選の一角を訪ねるが、こちらは準備がまだのようだ。それでも水路には水が流れ出している。用水路の手配は終了しているようだ。時間の問題だな。水が張られて早苗がそよめくようになれば、なんとも言えない桃源郷の風景が出現する。我々が心の原風景と思っている故郷の姿とは、人々の延々と続く情熱に支えられた労作の賜なのだ。自然のままの風景ではないのである。
何度見てもみあきぬ光景だ。柔らかな曲線がとても美しい。
大半の地域では米作りは年に1回しか出来ない。生涯を費やしてもせいぜい30回から40回位だろうか。技術やノウハウを学んで覚えた頃には次世代に譲らねばならない。願わくば、これから後も同じように継続して米作りが継承されていくことを。食の自立が無くして国家の自立はありえないのだ。かのローマ帝国も農業を軽視して国が滅びた。一部の学者や評論家さんが語るように、金を稼いで世界中から安い食料を輸入すれば・・・・・・・・・そんな甘いご時勢ではないだろうに。
2008年05月26日
三日市の宿
金剛山の西側山麓には高野街道が走っている。京・大坂の街の衆や皇族方が高野山にお参りする為の参拝道として開かれたものである。弘法大師による高野山開闢以来だから相当な年月となるだろう。げに恐ろしきは信仰の力、と言えばお大師さんに叱られるかな。東高野街道、中高野街道、西高野街道と3本のルートがあり、南海電車の河内長野駅前で合流して高野街道となる。この合流点から数キロ南に下がった宿場が三日市の宿である。かっては大きな旅館も残っていたが、今は町並みに往時の風情をしのぶのみとなった。
格子戸を持った古い家並みが続いている。
高野街道は車1台分くらいの道幅だろうか。当時としては大路だったのだろうが、車社会の今日では裏道となってしまった。近在の方の生活道路である。この道を歩いて高野山まで参拝しようと思うような奇特な方も少ないだろうな。2年前、物好きにもつれあいと奥の院まで、つなぎ歩き(南海電車の路線とほぼ並行してます)をしてみた事がある。5日かかった。健脚の信仰者であれば半分以下の日数だろう。
女人堂まで8里の道標が 宿の出口、新高野橋。ここからスタート。
京や大坂から来られた参拝者は三日市の宿で泊まり、翌朝スタートして高野口あたりでもう一泊し、翌々日に高野山に着かれたのではなかろうか。ほぼ同じルートが残っているので興味のあられる方は歩かれるのをお薦めしたい。時速4キロ以下位のスピードでないと見えない物もあると思います。国道筋からは離れているので、のんびりとした旅路を楽しめますよ。ただ街道筋にはほとんど店舗がないので水と非常食料は必携です。
司馬遼太郎さんの作品に「街道を行く」というのがあります。掲載されている場所を訪ね歩きたいとの想いは非常に強いのですが、残念ながらまだ期が熟していないようですね。車(最初は自転車、次はバイクだったのだが)とテントを使った野宿旅による日本一周という大きな夢も、子ども時代から持ち続けたままなんだけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2008年05月26日
草刈りの日々
毎日強烈に暑いですね。クーラーの効いた部屋でノホホンと過ごしたい、と言う欲望に負けそうになるときもありますね。それでも田畑は待ったなしで、実に青々とした雑草君たちが毎日元気よく成長してくれます。数日ほっておけば、緑豊かな大草原といった状況になってしまいます。必然的に毎日が草刈りの日々という最近の真夏日です。雑草の持つ生命力は、どこから生まれるのでしょうか。見習いたいものですね。
サツマイモ畑です。説明がなければ、ただの雑草地と思いますね。
サツマイモの葉っぱが全く見えないですね。
刈払機で草刈りできる部分はまだしもいいほうです。困難なのは上記画像のように野菜類と雑草とが混在してしまった場所、最終兵器の手作業となってしまいますね。鎌を持って中腰の姿勢で刈り取っていくのは結構疲れます。朝露で軍手はすぐにびしょ濡れ状態に。不快指数が高まるばかりですが、ほっとけば確実に雑草に負けてしまいます。地道な作業の繰り返しですね。何とか省力化できないものか、と思案しているのですが。
