2008年09月22日

朝市祭り

朝市祭りなるものが定期的に開催されていると聞き出掛けてみた。一言で表現すると各地の直売所の合同展示即売会といった性格の催しであろうか。今回は河内長野市の山里、花の文化園の一角だ。ここには河内長野市の常設直売所があり、主に文化園の来訪者をターゲットにしている。その周辺にテント村を作って店開きだ。各地からの出展者は下記のとおり。いずれ劣らぬ顔ぶれだ。無論、出品物は農産物や手作り加工品等である。

    1,富田林     津々山台の朝市     サパーファーム農産物直売所
    2,河内長野    アグリ河内長野     行者湧水直売所
    3,太子町     道の駅近つ飛鳥の里太子
    4,河南町     道の駅かなん
    5,羽曳野     あすかてくるで

          河内長野の常設直売所。花の文化園来訪者がターゲットだ。
 

今回が第6回だそうで、今まで全く気づいてなかった。どうもアンテナの張り具合が悪いようだ。出品物は、やはり最後の夏野菜が多い。ナスやきゅうり、ネギ、ブドウ、トマト、タマネギ・・・・・・・それに秋野菜に属するサツマイモや小菊なども並んでいる。特筆すべきは加工食品の多さだろう。素材を提供するだけでなく、加工して附加価値を高めて利益を確保する・・・・・・農家集団もなかなか商売上手になっておられる。小生もしばしばよもぎ餅を購入に出掛けるので重宝しているのだ。

            賑々しいテント村。各地の自信作が並んでいる。 



朝市というか直売所の一番大きな特徴は、「価格決定権」が生産者にあることだろう。このことによって、営農意欲がどれほど高まったことか。それに生産者と消費者とが直結しているから、鮮度保持が高く生産情報なども直に消費者に伝わる。生産者にとっては流通に乗らないような野菜等もそれなりの価格で商品化できる。双方に大きなメリットがあるのだ。こうした販売形態をとれば、某国のような薬物混入食品や我が国で起こったカビ米や事故米の販売などは生じにくいであろう。単純化すれば、安全で安心な食材入手には直売所のご利用を、と提言できるかも知れない。
 
        もぎたての果樹が並んでいる。生産者の顔が見えているのだ。


     ブロッコリーのポット苗が3個で100円。無論、小生もしっかりと購入しました。

  

Posted by とんび at 05:07Comments(0)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年09月21日

タイフーン

気がつけば、今年も既に台風は13号となっていたのですね。農作業にとっては一番気がかりな気象条件です。週末は台風13号が列島を横断との予想で、少々心配していました。結果的には19日の夕方から深夜にかけて潮岬の南方海上を通過して行ったようです。紀伊半島の南部が暴風圏にはいったみたいで、土砂崩れや床下・床上浸水等が報じられていました。当地はおかげさまで大したこともなく、少々強い雨風があったくらいです。よしずや物干し等は仕舞い込んでいたのですが、必要なかったようですね。ありがたいことです。金剛山系が防御壁となってくれるのか、南河内は比較的災害が少ない地域で、古墳等が多いのも、古代のご先祖様達がそうした事情を知っておられたからでしょうか。

            台風上陸なら全部倒壊して大変な状況に陥ったはず。


当地では既に稲刈りが終了した所もあります。台風13号が上陸していたら、はざ掛けの現場など吹き飛ばされていたかも知れないですね。我々の田圃は収穫前ですが、稲穂の倒伏の恐れがありました。稲穂が倒伏すると非常にやっかいです。稲刈り機が使用できないので手刈りとなり、大変な手間暇となります。米も泥まみれになって、他とは分別処理が必要となります。米作りにとって一番嫌な相手が台風でしょうか。

 
 
数年前の台風では、小生の谷間の農園でも小さな土砂崩れがありました。土手の斜面が崩れて、お隣の田圃の一部が土砂で埋まってしまったのです。お隣さんは耕作放棄地で、地主さんも放置されたままなので、次第に荒涼とした風景になりつつあります。耕作者の高齢化が進み、谷間の急勾配の農地では営農の意欲も出ないのでしょう。いずれイノシシの遊び場と化する可能性がありそうです。

              彼岸花(曼珠沙華)の群落が出始めました。



台風が通り過ぎた当地の田園風景です。彼岸花が咲き始めました。そういえばお彼岸の季節、花々も体内時計を持っているようですね。彼岸花には毒性があり、ネズミやもぐら等の有害小動物を防ぐ為に、畦に植え込まれた事は報告しました。戦時中は食糧不足で、彼岸花の球根からデンプンを採取したそうですが、一歩誤ると死亡事故を引き起こし兼ねないです。真似はしないようにしましょう。それにしても彼岸花は緑の葉がなく、真っ赤な花だけというのも異様な光景です。遠目にはいいのですが、あまり好きにはなれない花々ですね。







農とはまさに自然界と一帯のもの、太陽や風や水と一体化しないと出来ない仕事です。ここから八百万の神々という信仰が生まれたのでしょうね。シャーマニズムやアニミズムと呼ばれるものと祖を同じくするものでしょう。農耕が始まった数千年の昔から面々と続く果てのない営みを、我々も又引き継いで生きたいと願っています。本年も来年もどうか台風が上陸しませんように、と願っておこう。自然界の神々に。

  

Posted by とんび at 05:18Comments(0)TrackBack(0)米づくり

2008年09月20日

イノシシ大学

ニュース記事で面白いものを見つけました。題して、イノシシ大学。なんでもイノシシの被害に困り抜いた行政が、イノシシ対策の専門家養成に乗り出したとか。事はそこまでせっぱ詰まっているのです。わが「とんびくらぶ」も被害に遭遇しています。栗の実が食いつぶされ収穫が落ちた話は数日前に報告しました。まずは毎日新聞の記事をご覧下さい。

          イノシシ対策を協議中です。南河内でも困っています。





        △△△△△△△△  毎日新聞記事を転載  △△△△△△△△


イノシシ大学:県北で増加する農作物被害対策学ぶ--佐世保 /長崎

 ◇専門家がインストラクター育成
 イノシシによる農作物被害の軽減策を学ぶ「イノシシ大学」がこのほど、佐世保市三浦町のアルカスSASEBOで開講した。県や同市など県北3市7町と農協などでつくる「県北地域イノシシ等防除対策協議会」の主催。来年3月まで、月1回専門家が講義し「イノシシ対策インストラクター」を育成する。

 初回は、同協議会員や猟友会員、農家、イノシシに関心のある県北地域の住民ら60人が参加した。講師は県農政課の嘱託職員で鳥獣対策専門員の小寺祐二さん。「イノシシはどのように増えるのか」をテーマに、グラフや図を用いて分かりやすく解説した。

 今後は、イノシシ対策としての防止柵設置や捕獲技術などを学ぶ。一定の出席回数がありテストで及第点を取った人がインストラクターとして認定され、イノシシ被害で困っている農家などに適切な指導を行う。

 県県北振興局によると、県北地域のイノシシによる農作物被害は年々増加傾向にあり、07年度の被害額は9246万円(県全体では2億990万円)。住民を対象に長期のイノシシ対策の講義を開講するのは全国的にも珍しいという。【山下誠吾】

毎日新聞 2008年9月17日 地方版
  

       △△△△△△△△△   ここまで転載     △△△△△△△△△


                   イノシシの専用道路 ?

