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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2009年11月26日

弘川寺の紅葉

弘川寺は河南町の奥座敷というか、葛城山系の中腹にある。西行法師の終焉の地といった方がわかりやすいかも知れない。ここは里山倶楽部のフィールドの一つでもあるのだが、紅葉の或いは桜の名所として著名な所だ。西行法師が晩年をこの地で過ごされたのも、山桜と地域の景観と人々の人情にほだされたからではと勝手な憶測をやっている。随分と昔の話で、当時からこの地域には農林業を営む人々が住まわれていたようだ。寺の裏手から山道を登っていくと弘川城趾に出る。無論、典型的な山城で姫路城的な天守閣や石垣などが残っているわけではないが、城主の隅屋氏にまつわる伝承なども残されている模様だ。


       弘川寺の石垣、西行法師の資料館はこの中ですが、春と秋の限定公開。
     弘川寺の紅葉
           当地は南天の産地でもあります。あちこちで植栽が。
     弘川寺の紅葉


当地では紅葉の名所でとおっているので、ボチボチかと思い訪ねてみた。紅葉見物でごった返ししてるのではと予想したが、あにはからんや、観光客の姿はなく庭師のおじさまが一人黙々と作業中であった。心なしか紅葉の色がさえない。いつもの鮮やかさが見られないのだ。これが原因かは不明だが、人出のな無さが気に掛かる。春先の桜の頃は大勢の観光客で歩きにくい程だったのに・・・・・・・・・・・・・・。


              庭園の一角です、一番の紅葉の見せ場かな。
     弘川寺の紅葉
         寺が紅葉の中に埋もれていますね、例年だともっと鮮やかです。
     弘川寺の紅葉

人が少なく静かなのは撮影には好都合なのだが、あいにくと天候も今ひとつ。すっきりとした青空が見えない。澄み切った青空をバックに紅葉の撮影をと願っているのだが、どうもついていないようだ。どことなく寂寥感が漂う一帯を散策しながら、何枚かの画像を納めたが、気分的にも盛り上がりに欠ける。時間は午前10時過ぎ、撮影には好都合な時間帯なのに、光線にも元気が無いようだ。出直した方が良いのかもしれないが、月が変わると紅葉も終了だろう。今年は限界かな。    


          緑鮮やかな苔のうえに落ち葉がヒラリ・・・・・・・・・秋ですね。
      弘川寺の紅葉


ここでちょっと西行法師に触れてみよう。上述したようにこの地で晩年を過ごされ、ご存知の如く「願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月の頃」という辞世の歌を残して亡くなられた。本名は佐藤義清(さとうのりきよ)といって北面の武士(現在の皇宮警察官であろうか)という安定した暮らしを為さっておられたようだが、ある日突然家族も捨て出家された模様。失恋説などあまたの俗説もあるが、真偽の程は不明なようだ。世の無常を感じ取っておられたのかも知れない。放浪生活のあと何かのご縁で当地に住まわれたようだ。山桜をこよなく愛されたとの伝承もあって、当地の方々は桜の植樹にことのほか熱心だ。里山倶楽部の貢献も大きいのだろう、裏山では相当数の山桜が春の出番を待っている。

            
                        弘川寺の本堂です。
     弘川寺の紅葉
             小道は集落へと続きます。法師もここから村人の家に?
            弘川寺の紅葉
             西行法師と縁の深かった人々の末裔が今もこの地に。
     弘川寺の紅葉

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Posted by とんび at 05:08│Comments(0)里山に遊ぶ
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