2008年07月31日

競り勝つラッキョウ

先日、エシャロットについての記事をかいたが、昨日まで悩んでいた。いろいろと調べてみると、フランス料理などで使用される本来のエシャロットはタマネギの変種でニンニクのように鱗茎が分離するそうだ。それが、いろんないきさつから早取りラッキョウにエシャロット又はエシャレットなる名称が付けられ、販売されるようになったとか。今更、改名もできずそのまま販売されているようだ。従って市販のエシャロットの球根はラッキョウと理解し、それならば単価の安いラッキョウの購入をということで決着した次第である。

        毎年のことながら、植え付けと収穫は楽しい作業である。


購入したのは1キロのラッキョウ。商品化の予定がなければ、個人家庭なら1キロで十分だろう。ラッキョウは稲の分けつと同じで、1個の球根が5倍から10倍程度に増殖してくれるのである。何とも親孝行というか人間様にやさしい健気な野菜である。1キロの購入分を分離して数えてみたら、110個ほどの球根がはいっていた。
  
      


畝立ては既に終了している。後は畝に溝切りを行って元肥を埋め込むのだ。小生の場合は、鶏糞と有機石灰と化成肥料を使用しているが、相対的に控えめの分量だ。収穫期が来年の6月だから、10ヶ月分を見込んだ元肥が必要だな。

                こまめ君の活躍で畝立ては完了している。
 
          元肥を埋めこんだところ。10ヶ月分持ってくれるかどうか。


今年はラッキョウ畑でキジが子育てを行った。来年はどうだか不明だが可能性はありうる。できるだけ安全地帯にと思い、今年より3段ほど上部の棚田に移し替えた。ここなら方丈庵(小生の野小屋)からも離れているので、キジも安心だろう。さて来春もキジは子育てをしてくれるかどうか。楽しみでもあり不安でもあり。草刈りも控えめにして少々ブッシュ状態を残しておくとするか。

           植え付けが完了したラッキョウ畑。キジはくるだろうか。



  

Posted by とんび at 05:16Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月30日

トウモロコシの終焉

毎年トウモロコシを作っているのだが、今年は完全な不作のようだ。雄花も枯れかかり、幹もくすんできたので一部を収穫してみたが、まるで実がはいっていないのだ。外観上は通常のトウモロコシと何ら変わらない。皮をもいで中身をあけて、あらら、となってくるのである。バイオ燃料に使われるのを嫌ったのかな。 

             茎もくすんで枯れかかっている。最終期かな。
  
             雄花は完全に枯れたようですね、使命全うかな。

外観上は普通に実がついており、この段階ではトウモロコシの湯がきを楽しみにしていた。下記の画像をみていただきたい。スーパーで販売されてるのと何ら変わらないと思うのだが。



さてチェックしてみよう。皮をもいではだかんぼうにしてみる。ふむふむ、結構実が詰まっているな、と解釈したのだが。自宅に持ち帰ると早速ブーイング。こんなの食べられへんで、持って孵らんといて・・・・・・・・とのたまうのだ。 

         もぎたて、むきたて。                  チェック用
 

拡大して点検すると・・・・・・・ムムム。粒が空洞状でなにやらペシャンとしている。市販のトウモロコシは1個づつの粒がもっとふっくらしている、明らかに栄養失調の人間様みたいだ。

 


百姓仕事の師匠のNさんが以前に語っておられたのを思い出した。トウモロコシやナスは肥料食いだぞ・・・・・・・・・と。一応セオリー通りに元肥をいれこみ追肥も数度行ったのだが、足りなかったのだろうか。小生の場合、基本路線として地下水汚染を極度に嫌う。水が命の基本と認識するからだ。従って肥料の散布も野菜類が吸収出来る範囲と考えるので、結果的に少なめとなってしまうのだろうか。すぐ隣の場所で作っているトマトの画像もアップしておきましょう。同じような栽培で、こちらは出来すぎぐらい、ご近所への配布も十分過ぎる程とれました。無論、肥料などはトウモロコシと同じような提供具合です。



後日談となるが、Kさんとこの件で話していたら、そらあんた水不足でっせとのご意見。トウモロコシは乾燥地帯が栽培地なので水はあまりいらないのでは、と考えてたのだが。彼の意見では、トマトと異なりたっぷりと水やりする必要があるとのこと。特に今年は空梅雨みたいな状況だったので必要十分な水分が確保出来なかったのだろう、との診断であった。トマトは水分を嫌うので同じ場所で作ってもいい結果を生むのだとか。 

           Kさんの勇姿。キャリアの違いは如何とも。教わることばかりだ。

  

Posted by とんび at 05:22Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月29日

岩湧の森ー2

岩湧の森を構成するもう一つの施設である四季彩館を訪ねてみよう。ここは河内長野市の市教委に所属する教育施設のようである。無論、住民の方の野外活動を支援する拠点施設でもある。常住スタッフもおられ、何かと相談にものっていただける。定期的な講習会やイベントなども開催されているようだ。標高が結構高い場所にあるので、涼しいことが何よりのご褒美だろうか。広々としたウッドデッキに座っていると、ゆったりとした時間が静かに流れていく。
  
                四季彩館。ログハウスの素敵な建物だ。

           涼やかな風に吹かれてのお昼寝に最適な場所かも。


四季彩館はまた岩湧山の登山基地ともなっている。ここから岩湧山まで1時間から1時間半くらい、直登ルートと迂回ルートの2本があるようだ。訪ねたときも堺市からバイクでこられた年配の登山者に出会った。退職後に健康管理のため週に3回ほど登っているとか。7時頃自宅を出発、登頂後に四季彩館でゆっくり休憩して昼までには自宅へ戻るそうだ。

         四季彩館の内部。右端は休息される堺市からの登山者。


この地を愛する人は多いようだ。四季彩館の内部には資料や書籍等が保管されているのだが、個人で作られた写真集が結構多いのである。この地に通い詰め、写真を撮り続けた方が、お気に入りのものを写真集としてまとめ寄贈されたのだろう。思わず引き込まれてしまう写真も少なくない。相当な時間と労力が費やされているのだろう。