さてこのイノシシ対策だが、ライフルで仕留めるのが確実だろうが、銃器はないし取り扱いも経験なし。しからば罠をしかけて・・・・・との発想になるのだがこれも簡単ではなさそうだ。冬場に里山倶楽部の猛者が竹で罠を作って捕まえようと試みたがうまくいかなかったようだ。それともう一つは法律の問題。法治国家の国民としては法を無視できない。調べてみると、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律、という長ったらしい名称の法律が平成14年に制定されている。ここで狩猟免許という規定があり、なんとわなで仕留める方法も免許が必要とのこと。えらいこっちゃ。


免許のない人間はどうするか。中山間地の農園で一般的に取られている方法、すなわち (1)トタン板で囲む (2)電気柵の使用 (3)ネットを張る (4)猟犬等の活用・・・・・・・・・位だろうか。対症療法に過ぎない気もするが、他に適当な方法論も見つからない。基本的には彼らが山で暮らしていければ一番良いのだが。イノシシは雑食性だが植物性の食を好む。具体的には植物の地下茎や木の実或いはタケノコなどだ。こうした食物が山に豊富であれば、彼らも危険を冒してまで里には下りてこないはず。従前はきちんと棲み分けが為されていたのだ。根本的原因は戦後の一斉造林、すなわち雑木林を切り払い、杉や檜を全面的に植えた事にあるのではなかろうか。




      我々のフィールド。独立系の森なのに、ここもシシたちの蹂躙場と化するのか。

  

Posted by とんび at 05:11Comments(0)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年09月19日

観月夜

台風の影響でしょうか、週末は荒れ模様のようですね。久方ぶりの天候の崩れです。もっとも農作物にとっては恵みの雨かもしれません。物事は多面体として、視点を変えて考える必要がありますよね。数日前は良いお天気がありましたので、観月を楽しませていただきました。今年は暦がうまくいったのか、14日が中秋の名月、15日が満月でしたよね。15日は曇っていましたが、14日の中秋と16日はうまく出てくれました。画像は両日のものです。

    遠方に見えるのは狐火? 実はお隣の団地の明かりなんです。幻想的ですね。

            70ミリでねらってみました。さすがに遠いですね。

           150ミリ位だったと思います。少々大きくなりました。
 
     300ミリで撮ったものをトリミングしてます。兎さんは見えないようです。

日本の歳時記を考えるには旧暦を使うのが便利なんですが、旧暦のカレンダーの販売など少ないですよね。中秋の名月は旧暦の8月15日、旧暦はご存じのように新月が1日で一月が始まります。そして15日前後で満月、今年はちょうど15日が満月でしたね。旧暦と新暦(現在使用しているグレゴリー歴)とでは、1ヶ月前後の時差がありますので、換算が面倒ですね。


旧暦の季節配分は、1月~3月が春、4月~6月が夏、7月~9月が秋、10月~12月が冬、となっています。ですから8月15日はちょうど秋の真ん中に当たるんですね。従って「中秋の名月」とか。ちなみに「仲秋の名月」とは秋を三つに区分した真ん中の月という意味だそうです。いわゆる8月中の月ということでしょうか。小生はこれが理解できず、ごっちゃに使っていました。

            
              名月からさらに一週間くらい前の画像です。



月はなんとも幻想的で不思議な魅力(魔力?)を秘めていますね。多くの詩人や歌人が月への想いを歌(詩)に託したはずです。古くはかぐや姫の物語など極めて日本的ですね。ちなみに、西洋社会ではオオカミ男の伝説ぐらいしか聞きませんが、なんとも野暮な話です。


名月とは邦楽がにあいそうです。来月上旬、当地の古刹で観月会が開催されます。久方ぶりに古典的な雅を楽しませていただこうと、わくわく致しております。  

Posted by とんび at 05:22Comments(0)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年09月18日

河内の英雄

近くの老人福祉センターなるものを始めて訪問してみた。老人との意識が皆目無いもので、今まではご縁があるようにはどうにも思えなかったからだ。今回、行動が変化したのは、観心寺の永島住職が講演に出向いてくださるとの話を聞き込んだからだ。観心寺はご存じの方も多いと思うが、河内長野市の山手に存在する高野山真言宗の名刹である。というより楠公さんの学問所と言った方が早いだろうか。彼、楠公さんは8歳から15歳までの多感な少年期をこの寺で学問の修業に励まれた。師匠の滝覚坊から学んだのは、弘法大師の四恩の教えと思われる。四恩の教えとは、父母の恩・国の恩・衆生の恩・三宝の恩(仏と・仏の教え一法と・それを守って生きる人々─僧「僧侶と檀信徒のすべて」以上を仏法僧の三宝という)と言われています。この恩を知り恩に報いることが人としての生き方だと説かれるものです。それと大江時親について兵法を学ばれたようですね。

             騎馬姿の楠公さん、観心寺の門前にあります。


永島さんはお寺の住職さんであり、尚、大学でも教鞭を執っておられる故か、なかなかお話が上図である。関心を反らすさぬようにポイントを外さぬように時間内に収まるように、みごとな展開で話を進められる。なかなか聡明な御方のようだ。楠公さんの菩提寺ということもあり、彼への思い入れは人一倍のものがあられるのだろう。


         講演中の永島住職。60代半ばかなと見受けられます。

楠公さんを理解するのに一番わかりやすいのが「非理法権天」のポリシーであろう。観心寺ではこれが「非利法権天」となっているそうだ。永島説では、非は利に勝たず、利は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず、天は明にして私なし・・・・・・・の意となる。意味は解説不要でしょう。楠公軍の旗印であったこの非理法権天のポリシーは、また楠公さんの生涯を貫いた基本原則でもあったのでしょう。名声や権力を求めず、己の信念に殉じた涼やかな生き様を是としたいものです。


