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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2010年12月13日

赤阪村小景

「小さな絵本のような村」、これが村当局によるキャッチコピーである。恐らくゴーストのコピーライターは役場の若きスタッフでは、と想像しているのだがさて如何に。フレーズの如く何所を訪ねても、何処の小道を歩いても絵になる光景が広がっている。1号農園が界隈と言うこともあって、殆ど毎日の如くうろつき回っているのだが、飽きることがない。適当な道路サイドに車を止め、カメラ一台をお供に歩き出すのだが、散歩に適したロケーションが多くて選択に迷うほどだ。中でも一番のお気に入りは下赤坂城趾から金峰神社へと連なる小径である。耕作者の方がたまに通行される程度で、殆どは貸し切り状態、絶景の独り占めである。


            お薦めの小径です。かって楠木軍が夜襲に利用した?
     赤阪村小景
           紅葉ではなく黄葉ですが、雑木林が一番華やぐ時でしょうね。
     赤阪村小景

余計な解説を加えるより画像をご覧になっていただく方が早いだろう。百聞は一見に如かず、100枚の原稿用紙より1枚の画像である。この時期は紅葉の季節を過ぎ、黄色くなった雑木林が主体である。真っ赤な紅葉も見事だが、黄色く染まった雑木林の静かな雰囲気は何とも言い難い。黄昏時の我が身を見るようで、相身互いの心境がもたらす奇妙な親近感かも知れませんね。何度も訪ねる小径なのだが、毎回受ける印象が異なってくる。見える範囲は一緒なんだが、微かな気象条件の差或いは心身の状況や時間帯によって、醸し出す雰囲気が変化するのでしょうね。


         赤阪ミカンは健在のようですね、店頭で見かける事は少ないですが。
     赤阪村小景
       耕して天に至る、河川はずっと下の谷底です。長い水路が必要ですね。
     赤阪村小景

かって数百年の昔、下赤坂城の攻防戦で城を幕府軍に奪われた楠木軍が奪還に夜襲を賭けたのも、多分この道でしょう。太平記では、幕府軍の兵糧搬送隊に変装して城に侵入したとかの記述があったように思いますが、ゲリラ戦の得意な楠木軍らしき戦法ですね。今は棚田とミカン畑に変わっております。標高のある丘陵部なので、かなりの奥地から水路を引いて稲作をされてるのでしょう。例によって電気柵が張り巡らしてあります。ここらもシシ達の行動範囲のようで、人間様とシシ達との接近遭遇戦が現在の戦いでしょうか。槍や刀は不要ですが、ソーラー方式の電気エネルギーが新たな武器のようです。 


                  寒椿でしょうか、藪陰にひっそりと。
     赤阪村小景
        地元の方はこの小径を軽トラで爆走されます、よくまあ脱輪しないことで。
        赤阪村小景

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Posted by とんび at 05:12│Comments(0)里山に遊ぶ
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