2008年06月30日
水守りさん
水稲とはよくぞ言ったものである。水を要する稲、まさにその通りで水がないと米が作れない。棚田を構築して山の上まで作っても、その上に水があっての話なのである。その貴重な水を巡って、古来、争いが絶えなかったとのこと。当地でも大和国と河内国との水争いの民話が残っている。結果、大和国に敗れ河内国に流れる水は少なくなったとか。現在の水越峠付近のことである。
米作りの最も貴重な資源なのだ。古来、争いの元。
水路の元口で分岐させ、我々の田圃の方へ水を引き込む。
上流の方で大量に使用されると我々の田圃まで水が来ない時がある。そういってケンカも出来ないが、取水を弱めてもらうか、時間の来るのを待つか。何せ水がなければ始まらないのだ。俗に言うザル田が多い当地では、水漏れも結構激しい。毎日の補給作業が日課でもある。米作りチームも、別段当番表などを作っているのではないが、各位が程よく出勤して水管理を行っている。
前日満水でも翌朝は干潟状態。水漏れが激しいのだ。
チームワークの良さというか、別段の取り決めがなくとも各位が必要な仕事を選択し、順次、こなしていく。ある者は草刈りに、ある者は妨害草の除去に、ある者は枝豆の植え付けに、ある者はモグラ穴の補修に・・・・・・・・やはり皆さん大人である。指示命令がなくとも必要な仕事を発見して、自ずから処理していくのだから。最高のチームかもしれない。これだから米作りが楽しいのだろう。
田圃も充分に冠水したようだ。水は多すぎてもダメなのだ。適量を。
水の落とし口。ここからオーバーフローしないように。
田圃には化成肥料と除草剤を散布している。水がオーバーフローすると両者が水路へと流出してしまう可能性がある。水は過不足無きように注入しなければならない。天候の問題もある。毎日の調整が肝要なのだ。毎日、田圃を見回って水の管理を行う、この仕事を水守りさんと言う。まさに言葉のとおりである。そうそう、除草剤を散布したことでとても気になっていたことがある。田圃の中の小さな命達だ。薬剤が強すぎて、ひょっとしたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・と気になっていたが。とても元気そうに泳いでいた。やれやれの一安心である。
やがて、食物連鎖の厳しい掟が現実問題となってくるのだが。
2008年06月29日
てんとう虫だまし
数日前にそっくりさんの話(ヒメジョオン)を書かせてもらったが、本日はそのパートⅡの話である。全くもって世の中にはそっくりさんが多いものだが、今回は極めて迷惑でやっかいな話である。実はナナホシテントウムシの話。無論ご存知のようにナナホシテントウムシは人間様を助けてくれる益虫である。別名を生物農薬とも言っている。だから彼のことではなく、彼のそっくりさんの事である。
噂の主は彼。彼の名はテントウムシダマシ。即ちナナホシテントウムシのそっくりさんである。
見れば見るほどよく似ている。知らない人が見たら彼をナナホシテントウムシと言うかもしれない。体色が濁ったオレンジなのと黒点の数が多くて大小様々なのが大きな特徴かな。ちなみに本物のナナホシテントウムシは下記の画像である。
こちらが本物のナナホシテントウムシなのだ。
本物のナナホシテントウムシは益虫で、アブラムシやカイガラムシなどの害虫を補食してくれる。人間様にとっては非常にありがたい助っ人なのだ。対して、テントウムシダマシのほうは野菜類を食害する極めつきの害虫である。特にナス科の野菜がお好みとみえ、ジャガイモやトマト或いはピーマンなどに集団で押し寄せ、一気に食い荒らしてしまう。彼らの被害にあったトマトをご覧あれ。見るも無惨な状況だ。Iさんの畑である。
トマトが食い荒らされ枯れかかっている。実を着けるのは困難だろう。
テントウムシダマシを駆除しようと思えば、薬剤を使うのが一番早い。やっかいなのは、どちらもテントウムシには違いないのである。従って薬剤を使用すると本物のナナホシテントウムシも死滅してしまう。味方を殺す訳にはいかないな。そうすれば、手で捕殺するかナナホシテントウムシにお出まし願うか、或いはダマシが飛来しにくい野菜環境を作るか、のいずれかの手法だろう。一般的に、連作障害が発生するとテントウムシダマシが来やすいようだ(彼はナナホシと違い草食性)。やはり健康的な野菜を作るのが一番の防御かな。
あまり見たくないのでボカしています。テントウムシダマシの大軍団です。
野菜類は基本的に連作を嫌います、特にナス科やマメ科はその傾向がきついようです。微量要素の欠乏等が主な原因と言われてますが、正確な理由は不明のようですね。植栽場所を毎年変更する或いは1年くらいは休耕するという手段が取れればいいのですが。狭い畑で年に数回も回して耕作すれば、どうしても連作となっちゃいますよね。今回のダマシの飛来も、ジャガイモ畑のあとにトマトやピーマンを植えられたのが遠因かなと推定していますが。
2008年06月28日
ビワ茶を作る
温暖化現象がかなり進行しているのか、きわどいようなニュースが流れてくる。怖いのは食料危機の可能性、どこかの評論家先生が、日本は技術大国だから工業製品を輸出してその代金で世界中から安い食料を購入すべき・・・・・・・・とか何とかわめいておられたのだが。食料を戦略物資として外交戦の取引材料とする国、輸出規制に走る国、干魃等で国内需要もまかなえなくなった国・・・・・・・他国への輸出どころではなさそうだ。我々ができることは食料の自給と代替食料の確保を図ること位かな。今回はAbさんご推奨のビワ茶にチャレンジしてみよう。お茶の自給が可能かも知れない。