           南河内の名刹観心寺、紅葉のきれいなお寺さんです。

永島住職が把握しておられる楠公さんの特徴です。ご紹介しておきましょう。

    1,国を考える。
    2,いさぎよい。
    3,情報収集と判断力に優れる。
    4,豊かな知識と教養を持つ。
    5,信仰に篤い。

社会福祉法人である老人ホームの理事長も兼ねておられる永島住職、永年の業務体験から導き出された教訓でしょうか。認知症にかからない3原則なるものも教えてくださいました。爆笑のなかでも皆さん納得のご様子で、うなずいておられる聴衆が多数見受けられました。ご参考までに3原則を記しておきましょう。

    1,おしゃれをして外出しよう。
         社会との接点を失わないように、他人の視線を意識するようにとの意でしょう。
    2,決めたことは必ず実行しよう。
         規則正しい生活をおくって自立した毎日をとの意でしょう。
    3,土いじりをしよう。
         自然の中で己を解放し、命を育てる喜びと感謝を失わないようにとの意でしょう。

  

2008年09月17日

華麗なる転身

快晴の秋晴れの下、軽トラックのハンドルを握り、にこやかに笑っている0mさんの姿があった。何してんのや・・・・・・・というのが仲間達の第一声。無理もない、スーツ姿でオフィス街を闊歩するキャリアウーマンの彼女しかイメージに無かったものだから。PCのキーボードを叩いていた細めの腕に、軽トラのハンドルが握られている。無論、作業服姿だ。聞くところによれば、河南町の農場に勤務しているのだとか。ICのオペレーターから農場の従業員に?、誰しもピンとはこないだろう。かねて農への関心は高そうだとの心証はあった。だが、まさか本気で転身しようとは夢にも想像していなかったのだ。おそらく全員がそうだったに違いない。

            このスリムな体のどこにそんなエネルギーが。


安定した地位と収入を捨て、肉体労働の最前線である農の現場へどうして転身をと不思議に思うだろ。農業収入は全国的にみてもかなり低い。これのみで生計を立てるのはかなり困難な状況だ。無論、彼女がそうした実情を知らぬ訳ではない。知った上での決断なのだ。様々な思いや悩み或いはとまどいがあったには違いないと思うが、彼女の笑顔は吹っ切れていた。乗り切った結果の自信とも判断できる。

           山仕事も堂にいったものだ。草刈りは十八番でもある。

無農薬栽培を旨とする農場だ、当然虫たちとの接近遭遇はかなり多い。青虫をつぶすにはなれましたけど、でっかい芋虫はどうもねえ・・・・・・・・・・と笑っていた。今までとは180度も異なるような生活だから、混乱することも多いだろう。牛小屋を改造した居住区で自炊生活を行っているそうだ。経済面では困難な場面とも向き合うかも知れないが、精神的・身体的には豊かな生活をおくれるだろう。人間にとって幸福とは何だろうか、と自問する機会も増えるかも知れない。信念と情熱を持って新たな道を選択した彼女にエールを送りたい。おそらく仲間の皆の衆も同じ思いだろう。

                         天高く、Z旗あがる。

天も彼女の決断を祝福してくれているのだろうか。青空高く、Z旗を掲げてくれた。かの日本海海戦で東郷提督が旗艦三笠の艦上に掲げて将兵の奮起を促したシンボルである。「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」との意である。人間が決死の思いで決断し、努力を続ける姿からは、必ずや良い結果を導き出すものと信じたい。日本海海戦が一方的な勝利で終焉したように。


 


 


 


 


 

  

2008年09月16日

9月14日定例会報告

大変な情報が飛び込んできた。早朝からネット張りに励んでいる農家の方と遭遇し、挨拶がてら話していたら、イノシシが集団で夜な夜な徘徊しているとのこと。それも20頭くらいの大家族のようで、写真も撮られたとか。我々のフィールドは独立系の森で、いわば集落のあいまに森があると言う状況だ。山間部からシシがフィールドに至るには集落の間を抜けなければならない。そんなことはできないだろう、と安心しきっていたのだが。予感させるような現象はあった。タケノコが食いちぎられたり、椎茸が全滅していたり、獣道らしき踏み後があったり、囲っていた笹百合の開花地が荒らされていたり・・・・・・・・・・・・・・・。こうなってくると根本的な対策が必要だが、シシ相手に完全防御は難しい。

         落下した栗の実も食いちぎられている。上手に食べているようだ。
 

     農家の方と防御策を協議中               この一本道に柵を作る案も
 

おかげで、落下した栗を拾おうとの予定も変更だ。弾けた状態で木の上にあるものを取るしかないようだ。今日は収穫も少ないかな。イノシシも味を覚えたら定期的にやってくるだろう。先程の農家の方もサツマイモ畑が全滅だそうだ。

      ぼやいていても始まらないので作業開始。あいかわらず雑草の山だ。
 
              作業後の光景、ヤブがすっかり無くなっています。



作業の合間には栗の実が気になるのか、高枝鋏を持ち出して栗の木に向かう人も。秋の味覚のほうが作業より楽しいですよね。わかります、その心境は。
                  

  


  探しても落下したのは無いです
  ね。シシたちが先に食べました
  から。








 

 

 結構、収穫もあったようです。籠が
 半分ほど埋まりました。











下記の画像をご覧下さい。下部の中央から右上に向かって一本の筋らしきものが走っているのがおわかりでしょうか。踏み固められた通路のようですね。どうやら彼ら、イノシシたちのスーパーハイウエイのようです。夜な夜なこの道を通って田畑を荒らしに通っているのでしょうか。
            
                  イノシシ用の高速道路 ?    



ともあれ今日も良いお天気です。難儀な話も持ち上がってきましたが天気晴朗、空は真っ青に澄み渡り、秋まっただ中といった印象ですね。ありがたいことです。コマーシャルではないですが、今日も元気だビールがうまい・・・・・・・・・とまいりましょうか。

        

Posted by とんび at 05:12Comments(0)TrackBack(0)とんびくらぶ

2008年09月15日

3ヶ月目の米

我々が田植えをやったのが6月の中旬、ちょうど3ヶ月目だ。稲穂が出ずにヤキモキしていたが、今では稲穂が黄色く色づき、頭を垂れて重そうな感じだ。結構、実もはいってるみたい。不思議なもので、一定の時間の経過とともに滞りなく成長してくれるらしい。今年は今まで台風もなく、この調子で気象条件が進んでくれれば良い収穫を迎えられそうだ。農に携わる方々のメルマガやブログを拝見してると既に稲刈りにはいった地域もあるようだ。当地では全般に遅いようで、来月の末位だろうか。新米のご飯がいただけるのは11月の初旬かな。

               しっかりと米粒がはいっているようですね。


雀たちは多分に早稲種の田圃へと出掛けているのでしょう。我々の田圃にはほとんど来訪しません。ありがたいことです。キジバトやハクセキレイが時折にやってきますが被害が出るほどではありません。イノシシもここらには出ないです。もう少し山間部にはいるとイノシシ対策で大変な思いの農家が少なくないようですが。