        アジサイが最盛期だ。                  庭園からの眺望

 

付近は閑静な森の中、先日の岩湧寺もお隣である。清冽な沢水の流れもあり、1日をのんびと過ごす場所としては最適かもしれない。出来れば岩湧山に登山後、四季彩館でゆっくりとお過ごしいただければ。内部に保管された資料や書籍を見てるだけでも楽しいですよ。

              スズメバチの巣。民家に作られた本物です。
    
                        清冽な沢の水


帰路の道中では大江時親邸の跡を見つけました。彼は楠公さんこと楠木正成の軍学・兵法の師匠にあたられる御方です。正成少年(幼名は多聞丸)は馬にのって千早赤坂から草深いこの地まで学問の修得に通ったのでしょうか。車で走っても結構な距離です。一途な向学心が伺えますね。

  

Posted by とんび at 05:25Comments(2)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年07月28日

クヌギよ健やかに

ここはとある団地の法面です。仲間達と「桜とリスの住む森作り」を始めてもう数年になるでしょうか。植栽は比較的簡単なのですが、後のメンテナンス作業が大変ですね。苗木が根を張り、自力で生き抜いていくまでは、人間様の手助けが必要となってきます。年に数回、定例日を決めて育樹作業を行っていますが、真夏の炎天下では行動も鈍ってきます。それでも子ども達やお母さん方或いは地元小の校長先生なども参加され、今月も作業を行いました。

               眼下には緑豊かな里山が広がっています。


石がらみの法面は、葛や茅を始めとして雑草類に覆われ、人間がはいると見えにくい位です。強烈な生命力は、植栽した桜やクヌギにまとわりつき彼らの成長を阻害してしまう他、場合によっては抹殺することすらあります。定例の育樹作業では桜やクヌギの周囲2~3メートル位の雑草を切り払うのがメインとなります。桜は既に5年ほど経過したので結構大きくなりました。クヌギはまだ1~2メートル位の樹が大半ですね。

         鎌を持った子ども達がさっそく藪の中に突進していきます。

          雑草類の大きさは校長先生と変わらない位ですね。


山仕事で現場に入るとき、もっとも怖いのが蜂類と毒蛇です。炎天下の日中では毒蛇の出現は少ないのですが、蜂は結構いますね。一番怖いのがスズメバチでしょうか。無論備えはしておりますが、出来ればお会いしたくない相手ですね。場合によっては死に至る事例もありますので。真偽の程は定かではないのですが、蜂類は黒っぽい服装を嫌うそうです。なんでもクマが蜂蜜を横取りするので、本能的に黒っぽい色はクマとの先入観があり攻撃的となるようです。当然、我々も出来るだけ白っぽい服装で山仕事にはいるようにはしております。

                 出番が来ないことを望んではいますが。           
     
             毒蛇には対決できても蜂類には無力ですね。

周囲を刈り取った桜やクヌギはスッキリとしてうれしそうです。年に数回程度の作業では全部の苗木をカバーできないのですが、地道な継続で少しづつ育樹作業を進めたいですね。たくさんの仲間達が参加してくれる事を期待しています。



汗びっしょりになりながら作業するお母さんがた。彼女たちの後ろ姿が、子ども達をはぐくんでいくのでしょう。何も語らずとも、子ども達は健やかにまっすぐに育っていくと思います。当地では親殺しや子殺しといった悲惨な事件は無縁のようですね。また、休日に草刈り作業に精を出す校長先生をみて、子ども達は大きなものを掴んでいるのではないでしょうか。某県の県教委のように、教師が反面教師としての役割しか担えないとしたら、あまりにも悲しすぎますね。

      

             次の時代は君たちが切り開いて行くんだぞ。




  

Posted by とんび at 05:20Comments(0)TrackBack(0)森のお仕事

2008年07月27日

岩湧の森ー1

南河内の最南端に岩湧山が存在します。和歌山との府県境を構成する山で、かっては修験道の道場として栄えた所です。標高は897メートルでそう高くはないのですが、山頂は茅場となっており眺望がとてもいい場所です。今回はここの北中腹にある岩湧の森を訪ねて見ました。大阪府と河内長野市で整備され、キャンプ場などもあって青少年活動などに利用されているようです。本日は岩湧寺を紹介しましょう。

     岩湧の森入り口。河内長野の市街地から細い九十九折りの山道が・・・・・・・。


南海電車の三日市駅前から旧村へとはいっていきます。道は次第に細くなり九十九折りへと変わっていきます。できれば軽自動車かバイクのほうがいいでしょうね。約20~30分位で到着です。駐車場もあり、キャンプ場向けなのか相当な台数が駐車可能なようです。

                     岩湧寺の本堂


このお寺は、いわゆる役行者の創設と伝えられており、かっては天台密教に所属していたようですが、最近は念仏宗に帰属されているようです。巨大な杉林の中にあり、鬱蒼とした雰囲気はいかにも密教系の寺院といったたたずまいですね。楓類の樹木も多く、紅葉の時は鮮やかな色彩を期待できるようです。

      六地蔵のお出迎え                        多宝塔
 

寺内には鬱蒼たる杉の巨木やシャクナゲ、あじさい等の樹木が多々みられます。大切に育てられてきたのでしょう。シュウカイドウの大群落もみごとでした。ここを訪ねたら是非にご覧になってください。

           樹齢400年と伝えられる杉の巨木。圧倒されますね。


シュウカイドウの大群落がありました。この花はベゴニアの仲間だそうで元々は中国南部からマレー半島あたりに自生する花だそうです。
江戸時代に日本に持ち込まれ、以降、栽培されてきたようですね。初秋に淡紅色の小さな花を咲かせるようで、開花期に再度訪れたいものです。少々湿気を好むようで、ひんやりとしたやや明るい場所に群生するようですね。当地もぴったりの場所でした。
 
 



岩湧寺を裏門からみたところです。なかなか趣のある素敵なお寺さんですね。どんな住職さんが住まれておられるのやら。その裏門では重要文化財に指定されたみごとなカヤの樹が門番をしてくれてました。



  