刈払機が使える場所はあっという間に快適な畑へ。
一般的には雑草を押さえるためにマルチを使用します。黒のビニールなどで出来たもので、苗類を除き土の上をすっぽりと覆ってしまうものです。ただ雑草をマルチで押さえるには大量のビニールを使用します。問題は使用後の処分。無論、数回は使用するのですが最終的には処分が必要です。焼却場に運ぶか、野焼きの場合は異臭や悪臭を覚悟しなければなりません。何よりも石油漬けの農法に、ハテナの思いもあり、小生は使用していないのです。
刈払機で刈り取った雑草類をマルチとして使用する事もあります。これだとマルチの役割が終了すれば肥料として土に還元し、処分も不要です。時間はかかりますが土が肥えてくるのもありがたいですね。循環型の農法とでも言うのでしょうか。
2年目のプラムの木に実がなりました。いい色合いです。
草刈りや草抜きもしんどいだけではないですよ。作業のあいまには、ゴマダラカミキリなどが来訪したり、果樹樹にはそれぞれの実がなったり、雲の変化が楽しかったり、飛行中のへりやジェット機がよく見えたり・・・・・・・・・・・・・楽しみが結構あります。上下の画像は植栽して2年目のプラムです。5本植えたのですが、早くも1本の樹が実をつけてくれました。
快晴の日が続くせいか、雲の変化も楽しいですね。同じ雲は全くありません。毎日あるいは毎時に変化しています。眺めているだけでも飽きないですよ。カメラを据え付けたまま、1日、雲の変化を追ってみるのもいいかも知れませんね。田畑に出ていると日々の変化がおもしろく、退屈している暇がないですね。
2008年05月25日
武器の入手
念願だったデジタル一眼がようやく我が家にやってきた。どこをうろついてたのか、長い旅路の果ての到着のようである。例によって山の神は、「何でカメラばっかり買うの」とブーイングの嵐だが、神々にデジタル一眼とフィルム一眼との相違や、レンズ交換の必要性等を理詰めで説明しても納得は困難だろう。台風は身をかがめて静かに通りすぎるのを待つのが賢明なようだ。ということで、きやはったのがソニーのアルファー200。下記画像の機種である。
小生は元々がミノルタファン。別にオオサカジンだからと言うわけでもないが、不思議と関西企業の同社製品と相性が良かった。学生時代にバイトをして最初に買ったカメラがミノルタのハイマチックセブン、いわゆる二重像合致式のコンパクトカメラである。当時は白黒が全盛時代。押し入れを改造したミニ暗室で焼きまくったものだ。以来、歴代ミノルタカメラをメインとしてきた。従って経営上の事情とはいえ、同社がコニカと合体或いは関東勢のソニーへの事業売却等は残念でならなかった。
それが何でまたソニーをとの話になるが、同社はご存知のとおり、イノベーションを常態とする特異な経営風土を持つ。カメラ事業でも当然新規な規格で独自商品を生み出すものと思っていた。ところが同社がとった経営方針はアルファーマウントの継続、すなわちミノルタ資産の継承である。この決断によって多くのミノルタファンが救われた。すなわち手持ちのレンズ群が使用可能なのである。もっともSRTのような旧々型の交換レンズは無理ではあるのだが。独自商品を開発したかったであろう技術陣を前に、あえて継承の決断を為されたソニー経営陣のポリシーを是としたい。
アルファー200は同社の商品群では末端に位置する。いわゆるエントリータイプだが、小生には充分すぎる程の性能を持つ。画素数などは落として使用している程だ。人の表現手段は様々だが、小生にとってはパソコンとカメラは必須のアイテム。これなくしては表現活動が全く出来ないほどだ。新たな武器の入手とも言えようか。
ブログの掲載についても表現範囲が広がるだろう。ここ数年メイン機種として活用したパナソニックの弱点である鳥撮影や高木類の花々撮影に威力を発揮してくれると期待している。風景写真でも遠隔地の切り取りが可能となるだろう。作家の方が原稿用紙や万年筆にこだわられるようなものかな。