           我々の田圃です、良い眺めですね。まさに瑞穂の国。


おやおや異なものが・・・・・・・・どうやらムラサキツユクサのようですね。たった一輪、稲穂の間からひっそりと覗いています。どうしてこんな場所にと不思議ですが、種が飛んでいたのかな。せっかくだから、稲刈りまでこの地で過ごしていただきましょう。
 
               たった一輪だけの開花のようです。

中にはこんな稲穂も。病気でしょうか、完全に死亡したようですね。手で押さえたみましたが、スカスカでした。米粒が出来上がる前に命尽きたようですね。他に広がらないように願っています。

         中央部の白っぽい茎です。今のところ数本だけのようですね。

畦道ではIkさんが植え込んでくれた黒豆が実りつつあります。米の収穫と同じ頃かな。新米をほおばりながら、黒豆をおつまみに冷たいビールで収穫祭を・・・・・・・・・との想定でしょうか。ありがたいご配慮です。

          田圃の周囲全部に黒豆が・・・・・・・Ikさんのご配慮です。

数量的には、そうたいしたものではありませんが、主食を自分たちで作ることの意義は大きいものです。カビの生えたお米や工業ノリ用の事故米などを食べさせられる心配は皆目ございません。作り手も作り方も、すべて把握できているお米ですからね。それにしても一部とはいえ、流通に携わる方々から信念とプライドが消え去ってしまったようで非常に残念です。かって社会に身分制度が存在していた頃、「士農工商」と商は最下位にランク付けされていました。身分制度を良しとはしないが、この意味は考えてみる必要があるかと思います。今から140年ほどの昔、「論語と商売は両立する」と喝破した、渋沢栄一翁の伝記を読み直しておきたいものです。戦後60有余年、我々はどこかの分岐点で道を誤ってしまったのかも知れないですね。





 

  

Posted by とんび at 05:16Comments(2)TrackBack(0)米づくり

2008年09月14日

園芸店を訪ねて

家人がどうしても入手したいものがあるとの要望で、泉州地域のとある園芸店を訪問することとなった。府下でも有数の大型店舗で15000坪はあろうかと思える敷地にありとあらゆる園芸用品が並べてある。たくさんありすぎて選択に迷うほどだ。当然種苗等も自社開発で独自ブランドの苗や種がズラリとそろっている。私宅からは車でも少々かかるので、滅多には来ないのだが、来店すると、ついあれこれと購入したくなってくる。ぐぐっと気を引き締めて、必要最小限度の買い物に留めることとしよう。

       大好きなリンドウも間もなく開花期のようだ。鉢花が沢山並んでいる。


無いものは無い、と言うぐらいにありとあらゆる園芸用品がならんでいる。仕事柄、野菜作りの用品達を覗いてみよう。まずは種物、上述したようにここは独自の商品開発をやっており、種苗メーカーの商品を仕入れて並べて売るだけではない。種も苗も大半が自社ブランドだ。そして価格も結構に安い。葉物の苗だと1本40円~80円くらい、私宅の近辺では60円~100円くらいだ。

          恐ろしい位の種が並んでいる。選択に困難をきたす程だ。

 




 葉物野菜のポット苗。
 1個48円なり、確かに
 安い。  
















 花のポット苗。こちらは
 1個23円なり、非常に
 安い。









用具類も多種多様だ。下記の画像は農薬の散布器とマルチ用のシート。それに収穫用の竹かごまで販売されていた。無論竹かごは中国製かベトナム製だとは思うのだが。






面白い物を発見した。下記の画像をご覧あれ。南河内でも郷土食として7月上旬頃に作られる半夏生餅だ。餅米の中に小麦を入れてつきあげる餅で、一種独特な食感に包まれる。農家ではこの頃までに農作業を終えて一休みとする慣習があり、土用の丑と一緒で夏バテ防止の意味合いも込めて餅をついたのかも知れない。限定10食とかで商品は既に売り切れていたが、なんとも懐かしい食品だった。そういえば里山の学校に在学中に半夏生餅をついたっけ。

  

Posted by とんび at 05:11Comments(0)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年09月13日

秋は栗ご飯から

栗の木がすっかりと色づいてきました。青々とした葉っぱの合間から、弾けたイガの隙間から、焦げ茶に色づいた栗の実が覗いています。もう完熟だよ、早く取っておくれよ・・・・・・・とでも言いたげに。体内時計でも持っているのでしょうね。この季節になると決まって弾けてくれます。谷間の農園に苗木を植えて8年あまり、今では実りを期待できるまでに育ってくれました。桃栗3年柿8年・・・・・とか言いますが、栗の木は割と早めに実を着けてくれますね。ありがたいことです。私宅ではもっぱら栗ご飯、栗の渋皮煮といった手間暇かかる料理(菓子作り?)は苦手のようです。

                   谷間の農園でも立派な栗の実が。


小生の栗取りは以下のとおり。手に持つのは小型の鎌、まずもってこれで完熟した栗を枝からたたき落とします。イガが痛いので足で踏んづけて固定し、鎌で裂け目を広げて中の実を取り出します。木が高いときは高枝ばさみなども効果的ですね。長い竹でたたき落とすのも簡便でやりやすい手法かも。

      百均で購入した小型の鎌、栗の実拾いと管理機の泥落としに最高です。
        10分程でこれだけ収穫、栗ご飯1回分はありそうですね。

持ち帰った栗の実は包丁で割り、渋皮をはいでしまいます。そして水につけ込んで少々のあく抜きと鮮度の保持、あとは適度な大きさに細分しご飯と一緒に炊き込むのみです。いとも簡単な作り方。秋ならばでの料理でしょうか。栗ご飯が出てくると秋の到来を実感しますね。

       ちょっと目には里芋のようですが、今年の初物の真正なる栗です。

次回のとんびくらぶは草刈りと栗拾いの予定、早生の栗の木があるので収穫期の実が沢山待ちかまえているのでは。ひょとしたらアケビの実もなっているかも。昨年も一昨年も栗とアケビとを一緒に撮影したように記憶しているが、多分。栗の茶色とアケビのピンク色とが不思議とマッチングするのですね。山里の秋は静かに深まっていきます。果樹をほうばり、紅葉を愛で、青空を堪能して、季節の移ろいを楽しみましょう。四季が豊かな国に生まれた者の特権です。

      本年初の栗ご飯です。ライトが強すぎて色合いが飛んでしまいましたね。

  

Posted by とんび at 05:20Comments(0)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年09月12日

