2008年09月30日
招かざる客
とんでもない珍客がやってきた。それも一時性ではなく定着の模様である。マイホームの建築にかかり、この冬をどうやら当地で過ごすようだ。とんでもない話である。場所はサツマイモ畑の横で、隣地との境界となっている土手の一角である。上手い具合に石がはみ出した下部に窪地があり、その隙間を利用しての住宅建設なのだ。サツマイモはもうじき収穫期にはいる。いやでも接近遭遇が予想される。彼らも防衛本能があり、小生が近づけば攻撃される心配がある。彼らの論理では領空侵犯との判断にあたるのだろう。
招かざる客、石の下部に集合する集団です。
もう少し拡大してみると・・・・・・・とんでもない連中ですね。
調べてみましたが名前は不明です。ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示をお願いします。当地ではよく見かける蜂で、今まで攻撃された経験はありませんが、可能性は否定できません。早めの対策をと考えるのですが、毒ガスを散布するのもかわいそうだな、とも思い思案中です。静かに立ち去ってくれればいいのですが、状況から見て居座るようですね。やはり、攻撃は最大の防御、との戦陣訓を生かすしかないのだろうか。
ポートレート風にアップしますと、こんな感じですね。
静止時の羽の状態や胴のくびれ、色合いなどからみるとスズメバチの一種かなと想像したりもしますが、巣の状態が異なっているようですね。彼らもある使命を帯びてこの世に生を受けたのでしょう。与えられた命を全うして、死を迎えるのが道理にかなっているのでしょうが、その間我々と棲み分け出来ればいいのですがね。命半ばにして、はかなく消え去っていくものもおります。任務中途で落命する瞬間をかいま見ました。残念ながら人間にも同じ可能性がありますね。
一番いやな相手に捕まってしまった。
ご臨終のようですね。他山の石として気をつけましょう。
2008年09月29日
リベンジエビス
エビス草には手こずらされているが、最近になって花が咲き出した。世間一般ではもう収穫期にはいっており、これから枯れていく時期なのだ。小生のエビス草は一帯どうなっているのやら。エビス草の師匠であるUさんとも相談し、本年は諦めて来年に賭けることとする。Uさんのエビス草はセオリー通りの成長で種は収穫期にはいっている。早速了解を貰って採取させていただく。自家採取で種を保存し、来春にリベンジする予定なのだ。
Uさんのエビス草畑。茎は枯れかかり、収穫期の終盤だ。
茎の先には20センチ程度の細長い実がついている。この実の中に10個~20個程度の種がはいっているのだ。その種がお茶の原料となるのだが、命を引き継ぐ素材でもある。早速採取しよう。簡単だ。先についている実をハサミで切り取り、手でもみほぐすだけ。
エビス草の実。直径8ミリ態度、長さ20センチ程度の大きさです。
容器一杯程度に採取しました。 これがエビスの種です。
前回の記事でも報告したが、エビス草にこだわるのはお茶の自給自足ができないものかとの思いがあるからだ。完全自給は無理としても、半分自給とか1/4自給とかでも実現できたらと願っている。市場に流通する食品の安全性にかなりの疑問が出てきた昨今、出来うる限り、製造者と製造過程が判明している物が望ましい。顔の見える関係を望んでいるのだ。自給であれば文句なしである。
エビス草はマメ科の1年草で、Uさんに言わせるとほっといても育つ草だとか。緑茶に比べると栽培に手間がかからない、場所もそう必要ない、肥料や消毒は不要だそうだ。こうしてみると、とても手軽に栽培できそうなのだ(小生はうまくいってないが)。何よりも試飲した結果、あっさりしていてとても飲みやすいのだ。自販機のジュース類などより、よほど健康的だろう。現に、本場の中国では漢方薬として使用されているのだから。
春先に種蒔きした小生のエビス草。世間相場とは4ヶ月くらいのズレが。
世間では収穫期なのに、今、花が咲き出した小生のエビス草。
上記の画像をご覧下さい。昨日の小生の畑です。一般的には6月頃のエビス草の状態です。花が咲き、蝶や蜂が媒介して結実し、今収穫を行う・・・・・・・・・このサイクルが4ヶ月くらい後ろにズレこんでいるのですね。今もって何が原因なのか全く不明です。種蒔き時期が遅かったのか?・・・・・否、解説書では4月~5月の種蒔きと記載してあり、その時期に種を蒔いたのだが。
2008年09月27日
ネギの王者
師匠Nさんのネギ畑、無論全部が下仁田ネギだ。
翻って、下記の画像は小生の下仁田ネギ畑です。少々貧弱ですがそれでも元気よく育ってくれています。小生はネギの栽培が苦手な分野で、種蒔きから挑戦すると大抵失敗してしまいます。最近はズルを決め込んで、師匠のNさんに定植用の苗を頂くようにしています。本年も甘えまして70本ほどいただきました。1回の鍋用としては1本あれば充分です。とてもじゃないが私宅のみでは消費できないでしょうね。ご近所行きとなりそうです。
小生の下仁田ネギの畑です。師匠には負けますが。
ネギは他にも色々ありますが。大・中・小の3種類を作っておけば充分でしょう。小生の場合、大は下仁田ネギ、中は九条ネギ、小は細ネギを栽培しています。大は鍋用、中は煮炊き用、小は汁用・・・・・・・・です。無論、使い方は臨機応変に替えてはおりますが。
中の九条ネギ、お好みやすき焼き等に大活躍しています。
小の細ネギ、もっぱら汁物に活用しています。
ネギの不思議な使い方として、コンパニオンプランツという活用法もあります。何かの本で読んだと思うのですが、青虫がネギの汁と臭いをひどく嫌うそうです。従って、青虫が好むアブラナ科の野菜とネギとを併用栽培すれば良しとする手法です。小生も真似てキャベツの苗の横に平行して細ネギを植えてみました。やはり青虫の被害は少ないようです。ほとんど囓られていません。反して平行植えをしなかった白菜の苗は穴ぼこだらけです。遅まきながら細ネギを植え込みましたが。一度お試しあれ、安価で手軽な青虫防除の方法論かも知れないですよ。