Posted by とんび at 05:13Comments(2)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年07月26日

草刈りの日々

毎日暑い日々が続いております。こうした状況では雑草の成長も早く、数日ほっとけば緑豊かな大草原となってしまいます。必然的に要求されるのが草刈り作業、真夏の定番業務ですね。刈払機を使用して刈っていくのですが、刈払機が使えない場所もあります。傾斜のきつい法面などもそうですが、一番やっかいなのが野菜類と雑草とが混在してしまった場所。こうした場所では最終秘密兵器の手作業に頼る他はありませんね。

            説明なしでは、ここがサツマイモ畑とはわかりませんね。
 
                サツマイモの葉が全く見えませんね。


刈払機が使える場所はこんな感じです。少々時間があれば、暑さを厭わなければ、きれいな空間に仕上がってくれます。機械が使用できるとは何とすばらしいことでしょうか。産業革命によって近代化が始まったというのも理解できます。

     

夏場はこうして毎日が草刈り作業となります。雑草の生命力は全くすばらしものがありますね。あやかりたい位です。刈り取った草はマルチとして使用するか、乾燥させた後焼却するか、どちらかとなります。30度以上の炎天下で毎日繰り返す作業ですが、しんどさだけではないですよ。結構楽しみもあります。農園の中には小さな果樹園も作っていますので、実った果実を眺めたり、時折の来訪者達と戯れたり、へりやジェット機の飛行に見とれたり、小鳥たちの囀りやセミの鳴き声に聞き惚れたり、冷たい麦茶で一休みしたり・・・・・・・・・・・・・忙中閑ありではないですが、猛暑の中にも楽しみありでしょうか。確かに作業中は汗びっしょりでしんどさがつきものですが、一仕事終えた時の充足感は格別です。

           2年目のプラムの木です。立派な実がつきました。
         完熟に近いものをかじってみました。甘酸っぱいプラムの味。


空を見上げると様々な雲がいろんな形を作ってくれますね。時々刻々と変化する様はみていて飽きないですね。真夏の晴天続きですので、青空と白い雲とのコントラストがとてもきれいです。空調完備のビルの中では実感できない楽しみではないでしょうか。人間はやはり汗をかいて労働するように作られているのかも知れませんね。


  

Posted by とんび at 05:10Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月25日

真夏の訪問者

毎日猛暑日が続いています。畑に出ても作業時間より休息時間のほうが多いような・・・・・・・・・木陰でぼんやりしている時に決まって舞い降りてくる奴がいます。今が最盛期のゴマダラカミキリ虫。以前にも書きましたが、柑橘類の天敵です。もっとも彼に言わせれば、生きるための常套手段と反論するかもしれませんが。羽を振るわせながらゆっくりと飛行する様は、結構優雅な姿です。食害がなければ一緒に遊びたいのだが。

            ゴマダラカミキリ虫(当地では幼虫をテッポウ虫といいます)
    

空中漫歩を楽しんでは、木々の梢に立ち止まりしばしの休息。それを繰り返しながら農園全体を飛び回っています。隣が地主のばあさまのミカン農園ということもあって、彼には絶好の空間なのでしょう。もっとも当のご本人には、3ヶ月~4ヶ月程度の生存期間に恋をして伴侶を見つけ産卵して子孫を残す、という重大任務が待っています。そんなに優雅ではないよ、と言うかも知れませんね。

                    桃の木の梢で一休み。


農園のミカンの樹にも、根元にテッポウ虫の穴がたくさん開いています。聞くところによれば、雌のゴマダラカミキリ虫は200個前後のタマゴを産むようです。大半が柑橘類の根元付近に産み付けを集中します。翌年、タマゴから孵った幼虫は柑橘類の幹を食害しながら大きくなるようです。当地にゴマダラが多いのも当然かもしれませんね。

           カブトやクワガタよりも、スタイリストかも知れませんね。


伴侶を捜しているのか、毎日のようにお出ましになります。通常であれば、恋の成就を願ってあげたいのだが、彼の場合は後の影響が怖いですね。独身貴族で命を全うして・・・・・・・とつい余計な妄想を抱いてしまいます。

  

Posted by とんび at 05:18Comments(0)TrackBack(0)本日の訪問者

2008年07月24日

エシャロット

エシャロットと聞いてピンとくる方はかなりの野菜通である。もう何年も野菜作りをしながら、ついぞ関心がなかった。お店で球根をみても、何かラッキョウに似ているなあという程度の認識であった。よくよく聞いてみたらラッキョウとは全く別種の、タマネギの変種であるとか。それが1年で収穫される早取りラッキョウになぜかエシャロットという名がついたそうだ。従ってお店で売っているエシャロットの球根は実はラッキョウである可能性が非常に高い。何故にこだわるかと申せば、行きつけのお店でラッキョウとエシャロットの球根とが同じ場所で売られているのである。外観もほぼ同じ。値段はエシャロットが少々高い。

       ラッキョウ又はエシャロットの栽培予定地。まずは草刈りが必要だ。


ここ数年ラッキョウばかり作ってきた。今年は少々別なものを、ということでエシャロットに関心が向いた次第である。エシャロットがいわれるようにラッキョウであるならば、単価の安いラッキョウの球根を購入すれば済むこと。但し、本物のエシャロットであるならば耕作してみる価値がありかも。どうやって見分けるのだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・と購入をためらっております。ただ植え付け準備はやっておかないと。

        草刈りが済むとスッキリしますね。夏場は毎日が草刈りです。


例によって、刈り取った草類は放火の対象に。だめだとは理解しているのだが、火遊びの誘惑には勝てないですね。半日ほっておけば結構燃えてくれます。

 

畑がある程度整理されてきたら次は耕耘作業である。草ぼうぼうであったとはいえ、つい先日までは作物が育っていた場所である。土も結構やわらかい。小生の相棒であるこまめ君でも十分耕耘可能である。これが数年放置されておれば大型耕耘機がないと無理だろうな。ただ現場は傾斜のきつい棚田、大型耕耘機の搬入はきわめて困難である。