菜園道具事情

よく言われることだが、人間と動物との違いは道具を使うか否かにあるとか。実際、考えてみると、基礎体力も運動能力も格段に劣る人間が万物の王としてこの世に君臨できたのは、まさに道具のおかげであろう。人間は考える葦とも聞くが、この考える力によって様々な道具を開発してきた。最初に火を使うことを覚えたのも一種の道具かもしれない。農耕社会が始まってからは石包丁を始めとして今日のスコップの原型や稲作用具が開発された。今日の菜園道具事情を観察してみよう。

               つい最近まで現役だった農耕用具達だ。


近くに存在する「近つ飛鳥博物館」を訪ねて道具の歴史を覗いてきた。農耕用具に限って数点を紹介してみよう。人間が様々な道具を開発し、使ってきた経緯が理解できるかと思う。

           石包丁に鉄製の鎌の先、いずれも稲刈りに使用された。
 

      木製のスコップと鍬。現在の用具と材質が違うだけで形と機能は同じだ。


        牛馬という、いわばエンジンに相当するものも使用し始めた。


そして現在に至ると、石油を燃料とする動力機器がふんだんに活躍しているのは周知の事実である。まさに今日の農業は石油によって成り立っていると言っても過言ではない。石油が止まったら、かっての帝国陸海軍と同じ運命だろう。我々のような小規模菜園ではそうした大型機器は使用していない。自然農法を採択される方々も同じであろう。せいぜいが、ミニの管理機と刈払機、それに手道具のクワ、スコップ、カマ、移植ごて・・・・・・・・・位かな。

      石油を使用するわずかな道具達。
 




  刈払機










                    




 

  管理機










商品化をねらって大量生産を目的としない限り、こうした最小限の道具で農業は可能である。ベランダ農法(?)という、もっと簡素で道具を使用しない手法も存在する。置かれた環境下で、それなりの方法で、自分たちの野菜等を作り出すのは出来るのだ。多くの方々が是非にチャレンジしていただきたいものである。安全で安心な食材を、と声高に主張されるのもいいが、自分たちで作り出す方がよっぽど確実だ。野菜等を作り出す過程は、こども達にとっても、それこそいい食育となるのではなかろうか。

               今回お世話になった、近つ飛鳥博物館。


近つ飛鳥博物館、ここも建築家安藤忠雄氏の設計によるものだそうだ。上空から眺めると前方後円墳の形をしているとか。鉄とセメントと直線の建造物というのは、どうにも好きになれないが、中に収蔵されている品々は見学に値する物だ。是非、覗いて見てください。又、安藤忠雄氏の口癖である「自分たちで出来ることは自分達でやろうよ」という言葉と、「緑の回廊」と「風の道」を作ろうとの提言は真摯に受け止める必要があると考えますが・・・・・・・・・・・・・・・。   

2008年09月11日

秋ジャガ植えよう

雨も止みさわやかな青空が広がった。どうやら快晴に近いようだ。9月にはいり正真正銘の秋、ギラギラするような青空から涼やかな青空へと、同じ青空でも受け止める心象がまるで異なってくる。まだまだヤブ蚊は多いものの作業はやりやすい。体が勝手に動き出し、次々と用事をこなしていく。年中こんな状態だと随分と仕事がはかどることだろうな。さて今日は秋ジャガイモの植え付けを行うことにしよう。種芋はとっくに購入していたものの、時間が取れず伸び伸びとなっていたのだ。

       秋になると透明感の増した涼やかな青空となってくる。いいものだ。


秋ジャガはアンデスレッドを植えることにする。大量生産用に品種改良されたダンシャクやメークインと違って少々の小ぶり、どちらかというと原種に近いだろう。独特な赤色が特徴だ。ちょっと芽が出かかったものを直売所で仕入れたいた。今からだと正月までには収穫できるだろう。量はそう多くはいらない。

         これが種芋のアンデスレッド。20個~30個位はいっていた。


まずもって予定地の整備。耕耘機は既にかけているので、畝立てと元肥がメインの作業となる。畝立ては純粋な肉体労働で、少々腰に響いてくる。畝立てが終わると溝切りをやって下準備OKだ。

      秋ジャガの予定地。                畝立て・溝切りが完了した。
 


中央部の溝の中に種芋を配置していく。そして、その種芋の間に元肥を入れ込んでいく。小生の場合は鶏糞と化成肥料だ。ジャガの場合は元肥だけで十分なようだ。追肥はほとんどやらない。ただ、ジャガは種芋の上部に子芋が出来ていくので、種芋を深めに埋めるのと後で土寄せが必要なのが特徴的な栽培法かな。埋め込んだ種芋には籾殻をかぶせてあげる。土だけよりは芽が出やすいようだ。

         種芋の配置と元肥の入れ込み、白っぽいのは化成肥料。

完成したジャガイモ畑、半日がかりだった。正月前には収穫できるだろうから、冬場の主食代用ともなってくれるだろう。秋は米が収穫できるしサツマイモも掘れる、それにジャガイモの収穫やネギ・ニンジン等の野菜類も・・・・・・・・・・・・楽しいことだらけだ。栗も色づいてきた、柿も実っている。野山は食材の宝庫だな。食料を自分で作れる充実感、この楽しみは他には変えれぬだろうな。
 
                      出来上がった秋ジャガの畑。         
       

作業が終了して、ふと空を見上げるとジェット機が飛んでいた。自衛隊の戦闘機だろうか。真っ白な飛行機雲がなんとも良い雰囲気だ。澄み渡った青空の下で、汗を流す喜びを是非に多くの方に体感していただきたいものである。食の安全や安心或いは食育などと叫んでいるより、自分で自分たちの食材を作る方がよっぽど確実なんだから。建築家の安藤忠雄さんも語っておられましたよね、「自分たちで出来ることは自分たちでやろうよ」、と。

  

Posted by とんび at 05:13Comments(2)TrackBack(0)畑の作業

2008年09月10日

山里の陶器祭り

山里の森の中で全国陶器祭りが開催されている。窯元や問屋、小売店など約50店の出張販売だそうで、大阪では当地だけの開催のようだ。約50万点を市価の3~5割引で販売されるとの情報で、さっそく覗きにいってきた。有田焼、信楽焼、備前焼、読谷焼、・・・・・など有名どころもそろっているようだ。陶器はいい物はとてつもない値がつく、我々が購入できるのは安価な限られた品物だが、気に入ったものがあればと覗き回る。

           全国陶器祭りが開催中、雨上がりの故か出足は悪いようだ。

               会場はこんな森の中で、山寺の一角だ。



小生のお目当ては志野焼のコーヒーカップ、結論から言うと出品はなかったようだ。志野焼は美濃焼の一種で岐阜県の可児市や土岐市あたりで作られる物だ。もぐさ土という材料を使い高温で焼いたピンク系の仕上がりが多いようである。私宅で使っていたコーヒーカップも薄いピンク色で少々ゴツゴツ感のある素朴なカップだった。とても気に入っていたのだが、大半は誤って破損したのか1個しか残っていない。せめて半ダースでも入手できればと思っていたのだが・・・・・・・・・。