キャベツと細ネギの平行植え。ほとんど被害なしです。
細ネギの平行植えをしなかった白菜苗。ひどく囓られています。
テントウムシダマシを退治するのにナナホシテントウムシが最適であるように、青虫防除には意外とネギが似合っているのかもしれません。いわゆる天敵の発想ですね。毒を持って毒を制する手法と言えば彼らに叱られますかな。極力、農薬を使用しないで野菜類の栽培を行いたいものですね。
2008年09月26日
再々度の挑戦
秋晴れの良き日が続いています。その故かどうかは定かでないのですが、本年は大根の植え付けに失敗しております。9月の上旬に種蒔きし失敗、続いて中旬に種蒔きし失敗、いずれも発芽不調で終わってしまいました。水分と気温と天候の加減でしょうか。よって雨の予報を確認してから再々度の挑戦と相成った次第です。明日は雨模様、この条件を外したら本年は大根が食べれない・・・・・・・・・それも困ります。何せ大根おろしが大好きな者ですから。
ここ数日こんな良き日が続いています。明日は雨模様とか。
種蒔きは発芽が難しい。簡単にいくときもあるのだが、全く発芽出来ず、雑草のみ出てくる場合も少なくない。通常、野菜類は3日~4日位で発芽する。遅めのニンジン等でも一週間位だ。その間少々小雨交じりの曇り日であれば最高なんだが。最近は良いお天気が続いたので気温も上がり、水分が足りずに発芽に失敗したのかもしれない。明日は久方ぶりに雨の予報、但し雨も強すぎれば種が流されてしまう。程よいお湿りが一番なのだが。
本日の挑戦はこの2種類、それにホウレンソウだ。
まずはこまめ君で耕耘作業、その後クワを使って畝作り作業。大根類は地下にまっすぐ直進する傾向があるので、よく耕した土で高畝にしてあげる必要がある。畝が準備できたら平クワに変え転圧作業を行う。種が地中へと埋没しないようにだ。転圧した場所に種蒔きし、その後再度の転圧を行う。雨で蒔いた種が流されないように。そのあと籾殻を薄く蒔いて日よけ防止とする。これで準備は整ったのだが、あとは小雨の期待だ。
耕耘作業で土を良くほぐしてやります。土が固いと二股大根等の可能性が。
土がほぐれ、すっかりと柔らかくなりました。
ひととおりの作業が完了しました。後はお天気次第。
上記の画像が畝作り、転圧、種蒔き、再度の転圧、籾殻まき・・・・・・・・・の作業が完了した姿です。黄色く見える二本線の下に種が隠れています。明日雨が降ってくれれば3日位で発芽するはずなんですが。三度目の正直とか言う奴ですね。多分、今回がラストチャンスだと思うのですが。
ついでと言っては何ですが、ホウレンソウも蒔いておきました。上記画像がそうです。これも2度ほど失敗しております。ホウレンソウは原則として冬野菜、遅めの方が良いかも知れないですね。何年やっても百姓仕事は難しいものです。プロの農家の方が、毎年一年生よ、と言われるのも無理ない話ですね。
2008年09月25日
月下美人
何とも魅惑的なというか魔力的な名称である。かの、久米の仙人が雲の上から落っこちたようなセクシーさと羽衣の天女の清純な妖艶さとを併せ持ったような響きである。この名称を最初に聞いたのが中学生の時だった。花々の好きな教官がおられて、理科室横の花壇に沢山の鉢花があったのだ。その中の一つが月下美人だったのだが、無論花などは咲いていなかった。不思議な名称に惹かれて名前だけは記憶していたようだ。それから20年あまり、姫路市の知人宅で始めてお目にかかった。秋祭りで酔いつぶれてウトウトしていた夜半、咲いたぞ、の声で目が覚めた。みごとな月下美人が咲いていたのだ、時刻は確か午前0時過ぎだったように思う。
みごとに咲いてくれました。時刻は午後9時過ぎです。2時間ほどの寿命とか。
今回、植物園のご厚意で夜間開園となり、不思議なご縁に導かれて二度目のご対面となったのだ。午後8時頃植物園に到着、1時間ほど待った午後9時頃から咲き始めてくれた。表現のしようがない美しさである。
さすがに夜間の訪問者は少ない。深閑とした闇の植物園で月下美人の周辺だけ賑やかだ。カメラを抱えたマニア達が思い思いに陣取ってシャッターを切っている。人垣の隙間からレンズを繰り出し、何枚かの画像が撮れました。
この花は名称のとおりで月下すなわち夜間にしか開花しないようです。そして開花後、2時間ほどで萎んでしまうのだとか。従って開花期の月下美人に遭遇するのは忍耐と運とが必要です。今回は全くの幸運でした。昼間に植物園を訪問した折、マイク放送がなければ全く気づかなかったでしょう。
石原和幸氏のプロデュースによる「世界で一番美しい緑の壁}
上記の画像がなければ、夜間の訪問・撮影とは信じがたいですね。画像のように人気はほとんどありません。月下美人の周辺にカメラマンがたむろしているのみです。それにしても植物園のご厚意と配慮に感謝したいと思います。生涯二度目の月下美人との対面です。来年にも同じチャンスをいただければと願っています。
2008年09月24日
岩湧山に登る
秋晴れの良き日、岩湧山に登ってみました。ここは河内長野市の南端にあり、大阪府と和歌山県との境界にもあたります。当地の観光協会などが定期的に実施している南河内歴史ウォーキングに便乗してみたのです。参加者1000名余、無論大半は健康志願のシルバー族の方々です。南海河内長野の駅前に集合し、臨時バスで滝畑ダムへ。そこから岩湧山~岩湧寺~南海天見駅・・・・・・のルートで14キロあまり。久方ぶりの岩湧山なので、心はずむのだが、体が言うことをきかない。ぼちぼちとマイペースで登りましょう。
岩湧山の山頂付近。みごとな茅場です。
滝畑の登山口。 途中にはこんな鋭角峰も。
登山道にはこんな物も。恐らく毒キノコでしょうね。
年齢的には小生より年配と思える方々が大半なのだが、皆さん足の速いこと。重そうなザックを担いだ方も、軽々と追い越していかれる。どんな生活を為さっておられるのやら。汗びっしょりになりながら2時間ほどかかって山頂に着きました。ここは全国有数の茅場で、各地の文化財修復に活用されているようです。無論、茅場の保全にはたくさんのボランティアが活躍しています。
