2008年07月17日
滝畑の里
今日は南河内の奥座敷、滝畑の里を訪ねてみよう。ここは平家の落人集落の伝説が残る土地である。ということは、交通不便な人跡未踏に近い雰囲気を持った里であったようだ。がらりと変わったのは、昭和55年に完成した滝畑ダムによる。石川の上流域である川沿いに小さな集落が点在していたが、大半が水没し、高台へと移転されたのだ。現在はダム湖畔に立派な道路も造られ、キャンプや紅葉狩り或いは水遊びなどでたいそうにぎわっている。ただ草深い深山幽谷の趣は、今も尚漂っているかのようだ。
現在も山は深く地形は厳しい。川沿いに細い山道が和歌山へと続く。
高台の丘に登ると、河内長野市教委のふるさと文化財の森センターがある。集落にあった茅葺き民家を移設し資料館としたものだ。担当者のUrさんがとても気さくな方で、手すきであれば土地の風俗や慣習或いは古民家の話などを語って下さる。地場産業であった竹細工の講習などもやっておられるようだ。当地が何故、爪楊枝の産地であったのが疑問だったが、彼の説明でよく理解できた。かってこの地は材料であるクロモジの木が大量に存在していたようだ。そして今は杉・檜の植林やメイドインチャイナの席巻によって次第に弱体化しているとの話も。
田の字形の部屋割りは風通しがよくとても涼しい。昼寝の場所に最適だ。
別棟の資料館には古民具などが展示してある。当地が炭焼きや林業で栄えた往時の名残であろうか。狩猟や農業はあまり行われていなかったようだ。おもしろい道具も見つけた。「ぶりなわ」といって、木登り専用の簡易な用具である。これを使って枝打ちや木の実取りなどを為さっておられたのだろうか。
ぶりなわ ノコギリ

鎌とハサミ。茅葺き屋根の修復道具のようだ。
この古民家は当地独特な建築らしく、玄関が妻にあり、はいってすぐが台所となっている。下記画像の白い部分が正面玄関である。隣のへっついさんが、今で言うシステムキッチンであろうか。湯沸かしの大釜と蒸し器がのっかていた。土間の横にはあがりこまちがあり、囲炉裏も切られていた。作業から戻っても、わらじがけのままで休息や炊事が出来るような配慮であろうか。
囲炉裏端から正面玄関とへっついさんを見る。

里を一変させた滝畑ダム、大阪府の手によって昭和55年に完成した。治水目的だろうが、農業用水と河内長野・富田林の水道用水にも利用されているようだ。他のダムと異なり、水面に流木等がなく湖水がとてもきれいだ。岩湧山からのわき水が水源なので、両市の住民の方は安心して飲用できるだろう。生水が飲める環境を、何時までも維持していきたいものである。
滝畑ダム。とてもきれいな湖水だ。
現在も山は深く地形は厳しい。川沿いに細い山道が和歌山へと続く。
高台の丘に登ると、河内長野市教委のふるさと文化財の森センターがある。集落にあった茅葺き民家を移設し資料館としたものだ。担当者のUrさんがとても気さくな方で、手すきであれば土地の風俗や慣習或いは古民家の話などを語って下さる。地場産業であった竹細工の講習などもやっておられるようだ。当地が何故、爪楊枝の産地であったのが疑問だったが、彼の説明でよく理解できた。かってこの地は材料であるクロモジの木が大量に存在していたようだ。そして今は杉・檜の植林やメイドインチャイナの席巻によって次第に弱体化しているとの話も。
田の字形の部屋割りは風通しがよくとても涼しい。昼寝の場所に最適だ。
別棟の資料館には古民具などが展示してある。当地が炭焼きや林業で栄えた往時の名残であろうか。狩猟や農業はあまり行われていなかったようだ。おもしろい道具も見つけた。「ぶりなわ」といって、木登り専用の簡易な用具である。これを使って枝打ちや木の実取りなどを為さっておられたのだろうか。
ぶりなわ ノコギリ

鎌とハサミ。茅葺き屋根の修復道具のようだ。
この古民家は当地独特な建築らしく、玄関が妻にあり、はいってすぐが台所となっている。下記画像の白い部分が正面玄関である。隣のへっついさんが、今で言うシステムキッチンであろうか。湯沸かしの大釜と蒸し器がのっかていた。土間の横にはあがりこまちがあり、囲炉裏も切られていた。作業から戻っても、わらじがけのままで休息や炊事が出来るような配慮であろうか。
囲炉裏端から正面玄関とへっついさんを見る。

里を一変させた滝畑ダム、大阪府の手によって昭和55年に完成した。治水目的だろうが、農業用水と河内長野・富田林の水道用水にも利用されているようだ。他のダムと異なり、水面に流木等がなく湖水がとてもきれいだ。岩湧山からのわき水が水源なので、両市の住民の方は安心して飲用できるだろう。生水が飲める環境を、何時までも維持していきたいものである。
滝畑ダム。とてもきれいな湖水だ。