            ミニミニ耕耘機のこまめ君。小生の良き相棒です。

これで後は畝立てをすれば植え付け可能だが、ラッキョウかエシャロットか未だに迷っている。ちなみに時期的には7月から10月くらいまでに植え付けて6月頃の収穫だから、まだまだ迷っても大丈夫ではあるのだが。作業疲れでぼんやりと休んでいると、栗の木が立派な実をつけている。早ければ9月頃には、はじけるかもしれないな。初秋の到来まであとわずかか、はやいものである。

           大きな栗の木の下で・・・・・・・・栗の実を拾いましょうか。

  

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2008年07月21日

地下より天空へ

学校も夏休みに入ったようだ。それにしても暑い。午前中はともかく、午後になると体が対応できない。じっとしているだけで汗ばんでくる。木陰にはいって、ぼんやりする時間が増えるばかりだ。ぼやいても仕方がないので、昨日の続きを行う。昨日は八朔の救出だったが、本日は温州ミカンの救出だ。最初の1本目はツルだらけ。足下から刈払機を使っていく。ふと枝先をみると、どこかで見たような物が。

        温州ミカンがツルに絞め殺されている、といった状況ですね。


懐かしいですね。最近はとんとご無沙汰しておりました。7年余の地下牢生活からようやく脱出し、天空の世界へと旅だっていったのでしょうか。そう言えば今年はまだ鳴き声を聞いてませんな。なんでも17年周期で大量発生するとか。今年は平常年なんでしょうか。小生が少年期にはどこにでもありました。そして鳴き声もうるさいほど、あちこちから聞こえていました。時代が、環境が、変わってしまったのでしょうね。

               少々ピンぼけなのはご愛敬ということで。


蝉の抜け殻にみとれていないで作業開始。とりあえずツル性の雑草を引きちぎろうと引っ張れば、あらあら、温州ミカンの本体がグラリと倒れてしまいました。テッポウ虫にやられ、根本が腐っていたようです。こうした事例が頻繁に発生します。ミカン農家の大敵はゴマダラカミキリ虫。

          少しの力でツルを引くと、いとも簡単にひっくり返りました。


やむを得ないので次なる対象へと移動。こちらもジャングル状で、どうやら1本は枯れ死かかっているようです。残りの二本は救出できるかな。刈払機とノコギリで妨害草や樹木を切り払っていきます。ミカンを蘇らせるには、通風と太陽光線の確保が急務ですね。
 
                     どれが温州ミカンの木か、わからないですね。

こうした作業を続けていると、頭のうえのほうからエンジン音が。注意して観察すると、耕作放棄地となって久しい丘の上の棚田に耕耘機の姿がみえました。どうやら、もう一度農作業の再会を試みる方が現れたようですね。ありがたいことです。我々のような物好きな方か、祖先からの農地の現況を見かねた若き世代か、状況は不明ですが頑張って継続していただきたいものです。

                原野となった耕作放棄地に耕耘機の姿が。






     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇     おことわり     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

どうやらPCの調子が限界状況へ来たようです。画面が震度8級に大揺れし雨降り状態となってしまいます。ハードの物理的要因かウイルスによるものかわかりませんが、症状が次第にひどくなっています。原稿のアップが変な時間になったり、アップできなかったりする可能性があります。買い換えできればいいのですが、6桁の金額は山の神の決裁が困難です。事情ご賢察のうえご容赦を賜りますようお願いいたします。

     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  

2008年07月20日

八朔の救出を

谷間の農園の隣は地主のばあさまのミカン農園だが、作業ができないようだ。ミカンの木が枯れかかり、薮に埋もれ、ゴマダラカミキリの巣窟となっている。あまりにも状況がひどいので、最悪部分だけでもと救出作戦を行うことに。ミカン達もせっかくの命を全うし、たくさんの実りをもたらしたいであろうとの観測による。今回は4~5本の八朔の木を整備しよう。

        一番まともな八朔の木。まだゴマダラにやられていないようだ。


作業の基本原則は足下からである。足場の確保を行うため、刈払機で雑草を切り払っていく。ツル性の雑草が繁茂し、一度や二度では切れてくれない。何度も刈払機を振り回しながら徐々にカットして、足下がすっきりしたのが上記の画像。ここまで来るだけで大変だった。なかには既に手遅れの八朔もあった。下記の画像などがそれで、こうなるとダメな部分を切断するしかない。大きめのノコギリを準備し、大胆に削除していく。

 

ゴマダラカミキリが繁殖しているようだ。株元をご覧いただきたい。小さな穴があいている。これはゴマダラの幼虫であるテッポウ虫が食い破った後なんだ。例年、夏の時期にゴマダラの雌が一匹平均200個くらいのタマゴを主に柑橘類に産み付け、タマゴが幼虫となって幹を食害するのである。枯れ死する果樹木が多々存在する。

              直系1センチ弱の穴が多数あいている。


ツルといっても馬鹿にはできない。下記の画像を見ていただきたい。中央に垂直に垂れ下がっているのがツルの幹、直径3センチ位はあるだろうか。こんなのが八朔の幹にまといつき樹冠を覆って光合成が出来ないようにしてしまうのだ。

         




小生の谷間の農園もばあさまのミカン農園も雑草の浸食に脅かされている。すぐ真下の棚田まで既に侵されているのだ。下記の画像をご覧頂きたい。ここが、かっては緑の稲穂がそよ風にゆらめいていた瑞穂の土地と誰が想像できるだろうか。完全なジャングルである。ここまで雑草にやられると元の棚田に復帰させるのは不可能に近い。早めの段階で対策を講じたいのだが、耕作放棄され見捨てられていく棚田が増えるばかりだ。

           すぐ真下の土地まで雑草が繁茂している。
         ここが米作りをしていた棚田と誰が想像できるだろうか。

  

2008年07月19日

梅雨明け宣言

ようやく梅雨が明けたようです。いつも慎重な気象庁が今年は素早く宣言を出してくれました。近畿地方は16日だそうです。おかげさまで、ギラギラした真夏の太陽が容赦なく照りつけてくれます。湿度は高いし、気温も高い、風は全くといっていいほど吹かぬしヤブ蚊は多いし・・・・・・・・・・・・・こんな時は作業がなかなか出来ないですね。午前は早朝から11時位まで、午後は3時頃から6時頃まで、ここらが可能な作業帯でしょうか。