どこにでもあるビワの木。これが原料倉庫なのだ。
できるだけ綺麗な葉を選んで採取しよう。
Abさんのご指導に基づき、まずは採取した葉を水洗いし、水気がなくなるまで乾燥させよう。この時、汚れや産毛或いは部分的な枯れ葉等は除去しておいたほうがいいだろう。
採取した葉はしっかりと水
洗い。この時汚れなどは除
去しておこう。
水洗いした後の葉は竹籠
等に入れて陰干しする。
しっかりと乾燥させるのが
コツかな。
しっかりと乾燥させたら、ハサミで適当な大きさにカッティッングしていく。昆布切りのような感じかな。
カットした葉をフライパンで煎っていく。全体がまんべんなく煎れるように何度もフライパンを上下させながら葉をひっくり返していく。香ばしい臭いが漂うまで続けるのだ。
フライパンで煎ったら竹籠に入れて再度干し、熱を冷ましていく。このさまし方がいいかげんだとカビが生えるそうだ。フライパンの熱がとれ、パリパリの状態になってたら完成。空き缶等にいれて保管する。
使用するときには適当な分量の葉をヤカンにいれ、5分~10分程度、沸騰させたらいいそうだ。どんな風味のお茶になるのか、まだ試飲前なのでなんとも言えないが。Abさん宅では日常的に使用しておられて結構おいしいそうだ。今回ビワ茶作りを初めてやってみたが、結構簡単に出来上がる。お茶の自給としてチャレンジされてはいかがだろうか。考えたくはないが、イモのツルで飢えをしのいだという時代が再びこないとも限らない。
2008年06月27日
たった1個のリンゴ
朝靄の中で木の葉の間から赤っぽい色が・・・・・・・あれ~何だろうと覗いてみると、なんと1個のリンゴが。数日前のカリンの話ではないが、リンゴも8年前に植えた樹木である。二本植えて花だけは咲くものの、いまだ実を着けたことはなかった。それが1個だけとはいえ、確かに実っているのである。間違いなしのリンゴだ。興奮を抑えながらシャッターを押す。まずはご覧あれ。
小さいとは言え、正真正銘のリンゴだ。
リンゴは北国の果物、果たして南河内で育つのか、実るのか、半信半疑の気持ちで植えつけたのだが。たった1個とはいえ、みごとに実ってくれた。それだけで感謝、感謝、である。リンゴについては、以前に青森のリンゴ農家木村秋則さんのことを紹介したと思うが、本来温帯湿潤な日本の気候で、無農薬(無消毒)で育つような果樹ではないのである。木村さんは不可能とも思えた無農薬・無肥料によるリンゴ栽培に成功された。木村さんにあやかった訳でもないが、小生も無農薬・無肥料でリンゴの木を育ててきた。まさか実るとは思ってもなかったのだが。
よくよく注意してみると、何と、かじられている。
どうも最初に発見したのは山里の小鳥達だったようだ。下半分がみごとにかじられている。たった1個だから、完全な姿を残していて欲しかったのだが。
おいしい部分は良くしっているようだ。
これで南河内でもリンゴが実ることがわかった。これからは心して手入れしていこう。まずは最初に整枝作業だ。6月が丁度作業シーズン、余分な小枝や葉っぱを除去してやろう。太陽光線と通風が必要なのはどの果樹も同じ、光合成が出来るように配慮してやらねば。晩秋以降には剪定作業が待っている。それに本式にリンゴを得ようとすれば、摘蕾作業や摘果作業なども必要だ。来年は忙しく成りそう、もっとも楽しみながらの忙しさだから、これまた感謝の一言かな。
「夜目遠目傘の内」ではないが、うっすらと見てる方がありがたいかな。
2008年06月26日
匠の技
当地はナスの栽培が盛んである。専業農家の数も結構に多い。もっとも、その大半はビニールハウスによる管理栽培で、いわゆる露地栽培をやっておられる農家は自家用を除き非常に少ない。今回紹介するのは、そうした数少ない露地栽培の農家さんである。花街道の途中にあるのだが、70代後半と覚しくご夫婦が二人でやっておられる。水を好むナスの性質にうまく適合させて棚田の一角を米作りではなくナス作りに活用しておられるのだ。
みごとなナス畑だ。欠株もなく生き生きと成長している。
他の野菜類もそうだが、ナスは特別に水分を好む。それに通風と太陽熱が必要だ。実がなり出すとそれなりに重くなり、枝に負担がかかる。こうした特質を理解した上で対応策を取らねばならない。
畝間には用水路が掘ってある。時々ここに水を流すのだ。
ナスは一本づつ針金で、支柱間をつなぐケーブルへと引かれている。実の重みで茎が垂れ下がるのを防ぐのだ。この対策をやっておかないと、実が垂れ下がり土まみれになって虫や病気にやられやすい。出荷用は色も形も美しく仕上げるのが基本。同じナスでも商品価値がころりと変わってしまうのだ。
ナスの幹は針金でケーブルに吊り下げられている。
張り巡らされたケーブル群。整えられたナスが一列縦隊だ。

田圃の畝間を回ってきた水は、ナスに十二分に吸収される。そして最後は用水路に落ち、次の田圃へと移動するのだ。同じ水が幾つもの田圃をうるおし、最後は川となって下流の街の水源となる。肥料や農薬に神経質にならざるを得ないのである。
ここから用水路へと落ちていく。
それにしても見事なナス畑である。ナスの特性を理解した上での植えつけ、支柱やケーブルの張り巡らし、水の流水通路、肥培管理・・・・・・何をとってもプロの技としか言いようがない。我々もナスを作ってはいるが、なかなかここまでは出来ない。毎日、車で横目に見ながら走っているが、ため息が出るばかりである。