2008年05月24日
第二次出陣
パソコンで天気予報をチェックしていると、今夜から曇って明日は一日雨、明後日はまた曇りとのこと。絶好のチャンスだ。エンドウも撤去し、残地整理を行って、数日前から畝作りを実施していたのだ。植え付けのチャンス到来である。目的は無論サツマイモ、前回は50本程植えたが、当然足りるはずもない。なにせ、ご近所の奥様方が待ちこがれておいでなのだ。出来るだけ畑を工面して作付け面積を増やさないとね。
第二軍は40本だ。無論ナルトキントキ。
追加で仕入れたのは40本の苗。当然品種はナルトキントキである。繰り返すようだが、ナルトキントキは、ほくほくする中にもしっとり感があってとてもおいしい。ご近所の奥様方が夢中になられるはずである。今回は小さな畝を三ヶ所準備した。全部をサツマイモに回す予定だ。
こんな畝を三ヶ所準備した。キントキ様の寝床なのだ
前回植えつけたナルトキントキもどうやら活着したようだ。少々萎れてはいるが。何、明日は雨が降ってくれるさ。
40本を植えつけてため込んだ水をかけてやる。日照りに強いサツマイモとはいえ最初は水が必要なのだ。だから植え付けは天候次第となってくる。天気予報に注意し、2~3日雨が降りそうな前日が望ましい。農作業にとって天気予報ほど大事な情報はない。毎日、新聞やパソコンの予報欄に注意する。最近は時間単位で予報してくれるのでとても助かる。科学の恩恵はフルに活用しないとね。
久方ぶりの谷間の農園でした。そうそう例のキジ君ですが、しっかりと抱卵し続けているようです。朝8時前に畑に着くと、近くの丘の上の田圃から、ケーン・ケーンと威嚇するような鳴き声が。双眼鏡で覗いてみると、雄キジがこちらを睨んでいました。ラッキョウ畑に近づくなとの牽制なのでしょう。なかなか夫婦仲もよさそうです。さて雛達は誕生してくれるかな。
2008年05月22日
再度のお勤め
「花はなんの花、ツンツン椿、水は天からもらい水」・・・・ご存知の方も多い言葉だろう。哀調を帯びた歌詞には、過酷な自然環境と子守奉公に出された幼女の悲哀がこもっているようだ。九州の屋根とも称される、熊本・宮崎県境地帯は急峻な山岳地帯なので、生活に苦労されてきたようだ。水もその一つだったのだろう。当地は彼の地ほどの険しさはないが、水に苦労する場所は結構多い。小生の谷間の農園もそうなのだ。
こんな階段状の、谷間の農園なのだ
昔は棚田だったらしい。当然その当時は水の流れがあったと思うのだが、今は流れていない。先ほどの五木の子守歌ではないが、水は天からもらい水なのだ。こんな状況を哀れに思われたのか、Kさんが風呂を調達してくれはった。工事屋さんに手配し、改造工事で引き取ったものをもらい受けされたのだ。しかも愛車で運んでくださった。感謝、感謝、である。先般Uさんにいただいたドラム缶とセットすれば相当量の水瓶となる。問題は天からの水をどうやってため込むか。やはり方丈庵の屋根を活用するのが一番かな。そう思って雨樋を検討しているのだが、取り付ける場所がない。思案のしどころだ。
これがいただいた水瓶だ。
排水口も完璧だ。
さて問題はこのガス管用の穴だ。Kさんの手法では穴の内側にセルロイドの下敷きなどを切り取ってボンドで貼り付ければOKとのこと。水圧で剥がれないそうだ。さすが知恵者。廃物利用を徹底しておられる。
Kさんは、おん年うん十歳・・・・にもかかわらず愛車はレガシイーのGT。四輪駆動をフルに活用して山道を走り回っておられる。リタイア後のお風呂を、再度活躍させようと山の上まで運びあげていただいたのも、このGTなのだ。GTが軽トラの役割をも担ってくれるとは。
2008年05月21日
ソラマメできた
5月の中旬、予定通りにソラマメが出来たようだ。体内時計を持っているとしか表現のしようがない。全くもって野菜達の不思議さに驚かされる。日記帳を眺めながら、つれあいは語っていた。昨年の今頃はもうソラマメを食べてるよ・・・・・・・・と。そのとおりに出来上がってくるのだから。畑に行くと、70度から80度くらいの角度で空を向いているマメ軍団が勢揃いしていた。