山頂から南河内方面を望む。
ちょうど昼時です。弁当を広げる方々。小生も昼食に。
分岐点では水飲みタイムかな。ほっとする一瞬ですね。
山頂からは岩湧寺、四季彩館を経由して南海の天見駅へと歩くのだが、下り道の方が体には応えますね。登山靴が古びてグリップがきかないので、半分滑りながら降りました。ちょうど岩湧寺に着いた頃、激しいスコールが。皆さん四季彩館に避難して休息タイム、ここは写真集なども置いてあって退屈しません。30分ほど休息したら小雨になったので傘をさして歩き始めます。ここから天見駅まではアップダウンはあるものの林道歩きのコースとなります。山仕事の車に注意しながらのんびりと歩き、3時頃に天見駅に到着。完走のスタンプを押して貰って終了です。
四季彩館で避難中の登山者。激しいスコールでした。
岩湧寺の分岐点。 シュウカイドウの花も散り始めてました。

天見の集落が見えてきました。ゴールも間近です。少々疲れましたね。
2008年09月23日
花の文化園を訪ねて
あまりご縁のある施設とは言えないが、創設記念日ということで無料開放となり、久方ぶりに訪問してみました。岩湧山の麓の雑木林に広がる植物園で、例の橋下知事の過激発言の対象ともなった施設の一つです。この方、なかなかユニークでやり手のようですが、現世的な即物的メリットが見えないものには、興味も関心も投資もなさらない御仁のようです。小生は、「無駄の効用」を、もっと高く評価したいと思っています。それはさておき、ここは多数の無名のボランティアによって支えられている事を知りました。確かにわずかなスタッフでは、植物の管理など到底不可能でしょう。即物的な効果が見えてこないものにも、高い価値を認める方々がたくさんおられるようです。
名前はなんと言うのでしょう。来訪者を出迎えてくれる衛兵君のようです。

この施設は長崎の造園家石原和幸氏のプロデュースによるものだそうです。石原氏といえば国内より海外で著名な若手造園家ですね。世界に集う人々から花と緑の輪が広がることを願って・・・・・・・・・・・との理念から設計された模様です。確かに園内を散策すると心と体が解放され、ホッとするような癒しの空間が広がっています。小雨まじりの来訪者が少ない折に、傘でもさしてのんびり歩く・・・・・・そんな訪問もいいかもしれないですね。
名は不明ですが艶やかな花々です。温室にて。
こんなほほえましい光景も。孫と一緒の一休みみたいですね。
広場では大道芸人によるパフォーマンスが始まっていました。子ども達が大喜びです。聞くところによれば、園でも来訪者を増やそうとあの手この手のプログラムを用意されているようです。ドングリの絵付け教室や盛り花作成のミニ教室等も開かれていました。図書室や休息室それにレストラン等もそろっており、家族連れで一日のんびり遊べそうです。帰路には地場産の野菜類をお土産に・・・・・・というのも良さそうですね。

巨大カボチャの大集団。味は不明
ですが展示品としては最適ですね。

温室内は南国ムードですね。中南米
からの来訪者なのかな。
石原和幸氏のプロデュースによるものをボランティアの方々によって制作された「世界で一番美しい緑の壁」です。
2008年09月22日
朝市祭り
朝市祭りなるものが定期的に開催されていると聞き出掛けてみた。一言で表現すると各地の直売所の合同展示即売会といった性格の催しであろうか。今回は河内長野市の山里、花の文化園の一角だ。ここには河内長野市の常設直売所があり、主に文化園の来訪者をターゲットにしている。その周辺にテント村を作って店開きだ。各地からの出展者は下記のとおり。いずれ劣らぬ顔ぶれだ。無論、出品物は農産物や手作り加工品等である。
1,富田林 津々山台の朝市 サパーファーム農産物直売所
2,河内長野 アグリ河内長野 行者湧水直売所
3,太子町 道の駅近つ飛鳥の里太子
4,河南町 道の駅かなん
5,羽曳野 あすかてくるで
河内長野の常設直売所。花の文化園来訪者がターゲットだ。
今回が第6回だそうで、今まで全く気づいてなかった。どうもアンテナの張り具合が悪いようだ。出品物は、やはり最後の夏野菜が多い。ナスやきゅうり、ネギ、ブドウ、トマト、タマネギ・・・・・・・それに秋野菜に属するサツマイモや小菊なども並んでいる。特筆すべきは加工食品の多さだろう。素材を提供するだけでなく、加工して附加価値を高めて利益を確保する・・・・・・農家集団もなかなか商売上手になっておられる。小生もしばしばよもぎ餅を購入に出掛けるので重宝しているのだ。
賑々しいテント村。各地の自信作が並んでいる。
朝市というか直売所の一番大きな特徴は、「価格決定権」が生産者にあることだろう。このことによって、営農意欲がどれほど高まったことか。それに生産者と消費者とが直結しているから、鮮度保持が高く生産情報なども直に消費者に伝わる。生産者にとっては流通に乗らないような野菜等もそれなりの価格で商品化できる。双方に大きなメリットがあるのだ。こうした販売形態をとれば、某国のような薬物混入食品や我が国で起こったカビ米や事故米の販売などは生じにくいであろう。単純化すれば、安全で安心な食材入手には直売所のご利用を、と提言できるかも知れない。
もぎたての果樹が並んでいる。生産者の顔が見えているのだ。
ブロッコリーのポット苗が3個で100円。無論、小生もしっかりと購入しました。
2008年09月21日
タイフーン
気がつけば、今年も既に台風は13号となっていたのですね。農作業にとっては一番気がかりな気象条件です。週末は台風13号が列島を横断との予想で、少々心配していました。結果的には19日の夕方から深夜にかけて潮岬の南方海上を通過して行ったようです。紀伊半島の南部が暴風圏にはいったみたいで、土砂崩れや床下・床上浸水等が報じられていました。当地はおかげさまで大したこともなく、少々強い雨風があったくらいです。よしずや物干し等は仕舞い込んでいたのですが、必要なかったようですね。ありがたいことです。金剛山系が防御壁となってくれるのか、南河内は比較的災害が少ない地域で、古墳等が多いのも、古代のご先祖様達がそうした事情を知っておられたからでしょうか。