耕作者は70台後半と推定しているが、経験を重ね、幾つになっても現役で活躍できるのは実にすばらしい仕事である。60歳とか65歳とか、定年の議論が喧しいが、本来は死ぬまで現役というのが理想だろう。もっともその前提には、各位の好むところと適するところ、という条件をクリアーする必要があるのだが。
何度見ても惚れ惚れする。いい光景だ。
2008年06月25日
カリン実る
貴重な2個のうちの1個。少々ピンボケなのはご愛敬ということで。
カリンの特徴なのか背丈だけは5メートル位もある。購入した苗木は1メートル弱だった。8年間でここまで成長したのである。8年前はまだ現役のビジネスマン、毎日仕事に追いまくられていた。畑に通えるのも月に数回がやっとで、野菜類の栽培は困難と思い、各種の苗木を植えたのだ。柿や栗或いは梅などはとうに実を提供してくれたが、カリンだけはまだだった。8年目の実りである。
こちらはプルーン。昨年から実を着けだしてくれた。
とんびくらぶでプラムに出会い、その甘さとおいしさに魅了されてしまった。早速植え込んだのがプラムの木、小さな苗木を購入し今年で2年目だ。各種の品種を取りそろえ、5本植え込んだが、背丈は2メートルにも成長した。内の1本に早くも実がついたのだ。
各種のプラムがきれいに5本並んでいる。プラム畑だ。
幹を生長させる時期で実は早いのだが。少ないので成らしてみるかな。
カリンはカリン酒やハチミツ漬けなどに活用できる。プルーンはもっぱら生食。プラムは生食とジャム作りかな。梅は梅ジュースや梅酒或いは梅干しに、甘柿は生食に渋柿は干し柿に、栗は栗御飯や茶碗蒸しなどに用いる。旬の時に旬の素材で食を楽しむのだ。全くの無農薬、無肥料で自然農に近い手法で育てている。それでもこうして立派な実りをもたらしてくれるのだから。大地の力はとても偉大なようだ。
柿の木もかわいらしい実を着け始めた。
2008年06月24日
ヒメジョオン
似たもの同士と言う言葉がある。いわゆるそっくりさんの事だが、人物と限らず植物の世界には多々存在する。ややもすると、そっくりさんと見間違えてとんでもない誤判断をしてしまうのだが、どうやら又やってしまったようだ。過去のブログで下記の花が1~2度登場していると思うが、確かノギク(ノジギク)として紹介していたようだ。少し考えればわかることだが、菊は秋の花である。春先から初夏に咲くものではなかった。
北アメリカを原産地とするヒメジョオン。異国からの渡来種である。
野辺を歩くと、あちこちに咲き誇っている。田畑の畦やちょっとした小道或いは道筋のガードレールの下などに咲いている。ちょうど今頃が開花期なのだ。ノギクと同じキク科に属するが、ノギクはキク科キク属なのにヒメジョオンはキク科ムカシヨモギ属に分類される。ノギクは在来種でヒメジョオンは外来種の相違もある。外来種の勢いが強いのはセイタカアワダチソウに限らない。ヒメジョオンをあちこちで見かけ、古来のノギクのように野辺に居座っている。誤判断してしまうのも無理ないか・・・・・・・・・・・・・と自己弁護。(苦しい)
図鑑をパラパラとめくっていて、偶然、気がついた。ノギクの開花期は10月~11月の頃。その常識をすっかりと忘れていたのだ。こういうそそっかしい男なので、他にも同じような事例があるかも知れない。間違い探しのゲームとして、このブログをご覧いただければ・・・・・・・・・・少々苦しい弁解かな。
世間的にはただの雑草ですが、きれいな花ですね。
こんな場所でも、したたかに生き抜いています。
図鑑によれば、ヒメジョオンとよく似た花でハルジオンという北アメリカ原産の渡来種があるそうな。全く同じような花で、違いは花びらに薄くピンク色がはいっているのが特徴だとか。開花期も4月~5月頃のようだが、まだお目にはかかっていない。似たものが多くて花の識別が大変だ。なかなか山野草が専門の方のようにはいかないな。少しづつ覚えていくこととしよう。
どうしても、菊に見えてしまいますな。
2008年06月23日
補植作業+除草剤
朝から土砂降り、当然本日の予定である「とんぶくらぶ」は開催中止となった。そのメールを見計らったようにUさんからの携帯コール、例によって田圃への出動指令だ。田植えから一週間、除草剤の散布時期にあたるのと、稲の補植作業が必要なので午後から集合との案内だ。田植え靴を準備し早めに昼食を済ませて田圃へと走る。さすがにUさんは到着済みで田圃を見回っておられた。
黙々と補植作業中のUさん。滅茶苦茶、腰が痛くなる。
欠株の補植作業と田草取りとを同時並行で行う。
セリやヒエといった稲の妨害草が結構発育している。これらを手作業で抜き取っていくのだ。腰は痛くなるし数量は多いし、気が遠くなるような単純作業である。いわゆる無農薬栽培とは、こうした作業を延々と繰り返すのだ。並の体力と気力ではできない話である。大半の農家が除草剤の魅力に負けるのも無理の無いことだと思われるだろう。我々もこうした作業を厭う訳ではないが、エンドレスで続ける訳にはいかない。しかし出来るだけ農薬には頼りたくない。そこらの折衷案で、毎年1回だけ除草剤を使用することにしている。俗にいう低農薬農法だ。
購入した秘密兵器。およそ3キロだ。