              有田焼が多いようだ。九州は佐賀の産かな。


小皿をとっても一枚300円くらいの品から数万円位まで様々である。率直にいってどこで値の格差がつくのかよくわからない。外観上はほとんど同じ物に見えてしまうのだが。値段がどうあれ陶器は生活用品、気に入ったものがあれば安価な商品でも支障はないだろう。

        思わず足を止めてしまった。図柄の葉や花が本物のようだ。


覗き回っている最中に思わず足が止まったのがこの陶器。つがの焼きと言って始めて聞いた名称だが、栃木県の産とか。特殊な油薬を使って自然の草花を貼り付け、焼き固める手法で表現するのだとか。どうりで図柄が本物の葉や花に見えたはずである。落ち着いた静かな雰囲気の品々で、花器として使用すれば控えめな華やかさが演出出来るかも。

          森の草刈りで、休息時にはこんな道具でお茶が飲めたら。



面白い物を見つけました。いわゆる「曲げわっぱ」と呼ばれる木製弁当箱です。木地師と呼ばれる山の工人達が作り上げた作品ですね。確か東北地方が産地だったように記憶しているが、どうだったっけ。それにしても、今でもこんな品を作り続ける人が存在するのですね。



土や木など自然の素材を使いながら見事な生活用具を作り出す、手仕事の持つ素晴らしさを改めて再認識しました。職人と呼ばれた人々が終生を賭けて磨き上げた技の故でしょう。何とも言えない風格みたいなものが漂っています。機械で大量生産された用品とは又違った趣のようです。ここまでくると、生活用品でありながら一種の芸術品であるかも知れないですね。生活の中には、こうした本物の品々を取り入れたいものです。


 

  

Posted by とんび at 05:22Comments(2)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年09月09日

おっちゃん・おばちゃんバンド

シニア団塊まつりの一環なのだが、午後の部はおっちゃんおばちゃんバンドの演奏会だった。2会場に別れて同時並行だったので、行ったり来たりで大変である。それにしても音楽好きな方々が、かくも沢山いらっしゃるとは。無論、出演者は地域で活動するアマの集団である、始めて1年のバンドもあれば30年間楽器を握っているという強者も。一番心惹かれたのは、フォークを専門とするサニーサイドメモリーという名称のバンドである。年代的にも似たような構成であろうか、リーダーはまもなく定年だとか語っておられた。小生達の青年期がちょうどフォークソングの勃興期で、フォークのリズムが体内に染み込んでいるのだろうか。演奏が始まると体の方が自然に反応してしまう。



               サニーサイドメモリーのバンドマン達。

フラットマンドリンを持たれたこのリーダー氏、ヴォーカルをも担当されたのだが、とても素敵な歌声だった。たき火を囲みながら老人が孫達に語りかけている・・・・・・・・そんな雰囲気をもった暖かで伸びやかな歌声がホール一杯に響き渡った。久方ぶりにいい歌声を聞かせていただいた。かってドングリバンドの演奏会を聞きに行ったことがあるが、その折にも素敵な歌声と出会った。ヴォーカル担当はNkさん、透き通るような歌声は、山から湖水へと舞い降りてくる一陣の涼風を想わせられたものだ。

興味のあられる方は、富田林市の公式HPをオープンし、左端にある「web web radio とんだばやし」というアイコンをクリックしてみてください。彼らが作曲した富田林小唄があります。軽やかなバンジョーの響きにのったサニーサイドメモリーの歌声が聞こえてきますよ。

              オレンジ合奏隊の演奏です。ハーモニカが中心。


こちらは和音くらぶと言う名称のグループ。結成して1年あまりとか、平均年齢68歳という典型的なシニアのバンドだ。尺八とオカリナが中心のバンドで、かっての文部省唱歌や童歌などが得意分野のようだ。老人ホームなどの慰問演奏に引っ張りだこであるとか。老いて尚盛ん・・・・・・・・・・・と言えば失礼かな。

                          和音くらぶ


こちらはやまゆり隊という名称の大正琴のバンドだ。河南町のご婦人方なので、地域の花ヤマユリを採択されたのだろうか。シニア層と見受けられるが、とても若々しい。 



          プカプカバンド。全員がハーモニカで構成するバンドだ。


全部の演奏を覗くことは出来なかったが、何とも素敵な時間を過ごさせていただいた。それにしても楽器の弾けるシニア層が、かくも多いとは。全く持ってうらやましい限りである。生活の中に音楽がある、それだけでどれほど豊かな人生がおくられることか。オオカミの遠吠えではないが、満月の夜、古城の石垣の上で夜風にひたりながら篠笛を吹いてみたら・・・・・・・・・そんな妄想も抱いてはおるのだが。  

Posted by とんび at 05:18Comments(0)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年09月08日

なにわの伝統野菜

9月にはいり初秋の季節となった。夏野菜は正真正銘に終了なので、遅れないように「なにわの伝統野菜」を紹介しておこう。大半が夏野菜なのだ。過去に河南町のファーマー達が取り組んでおられると紹介したが、現在は商品化も進み、毎日のように直売所に並んでいる。努力の賜であろう。伝統野菜とは文字通りの野菜のことで、かっては自家採取により代々に渡って栽培されてきた在来種の野菜達である。品種の改良によるF1種の発売や生活の洋風化等により次第に廃れていって壊滅状態であった。
 
        何という名のカボチャだろう。これも在来種の一種なのだ。


河南町のファーマー達が復活したなにわの伝統野菜をいくつか紹介しよう。いずれも大阪市周辺で盛んに栽培されていた在来種だが、壊滅状態となっていたのは上述した。現在は河南町周辺の農家で広く栽培されている。かく言う小生も伝統野菜にチャレンジしようと思い、勝間南瓜(こつまなんきん)の種を採取した。来年は伝統野菜の一種に挑戦だ。

               鳥飼ナス、現在の摂津市周辺での栽培だ。
 

            毛馬キューリ、現在の大阪市都島区周辺での栽培だ。
 

             玉造黒門シロウリ、現在の黒門市場付近での栽培。
 

現在の野菜達は大半がF1種と呼ばれる物で、種苗会社により品種の改良が為された物をベースとしている。幾多の新技術を導入し、そのほとんどが外国で採取されている。一代限りとするものが多く、F1種の野菜から種を採取して翌年蒔いても、うまく栽培できないことが多い。これに比し、伝統野菜と呼ばれる物は元々日本の気候風土の中で育ってきた物で、種も自家採取で引き継がれてきた。食味や外観或いは商品化のし易さ等はF1種に劣るかも知れないが、安全安心度は高いかと思う。何よりも永年にわたって食べ続けられてきた実績が信頼の証であろう。出来うることならば、気候風土に合った在来種の野菜達をメインとしたいものである。