台風上陸なら全部倒壊して大変な状況に陥ったはず。

当地では既に稲刈りが終了した所もあります。台風13号が上陸していたら、はざ掛けの現場など吹き飛ばされていたかも知れないですね。我々の田圃は収穫前ですが、稲穂の倒伏の恐れがありました。稲穂が倒伏すると非常にやっかいです。稲刈り機が使用できないので手刈りとなり、大変な手間暇となります。米も泥まみれになって、他とは分別処理が必要となります。米作りにとって一番嫌な相手が台風でしょうか。

数年前の台風では、小生の谷間の農園でも小さな土砂崩れがありました。土手の斜面が崩れて、お隣の田圃の一部が土砂で埋まってしまったのです。お隣さんは耕作放棄地で、地主さんも放置されたままなので、次第に荒涼とした風景になりつつあります。耕作者の高齢化が進み、谷間の急勾配の農地では営農の意欲も出ないのでしょう。いずれイノシシの遊び場と化する可能性がありそうです。
彼岸花(曼珠沙華)の群落が出始めました。

台風が通り過ぎた当地の田園風景です。彼岸花が咲き始めました。そういえばお彼岸の季節、花々も体内時計を持っているようですね。彼岸花には毒性があり、ネズミやもぐら等の有害小動物を防ぐ為に、畦に植え込まれた事は報告しました。戦時中は食糧不足で、彼岸花の球根からデンプンを採取したそうですが、一歩誤ると死亡事故を引き起こし兼ねないです。真似はしないようにしましょう。それにしても彼岸花は緑の葉がなく、真っ赤な花だけというのも異様な光景です。遠目にはいいのですが、あまり好きにはなれない花々ですね。
農とはまさに自然界と一帯のもの、太陽や風や水と一体化しないと出来ない仕事です。ここから八百万の神々という信仰が生まれたのでしょうね。シャーマニズムやアニミズムと呼ばれるものと祖を同じくするものでしょう。農耕が始まった数千年の昔から面々と続く果てのない営みを、我々も又引き継いで生きたいと願っています。本年も来年もどうか台風が上陸しませんように、と願っておこう。自然界の神々に。
2008年09月20日
イノシシ大学
ニュース記事で面白いものを見つけました。題して、イノシシ大学。なんでもイノシシの被害に困り抜いた行政が、イノシシ対策の専門家養成に乗り出したとか。事はそこまでせっぱ詰まっているのです。わが「とんびくらぶ」も被害に遭遇しています。栗の実が食いつぶされ収穫が落ちた話は数日前に報告しました。まずは毎日新聞の記事をご覧下さい。
イノシシ対策を協議中です。南河内でも困っています。

△△△△△△△△ 毎日新聞記事を転載 △△△△△△△△
イノシシ大学:県北で増加する農作物被害対策学ぶ--佐世保 /長崎
◇専門家がインストラクター育成
イノシシによる農作物被害の軽減策を学ぶ「イノシシ大学」がこのほど、佐世保市三浦町のアルカスSASEBOで開講した。県や同市など県北3市7町と農協などでつくる「県北地域イノシシ等防除対策協議会」の主催。来年3月まで、月1回専門家が講義し「イノシシ対策インストラクター」を育成する。
初回は、同協議会員や猟友会員、農家、イノシシに関心のある県北地域の住民ら60人が参加した。講師は県農政課の嘱託職員で鳥獣対策専門員の小寺祐二さん。「イノシシはどのように増えるのか」をテーマに、グラフや図を用いて分かりやすく解説した。
今後は、イノシシ対策としての防止柵設置や捕獲技術などを学ぶ。一定の出席回数がありテストで及第点を取った人がインストラクターとして認定され、イノシシ被害で困っている農家などに適切な指導を行う。
県県北振興局によると、県北地域のイノシシによる農作物被害は年々増加傾向にあり、07年度の被害額は9246万円(県全体では2億990万円)。住民を対象に長期のイノシシ対策の講義を開講するのは全国的にも珍しいという。【山下誠吾】
毎日新聞 2008年9月17日 地方版
△△△△△△△△△ ここまで転載 △△△△△△△△△
イノシシの専用道路 ?
さてこのイノシシ対策だが、ライフルで仕留めるのが確実だろうが、銃器はないし取り扱いも経験なし。しからば罠をしかけて・・・・・との発想になるのだがこれも簡単ではなさそうだ。冬場に里山倶楽部の猛者が竹で罠を作って捕まえようと試みたがうまくいかなかったようだ。それともう一つは法律の問題。法治国家の国民としては法を無視できない。調べてみると、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律、という長ったらしい名称の法律が平成14年に制定されている。ここで狩猟免許という規定があり、なんとわなで仕留める方法も免許が必要とのこと。えらいこっちゃ。
免許のない人間はどうするか。中山間地の農園で一般的に取られている方法、すなわち (1)トタン板で囲む (2)電気柵の使用 (3)ネットを張る (4)猟犬等の活用・・・・・・・・・位だろうか。対症療法に過ぎない気もするが、他に適当な方法論も見つからない。基本的には彼らが山で暮らしていければ一番良いのだが。イノシシは雑食性だが植物性の食を好む。具体的には植物の地下茎や木の実或いはタケノコなどだ。こうした食物が山に豊富であれば、彼らも危険を冒してまで里には下りてこないはず。従前はきちんと棲み分けが為されていたのだ。根本的原因は戦後の一斉造林、すなわち雑木林を切り払い、杉や檜を全面的に植えた事にあるのではなかろうか。
我々のフィールド。独立系の森なのに、ここもシシたちの蹂躙場と化するのか。
2008年09月19日
観月夜
台風の影響でしょうか、週末は荒れ模様のようですね。久方ぶりの天候の崩れです。もっとも農作物にとっては恵みの雨かもしれません。物事は多面体として、視点を変えて考える必要がありますよね。数日前は良いお天気がありましたので、観月を楽しませていただきました。今年は暦がうまくいったのか、14日が中秋の名月、15日が満月でしたよね。15日は曇っていましたが、14日の中秋と16日はうまく出てくれました。画像は両日のものです。