これを出来るだけ薄く広く均等に蒔かねばならない。熟練の技が要求される・・・・・ということでベテランの登場とあいなった。Kさん得意のフリフリダンスで順番にまきこんでいく。この作業は腰の動きが肝要だ。腰痛では出来ませぬぞ。
小雨の中で作業を続けていると、新婚のIkさんご夫婦が来訪される。とんびくらぶのフィールド巡りをして畑に立ち寄ったのだとか。本部から梅の実を、と言われてたようで気がかりだったのだろう。今年の梅は不作、やはり収穫はできなかった模様だ。
とんびくらぶのリーダーであるIkさん。フィールドから畑への立ち寄り。
新妻も控えめに付き添っておられた。
農作業も厭わぬ娘さんだそうだ。これ
からは強力な助っ人の下、二人三脚
でビジネスと農とに励まれろことだろ
う。
跡継ぎは農夫としての英才教育が始
まるのかな。どうだろうか。
2008年06月22日
花街道
ドイツにはロマンティック街道と称される妙なる名称のロードが存在するそうだ。数多のツーリストがここ目当ての種々のツアーを組んでいるところを見ると、優れた景勝地なのだろう。当地にも、花街道と呼ばれる(呼んでいるのは小生だけだが)花々が咲き競う、曲がりくねった里道が存在する。私宅から借用している農園までの20分程の道のりだ。野草があったり、里人が植え込んでおられたり・・・・・・・・・・季節事に種々の花々が咲き誇っている。この道を走るのは実に楽しい。スピードを落とし、風に吹かれながらのんびりと走る。
あちこちに咲き誇る花々。名を知らぬのが辛いとこだが。
青や赤が多いが、純白のアジサイもいいものだ。
ロマンティック街道がどういう場所なのか想像もつかぬが、多分に、花々に囲まれた風光明媚な景勝地なのだろう。当地も負けず劣らずと言えば褒めすぎか。それにしても、山里に住まれる方々が街道筋のちょっとした空き地や田畑の畦などに花々を植え込んでおられるのは実にいいものだ。住まれる方々のみならず旅人までも癒やしてくれる。特別な観光地はないが、時折来訪される歴史好きな訪問者もどことなくホッとした表情を示される。

それにしても見事な花々だ。どなたが植えられたのだろう。道の脇のちょっとしたスペースに植え込んである。花々がお好きなのは当然としても、美しさや心地よさを共に分かち合いたい、との慈愛に満ちた広い心根が感じられる。
6月はやはりアジサイが主役だろうか。
こうした花々を愛でながら毎日農園に通っている。GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)には全くと言っていいほど縁のない生活だが、ブータンの前国王が提唱されるGNH(国民総幸福量)には近いかもしれない。どのような生き方を選ぶかは個人の価値観によるが、少なくとも花々を愛でる時間ぐらいは確保したいものである。
2008年06月21日
里芋の引っ越し
3月の中旬に、里芋を植えたよとブログに書いたが、どうも生育が思わしくないようだ。赤芽大吉の品種が土地に合わないのか、栽培方法がまずいのか、小さな茎が伸びてるくらいで3ヶ月の発育にはどうみても思えない。嘆いても仕方がない。次の手はと考えてたら、丁度いい案配に、Uさんが里芋の群生を撤去するとか。早速一部を貰い受けすることにした。
Uさんの里芋軍団。昨年のイモをまとめて埋め込んでおられたのだ。
移植作業には少々大きいが、そんなことも言っておられない。ありがたく頂戴して植えつける事にしよう。10本程をいただき、レタスを撤去したスペースを里芋畑に改良しよう。耕耘機で土を起こし、中央部に溝掘りをして元肥を入れ込む。里芋はこの元肥次第。小生の場合、化学肥料と鶏糞がベースだ。
元肥を埋め込んだ後は籾殻で皮膜を作ってあげる。水分の蒸発防止だ。
UさんやKさんの里芋畑を覗いてみる。とても生き生きとして元気そうな里芋が成長している。確か植え付けは、小生の赤芽大吉よりもだいぶ後だったようだが。やはり栽培法に問題があったのだろうか。摩訶不思議な現象。
Uさんの里芋畑。茎や葉がすこぶる大きい。

Kさんの里芋畑。Uさんの畑をさらに上回る元気良さ。
小生の里芋畑はここの共同農園ではなく、谷間の農園にある。比較検討の為には谷間の里芋の写真を載せるべきだが、あまりにも貧弱で少々かわいそう。雑草の中に埋もれてしまっている。命はあるようなので継続して見守っていくが、正月前くらいに収穫できるかどうか。ナスが予想外に健闘してくれてるのと異なり、里芋は想定外の生育ぶりとなってしまった。来年に賭けざるを得ないかな。
思い当たることが一点。里芋は水分を好む。生育時にはせっせと水やりが必要なのだ。その点を重視して谷間の農園の水分が多い場所に植え込んだのだ。ただこの土地は水はけが非常に悪い。ひょっとしたら、水分が多すぎて(排水できずに)根腐れしてる可能性もある。水持ちが良くて尚水はけが良い、そんな土の状態を設定しなければならないが、これがなかなか至難の技で。
( おわび )
何だが画像がボーとしてシャープさに欠けるなと思っていたら、レンズが汚れていまし
た。気づかないで撮り続けていた己が恥ずかしい。見苦しい写真で申し訳ないです。
2008年06月20日
ハタの近況報告
梅雨時に入り、ぼちぼちと夏野菜が大きくなってきた。ナスやピーマンなどは初物のご相伴にも与っている。早いものである。つい先日に春野菜の収穫を行ったような気がするが。畑のあちこちで野菜達がおいでおいでをやっている。収穫してねの合図かな。順番に覗いてみよう。何れ劣らぬ元気者ばかりだ。肥料が良く効いているようだね。