天を向くソラマメ達。実った証拠だ。
マイ農園は草ぼうぼうの状態だ。草刈りは実施しているが、プロ農家みたいにていねいにはやっていない。どちらかというと放任に近い。そのせいもあってキジが子育てをするのかもしれないが。雑草の中から豆達を収穫しよう。
ハサミを持って10分程回っただけで、こんなに取れた。
ついでに横に種蒔きしていたラディシュも収穫しておこう。別名を二十日大根ともいうが、一ヶ月前後で収穫できるのだ。ちょっと遅れたのでスがはいってるかもしれない。なかなか鮮やかな色合いだ。これはサラダ用だな。
自宅に持ち帰るとさっそく調理の下準備、ソラマメ君も今夜の食卓に並ぶそうだ。無農薬栽培で育てた野菜を収穫後わずか数時間で食卓に並べる、ある意味、とても贅沢な食生活かも知れないな。

ラディシュをスライスしてみたら、やはり
スがはいっていた。中央部の白っぽい部
分がそれで、風味がすかすかした感じに
なってしまう。味もいまいちかな。原因は
収穫の遅れ。なんでもそうだが、適期を
外してはならないな、という実例のひとつ。
2008年05月20日
大阪府森林組合
木根館の正面風景

セミナーの内容は「地産地消の木」というテーマーで、無論、地元材の消費拡大を目的としたものだ。講師は京都大学農学部の高部教授で森林組合とは懇意らしい。ただ高部教授は学者さんだけあって、木材の特質や温暖化の影響、外国での木材利用など各種データーを踏まえて多方面な話しを為された。木は、スエーデンの木造8階建てマンションなど特異な事例もあるが、一般的には低層居住用住宅に向いた建材のようだ。我が国ではおなじみの物である。
高部教授のお話によると、家には、単に木を使えばいいというものではないらしい。今は商品化を急ぐあまり、高温乾燥で材を作っている事例が多いとか。高温乾燥を行うと木の細胞が死んでしまい、コンクリやガラスなどの無機質と同じ状態になるらしい。結果的には屋内の水分調整ができなく、健康的とは言い難いとのこと。そこで推奨されるのが葉枯らし乾燥と自然乾燥との組み合わせなのだ。森林組合がスローウッドをスローガンとする所以でもある。
チェーンソーアートの作品もあっ
た。クマさんだろうか、犬かな。
木造パソコンも見受けられた。イ
ンターネットは可能だろうか。
高部教授の研究でもやはり温暖化の影響が心配とのこと。データーも明示されたが、地球の平均気温が年々上昇しているそうだ。あと2度上昇すれば、グリーンランドの氷が溶け出す可能性ありとのお話。4~5度上昇すれば、南極の融氷の危険性もと。もしも南極大陸の氷が全面融解すると、海水面が65メートル上がるそうだ。大阪府下はほとんど水没するので、家を建築する予定があるのなら、まず土地を選びなさいとの提言があった。教授のお話では、海抜100メートル以上の場所で岩盤地帯が望ましいそうだ。
左がヒノキで右がスギ、なんとも美しい木目である。こんな自然木で囲まれた家で暮らせたら、ストレスや家庭不和なども消滅するだろうな。最近、キレル子どもが増えていると聞くが、案外、鉄筋コンクリートやガラス或いはアルミやプラスチックなど無機質な材料で作った家に住んでいるのが原因だったりするかも。
2008年05月19日
農作業風景
日曜日でお天気もいいとなると、皆さん出足も早い。それとも仲良しばあさまのように、午前8時の太陽神信仰をお持ちであろうか。8時過ぎに共同農園に着くと既に作業を始められている。この時期は、春野菜の収穫と夏野菜の種蒔き等で、結構忙しい。小生もエンドウを撤去したので、後の作業にはいりたい。
カボチャの棚栽培を準備中のIさん
おっとっとっと、元気印のUさんも作業中だ。なんでも赤シソの苗が自然発生的にできているので、定植するのだとか。青色の作業服がトレードマークである。今日は早朝作業を終了したら、持尾城趾の里山倶楽部へ出動するのだとか。常に数カ所を掛け持ちだ。何ともパワフルな御仁である。自称37歳との説も肯ける話しである。
