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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2008年08月26日

桜守りの人々

日本人にとって桜は特別な思いの対象らしい。古来、「花は桜木人は武士」とも唄われたように、ある意味精神的支柱ともいえる存在のようだ。あちこちに桜守りがおられるはずである。今回ご紹介したいのは大阪狭山市の桜守り達。かって、ブログでアップした狭山池の周辺を守備範囲とされるボランティア達である。大阪狭山市は昔から桜の名勝だったようで、桜を愛でる慣習が他地区よりも格別なようだ。狭山池が改修されて周辺整備が始まると同時に、市民の手で桜の植樹活動が始まった。聞くところによると、どうも言い出しっぺは建築家の安藤忠雄氏のようだ。知らなかったのだが、狭山池博物館を設計されたのが安藤氏であるとか。

            安藤忠雄氏の設計による狭山池博物館。
桜守りの人々

その狭山池博物館に安藤氏が来訪されるとの話を聞き込み、覗いてきた。ご縁が深いのか定期的に来訪され、講演などをされているようだ。壇上に立たれた安藤氏は開口一番、「いつも仕事をしない公務員の方が、今日はめずらしく働いておられるようだ」と宣ったものだから、全員爆笑。スタッフの大阪府や国土交通省の方々は苦笑しておられた。

                     講演中の安藤忠雄氏。
桜守りの人々

講演の中で最も印象に残ったのが、自分たちで出来ることは自分たちでしようよ、との発言である。例の、狭山池の桜の植樹も、この発想の延長線上にあるものらしい。戦後教育の成果なのかどうかは知らぬが、変な権利意識や納税者意識のみが発達し、すべては行政まかせにとの依存心ばっかりが深まったようだ。安藤氏はこうした風潮に異を唱えておられる。

          ボランティアの手で植樹された桜並木。市民の憩いの場だ。
桜守りの人々

安藤氏は建築物を設計されるとき、建物のみならず必ず周囲の環境との調和を図られるようだ。しかも樹木の存在を前提とし、なければ植樹活動を行ってから建築にかかられるとか。8年後のオリンピックの東京誘致にも一枚かんでおられるようだが、根底には「海の森」構想が存在するようだ。はでなモニュメントを作るのではなく、東京湾のゴミの埋め立て地を市民の寄付で植樹して緑の森としてシンボル化しようとの発想のようだ。同感出来る内容である。また、氏が提唱される「緑の回廊」と「風の道」を作ろう、との考え方も世間に是非に広めたい内容である。無論、中心となるのは多分に桜なんだろうな。

           ここも緑の回廊なのかな。狭山池の堤防にて。
桜守りの人々

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