           畑の真上の雲です。どこから見ても真夏の雲ですね。


無論、長ズボンに長袖シャツ、麦わら帽子に白いタオル、草刈り用のゴーグル、足は長靴と完全装備です。おかげでモロに暑いこと暑いこと。冷たい麦茶はたっぷりと持参しますが、どうかすると半日持たないですね。こうした日常の故か、メタボには縁遠いようですね。在職中は血圧も高めでしたが、最近は標準値前後に落ち着きました。ありがたいことです。よく言われるのが、このくそ暑いときに何を好きこのんで百姓仕事を・・・・・・・・・確かにそんな見方も存在有りでしょうね。汗びっしょりで作業中は確かにしんどいです。でも作業を終えて水風呂にはいり、冷たい麦茶をもう一杯となれば、何とも言えない幸福感に包まれます。ウソだと思われたら一度お試しあれ。やみつきになりますよ。

         1時間ほど経過したら、雲の形がガラリと変わりました。 

7月の中旬から9月の中旬位までのおよそ2ヶ月間は灼熱の太陽下での作業となります。怖いのが日射病と脱水症。連続作業をしないのと程よい休息それにたっぷりの水分補給が必要ですね。山仕事にはいるときは2リットルのテルモス2本を持参してましたが、さすがに4リットルはお腹にこたえます。やはり2リットル位が適量かな。日陰での休息を頻繁に取ることの方が大事でしょう。



夕方の4時頃になれば結構過ごしやすくなります。反面、ヤブ蚊の活動時間帯となり、集中攻撃を受けるはめに陥ります。蚊取り線香などあまり効果ないですね。何せヤブ蚊の数が多いですから。アラブの女性ではないですが、全身を覆って肌を露出しないのが一番賢明かもしれませんね。真夏の太陽のメリットは乾燥が早いこと。刈り取った草があっという間に茶色く変身します。おかげで焼却処分がはかどること。ライター1本で簡単に処分できます。公式には野焼き処分はいけないのでしょうが、分量も少ないし、残りの灰はいい肥料になるし、手間はかからないし・・・・・・・・・・ということで山火事に注意しながらの放火とあいなります。
 
          大量にあったツル性の雑草がきれいに燃えてくれました。

  

2008年07月18日

1ヶ月目の米

田植えが済んで丁度1ヶ月になる。稲穂も25センチぐらいに伸びてくれた。従って厳密な意味ではまだ米ではない。1ヶ月目の稲穂とすべきだろうが、米への強烈な思いということでお許しを。素人集団がチームを組んで米作りを始め、かれこれ数年になるだろうか。最初は不安だったが、何とかなるものである。ご近所の田圃を眺めつつ、師匠の助言もあって、最初の年から収穫が出来た。自分たちで作った米を炊いて食べたときの感激はひとしおであった。実際、原価計算をすれば購入した方が安価なのだが、この喜びには換えられない。

             Aの田圃。三角形で田植えがしにくい土地だ。


面積も小さく収穫量も少ない。チームメンバーで収量を分配するから、一人あたりの持ち帰り量は極めて少々である。それでも皆が嬉々として米作りを行うのは、金銭に換えれぬ喜びがあるからだ。とりわけIさんなどは超熱心である。早朝から田植え靴をはいて田圃にはいり、黙々として田草取りに励んでおられる。

             Bの田圃。耕耘機やトラクターが出入りしやすい場所だ。 


水守りさんが得意なのはKさんだ。水路から水を引き入れ、4枚の田圃に程よく水が流入するように調整する。この微妙な加減が絶妙なのだ。水路の水量は常時変化する、その動向を把握しながら田圃への流入量を加減するのだ。細かな気配りが要求される、結構めんどい作業なのである。

             Cの田圃。昨年はヒエの大量発生に泣かされた。


農薬や化成肥料に強いのはUさんである。どこで探してくるのか、時期時期に必要な資材を調達してくる。ゲストハウスの建築資材なども彼が集めまくったものだ。大阪中に人脈があるのでは、と想像してしまう。最高齢者だが体力は最強で、彼のベースになかなかついて行けないのが他のメンバーなのだ。

       Dの田圃。一番大きな田圃で左上の師匠の田圃から常に水漏れが。



4枚の田圃を合計しても1反位の面積だろうか。プロの農家からみれば、ままごとみたいな米作りだろう。この狭い田圃で数名のメンバーが賑々しく大騒ぎしながら米作りを行っているのである。1ヶ月目で25センチ程度、これがあと3ヶ月ほどすれば1メートル位に成長して沢山の実りをもたらしてくれるのだ。4ヶ月から5ヶ月で主食が確保できる、なんともありがたい米作りである。



平成7年の食管制度の廃止と新食糧法の施行は事実上の米の自由化であろう。政府による米の買い入れ価格も次第に下がり、1俵1万円を切ったとか。10キロ2000円にもならない。棚田で細々と米作りをやっても採算ラインに乗る訳がないですな。耕作放棄地が増加するのも、ある意味必然であろうか。平野部であれば大規模化して省力化し、コストの削減を図るという手段も講じれるだろう。中山間地域の棚田は、販売用ではなく自家用米の生産に限定されるのだろうか。もっとも耕作者の高齢化はどんどん進んでおり、自家用米の生産もいつまで続くことやら。

  

Posted by とんび at 05:16Comments(0)TrackBack(0)米づくり

2008年07月17日

滝畑の里

今日は南河内の奥座敷、滝畑の里を訪ねてみよう。ここは平家の落人集落の伝説が残る土地である。ということは、交通不便な人跡未踏に近い雰囲気を持った里であったようだ。がらりと変わったのは、昭和55年に完成した滝畑ダムによる。石川の上流域である川沿いに小さな集落が点在していたが、大半が水没し、高台へと移転されたのだ。現在はダム湖畔に立派な道路も造られ、キャンプや紅葉狩り或いは水遊びなどでたいそうにぎわっている。ただ草深い深山幽谷の趣は、今も尚漂っているかのようだ。