      鳥飼ナスがてんこ盛りとなっています。こちらも嫁に食わすなの口かな。

  

2008年09月07日

シニア団塊ボランティア

アクティブシニアがあふれる大阪、わたしたちの手でつくろう、いきいき南河内・・・・・・・なんとも威勢の良い言葉である。団塊世代の皆さん、生き甲斐探しをしませんか、とくればいわずもがな。典型的な行政用語である。昨年から始まった団塊組のリタイアに伴い、なんとか地域社会に引っ張り出そうと必死のようだ。無論、対象者は企業戦士であったお父さん方であろう。奥様方はとっくの昔に地域デビューを果たし、仲間達とレジャーやカルチャーセンターやと飛び回っておられる。今回が2回目の開催ということで、カメラ片手に飛び込んでみた。会場は富田林のすばるホールだ。


         行政体を代表して河南町の武田町長が開会のあいさつを。

このお祭りの特徴は行政体を超えた横断的な取り組みが為されていることだろう。橋下知事の道州制を先取りしたのかな。主たるイベントとしてパネルディスカッションが開かれた。各行政体からは代表的なボランティアグループがパネラーとして参加されている。

        司会者のHa氏と4名のパネラー。左端のご婦人は手話通訳者。


河南町からはわが里山倶楽部副代表のOn氏、富田林からはくすのき塾のKt氏、河内長野からは観光ボランティアのH氏、大阪狭山からは熟年いきいき事業実行委員会のHt氏、の4氏がパネラーだ。議論のテーマーは以下の3点である。

  (1)南河内で活動している市民活動について紹介し、活動の楽しさ・やりがいについて語ろう
  (2)各団体の活動の悩みや課題を出し合って、シニア・団塊の世代が元気に地域で活動でき
     る条件について考えよう
  (3)南河内地域全体の活性化に向け、シニア・団塊の世代が地域に果たせる役割について
     考えよう

2時間という限られた時間のため、十分な討議が出来たとは言いにくいが、各団体の活動状況や問題点、今後の取り組み等については参加者にも理解されたのではなかろうか。聴衆の反応も好意的で、質問や提案等も相次いでいた。



              パネラーとして報告する里山倶楽部のOn副代表。
            

一方、ホールや通路等では各種のボランティアグループが店開き、およそ40近くの団体である。パネル展示や資料配付、相談員の配置や湯茶の接待までするところも。各団体とも新規加入者の獲得に積極的なようだ。里山倶楽部もアンテナショップを開き、マドンナ達を先頭に顧客の開拓を展開。

           里山倶楽部のブース。早速、顧客の候補者が。 

      
         各団体ともに積極的です。仲間は多い方がいいですもんね。
   

  

                  真正面から問いかける団体も。



60歳でリタイアしたと仮定して平均寿命から考えたら20年前後の自由時間が・・・・・・・・・。今の中高年は元気な方が多い。その元気さを我が身とわが家族の為にだけ使用していいものだろうか。子育てが終了したら、家族への一応の責任は果たしたと解釈し、以降は別の次元からの行動を起こされてはいかがだろうか・・・・・・・そんな問いかけを発しているように感じられた。それにしてもどの団体さんもどのメンバーさんも非常に活動的である。とてもじゃないが、粗大ゴミとして自宅で寝そべっている暇はなさそうだ。  

Posted by とんび at 05:16Comments(0)TrackBack(0)山里の歳時記

2008年09月06日

里芋三景

まもなく仲秋の名月を迎える季節となり、里芋も掘り出し可能な状態といえそうだが、小生の畑は少々貧弱。掘り出しには縁遠い成長ぶりだ。翻ってKさんの畑や師匠のNさんの畑をみると、今にも掘れそうな状態。何がどう違うねん・・・・・・・・と言いたいところだが、因果関係は原因があって結果があるもの。ぼやいていても始まらない。原因追及が先決だろう。里芋は人によっては泥イモとも水イモとも呼ぶ、すなわち水を好むのが基本的な性質。早い話がここへの対策が不十分だったようだ。

       小生の里芋畑。なんとも貧相な里芋達だ。高さ50~80センチ位か。

        Kさんの里芋畑。元気のいい里芋達だ。高さは1~1.5メートル位か。

            師匠Nさんの里芋畑。高さは2メートル近くある。


同じような場所で同じように里芋を作ってこれだけの格差が出てしまう。腕の差や、と言われれば返す言葉もないのだが。作り方は師匠から習った。従って方法論的には大差ないはずである。問題はやはり水か。Kさんも師匠のNさんも水をふんだんに与えている。水路を造って、里芋を植え込んだ高畝の間に水を通しておられるのだ。小生の場合は、水路を造れない構造の畑でもあり、時折にバケツで水やりした程度だ。この違いが里芋の成長格差となって現れたのだろう。最も師匠は里芋の品評会で特等を取られるような人物、小生が気づかぬノウハウの蓄積があるのかも知れない。Kさんもこの道うん十年・・・・・・・・・・・キャリアの違いは如何ともし難い。

               里芋畑の用水路。中央部が水の流れです。
       
           それにしても見事な里芋畑だ。無論、師匠Nさんの自信作。


何処の世界でも同じ事だが、似たような取り組みを重ねながらも結果的に大きな格差をもたらすことがある。プロとアマとの違いとも言えるかも知れないが、良い結果を引き出す方は、目に見えない努力と工夫を重ねておられるようだ。現象面だけみて、なんでやろう、とぼやいても始まらない。深い観察と洞察力の中で、自己なりの方法論を構築していくしかないのであろう。日々研鑽、幾つになってもどんな世界でも変わらぬ原理のようだ。  

Posted by とんび at 05:08Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年09月05日

シュウカイドウの花

シュウカイドウの花が咲き誇っていると聞き込み、早速訪問することとなった。ところがあいにくの天気、自宅を出るときはどんよりした曇り空だったが、岩湧山にはいると同時にバケツをひっくり返したような雨。速度を落とし、ワイパーとクーラーで視界を確保しながらゆるゆると登っていく。岩湧の森に着いたのが8時頃、当然登山者もなく、森はひっそりと静まりかえっている。岩湧寺の裏手に回ると、あでやかなピンクの花が真っ盛り。噂のとおりであった。