遠方に見えるのは狐火? 実はお隣の団地の明かりなんです。幻想的ですね。
70ミリでねらってみました。さすがに遠いですね。
150ミリ位だったと思います。少々大きくなりました。
300ミリで撮ったものをトリミングしてます。兎さんは見えないようです。
日本の歳時記を考えるには旧暦を使うのが便利なんですが、旧暦のカレンダーの販売など少ないですよね。中秋の名月は旧暦の8月15日、旧暦はご存じのように新月が1日で一月が始まります。そして15日前後で満月、今年はちょうど15日が満月でしたね。旧暦と新暦(現在使用しているグレゴリー歴)とでは、1ヶ月前後の時差がありますので、換算が面倒ですね。
旧暦の季節配分は、1月~3月が春、4月~6月が夏、7月~9月が秋、10月~12月が冬、となっています。ですから8月15日はちょうど秋の真ん中に当たるんですね。従って「中秋の名月」とか。ちなみに「仲秋の名月」とは秋を三つに区分した真ん中の月という意味だそうです。いわゆる8月中の月ということでしょうか。小生はこれが理解できず、ごっちゃに使っていました。
名月からさらに一週間くらい前の画像です。
月はなんとも幻想的で不思議な魅力(魔力?)を秘めていますね。多くの詩人や歌人が月への想いを歌(詩)に託したはずです。古くはかぐや姫の物語など極めて日本的ですね。ちなみに、西洋社会ではオオカミ男の伝説ぐらいしか聞きませんが、なんとも野暮な話です。
名月とは邦楽がにあいそうです。来月上旬、当地の古刹で観月会が開催されます。久方ぶりに古典的な雅を楽しませていただこうと、わくわく致しております。
2008年09月18日
河内の英雄
近くの老人福祉センターなるものを始めて訪問してみた。老人との意識が皆目無いもので、今まではご縁があるようにはどうにも思えなかったからだ。今回、行動が変化したのは、観心寺の永島住職が講演に出向いてくださるとの話を聞き込んだからだ。観心寺はご存じの方も多いと思うが、河内長野市の山手に存在する高野山真言宗の名刹である。というより楠公さんの学問所と言った方が早いだろうか。彼、楠公さんは8歳から15歳までの多感な少年期をこの寺で学問の修業に励まれた。師匠の滝覚坊から学んだのは、弘法大師の四恩の教えと思われる。四恩の教えとは、父母の恩・国の恩・衆生の恩・三宝の恩(仏と・仏の教え一法と・それを守って生きる人々─僧「僧侶と檀信徒のすべて」以上を仏法僧の三宝という)と言われています。この恩を知り恩に報いることが人としての生き方だと説かれるものです。それと大江時親について兵法を学ばれたようですね。
騎馬姿の楠公さん、観心寺の門前にあります。
永島さんはお寺の住職さんであり、尚、大学でも教鞭を執っておられる故か、なかなかお話が上図である。関心を反らすさぬようにポイントを外さぬように時間内に収まるように、みごとな展開で話を進められる。なかなか聡明な御方のようだ。楠公さんの菩提寺ということもあり、彼への思い入れは人一倍のものがあられるのだろう。
講演中の永島住職。60代半ばかなと見受けられます。
楠公さんを理解するのに一番わかりやすいのが「非理法権天」のポリシーであろう。観心寺ではこれが「非利法権天」となっているそうだ。永島説では、非は利に勝たず、利は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず、天は明にして私なし・・・・・・・の意となる。意味は解説不要でしょう。楠公軍の旗印であったこの非理法権天のポリシーは、また楠公さんの生涯を貫いた基本原則でもあったのでしょう。名声や権力を求めず、己の信念に殉じた涼やかな生き様を是としたいものです。
南河内の名刹観心寺、紅葉のきれいなお寺さんです。
永島住職が把握しておられる楠公さんの特徴です。ご紹介しておきましょう。
1,国を考える。
2,いさぎよい。
3,情報収集と判断力に優れる。
4,豊かな知識と教養を持つ。
5,信仰に篤い。
社会福祉法人である老人ホームの理事長も兼ねておられる永島住職、永年の業務体験から導き出された教訓でしょうか。認知症にかからない3原則なるものも教えてくださいました。爆笑のなかでも皆さん納得のご様子で、うなずいておられる聴衆が多数見受けられました。ご参考までに3原則を記しておきましょう。
1,おしゃれをして外出しよう。
社会との接点を失わないように、他人の視線を意識するようにとの意でしょう。
2,決めたことは必ず実行しよう。
規則正しい生活をおくって自立した毎日をとの意でしょう。
3,土いじりをしよう。
自然の中で己を解放し、命を育てる喜びと感謝を失わないようにとの意でしょう。
2008年09月17日
華麗なる転身
快晴の秋晴れの下、軽トラックのハンドルを握り、にこやかに笑っている0mさんの姿があった。何してんのや・・・・・・・というのが仲間達の第一声。無理もない、スーツ姿でオフィス街を闊歩するキャリアウーマンの彼女しかイメージに無かったものだから。PCのキーボードを叩いていた細めの腕に、軽トラのハンドルが握られている。無論、作業服姿だ。聞くところによれば、河南町の農場に勤務しているのだとか。ICのオペレーターから農場の従業員に?、誰しもピンとはこないだろう。かねて農への関心は高そうだとの心証はあった。だが、まさか本気で転身しようとは夢にも想像していなかったのだ。おそらく全員がそうだったに違いない。
このスリムな体のどこにそんなエネルギーが。
安定した地位と収入を捨て、肉体労働の最前線である農の現場へどうして転身をと不思議に思うだろ。農業収入は全国的にみてもかなり低い。これのみで生計を立てるのはかなり困難な状況だ。無論、彼女がそうした実情を知らぬ訳ではない。知った上での決断なのだ。様々な思いや悩み或いはとまどいがあったには違いないと思うが、彼女の笑顔は吹っ切れていた。乗り切った結果の自信とも判断できる。