初挑戦のスイカも順調に大きくなってくれている。
Uさんの畑ではもう大きなスイカがお出ましを。
トマトやナスなども立派な実を着けてくれている。ナスやピーマンは既に持ち帰り食卓に上っているのだ。今年はナスの出来が特にいいようで、6本しか植えてないのに充分な程の実を提供してくれる。ありがたいことである。山の神もすこぶるご機嫌で、夕食作りが楽しいようだ。
トマト ナス
トウモロコシ オクラ
ニンジン インゲン
作付けの種類は多いが、それぞれの分量はしれたものである。家族が消費する分とご近所に提供できる程度の収穫があれば充分なのだ。時には仲間の皆さんからの頂き物もあり、野菜類には不自由しない。店頭に並んでいるような立派な物ではないが、新鮮なのと農薬や肥料を含め経過がわかっているのがありがたい。一番安心できる食べ物かな。肥料といえば、中国の地震で化学肥料が高騰する可能性が非常に大とか。マスコミや店頭の動きにも注意が必要なようだ。
キュウリ ゴーヤ

梅雨時の若大将ものんびりと休息タイムのようだ。雨の合間の一時を楽しんでいるのかな。「そんなに急いで、どこさ行くのだね」・・・・・・・・・・・・・・・なんだかそんな台詞を語っているかのような。気のせいか。
2008年06月19日
プラスαの楽しみ
米作りは米を収穫することが目的であるが、他にも色々と楽しみが付加される。田圃の水の中には幾多の生命が泳ぎ回り、時には虫や蝶は言うに及ばず野鳥たちの飛来もある。サギなどの大型鳥がエサをついばむ姿も見られることがある。双眼鏡は必需品なのだ。でも一番の楽しみはやはり食べることかな。飲んべえさんにはたまらない枝豆である。丹波の黒豆といえば超高級品のマメだが、我々も同じような黒豆の枝豆を作っている。無論、発案者は例の新婚さん、Ikさんである。
主役は米なのだが、無論それだけではない。
枝豆は畑で作ってもうまくいかない。何故だろう。数年前には枝豆を畑作してアブラムシにやられ全滅した。他の方も似たり寄ったりのようだ。丹波の方はどのようにして作っておられるのだろうか。一昨年位から、農学部出身であるIkさんの提唱で、田圃の横の畦で作るようになった。畦を少しだけ掘り、その中にぬかるんだ田圃の土を入れ込む。その土に枝豆の苗や種を植え込むのだ。こうすると不思議と良くできる。昨年は大豊作だった。
左側が田圃、右側が畦。泥土の固まりが枝豆の寝床となる。
黒豆の苗を作っていたので、早速畦道に植え込んでみる。自宅でのポットより、やはり畦道のほうが快適そうだ。早生の品種なので、米の収穫前に枝豆でのビアパーティとなるかな。
枝豆君もどことなくうれしそうだ。水を得た魚かな。
当然準備したポット苗だけでは不足してくる。そこには買ってきた枝豆の種を、直にまいていく。今からでも十分間に合うはずだ。数日後は雨とかの予報が出てる。丁度いい案配かもしれない。
田圃の土を入れ込んだ場所に3粒~5粒づつ種蒔きしていく。
どうやったら、うまいビールが飲めるか。人間にとって永遠の課題かもしれないな。もっともポピュラーなのは、肉体労働の後のビールであろう。畑や田圃で汗を流し、一風呂浴びてから枝豆をおつまみにちょっと一杯・・・・・・・・・至福の一時かもしれない。これ以上の喜びが他にあるだろうか、とすら思えるだろう。そのビールが近年高くなって、発泡酒や第三のビールで代用せざるを得ないところが辛いとこですね。勤労者のささやかな楽しみを奪わないで、と訴えたいが。
2008年06月18日
早苗立ち並ぶ
午後から時間が取れたので田圃へと急いだ。水の状態が心配だったのだ。そうすると、あらまあ、早苗が立ち並んでいる。どうしたものやらと思っていたら、KさんやUさんがニヤニヤと笑っておられる。昨日、植えといたからな・・・・・・・静かな言葉が返ってきた。昨日の日曜日は私用と自治会の役員会があって田圃には来れない、と語っていたのをしっかりと覚えておられ、電話連絡もなかったようだ。丁度、田植機も借用できたようで、KさんUさんIさんで田植えを実行してくれはったそうだ。
田圃一面にみごとな早苗が立ち並んでいた。
それにしてもにくい面々である。年齢的には小生よりも数段年輩の方々ばかり、結構な肉体労働をこなしながら、「植えといたで」と静かに語り、にこやかに笑っておられる。さすがに大人の男である。おまけに堀り立てのジャガイモまで焼き込んであった。料理上手なKさんがダッジオープンで石焼きイモを作っておられたのだ。
今年は苗の配分がうまくいき少々余ったようだ。
焼きたてのジャガイモを頂く。師匠のNさんも仲間に入り、ゲストハウスでしばしの休息。この地で永年暮らしてこられたNさんが、地元の風習や過去の米作りなどを語ってくださる。貴重な経験なのだ。在野の民俗学者、宮本常一さんになったような心境で皆が聞き込む。数十年前までは当地も冬場は相当な雪だったらしい(今では想像できないが)。雪合戦やソリ遊びの話、猪子祭りや河内音頭の踊りなど次々と地元の風俗が現れ、時間のたつのも忘れてしまう。
規則正しい足跡が。田植機を使い直線で歩いた痕跡かな。
夕日が田圃を照らしてくれる。いつ見ても心なごむ風景だ。
ひ弱そうに見えるが、数ヶ月後には立派な実りをもたらしてくれる。
今年もどうやら田植えが実施できた。年に一回しか出来ない貴重な経験なのだ。特に我々のように、年齢を重ねてから農を始めた人間にとって、とりわけ貴重な作業となる。出来る回数もカウントダウンなのだ。あと、希望するのは若い世代が同じ想いで米作りに参加していただくことである。米があってこそ、この国と国土は保っていける。是非にとご参加を呼びかけたい。
