2008年12月03日
早朝の雑木林
私宅の周辺には小さな雑木林があります。朝と夕方に駄犬を連れてこの界隈を散歩するのが日課ですが、身体が凍り付いてしまうような光景を見せてくれる時がありますね。とりわけ朝方に多いようです。金剛山から昇る朝日が雑木林の樹林に掛かり、神々しいほどの雰囲気を醸し出してくれます。両手を合わせて合掌せざるを得ない程ですね。古代インカ帝国の民が太陽を神とあがめ信仰したのは無理のない話かと思います。そういえば我が国にも、天照大神(あまてらすおおみのかみ)という太陽神があり、天岩戸(あまのいわと)に隠れられた結果この世が闇となったという伝承が残っておりますね。農耕民族の世界では太陽が重視され神とあがめられるのは、ある意味当然のことかも知れません。光合成という野暮な話はともかくとしても。インカ帝国のトウモロコシ、我が国のコメという耕作物の相違はあったとしても、太陽に依存せざるを得ないのは同じ事です。インカ帝国の皇帝の仕事は天文観測と暦の作成であったと伝えられるのもそうした事情に基づくものでしょう。
私宅付近からは東南東の方角、金剛山から太陽が昇ります。
まぶしい程の太陽光が稜線を照らし出してくれますね。
良く晴れ上がった早朝は快適そのものですね。少々寒いくらいの気象条件が似合っているようです。田舎暮らしのテレビ番組などを見てますと、じいさまばあさまが朝日に両手を合わせるシーンが出てきますが、演出ではなさそうです。日々の暮らしの中から生まれ出す自然な風景なのでしょう。人間もまた自然界の一部、「共生社会」とか難しい事をいわなくとも、古来からそうした生活をやってきたのです。ただ、ここ数十年間の営みが本来の暮らしからはずれていた、ただそれだけの事なのでしょう。ボチボチと体が望んでおる当然の暮らしを取り戻さねばならないですね。
さあそれでは、麗しの雑木林にはいってみましょう。
最後の一葉ならぬ最後の紅葉でしょうか。
かすかな光が森の中へ。一日が始まります。
ナラの樹でしょうか、不明ですが雑木林の主役のようです。
太陽と樹林が作り出す自然の風景、いかがですか。これが我々の祖国なんです。
こうしてみると、つくづくと素晴らしい国に生まれ育ったものだと感謝せずにはおられません。四季の変化があり、折々に色彩と造形の妙を垣間見せてくれる風土のなんとありがたきことか。大切に守り育てていきたいものです。これもご先祖様を始めとして、地域に暮らしながら郷土を守ってくれてきた父母達の力によるものでしょう。グローバリズムとかで、コイズミさんを筆頭に世界共通の尺度(具体的にはアメリカイズム)に依ることが至上の価値ともてはやされた一時がありましたが、どうやら破綻しかかっているようですね。本来の姿であるローカルな価値観や美意識や暮らしに戻るのも時間の問題かと思われます。狂想曲は終焉させねばならないですよね。