山仕事も堂にいったものだ。草刈りは十八番でもある。
無農薬栽培を旨とする農場だ、当然虫たちとの接近遭遇はかなり多い。青虫をつぶすにはなれましたけど、でっかい芋虫はどうもねえ・・・・・・・・・・と笑っていた。今までとは180度も異なるような生活だから、混乱することも多いだろう。牛小屋を改造した居住区で自炊生活を行っているそうだ。経済面では困難な場面とも向き合うかも知れないが、精神的・身体的には豊かな生活をおくれるだろう。人間にとって幸福とは何だろうか、と自問する機会も増えるかも知れない。信念と情熱を持って新たな道を選択した彼女にエールを送りたい。おそらく仲間の皆の衆も同じ思いだろう。
天高く、Z旗あがる。
天も彼女の決断を祝福してくれているのだろうか。青空高く、Z旗を掲げてくれた。かの日本海海戦で東郷提督が旗艦三笠の艦上に掲げて将兵の奮起を促したシンボルである。「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」との意である。人間が決死の思いで決断し、努力を続ける姿からは、必ずや良い結果を導き出すものと信じたい。日本海海戦が一方的な勝利で終焉したように。
2008年09月16日
9月14日定例会報告
大変な情報が飛び込んできた。早朝からネット張りに励んでいる農家の方と遭遇し、挨拶がてら話していたら、イノシシが集団で夜な夜な徘徊しているとのこと。それも20頭くらいの大家族のようで、写真も撮られたとか。我々のフィールドは独立系の森で、いわば集落のあいまに森があると言う状況だ。山間部からシシがフィールドに至るには集落の間を抜けなければならない。そんなことはできないだろう、と安心しきっていたのだが。予感させるような現象はあった。タケノコが食いちぎられたり、椎茸が全滅していたり、獣道らしき踏み後があったり、囲っていた笹百合の開花地が荒らされていたり・・・・・・・・・・・・・・・。こうなってくると根本的な対策が必要だが、シシ相手に完全防御は難しい。
落下した栗の実も食いちぎられている。上手に食べているようだ。
農家の方と防御策を協議中 この一本道に柵を作る案も
おかげで、落下した栗を拾おうとの予定も変更だ。弾けた状態で木の上にあるものを取るしかないようだ。今日は収穫も少ないかな。イノシシも味を覚えたら定期的にやってくるだろう。先程の農家の方もサツマイモ畑が全滅だそうだ。
ぼやいていても始まらないので作業開始。あいかわらず雑草の山だ。
作業後の光景、ヤブがすっかり無くなっています。

作業の合間には栗の実が気になるのか、高枝鋏を持ち出して栗の木に向かう人も。秋の味覚のほうが作業より楽しいですよね。わかります、その心境は。
探しても落下したのは無いです
ね。シシたちが先に食べました
から。
結構、収穫もあったようです。籠が
半分ほど埋まりました。
下記の画像をご覧下さい。下部の中央から右上に向かって一本の筋らしきものが走っているのがおわかりでしょうか。踏み固められた通路のようですね。どうやら彼ら、イノシシたちのスーパーハイウエイのようです。夜な夜なこの道を通って田畑を荒らしに通っているのでしょうか。
イノシシ用の高速道路 ?
ともあれ今日も良いお天気です。難儀な話も持ち上がってきましたが天気晴朗、空は真っ青に澄み渡り、秋まっただ中といった印象ですね。ありがたいことです。コマーシャルではないですが、今日も元気だビールがうまい・・・・・・・・・とまいりましょうか。
2008年09月15日
3ヶ月目の米
我々が田植えをやったのが6月の中旬、ちょうど3ヶ月目だ。稲穂が出ずにヤキモキしていたが、今では稲穂が黄色く色づき、頭を垂れて重そうな感じだ。結構、実もはいってるみたい。不思議なもので、一定の時間の経過とともに滞りなく成長してくれるらしい。今年は今まで台風もなく、この調子で気象条件が進んでくれれば良い収穫を迎えられそうだ。農に携わる方々のメルマガやブログを拝見してると既に稲刈りにはいった地域もあるようだ。当地では全般に遅いようで、来月の末位だろうか。新米のご飯がいただけるのは11月の初旬かな。
しっかりと米粒がはいっているようですね。
雀たちは多分に早稲種の田圃へと出掛けているのでしょう。我々の田圃にはほとんど来訪しません。ありがたいことです。キジバトやハクセキレイが時折にやってきますが被害が出るほどではありません。イノシシもここらには出ないです。もう少し山間部にはいるとイノシシ対策で大変な思いの農家が少なくないようですが。
我々の田圃です、良い眺めですね。まさに瑞穂の国。
おやおや異なものが・・・・・・・・どうやらムラサキツユクサのようですね。たった一輪、稲穂の間からひっそりと覗いています。どうしてこんな場所にと不思議ですが、種が飛んでいたのかな。せっかくだから、稲刈りまでこの地で過ごしていただきましょう。
たった一輪だけの開花のようです。
中にはこんな稲穂も。病気でしょうか、完全に死亡したようですね。手で押さえたみましたが、スカスカでした。米粒が出来上がる前に命尽きたようですね。他に広がらないように願っています。
中央部の白っぽい茎です。今のところ数本だけのようですね。
畦道ではIkさんが植え込んでくれた黒豆が実りつつあります。米の収穫と同じ頃かな。新米をほおばりながら、黒豆をおつまみに冷たいビールで収穫祭を・・・・・・・・・との想定でしょうか。ありがたいご配慮です。
数量的には、そうたいしたものではありませんが、主食を自分たちで作ることの意義は大きいものです。カビの生えたお米や工業ノリ用の事故米などを食べさせられる心配は皆目ございません。作り手も作り方も、すべて把握できているお米ですからね。それにしても一部とはいえ、流通に携わる方々から信念とプライドが消え去ってしまったようで非常に残念です。かって社会に身分制度が存在していた頃、「士農工商」と商は最下位にランク付けされていました。身分制度を良しとはしないが、この意味は考えてみる必要があるかと思います。今から140年ほどの昔、「論語と商売は両立する」と喝破した、渋沢栄一翁の伝記を読み直しておきたいものです。戦後60有余年、我々はどこかの分岐点で道を誤ってしまったのかも知れないですね。