今日も葛城山が静かに見守ってくれる。

2008年06月17日
熊野路からのメッセージ
先日、毎日放送のテレビで「住人十色」という放送番組があり、仲間のKtさんご夫妻が出演されていた。彼の地をつれあいと訪ねたのは、もう数年前の話である。農家レストランという聞き慣れない名称に、興味津々で熊野へと車を走らせたのだ。龍神のトンネルで電話して、と忠告されていたのをすっかり忘れ、細い山道を四苦八苦しながら訪ねたのも懐かしい思い出である。画面で拝見したお姿は、すっかり白い物が増えられたが、とてもお元気そうだった。シアワセ・・・・・という一言で全体が表現できるような生活である。
熊野路は青と緑の世界だった。
ご夫妻とお会いするまでは、農家レストランなるものがどんなものか見当もつかなかった。訪問して、自家製の野菜や鶏卵或いは野山の恵みなど、地域でとれたものを素朴な味付けで調理していただき、おいしいコーヒーまで頂戴する頃にはすっかりとくつろいでいた。聞いて驚いたが、ご夫妻は同じ街の隣の団地の方であった。不思議なご縁である。里山倶楽部で数年間の事前準備を行い、田舎暮らしを始めたのだとか。
風貌は仙人に近づかれたような。 敷地は1600坪。十分ですな。
レストランへのお客様。 ここで御飯を。

里山倶楽部に集う面々も動機は様々である。中にはKtさんご夫妻と同じような発想の方もおられるかも知れない。現に地方に移り住み農業や林業に従事されてる方も多々おられる。我々は都会の中の田舎暮らし派かな。純粋田舎暮らしではないが、それなりに田舎暮らしを満喫している。要は個人の充足感、平たく言えば満足できてるか否かであろう。形は様々でいいのだ。
セルフビルドの昼寝小屋。階下はサウナ風呂。
お昼寝タイム。静かな午後のひととき。
数年間の時の経過が、あっという間に縮まってしまった。貴重な映像とともにご夫妻の近況を提供していただいた毎日放送には感謝したい。画像の撮り方はさすがにプロで、実際の現地よりも美しく思える程だった。
夜にはお昼寝小屋が宴会場に早変わりとか。
Ktさんご夫妻のこうした生活を拝見していると、ヒマラヤの小さな仏教王国ブータンのことを思い出す。前国王がGNH(国民総幸福量)という新しい座標軸を提唱された事で注目を浴びる国家である。九州ほどの国土に60万位の人口、モンゴロイド系なのか昭和20年代の日本人を想像させる風貌や風俗習慣・・・・・・・・・近い親戚なのかもしれない。同国では国王の方針に則り、伝統文化や自然環境の保護、教育や保健・医療等に力を注いでおられる。近代文明の恩恵に浴した我々が、富の生産と蓄積 (平たく言えば、どんだけ札束を稼いだか) を価値基準としたのと180度方向が異なるようである。21世紀にはいった今、ブータンやKtさんご夫妻が発信されるメッセージは、我々に何を問いかけているのだろうか。
熊野路は静かな夕闇につつまれ、1日が終わっていく。
2008年06月16日
水瓶の設置
先般Kさんにいただいたリタイア後のお風呂、ようやく補修が終了したので畑へと運んだ。ガス管用の穴はハガキがはいっていたプラ箱を切り開きボンドで貼り付けた。内側からは水圧で押さえ込むので、多分、大丈夫とは思う。急な坂道をヒイヒイ言いながら運び、水源の近くに設置することにする。
いただいたお風呂。谷間の農園で第二の人生を。
四苦八苦しながら補修した。多分、大丈夫とは思うのだが。

谷間の農園では用水路がない(形はあるが機能していない)。従って天水頼みの農作業なのだ。ただ上段の棚田から染み出た水が少々たまる窪みは存在する。その横に設置しようと思う。染み出た水を少しずつお風呂にため込む予定だ。雨の日はそのまま降り込んでいただきたい。
丘の上の棚田から染み出た貴重な水。水があっての農作業なのだ。
半地下方式に埋め込んだ。これで固定されるはずだ。
お風呂一杯に水をため込んでおけば、少々日照りが続いてもまずは大丈夫。農作業にとって水の不存在ほど怖いものは無い。少しづつでも水の補給ができれば野菜類は育ってくれる。そのうちに雨も降る。今までは18リットルのポリタンクを8個ほど並べ水を保管していた。こうした苦労からも解放されるだろう。いただいたKさんには、ただ感謝の一言である。
左下が貴重な水源だ。棚田からの染み出た水である。
雨樋のように自動給水といかないところが、この方式の唯一の欠点である。もっぱらバケツでお風呂への給水としよう。梅雨時のことでもあるし、雨がふれば自動的に一杯になるさ・・・・・・・・・少々楽観的すぎるかな。もっともノーテンキな性格でないと農作業も継続できないだろうな。
2008年06月15日
代掻き作業
今日は朝から激しい雨、こんな時は漬け物作りをやろうかとラッキョウの薄皮むきにかかる。しばらく作業してると携帯の呼び出しコールが。早朝からかけてくるのはUさんだろうなと思っていると案の定。今から代掻き作業をするので田圃まで出動出来ないかとのお誘いの言葉。何でも、倶楽部の社長に電話したら、雨だから使う人もないだろうと快くトラクターを貸してもらえたとか。ありがたい事である。今日は孫娘の子守当番も兼ねているので、午後から出動する旨返事をして作業を続ける。
Uさんの勇姿。農機具の操作はお手のものだ。