       雨に濡れたピンクの花が、なんともいい雰囲気を醸し出します。

               咲き誇るシュウカイドウの大群落です。


ここらは岩湧寺の山域にあたり、かっては修験道の道場として栄えた場所です。苔むした参道がひっそりと残っており、古い歴史を語りかけているようでした。雨とはいえ静かな森を独り占めです、相合い傘でないのが残念ですが、しばしの散策を楽しませてもらいました。

                      岩湧寺の多宝塔
          
            岩湧寺への参道です。かっては修験者で賑わったのでしょう。


シュウカイドウはここ一週間くらいが見頃とか、お天気の良いときに再度訪問したいものです。それにしても何度見ても見飽きない光景ですね。6月頃のシャクナゲのピンクと同じような雰囲気です。いずれも雨に濡れる風情が良い雰囲気を醸し出しますね。

          檜の樹林とシュウカイドウの群落とがマッチしていますね。


森の中ではこんな樹木を見つけました。樹種は不明ですが、胸高直径が1メートル以上はあるかと思える巨木です。相当な樹齢を重ねているのでしょう。何となく森の妖精が住み着いているかのような雰囲気でした。人でも樹木でも年輪を重ねたものは、それなりの雰囲気を醸し出すのですね。エブラハム・リンカーンでしたっけ、人は40歳を過ぎたら自分の顔に責任がある、と語っていました。年輪の重さ、すなわちその方の生き様を問いかけているのでしょうね。

  

Posted by とんび at 05:15Comments(0)TrackBack(0)里山に遊ぶ

2008年09月04日

終い取りカボチャ

9月にはいり、さすがに夏野菜の季節とは言えなくなりました。本日は意を決してカボチャ畑を整理しようと思う。完全なヤブ状態で果たしてカボチャが存在しているのかどうか。草ぼうぼうの中をカボチャのツルがはいずり回り、一部はばあさまのミカンの木に登っている。カボチャが埋もれている可能性もあるので、少しづつ注意しながら刈払機で切り開いていくこととしよう。

       カボチャ畑というより原野ですね。自然農の方の畑よりひどい状態。


やっぱりありました。草むらの中からカボチャがひょっこりと覗きます。なかなかいい色合いです。ヤブに埋もれ太陽光線があまり当たってなかったので心配してたのですが・・・・・・・・しっかりと成長してくれてました。カボチャは結構打たれ強い作物のようです。栽培にもあまり手がかからず、果実は栄養満点、収穫の手応え十分・・・・・・・・家庭菜園初めての方にもお勧めの野菜ですね。

               ヤブの中からカボチャが出てきました。

             中にはこんな奴もいてますよ。木登り名人だ。
       

注意深く切り開いたものの、やっぱり、と思わざるを得ない場面も。下記画像をご覧下さい。一瞬の不注意が、気のゆるみが、こんな結果を招いてしまいます。刃物は怖いですね。自分の足でなくてよかったです。


              ハローウィン用の作品ではありませんよ。

完全にヤブを切り開いた結果が下記の画像です。予想以上の収穫でした。ヤブの外から想像していた頃は2~3個もあれば、と思っていたのですが。なかなかたくましい野菜です。光合成も十分には出来なかったかと思うのですが、したたかに生き抜いてくれたようですね。カボチャ畑はゆるい斜面状ですが、それが結果的には良かったようです。連作障害も出にくい野菜なので、来年もここで作ろうかな。

                  収穫その1、カボチャの山です。
 
                収穫その2、こちらもカボチャの山です。


運搬用のコンテナに詰めると箱一杯となりました。重いこと、重いこと。谷底の農園から車を置いた道路まで引き上げるのに四苦八苦しました。収穫の喜びも運搬の苦痛で半減されます。車が横付けできる農園であれば最高なんですが、そんな所誰も貸してはくれないだろうな。無論、持ち帰ったカボチャ達はあっという間に、ご近所へ嫁入りとあいなりました。


 

  

Posted by とんび at 05:12Comments(0)TrackBack(0)畑の作業

2008年09月03日

産土神(うぶすなのかみ)

小さい頃から氏神様とは仲良くして育った。九州の片田舎であったので、昔からの習俗が色濃く残っていたのであろう。大阪にきてはや40年余り、こちらの方が故郷みたいなものになってしまった。ここ南河内も大阪とはいえ、どちらかというと田舎に近い環境と風俗が残っている。近くの集落の産土神を訪ねてみた。訪ねた場所は旧の三日市村、高野街道に則した宿場町である、否あった。とっくに街道はすたれ宿場の旅館等も残ってはいないのだが。

              中央部の黒っぽい森が産土神の神域だ。
 

三日市村は石川の上流域の河岸段丘に開けた村である。川沿いに旧の高野街道が通っており、宿場町として栄えたのは上述した。現在は大阪市内に通勤するサラリーマンのベッドタウンであろうか。何せ大阪の中心部の難波まで電車で30分なのだから。それでも田舎の風情は一杯だ。下記の画像をご覧下さい。こんな森(産土神の森)がいたる所に残っているのですから。

    産土神の森。いわゆる鎮守の森である。在来種の樹木がしっかりと残っている。

産土神は土地の神様である。かっては村々の高台に存在され人々の信仰を集めていた。ここ三日市村の産土神も村全体を見下ろす東南部の高台にある。名称を赤坂上之山神社という。三日市村に住み着く人はこの神社に挨拶し、新築時には地鎮祭を行って居住の許可を求めたそうだ。

 
         なんとも簡素な作りのお社である。質実剛健でいいかな。


さてこの産土神だが、小生は氏神さんと同じものと思っていた。だが神道の世界では明確に区別されているそうだ。産土神は上述したように土地の神様、すなわち地縁社会をベースとした神様である。翻って、氏神様とは氏すなわち一族の神様であり、血縁社会をベースとしたものだそうだ。本来は土地の神様である産土神と一族の神様である氏神との両神を祭っていたが、一族が固まり住んだ土地に他の人々がはいりこみ、他の人々にとっては産土神を自分たちの氏神として祭ったようだ。長い歴史の中で両者が混同され、いつしか産土神と氏神との区別が曖昧模糊となってきたようである。

            みごとなハス池である。開花時期でないのが残念だが。


お隣は禅宗(曹洞宗)のお寺さんである。神仏が仲良く同居しておられるのは日本独自の光景かもしれない。一神教の世界観を持つ人々にとっては何とも野蛮な光景にうつるのであろう。だが、八百万の神々を共存させる、日本人の懐の深さを良しとしたいものである。物事を白と黒にしか識別できない絶対神を信仰するよりも、神々の共存を認める生き方の方が、これからの社会構築には有益なのではあるまいか。21世紀以降には日本人のこうした包容力が世界をリードするのでは、と密かに期待している。


  

Posted by とんび at 05:07Comments(0)TrackBack(0)里山に遊ぶ