2008年09月14日
園芸店を訪ねて
家人がどうしても入手したいものがあるとの要望で、泉州地域のとある園芸店を訪問することとなった。府下でも有数の大型店舗で15000坪はあろうかと思える敷地にありとあらゆる園芸用品が並べてある。たくさんありすぎて選択に迷うほどだ。当然種苗等も自社開発で独自ブランドの苗や種がズラリとそろっている。私宅からは車でも少々かかるので、滅多には来ないのだが、来店すると、ついあれこれと購入したくなってくる。ぐぐっと気を引き締めて、必要最小限度の買い物に留めることとしよう。
大好きなリンドウも間もなく開花期のようだ。鉢花が沢山並んでいる。
無いものは無い、と言うぐらいにありとあらゆる園芸用品がならんでいる。仕事柄、野菜作りの用品達を覗いてみよう。まずは種物、上述したようにここは独自の商品開発をやっており、種苗メーカーの商品を仕入れて並べて売るだけではない。種も苗も大半が自社ブランドだ。そして価格も結構に安い。葉物の苗だと1本40円~80円くらい、私宅の近辺では60円~100円くらいだ。
恐ろしい位の種が並んでいる。選択に困難をきたす程だ。
葉物野菜のポット苗。
1個48円なり、確かに
安い。
花のポット苗。こちらは
1個23円なり、非常に
安い。
用具類も多種多様だ。下記の画像は農薬の散布器とマルチ用のシート。それに収穫用の竹かごまで販売されていた。無論竹かごは中国製かベトナム製だとは思うのだが。
面白い物を発見した。下記の画像をご覧あれ。南河内でも郷土食として7月上旬頃に作られる半夏生餅だ。餅米の中に小麦を入れてつきあげる餅で、一種独特な食感に包まれる。農家ではこの頃までに農作業を終えて一休みとする慣習があり、土用の丑と一緒で夏バテ防止の意味合いも込めて餅をついたのかも知れない。限定10食とかで商品は既に売り切れていたが、なんとも懐かしい食品だった。そういえば里山の学校に在学中に半夏生餅をついたっけ。
2008年09月13日
秋は栗ご飯から
栗の木がすっかりと色づいてきました。青々とした葉っぱの合間から、弾けたイガの隙間から、焦げ茶に色づいた栗の実が覗いています。もう完熟だよ、早く取っておくれよ・・・・・・・とでも言いたげに。体内時計でも持っているのでしょうね。この季節になると決まって弾けてくれます。谷間の農園に苗木を植えて8年あまり、今では実りを期待できるまでに育ってくれました。桃栗3年柿8年・・・・・とか言いますが、栗の木は割と早めに実を着けてくれますね。ありがたいことです。私宅ではもっぱら栗ご飯、栗の渋皮煮といった手間暇かかる料理(菓子作り?)は苦手のようです。
谷間の農園でも立派な栗の実が。
小生の栗取りは以下のとおり。手に持つのは小型の鎌、まずもってこれで完熟した栗を枝からたたき落とします。イガが痛いので足で踏んづけて固定し、鎌で裂け目を広げて中の実を取り出します。木が高いときは高枝ばさみなども効果的ですね。長い竹でたたき落とすのも簡便でやりやすい手法かも。
百均で購入した小型の鎌、栗の実拾いと管理機の泥落としに最高です。
10分程でこれだけ収穫、栗ご飯1回分はありそうですね。
持ち帰った栗の実は包丁で割り、渋皮をはいでしまいます。そして水につけ込んで少々のあく抜きと鮮度の保持、あとは適度な大きさに細分しご飯と一緒に炊き込むのみです。いとも簡単な作り方。秋ならばでの料理でしょうか。栗ご飯が出てくると秋の到来を実感しますね。
ちょっと目には里芋のようですが、今年の初物の真正なる栗です。
次回のとんびくらぶは草刈りと栗拾いの予定、早生の栗の木があるので収穫期の実が沢山待ちかまえているのでは。ひょとしたらアケビの実もなっているかも。昨年も一昨年も栗とアケビとを一緒に撮影したように記憶しているが、多分。栗の茶色とアケビのピンク色とが不思議とマッチングするのですね。山里の秋は静かに深まっていきます。果樹をほうばり、紅葉を愛で、青空を堪能して、季節の移ろいを楽しみましょう。四季が豊かな国に生まれた者の特権です。
本年初の栗ご飯です。ライトが強すぎて色合いが飛んでしまいましたね。
2008年09月12日
菜園道具事情
つい最近まで現役だった農耕用具達だ。
近くに存在する「近つ飛鳥博物館」を訪ねて道具の歴史を覗いてきた。農耕用具に限って数点を紹介してみよう。人間が様々な道具を開発し、使ってきた経緯が理解できるかと思う。
石包丁に鉄製の鎌の先、いずれも稲刈りに使用された。
木製のスコップと鍬。現在の用具と材質が違うだけで形と機能は同じだ。
牛馬という、いわばエンジンに相当するものも使用し始めた。
そして現在に至ると、石油を燃料とする動力機器がふんだんに活躍しているのは周知の事実である。まさに今日の農業は石油によって成り立っていると言っても過言ではない。石油が止まったら、かっての帝国陸海軍と同じ運命だろう。我々のような小規模菜園ではそうした大型機器は使用していない。自然農法を採択される方々も同じであろう。せいぜいが、ミニの管理機と刈払機、それに手道具のクワ、スコップ、カマ、移植ごて・・・・・・・・・位かな。
石油を使用するわずかな道具達。
刈払機
管理機
商品化をねらって大量生産を目的としない限り、こうした最小限の道具で農業は可能である。ベランダ農法(?)という、もっと簡素で道具を使用しない手法も存在する。置かれた環境下で、それなりの方法で、自分たちの野菜等を作り出すのは出来るのだ。多くの方々が是非にチャレンジしていただきたいものである。安全で安心な食材を、と声高に主張されるのもいいが、自分たちで作り出す方がよっぽど確実だ。野菜等を作り出す過程は、こども達にとっても、それこそいい食育となるのではなかろうか。
今回お世話になった、近つ飛鳥博物館。