昼食後、子守を連れあいにバトンタッチして田圃へと急ぐ。田圃では既にUさんとKさんとで作業が進んでいた。米作りにとって、耕耘作業と代掻き作業とは、田植えの前の重要な任務である。代掻きの目的は、田圃の均平化と土を田植えできる粘度にこねる事にある。昔の方は牛と鋤とでやるのがせいいっぱいだったのだろう。トラクターや耕耘機が使用できるようになった今でも結構な重労働である。
田圃の中に島が出来やすい。機械があっても手作業は必要不可欠なのだ。
道すがらの観光客の方が話しかける。昔は米作りしていたけど大変だった、今も作られる方がいらっしゃるのね、との内容である。年齢的には70台後半くらいだろうか。米作りが無くなったらこの国は消滅しまっせ、と冗談半分に応答する。我々が米作りしてるのは、借地で約一反位のちいさな田圃である。地主のおじいちゃんは高齢で数年前に農作業をやめられ、我々に後事を託されたのだ。誰かが続けないと田圃は原野と化してしまう。荒れはてた田圃を元に戻すのは難しい。食料が戦略物資として外交戦の取引材料にされてる昨今、手前の食料は自分たちで確保しないとね、例えわずかな量であっても。
ほぼ水平が取れたようだ。島も無くなった。
午後5時過ぎに全ての作業が終了した。まだ太陽は残っており結構明るい。夏場はこれだから助かる。用水路を調整して、田圃からの自然漏水分位を補給できる程度の水量体制とする。化学肥料を埋め込んでいるので、水で流されないようにするためだ。後は借用してるトラクターを洗い、返却に向かうだけだ。
夕日が田圃を照らしてくれる。いい光景だ。
確かに経済合理性から考えたら、米は作るより購入した方が得策だろう。原価計算をすれば、例えば、時給800円也のパートでもやってその代金で米を買うほうが安くつく。機械を使える今でも、労働の厳しさが無くなった訳ではない。ある意味アホか、と呼ばれる精神がないと出来ない作業かもしれないな。少々堅い話になってしまうが、国際情勢を考えるとこの国はこれでいいのかなと思えることが非常に多い。食糧問題などその典型だろう。中国やインドなど新興国(失礼)が輸出国から輸入国へと転じ、ビルマやタイ、或いはブラジルなども輸出規制にかかっている。オーストラリアなどは大旱魃だ。どこでも自国民の食料確保が先決なのは当然だろう。おまけに生活水準の向上で、米と味噌だけあれば、の生活は困難だろう。食の自立無くして国家の自立はありえないと考えますが、皆様はいかがでしょうか。
2008年06月14日
ラッキョウを漬けよう
収穫して持ち帰ったラッキョウがおよそ4キロ程あった。早速つけ込むことにしよう。ラッキョウは漬け物以外には利用方法が思いつかない。もっとも毎年の収穫が3~5キロ位だから漬け物だけで十分かな。ラッキョウをつけ込むには事前準備が必要で、これが結構めんどくさい。1個単位で根と上端を切り、薄皮を剥がねばならないのだ。手は真っ黒になるし、腰は痛くなるし、で単調な作業をこなしていく。
結構たくさんの収穫があった。Kさんの分は別途手渡し済みだ。
手を真っ黒にしながら、1個1個薄皮を剥いていく。気の遠くなるような作業なのだ。商品としてのラッキョウ漬けはどうしてるのだろう。機械加工だろうか。
薄皮を剥いたラッキョウは水洗いしザルに盛って天日干しを行う。水気を切るためだ。程よく乾燥したら、漬物用のガラス瓶と専用の漬け物液を準備する。最近はすべからく便利な物が多くて、ラッキョウを漬けるだけで済むように専用液が開発されている。商品名を「らっきょう酢」といって一袋1キロ用で400円程度。この液をガラス瓶にいれ、ラッキョウを放り込むだけの簡単さ。料理が苦手な小生でも簡単に作れるのが大きな特徴である。
ラッキョウは水洗い後に天日干しを行う。

街には、漬け物専用液が販売されている。中身は醸造酢、砂糖、ハチミツ、食塩、昆布などで、ラッキョウ漬け専用に開発されたもののようだ。よくしたもので毎年6月頃になるとスーパーの店頭に並んでいる。似たような商品が多くのメーカーから販売されてるようなのでお好みで選んでもらえれば。
天日干しが終了したラッキョウをガラス瓶の中に入れ、上記の専用液を注ぎ込む。1個のガラス瓶で丁度2キロがセットできた。あとは冷暗所に保管し、時々揺すってあげるのだ。上記ラッキョウ酢の説明書では、2週間くらいで食卓への提供が可能との話だが、某氏によるともう少し寝かした方がおいしくなるとか。そこはそれ、各位のお好み次第ということで。皆様もお試しあれ。
準備が完成しました。熟成待ちかな。
2008年06月13日
つかの間の収穫
梅雨時は天候が不安定だ。天気予報は言うに及ばず、観天望気で今日の動きを予想する。数時間でも雨の晴れ間が予想できれば畑へと急ぐ。最近の日課だ。キジ君が巣立ったようで、ラッキョウも掘り頃。ジャガイモも掘り頃、白カブも出来てる模様。収穫を急がねば。特にジャガイモは家人から、まだかまだかの催促コール。スーパーでも高いようだ。この物価高の折、家計を預かる身としては、自家製の食材に頼りたくもなるのだろう。さっそく掘り出しに参りましょう。
ジャガイモは茶色に変色し茎は倒れている。掘り頃のサインだ。
鎌を使って茎を切り払ってしまう。この方が掘り出しやすいのだ。全部を掘ろうかとも思ったが、保管場所がない。当面必要なバケツ2杯分位を掘り出すことにする。大小種々のジャガイモが出てくる、品種はダンシャクだ。3月当初に植え込んだから3ヶ月程の栽培期間か。ありがたい食材である。3~4ヶ月くらいで収穫できて主食として使えるのはジャガイモ位かな。お助けイモとも呼ばれるはずである。