         現在も山は深く地形は厳しい。川沿いに細い山道が和歌山へと続く。


高台の丘に登ると、河内長野市教委のふるさと文化財の森センターがある。集落にあった茅葺き民家を移設し資料館としたものだ。担当者のUrさんがとても気さくな方で、手すきであれば土地の風俗や慣習或いは古民家の話などを語って下さる。地場産業であった竹細工の講習などもやっておられるようだ。当地が何故、爪楊枝の産地であったのが疑問だったが、彼の説明でよく理解できた。かってこの地は材料であるクロモジの木が大量に存在していたようだ。そして今は杉・檜の植林やメイドインチャイナの席巻によって次第に弱体化しているとの話も。

     田の字形の部屋割りは風通しがよくとても涼しい。昼寝の場所に最適だ。


別棟の資料館には古民具などが展示してある。当地が炭焼きや林業で栄えた往時の名残であろうか。狩猟や農業はあまり行われていなかったようだ。おもしろい道具も見つけた。「ぶりなわ」といって、木登り専用の簡易な用具である。これを使って枝打ちや木の実取りなどを為さっておられたのだろうか。

           ぶりなわ                          ノコギリ
 
             鎌とハサミ。茅葺き屋根の修復道具のようだ。
 























この古民家は当地独特な建築らしく、玄関が妻にあり、はいってすぐが台所となっている。下記画像の白い部分が正面玄関である。隣のへっついさんが、今で言うシステムキッチンであろうか。湯沸かしの大釜と蒸し器がのっかていた。土間の横にはあがりこまちがあり、囲炉裏も切られていた。作業から戻っても、わらじがけのままで休息や炊事が出来るような配慮であろうか。

               囲炉裏端から正面玄関とへっついさんを見る。




里を一変させた滝畑ダム、大阪府の手によって昭和55年に完成した。治水目的だろうが、農業用水と河内長野・富田林の水道用水にも利用されているようだ。他のダムと異なり、水面に流木等がなく湖水がとてもきれいだ。岩湧山からのわき水が水源なので、両市の住民の方は安心して飲用できるだろう。生水が飲める環境を、何時までも維持していきたいものである。

                 滝畑ダム。とてもきれいな湖水だ。
  

Posted by とんび at 05:14Comments(2)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年07月16日

一村一品運動

一村一品運動とは大分県の代名詞みたいなものである。その大分県は、県教委が震度8級の大地震で大揺れ状態だが、それはさておき、30年程前にこの運動を提唱された平松守彦知事(当時)の先見性には敬服する。過疎と貧困のただ中にあった地方自治体の住民に自信と誇りとを植えつけたのである。「梅栗植えてハワイに行こう」とのキャッチフレーズを今でも明確に記憶している。たった一人のリーダーによって大分県の村々は生まれ変わったのである。さてそれがどうやねん、との突っ込みが来そうだが、適地適作が豊かな生活へとつながったのは今でも通用する基本原理ではなかろうか。


我々の共同農園では数名の仲間達が農作業を行っているとは、既に紹介している事だが、これが結構個性的というか独自性があっておもしろい。同じ場所なので地域性や土壌の相違等はないだろうが、作る作物が結構違ってくるのである。好き勝手に作っているのだが、その「好き勝手」に各位の個性が出てしまうのである。ある日ある時の畑を覗いてみると・・・・・・・・・・・・・・・


         Kさんの畑。代表作は種なしスイカ、3年はかかるそうだ。

         マクワウリ                          ゴマ    
 

続いてはOkさんの畑。この方は定規で測定したような畑作りが特徴だ。代表作はトマトとナス。トマトは水気を嫌い、ナスは水を好む。この相反する性質をうまく調和させた独自の農法には感服する。

          トマト                              ナス                          
 

次はMtさんの畑。Mtさんは徹底した草抜きが特徴である、最近は忙しいのか暑いのか少々草が蔓延っているようだ。代表作はミョウガとゴボウである。
          ミョウガ                          ゴボウ
 

続いてはIさんの畑。彼は、アルバイトと畑の掛け持ちで時間的制約が大きいのだが、こまめに手入れを為されている。竹を組み上げた棚作りカボチャが代表作、それと大葉かな。

         カボチャ                           オオバ
 

次はIkさんの畑。例の新婚さんである。彼のところは労働力が極めて豊富、何せ父君と奥方が常なる助っ人なんだから。3人で一人分の畑だから、微に入り細に入りで耕作が可能だ。今はトウモロコシとミニトマトが代表作。森が近いので敵機来襲に気をつけて。

        トウモロコシ                        ミニトマト
 

最後は大御所のUさんだ。最高齢者だが体力年齢は一番若いとの、もっぱらの噂である。自称37歳というのも、当たらずとも遠からずというところだろうか。

            代表作の通常版スイカ。畑にゴロゴロしている。


          赤シソの畑。梅干し用に、むしり取る仲間達が多いのだ。



かように同じ場所でつくっても滅法に作物が違ってくる。各位の好みと適性とで自ずからなる選択が為されているのだろう。大分県の一村一品運動ではないが、各位の得意分野で勝負してもらい、全体として大いなる成果を上げられればと願っている。平松知事のような名リーダーは存在しないが、集団の英知というものもある。頑張って参りましょう。



  

2008年07月15日

スイカ救出作戦

昨日のブログでスイカが危ないと書いたが、実際いつ落下してもおかしくない。何せ斜面の一番上部に引っかかった状態で生育しているのである。本日はその救出をということで出動したものの、ツルが切れ、スイカは既に下の畑に落下していた。残念ながら1日遅かったようだ。直径20センチ位、まだ小さくて完熟には程遠いのに。

           下の畑に落下していたスイカ。一番期待していたのに。


落下防止用のストッパーを作ろうと早朝に竹林で切り出し、準備していたのに。もう一日早かったらなあ、助かっていたはずだ。



こんなストッパーを作ってスイカの周囲に打ち込み、スイカの荷重を支える予定だった。スイカのツルが斜面をよじ登り、頂点付近で結実していたのだ。場所が良すぎた。

        