なんだか密談中のようだ。こそっと覗いてみると、ハヤトウリの植えつけについて議論していた。皆さん一言居士(失礼)で、なかなか自説を譲らない。最終的に実ってくれたらいいことなんだが、それぞれに仕事の流儀があるのだろう。ちなみにこの一角では、ハヤトウリが流行だ。小生も2個いただき本日植えつけた。
変色しているが、芽はち
ゃんと出ている。このまま
植えつければ大丈夫だろ
う。
小生はキューリの棚の横
に植えた。収穫期が秋だ
から、ツルの生育もだぶら
ないだろう。
そうそうエンドウを撤去したと報告したが、本日その後にキューリを植えつけた。自宅で育てたポット苗だ。全部で12本ある。無事に成長してくれたら食べきれないだろうな。またまたご近所行きかな。
こんな風にして、競い合ったり議論したり自慢しあったり・・・・・・・・・・結構楽しく作業している。近くにライバルが存在するのはいいことだ。人間張り合っているうちが花、ちょっとでもいい物を作ろうと工夫するものだ。仲間の存在は実に大きい。ありがたいことである。
2008年05月18日
河内の木材
木材センター(競り市や買い取り販売などが主な業務)
大量の原木が。月に2回ほど競り市があるそうだ。
当地の特徴は原木販売のみならず、裁断・加工して、そのまま使用できる状態で工務店等へ届けていることだ。今は、大工さんや工務店が、木材加工のスペースを確保できない事情による。建築士からの図面に基づき、コンピューター制御で要望通りの材を仕上げる。大工さん等は現場で組み上げるだけだ。在来工法にもかかわらずハウスメーカーの手法となんら変わらない。
木材加工センター
乾燥室 加工室
河内材の特徴は、ゆっくりと時間をかけること。他産地が50年ほどで出荷されるのにここは最低でも80年だとか。それも伐採現場での数ヶ月に及ぶ葉枯らし乾燥、加工センターでの自然乾燥、その上に乾燥室での微調整乾燥・・・・・・・・商品化までに相当な手間暇をかけている。だから狂いが少なく割れにくいのが大きな特徴だ。
加工センターでの自然乾燥。
現場での葉枯らし乾燥との組
み合わせで、木材の含水率が
相当低下する。まだ不足の場
合は乾燥室で微調整だ。
秘密兵器がこれ。含水率測定
器だ。当地では20%以下を目
標にしているのだとか。ちなみ
に人間にあてたらメーターを振
り切った。
下の画像を見ていただこう。写真ではわかりにくいが、年輪がかなり詰まっている。成長に時間がかかった証拠だ。イタリア発のスローフードではないが、当地ではスローウッドをスローガンとしている。手間暇かけた手作りの高品質な木材生産だ。消費者の方にもこうした河内材の特徴をご理解いただき、是非木の家を造っていただきたい、とは組合長の弁。
森林組合では100年から200年使用していただく木の家をモットーにしているとか。当然、数家族(数世代)の生活を担うのだから、材木にも責任をもった商品づくりを行っているそうだ。今風の建築のように、30年程度で建て替えるような無駄な事は想定していませんよ、とスタッフの方は言い切っておられた。
2008年05月17日
エンドウ撤去す
花は全てなくなり、実もまばらとなった。茎や葉は変色している。
どうやら寿命を迎えたようだ。残念だが撤去作業にはいる。一つの命が終わり、又、新たな命が始まるのだ。エンドウを撤去し、残地を整理してキューリとゴーヤを植え付けようと思う。時期的には丁度いい案配だ。
エンドウが撤去されるとモグラの穴が見つかった。多分地下には迷路のようなモグラ道路が張り巡らされているのだろう。モグラの道があるのは、ミミズが多い証拠で、土壌としてはいいのだが作物が枯れやすい。頭に来たKさんなどは罠を仕掛けておられるが、寡聞にしてかかった話を聞いたことがない。
モグラの出入り口。地下には道路
公団並の高速網が。
Uさんの秘密兵器。実績のないま
ま、朽ち果てていくようだ。
クワで荒起こしを行い、有機石灰をまく。畑は雨風で酸性土壌になりやすいので、石灰で中和してあげるのだ。一般的に、オオバコやスギナなどが多い土地は酸性度が高いようだ。