あまり肥料もやってないのに、立派なジャガイモが。
横のカブ畑からも、収穫においでおいでの呼び出しコールが。植えつけたのは小カブの種だったが、結構おおきくなっている。これまた立派な食材として活躍しそうだ。
最後は、やはりキジ君の出産場所だったラッキョウ畑だろう。ラッキョウは漬け物として利用する。加工の手間がはいるが、食欲増進剤として特別な任務を担ってくれる。昨年もつけ込んだが、あっという間に無くなった。今年はどうだろうか。Kさんもお好きなようだから、お裾分けの分を袋に詰め込んでおこう。午後にでも共同農園を訪ねてみよう。多分、しんどいなあ~と言いながら作業しておられるはずだから。
結構立派な実がはいっていた。いい漬け物になりそうだ。
雲行きが怪しくなってきた。どうも雨になりそうな気配だ。共同農園に回って、うまくKさんに手渡しできればいいのだが。梅雨の合間は、こうしてお空とにらめっこしながらの、きわどい作業が続いていく。なかなか1日とおしで作業できる日は少ないのだ。少ない時間を有効に活用しなければならない。稲の幼苗も順調に生育してるようだ。こちらも苗と天候とにらめっこしながら、田植えの準備を進めねばならない。雨とはいえ休んではおられないのだ。
2008年06月12日
旅立ちの記
キジが抱卵を初めて二十日以上になる。なんぼなんでも雛は誕生してるだろうとの想定で、こっそりとラッキョウ畑に近づいた。親鳥はいない。薮をかき分けそおっと草を広げると、タマゴのかけらが転がっている。2個だけはタマゴのままのようだ。雌キジの抱卵前に確認したときは、確か7個のタマゴがあったようだ。結果から分析すると、2個のタマゴがそのまま残り、4個が割れている、1個分が不明。想像するに4羽の雛は誕生したようだ。2個分が失敗、残り1個分はどうしたのだろう、カラスなどに襲われたのだろうか。
2個のタマゴはそのままだ。誕生できなかったようだ。
少し離れた場所にも割れた卵が広がっている。
タマゴの割れ方からして4個分のタマゴからは無事に雛が誕生したようだ。3個は諸般の事情で誕生できなかったのだろう。親キジはどうも小生の谷間の農園を縄張りとしている模様。数年前にも似たような事件があった。そのときは抱卵したばかりのようで、小生が気づかずに刈払機で雌キジの体に迫ったのでびっくりして飛び出したのだ。タマゴだけが残ったが、次の日に訪問したときは無くなっていた。親キジが別の場所に移したようだ。
さて小生の農園では、農園と道路との間に小さな森が存在する。その近辺からどうもキジの親子らしい鳴き声が時折に聞こえてくる。抱卵していたのが小生のラッキョウ畑だったので、子どもの養育には不適と考え、どうもこの森に雛を移した模様だ。キジの世界にも、孟母三遷の教えがあるのだろうか。
この森の中からキジの親子と思える鳴き声が。
何れにしてもキジの出産は終わったようだ。これからはもっと厳しい子育てが始まる。天敵も多いだろう。4羽と思える雛たちが無事に育ってくれるか、不安はあるが、彼らの生命力に期待する他はない。ラッキョウ畑も収穫期、明日にでもラッキョウを掘り出そうと思う。
2008年06月11日
6月8日定例会報告ー2
交代で草刈りを行った結果、だいぶ軽やかな風景となった。まだまだ草刈りは続けねばならぬが、昼ご飯としよう。雲がでるかと思いタープは張らなかった、これが失敗、結構暑いのだ。まだまだ快適な空間の設立にまでは至っていない。刈払機の台数を増やすこと、快適な居場所を作り上げること、この二点が当面の課題だろうな。それにしても蒸し暑い。
楽しみの昼ご飯だ。例によって手作りオヤツの差し入れが。
午後の部は草刈りの継続とお茶作りだ。実はフィールドの一角に茶の木を植えている。毎年6月にはここでお茶葉を摘み、製茶を行うのが伝統なのだ。当地付近では土地の境界線に茶の木を植える風習がある。このフィールドもその風習にならっているのだ。講師はリーダーである新婚のIkさん、彼は農学部出身だけあってこうした作業はお手のものだ。
収穫した茶葉を水洗いし、蒸し器で蒸し上げる。皆さん毎度のことで手慣れたものだ。
蒸したお茶を押しきりでカットしていく。Isさんの担当だ。
こうした手作業でのお茶作りは結構楽しい。それに出来上がったお茶がまた格別おいしいのだ。手間暇かけた手作りのおかげだろう。食にうるさいイタリア人がスローフードの提唱を行うはずだ。アメリカ仕様のファーストフードからは文化の深みは生まれないのではなかろうか。
木陰の奥からは刈払機の爆音が響いてくる。作業部隊が草刈りを継続してくれてるようだ。台数がもう少し多ければ効率的に動けるのだが。金剛山もよく見える。いつみても美しい山だ。多くの人が心惹かれ、毎日のように登り続けられるはずである。そういう小生はとんとご無沙汰しているのだが。今年の会費もまだ支払っていない。近々に訪問しないとね。れんげ祭りの折にしようか。
そうそう今回はいいことがあった。冬場にKさんが接ぎ木の実演を行ってくださったが、その結果が見事に出ていたのだ。接ぎ木が活着し、若々しい青葉となっていた。命みなぎる初夏、まさにそんな感じである。これで一つの技術が確立出来そうだ。これからは多くの樹種を増やし、この森が果樹に囲まれた、豊かで楽しいフィールドになることを願っておこう。そして鳥や蝶や動物や人や花々や・・・・・・・・・・多くの命がともに共生できることを。