残念だが落下した物は仕方がない。残ったスイカを保護してやることだ。よくよく探してみたらまだ4個のスイカが残っており、ご丁寧に全部が斜面上に存在している。何てことだ。平地で結実して欲しいな。

         画面上部が低い土地。そのままだとスイカの荷重で落下する。


 


初めて挑戦したスイカ栽培、やはり想定外の事態が次々と発生するようだ。果実が大きいだけに落下の問題まで生じるとは。鳥対策しか考えてなかったのが敗因のようですね。やはり経験を積むのが最善の策かな。失敗は来年以降に活かすとして、残ったスイカをカラス軍団にやられないよう守ってあげないと。


 

  

Posted by とんび at 05:22Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月14日

その後のスイカ畑

早朝から夏晴れのいいお天気、こんな日はスイカを覗きに参ろう。何せ砂漠のご出身の野菜だ、暑さには滅法強いはず。本年初めてスイカ栽培にチャレンジと過去に書いたが、チャンと育てられるか正直なところ不安はあったのだ。苗を植えつけたのが2ヶ月前、その間ツルは伸び放題に伸びた。スイカ畑はツルに覆われ、緑の草原状を呈している。さて実はついているのか。

         積乱雲のような雲がもくもくと。真夏だ。スイカには最適 ? 

       小生のスイカ畑。まだネットを張ってなく、白いロープで防鳥対策。


ありました。まちがいなく正真正銘のスイカが。畑の中心部は不明だが、ロープの下部に2個のスイカを発見した。結構大きい。ドッジボールの少し小さめ位かな。今のところ、カラス軍団にもまだ気づかれていないようだ。早くネットを張らねば、と思いつつも作業が遅れている。それと存在地が斜面なので落下防止の対策も講じないと。


          最初にみっけたヤツ。結構大きめ、崖から落ちないように。 

      2個目を発見、1個目と大きさは同じくらい。こちらも崖の中途だ。


スイカ畑の中は不明だが、みつかったのは何れも傾斜のきつい斜面上。スイカの落下防止策を講じねばならない。鳥対策もまだなのに大変なこっちゃ。明日にでも竹を切り出し、ストッパーを作ることとしよう。

            スイカの花。咲いてからおよそ40日~50日で収穫です。                        


少々不気味な感じがしないでもないですが、スイカのツルの先端部です。ひげのような触角(?)を伸ばし、どこまでもツルを這わしていきます。棚田で作っているのですが、上段の田にも下段の田にもツルを伸ばしています。なかなかネットを張れない理由でもありますね。2個のスイカを発見しましたが、花はこれからのようです。ということはまだまだ実が付くと期待できるかな。




スイカも最初のチャレンジにしては2個の結実もあり、まずまずの成果と言えるかも。カラス軍団との争奪戦に打ち勝ち、みごと冷えたスイカを食したい、というのが最近のささやかな願望です。1日の作業も終え、夕日が棚田を照らし始めました。カラス達もまもなく遊び疲れて帰宅するでしょう、何せ、彼らのねぐらと小生の農園とはお隣さん。むやみな争いは避けたいのだが。

  

Posted by とんび at 05:18Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年07月13日

地蔵街道

仏教の世界には六道輪廻の思想という考え方が存在します。六道とは人間の心の状態を現したもので、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の六つの世界だそうです。輪廻とはこの六つの世界を出たり入ったりしながら彷徨っている状態を指すようです。人間のこうした精神状態に対して救いの手を差し延べてくださるのが地蔵菩薩だとか。通常、我々が想像するお地蔵さんは、村はずれの辻に立たれて子ども達を見守っておられる・・・・・・・・・・・・・そんなイメージなんだけど。この地蔵菩薩が十体以上も立ち並んでおられる山道がある。金剛山の正面道と呼ばれる登山ルートだ。なんとも不思議な光景である。

          順不同で数体を紹介してみよう。箴言付きなんだ。


父ちゃんと母ちゃんの仲がよいこと、やっぱりこれが一番だ。貧しくても楽しい家庭はいっぱいある。やっぱり △△△だから。
 
 





毎日訓 晴れても曇ってもがんばってもなまけてもいちにちは一日 △△△精一杯生きてみる まずそれから。 




 

人間の一生 永遠に続く喜びもなく、永遠に続く悲しみもない。色んな感情が生まれては消え、生まれては消え、人生はつづいていく。それが人間の一生、それが生きているということ。


こんなお地蔵様が、10体以上も登山道の脇に鎮座されているのである。どなたが、或いはどなた達が設置されたものだろうか。制作費だけでも相当な金額になるはずだ。前に置いてある箴言の板は同一人物であろうか、全部が同じ筆跡のようだ。達筆すぎて一部は読めない文字もあったが。



思えば、お地蔵様は道祖神と一体化したような形で信仰されてきたようだ。八百万の神々の考え方と一緒かも知れない。笠地蔵の民話が語り継がれたように、素朴な信仰心が地蔵菩薩への信仰と重なったものだろう。正面道のお地蔵様も、こうした発想を持つ方々が浄罪を出し合って設置されたものではなかろうか。六道輪廻の旅路で、悶々としている我々衆生のもがきや苦しみへの、限りなきやさしさからではあるまいか、と想像しているのだが。

  

Posted by とんび at 05:30Comments(0)TrackBack(0)金剛山

2008年07月12日

れんげ祭りー2

本日のクライマックスである護摩供養と火渡りの儀式が始まった。修験道で一番華やかな場面かもしれない。それぞれの行為に意味があるのだろが、理解できずとも、一種荘厳な雰囲気に包まれながら進行していく。まずは古参と覚しき山伏が出て、口上を述べ始める。開会宣言みたいなものだろうか。

  

続いて弓矢のうち込みが始まった。これも意味のある儀式なんだろう。よく理解できない口上を述べながら、東西南北の四ヶ所に向かって矢を射るのだ。打ち込まれた矢を拾うとご利益があるのか、大勢の人が駆け寄っていた。