撤去したエンドウの残骸は畑の一角に積み上げておく。数日間、乾燥させたあと焼却するのだ。野焼きは原則ダメなのだが、このくらいの分量は大目に見て貰おう。そして焼却したあとの灰はまた畑に返してあげよう。カリ肥料として野菜類の生長を助けてくれるのだ。命は循環している。まさに輪廻転生の世界だろうか。
2008年05月16日
楠妣庵観音寺
富田林の市街地から、東南の方角へ路線バスで30分程。そこは、金剛山の山懐に抱かれた谷間にあった。楠妣庵観音寺、読みにくい文字だが、なんびあんと読む。かの楠木正成すなわち楠公さんの久子夫人が祈りの余生をすごされた草庵のあとである。現在は禅宗の臨済宗に属するお寺となっている。行政区は富田林市だが、楠公さんの産まれ在所である森屋から、ほど近い場所にある。幼少の頃学問の修得に通った観心寺までの中間くらいだろうか。
バス道路からの入り口

六地蔵がお出迎え
もともと久子夫人はこの地、甘南備の生まれでもある。1336年の湊川の合戦で夫の楠公さんが戦死、1348年の四条畷の合戦で長男と次男並びに一族郎党が戦死したのを儚み、尼僧としてここの草庵で祈りの余生をおくられた。楠公さんの遺跡を巡る者としては、ゆっくりと全体を探索したいのだが、今日は時間がない。山門までの往復だ。
お寺の山門には宗教的格言
みたいな言葉を記したところ
が多いが、ここではお経を読
む意味について書かれてい
た。
途中には久子夫人の愛用の井戸(との伝承)が残されていた。中は覗けないが今でも水がわき出ているようだ。
参道は苔におおわれ、長い歴史とひっそりとした存在を想像させられる。いかにも尼僧が住まれた草庵の跡といった雰囲気だ。
ようやく山門に到着。日本庭園を思わせるような静かなたたずまいだ。カエデが多く、紅葉の頃が一番いい風景ではなかろうか。時間があれば寺内を散策したいのだが、本日は農作業の予定が詰まっている。残念だがここでUターンだ。11月の紅葉の頃、再度の訪問としよう。
2008年05月15日
キジの子育てー2
このラッキョウの茂みのなかでタマゴを暖めている。
一昨日だったか、タマゴが7個あったような気がする。その折には親鳥はいなかった。どうやら時期が来て、抱卵期となったようだ。雛が誕生するにはどの位かかるのだろう。10日から2週間くらいだろうか。不明だが、できるだけ安定した状態を保ってあげねばならない。この地は谷間の元棚田で、小生以外にはほとんど人の出入りはない。それだけが救いだ。草刈りはやめ、収穫も必要最小限にしよう。当分は農作業も控えたほうがよさそうだ。谷間からのレポートもしばらくはお休みさせてもらおう。
上記画像は谷間の農園の中心部です。中央部の薄茶の草の所がニンニク畑、その奥の薄いグリーン部分が、彼女が抱卵しているラッキョウ畑です。こんな開けっぴろげな場所で子育てしています。
2008年05月14日
棚田の風景
棚田はいつ見ても美しい。とりわけ、いい風景となるのが田植えの時期である。田圃に水がはいり、カエル達が泣き出し、早苗がそよ風に揺らめいている・・・・・・・・・・そんな光景を期待して千早赤阪村のとある一角を訪ねた。ここは棚田百選にも選定された場所で、小生のお気に入りの場所でもある。いつか外国の若者が語っていた。日本人は地域に存在している本物の財産にまだ気づいていないようだ、との言葉を思い出す。さて田圃はと思いきや、まだまだ水もはいってなかった。
ご存知の方も多いだろう場所。このカーブでタイヤを鳴らしているのは誰かな。
ここに水がはいると、いい風景となるのだが。この地域では田植えはまだのようだ。耕耘機の走行跡がついているので、準備は進んでいるようだな。それにしても狭い。どうやって耕耘機を入れたのだろう。
農作業の人にも全く出会わなかった。草刈りも終わり、耕耘機もかけた、あとは苗の出来上がるのを待つだけ、といったところだろうか。この近辺では裏作もほとんど為されていない。稲作一本のようだ。傾斜地、狭い、水が得にくい、機械使用が困難、車が出入りしにくい、地形が複雑・・・・・・いずこも同じ棚田の特性のため活用しづらいのだろう。耕作者の高齢化も一因のようだ。