近つ飛鳥博物館、ここも建築家安藤忠雄氏の設計によるものだそうだ。上空から眺めると前方後円墳の形をしているとか。鉄とセメントと直線の建造物というのは、どうにも好きになれないが、中に収蔵されている品々は見学に値する物だ。是非、覗いて見てください。又、安藤忠雄氏の口癖である「自分たちで出来ることは自分達でやろうよ」という言葉と、「緑の回廊」と「風の道」を作ろうとの提言は真摯に受け止める必要があると考えますが・・・・・・・・・・・・・・・。
2008年09月11日
秋ジャガ植えよう
雨も止みさわやかな青空が広がった。どうやら快晴に近いようだ。9月にはいり正真正銘の秋、ギラギラするような青空から涼やかな青空へと、同じ青空でも受け止める心象がまるで異なってくる。まだまだヤブ蚊は多いものの作業はやりやすい。体が勝手に動き出し、次々と用事をこなしていく。年中こんな状態だと随分と仕事がはかどることだろうな。さて今日は秋ジャガイモの植え付けを行うことにしよう。種芋はとっくに購入していたものの、時間が取れず伸び伸びとなっていたのだ。
秋になると透明感の増した涼やかな青空となってくる。いいものだ。
秋ジャガはアンデスレッドを植えることにする。大量生産用に品種改良されたダンシャクやメークインと違って少々の小ぶり、どちらかというと原種に近いだろう。独特な赤色が特徴だ。ちょっと芽が出かかったものを直売所で仕入れたいた。今からだと正月までには収穫できるだろう。量はそう多くはいらない。
これが種芋のアンデスレッド。20個~30個位はいっていた。
まずもって予定地の整備。耕耘機は既にかけているので、畝立てと元肥がメインの作業となる。畝立ては純粋な肉体労働で、少々腰に響いてくる。畝立てが終わると溝切りをやって下準備OKだ。
秋ジャガの予定地。 畝立て・溝切りが完了した。
中央部の溝の中に種芋を配置していく。そして、その種芋の間に元肥を入れ込んでいく。小生の場合は鶏糞と化成肥料だ。ジャガの場合は元肥だけで十分なようだ。追肥はほとんどやらない。ただ、ジャガは種芋の上部に子芋が出来ていくので、種芋を深めに埋めるのと後で土寄せが必要なのが特徴的な栽培法かな。埋め込んだ種芋には籾殻をかぶせてあげる。土だけよりは芽が出やすいようだ。
種芋の配置と元肥の入れ込み、白っぽいのは化成肥料。
完成したジャガイモ畑、半日がかりだった。正月前には収穫できるだろうから、冬場の主食代用ともなってくれるだろう。秋は米が収穫できるしサツマイモも掘れる、それにジャガイモの収穫やネギ・ニンジン等の野菜類も・・・・・・・・・・・・楽しいことだらけだ。栗も色づいてきた、柿も実っている。野山は食材の宝庫だな。食料を自分で作れる充実感、この楽しみは他には変えれぬだろうな。
出来上がった秋ジャガの畑。

作業が終了して、ふと空を見上げるとジェット機が飛んでいた。自衛隊の戦闘機だろうか。真っ白な飛行機雲がなんとも良い雰囲気だ。澄み渡った青空の下で、汗を流す喜びを是非に多くの方に体感していただきたいものである。食の安全や安心或いは食育などと叫んでいるより、自分で自分たちの食材を作る方がよっぽど確実なんだから。建築家の安藤忠雄さんも語っておられましたよね、「自分たちで出来ることは自分たちでやろうよ」、と。
2008年09月10日
山里の陶器祭り
山里の森の中で全国陶器祭りが開催されている。窯元や問屋、小売店など約50店の出張販売だそうで、大阪では当地だけの開催のようだ。約50万点を市価の3~5割引で販売されるとの情報で、さっそく覗きにいってきた。有田焼、信楽焼、備前焼、読谷焼、・・・・・など有名どころもそろっているようだ。陶器はいい物はとてつもない値がつく、我々が購入できるのは安価な限られた品物だが、気に入ったものがあればと覗き回る。
全国陶器祭りが開催中、雨上がりの故か出足は悪いようだ。
会場はこんな森の中で、山寺の一角だ。
小生のお目当ては志野焼のコーヒーカップ、結論から言うと出品はなかったようだ。志野焼は美濃焼の一種で岐阜県の可児市や土岐市あたりで作られる物だ。もぐさ土という材料を使い高温で焼いたピンク系の仕上がりが多いようである。私宅で使っていたコーヒーカップも薄いピンク色で少々ゴツゴツ感のある素朴なカップだった。とても気に入っていたのだが、大半は誤って破損したのか1個しか残っていない。せめて半ダースでも入手できればと思っていたのだが・・・・・・・・・。
有田焼が多いようだ。九州は佐賀の産かな。
小皿をとっても一枚300円くらいの品から数万円位まで様々である。率直にいってどこで値の格差がつくのかよくわからない。外観上はほとんど同じ物に見えてしまうのだが。値段がどうあれ陶器は生活用品、気に入ったものがあれば安価な商品でも支障はないだろう。
思わず足を止めてしまった。図柄の葉や花が本物のようだ。
覗き回っている最中に思わず足が止まったのがこの陶器。つがの焼きと言って始めて聞いた名称だが、栃木県の産とか。特殊な油薬を使って自然の草花を貼り付け、焼き固める手法で表現するのだとか。どうりで図柄が本物の葉や花に見えたはずである。落ち着いた静かな雰囲気の品々で、花器として使用すれば控えめな華やかさが演出出来るかも。
森の草刈りで、休息時にはこんな道具でお茶が飲めたら。
面白い物を見つけました。いわゆる「曲げわっぱ」と呼ばれる木製弁当箱です。木地師と呼ばれる山の工人達が作り上げた作品ですね。確か東北地方が産地だったように記憶しているが、どうだったっけ。それにしても、今でもこんな品を作り続ける人が存在するのですね。
土や木など自然の素材を使いながら見事な生活用具を作り出す、手仕事の持つ素晴らしさを改めて再認識しました。職人と呼ばれた人々が終生を賭けて磨き上げた技の故でしょう。何とも言えない風格みたいなものが漂っています。機械で大量生産された用品とは又違った趣のようです。ここまでくると、生活用品でありながら一種の芸術品であるかも知れないですね。生活の中には、こうした本物の品々を取り入れたいものです。