若き修行僧が松明に点火して貰う。晴れの舞台のようだ。点火された松明を持ち、一定の歩行法に則りながら祭壇(と呼ぶのかどうかは不明だが)に進み出て、やおら点火。最初は小さな炎であったが、次第に大きな炎と変わり杉の青葉が囂々と燃えだした。山伏の読経のなかで、願い事が書かれた護摩木が次々と祭壇に投じられていく。

                                    
 



 


本山の大先達も動き出された。これから一番重要な儀式を執り行われるのだろう。従者の山伏を従え、所定の場所へと進まれる。



祭壇の火が下火になった頃、火渡りの準備が始められた。そして、その周囲では山伏達の奇妙なダンスが始まったのだ。ヨガのポーズみたいな形をとりながら、呪文をとなえつつ祭壇の回りを一周するのである。意味のある行為なんだろうが、何とも魔法使いの呪術のような印象を受けてしまう。




さて、いよいよ火渡りの儀式だ。ここでも日本の伝統に則った。即ち「指揮官先行の原則」である。転法輪寺の若き住職が先陣を切って、塩で清められた祭壇の前に立たれた。炎が吹き出している祭壇の上を素足で渡っていくのである。織田信長の火攻めにあわれた武田軍の快川和尚が「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と喝破して亡くなられたようにはいかないものである。無事に渡れるのかと案じていたが、十字をきりながら渡り終えられた。


 

住職に続き、次々と山伏達が渡っていく。小生も渡らしてもらおうと考えたのだが、後ろを見るとあまりにも大勢の信者さん達が順番待ちをしておられた。とてもじゃないが下山時間に間に合わない。確か昨年もそんな状態で諦めたようだったが。

  

Posted by とんび at 05:15Comments(2)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年07月11日

れんげ祭りー1

南河内の東部、奈良県との県境には、金剛・葛城の連峰がそびえ立っている。標高は1000メートル前後に過ぎないが、結構山は深い。ここは修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)が最初に修行をした場所として知られている。飛鳥時代に奈良県の御所市付近に生まれた彼は、日夜金剛葛城に登って修行に励み、時には雲にのって空を駆けたとも伝えられている。奈良時代が始まる少し前に、箕面の山で入寂したとも言われている。毎年7月7日は彼の命日、金剛山では「れんげ祭り」を行って彼の遺徳を偲んでいる。

      メインスタジアムの転法輪寺。ここは葛城神社との神仏混合だ。


転法輪寺は真言宗醍醐派に所属する。宗派とは、宗教界の派閥といえば叱られるかな。古来から自然発生的に始まった山岳宗教が、弘法大師や伝教大師によって真言・天台の大きな組織に集約され、明治維新まで興隆を極めたが明治政府の廃仏毀釈によって廃れていった・・・・・・・というのが受験用日本史の知識だったような。

      京の醍醐寺から一行が到着された。本社の社長さんにあたる御方。

信者の方が続々と登って来られる。普段でも登山者の多い山だが、今日は格別のようだ。無論、大半のかたが白装束で、各地のお堂などでは般若心経の静かな読経の声が流れてくる。



正午から祭りは始まった。ホラ貝を持った山伏を先頭に、お寺や神社或いはお堂などを粛々と参拝する。時折聞こえるホラ貝の音や読経の声が、静かな山域を震わせる。あまりにも多数の山伏のため、時間調整が必要なようだ。

  

 

 

転法輪寺の若き住職。彼は「司講」という組織を結成し、真言密教に則った修験道の復活をめざしておられるようだ。参加者も次第に増え、毎月修行日を定めて祈りの回峰行に励んでおられるそうだ。ちなみに修験道とは、人間が外界を感知するための感覚機能である五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を山岳修行によって鍛え上げ、五感を超えた超能力(現在科学では説明不可の意)としての第六感を獲得しようとの活動のようだ。
  
         転法輪寺の若き住職。宗教界のイノベーターとなられるか ?

祈りの回峰行を終えた山伏達が戻ってきた。さあ護摩供養と火渡り儀式の始まりだ。今年は、何とかして小生も火渡り儀式に参加しようと願っているのだが。

      

Posted by とんび at 05:20Comments(0)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年07月10日

ゴマダラカミキリ

なんとも愛嬌のある虫である。子ども達が戯れて遊ぶには格好の虫である。カブトやクワガタにも匹敵するのではなかろうか。最も大人にとってはやっかいな相手である。特に我々のように果樹栽培を行っている者には、とんでもない害虫なんだ。果樹木に入り込み、中から幹や葉を食害する。結果、枯れ死する樹木が後をたたない。とりわけ柑橘類がお好みのようだ。

             体長は約3センチ、黒い羽に白い斑点が特徴だ。
   

丁度この時期が活動期だ。6月~8月頃に盛んに飛び交い、主に柑橘類の枝や葉を食い荒らす。成虫の生存期間は3ヶ月~4ヶ月くらいと言われるので、この時期に恋をして産卵する。1匹の雌が平均200個ぐらいのタマゴを産み付けるそうだ。この時に狙われやすいのが、柑橘類の根本付近である。

         なんとも愛嬌のあるヤツなんだが、食害さえなければなあ。


無論、人間様も手をこまねいている訳ではない。対策用の薬剤も存在するのだが、なかなか効果的とは言えないようだ。とある果樹農家に教えていただいたのが、厚手のビニールによる被膜である。肥料等が入っていたビニール袋を切り裂き、二重三重にして根本に巻き付けるのだ。下記の画像がそれである。こうすればゴマダラカミキリが産卵できず、結果的に個体数が減っていくとの理屈なのだ。廃物利用なので経費不要の対策法だ。もっとも果樹木は守れても、クヌギやコナラなどでも産卵するので個体数の減少につながるかどうか。

          レモンの木                  ウンシュウミカンの木
 

子どもの頃にはゴマダラカミキリを捕まえてよく遊んだものだ。今の子ども達はどうだろうか。ひょっとしたら存在自体をしらないのかも。個室のなかでゲーム機相手や、日々の予習復習に追われていたら、野山に出ることもないのかもしれないな。考えようによってはとても恵まれた存在なのだが、反面、一番不幸せな存在かもしれない。