2008年05月27日
田圃に水はいる
当地でも田圃に水がはいりだした。どうやら今年も米作りが始まったようだ。棚田地帯を訪ねると、農家の方が三々五々。畦を焼いたり、苗床の手入れをしたり、水路の補修をしたり・・・・・・・・・・・作業が始まっている。どうやら来月初旬あたりが田植えの最盛期のようだ。我々も準備に入らねばならないが、今年は手違いがあって苗の準備がまだ出来ていない。どう手配するか悩んでいる。
水が張られた田圃。田植えの開始もまもなくだ。
苗床でも順調に育っているようだ。手入れをされる農家の方もどことなく楽しそうな。山里に移住した方が語っていたっけ。軒先に1年分のマキをどかんと積み上げ、同じく1年分の米を納屋にため込んだら、とても幸せになってくる・・・・・・・・と。そうかも知れない。食いはぐれる心配がない、と言う自信ほど強いものはないだろう。
畦も焼かれた。田植えはいつでもOKのスタンバイ状態だ。人が仕事に情熱を傾け、気合いがみなぎっている作業風景はとてもいいものだ。熱気がこちらにまで波及してくる。太古の昔からそうやって米作りを継続してきたのかもしれないな。まもなく梅雨にはいる。気候と農作業とがピタリと一致した絶妙なタイミングだ。
棚田百選の一角を訪ねるが、こちらは準備がまだのようだ。それでも水路には水が流れ出している。用水路の手配は終了しているようだ。時間の問題だな。水が張られて早苗がそよめくようになれば、なんとも言えない桃源郷の風景が出現する。我々が心の原風景と思っている故郷の姿とは、人々の延々と続く情熱に支えられた労作の賜なのだ。自然のままの風景ではないのである。
何度見てもみあきぬ光景だ。柔らかな曲線がとても美しい。
大半の地域では米作りは年に1回しか出来ない。生涯を費やしてもせいぜい30回から40回位だろうか。技術やノウハウを学んで覚えた頃には次世代に譲らねばならない。願わくば、これから後も同じように継続して米作りが継承されていくことを。食の自立が無くして国家の自立はありえないのだ。かのローマ帝国も農業を軽視して国が滅びた。一部の学者や評論家さんが語るように、金を稼いで世界中から安い食料を輸入すれば・・・・・・・・・そんな甘いご時勢ではないだろうに。
Posted by とんび at 05:45│Comments(0)
│米づくり
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