それにしても何と見事な曲線なんだろ
う。とても人間が作り出した物とも思え
ないが、まぎれもなく人が作った田圃
なのだ。
人と天との合作かも知れない。

田圃の畦道で、風に吹かれながら、ぼんやりたたずんでいる小生をノアザミが笑っているかのようだった。彼らが主役の場、端のほうからそおっと覗かせていただこう。
2008年05月13日
帽子を脱いで
ナス科の果菜畑
ナイロンキャップを撤去しても保温対策はかかせない。このとき役に立つのがワラと籾殻だ。どちらも田畑の産物である。田畑で取れた物は又田畑に返してあげる、まさに循環型の農業かな。根の周りを籾殻で覆い、その上にワラを敷いてあげるのだ。地温の確保にかなりの効果があるようだ。雑草対策のマルチとしての効用もある。
トマト ナス
ピーマン
この畑では果菜類はこの3種のみだ。西瓜
やウリなどは谷間の農園に植えている。カ
ボチャやキューリなどはまだポットで育苗中
なのだ。
ニンニクや玉葱も掘ってみたら、と家人がう
るさい。茎や葉の状況からまだだというのに
成果品が早く欲しいようだ。
確かにスーパーでも野菜類はかなり高くなっ
ている。諸物価高騰の折、自家製の産物が
待ち遠しいのだろう。
作業ついでに空きスペースに種蒔きもしておいた。今からでも十分間に合ううまい菜と青シソだ。どちらも手がかからず簡単に作れる野菜。梅雨あけ位には収穫できるだろう。またまたご近所の奥様方行きかな。
2008年05月12日
薩摩国の芋
ナルトキントキは名前のとおりで徳島が原産地。なんでも、高知で開発された高系14号がご先祖にあたり、それを徳島で改良した新バージョンだとか。ほくほくした感触の中にもしっとり感があってとても食べやすい。ここ数年はナルトキントキばかり栽培している。家人やご近所にもだいぶ評判がいいのだ。隣組の奥様方にも食材として差し上げているのだが、食卓に並ぶ前に彼女たちの胃袋へと消えるらしい。何時の時代も同じようだ。
葉は少々しおれているが、鮮度はいいようだ。
まえもって畝立てだけはできている。もっとも棚田の跡のこじんまりとした農地ばかりだから、何ヶ所かに分散だ。雨の中、カッパを着込んで作業開始とあいなった。イモツルは全部で50本購入したが、準備した畝の面積には十分だろう。
サツマイモの栽培はいたって簡単だ。農作業の経験があまり無い方でもすぐに作れる。あまり肥料分のない、少々荒れた痩せ農地が適しているようだ。ちょっと高めの畝を作り、購入したツル苗を差し込んでいくだけである。植え方には、船底植え・水平植え・斜め植えなどがあるが、あまりこだわることはない。小生は単に斜めに差し込んでいくだけ。
ツルを植え込んで最初の間だけ水分があればいい。だから雨の前か、雨降りの最中に植え込むのだ。後は、どちらかというと晴天続きのほうが好ましいようだ。江戸時代に、飢饉時の非常食とも成り得た特性である。
このサツマイモに関しては、加藤まどかさんのおもしろい研究(「都会育ちの田舎暮らし」 4/30)がある。薩長土肥の4藩が明治維新を成し遂げ得たのは、じつにサツマイモのおかげだとの趣旨である。当時の経済力の指標は米の生産高。藩の石高に応じて兵士を抱えていたのだが、上記4藩は表にでないサツマイモの経済力で石高以上の軍隊を持ち得たからだ、との持論である。納得できる視点だ。ソ連邦が解体し、ロシアとなったかの国も経済はガタガタだが、国民が餓死せずに済んでいるは実にダーチャ(市民農園 ? )のおかげとの裏話も聞く。GDPだけ大きくて、国民が疲弊しきっている、どこかの島国はいかがな状況だろうか。興味がおありの方は左側の「お気にいり」からワープしてみて下さい。加藤さんのブログに簡単に飛べますから。
そうそう、サツマイモを植えながら例のラッキョウ畑をチラリとのぞいたら、タマゴが1個増えて6個になっていました。(拍手!)



