オオサカジン

  | 河内(南河内・中河内)

新規登録ログインヘルプ


金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2010年02月11日

歴史の散歩道

当地は大阪の南東部、金剛山の西山麓にあって凸凹の多い丘陵地ですが、散策には適した場所かと自賛しております。これといった観光地はありませんが、歴史好きな方にとっては想像力を逞しくさせるような格好のフィールドでしょう。古墳時代の遺跡から中世の山城或いは近世の幕藩期の小藩の名残など探索の相手方には不自由しないようです。最近は歴女なる概念が存在するそうですが、何事にせよ女性の方が行動的なのかもしれません。負けてはならじ、と意気込んでる訳ではありませんが、小生も少々真似をしてみましょう。いつもは山城探索が多いのですが、本日は古墳時代の円墳見学に。共同農園からそう遠くない場所に当地でも貴重な円墳が存在します。歴史の教科書に登場するのは大半が前方後円墳ですよね、本日の円墳は前も後ろも円なのです。画像でご覧頂いた方が早いのかな。


                前円後円墳の金山古墳です。南丘側から見た北丘。
    歴史の散歩道 
                     同じく北丘側から見た南丘です。
    歴史の散歩道 

全国的に多いのは円墳らしいですが、単純に丸く盛り上げたいわゆる土饅頭形式ではないでしょうか。当地の円墳のように前円後円墳は少ないのではと想像します。当地にも古市古墳群と呼ばれる墳墓の密集地帯が存在しますが、前円後円墳は他になかったように思います。専門的な知識があるわけでもないので詳細な解説は出来ませんが、古墳を訪ね歩くのも結構楽しいものです。藤井寺市から羽曳野市それに太子町から河南町へと墳墓の列が続きます。かって王族達が当地に居住し或いは当地を祖としたものではないかと思われます。17条憲法で著名な聖徳太子も、当地の太子町に墳墓が存在します。叡福寺というお寺さんの中にありますので興味のある方は訪ねて見て下さい。ちなみに直径50メートル位の円墳のようで、母君や后と一緒に眠っておいでのようです。


             上空から俯瞰すると丁度こんな感じとなります。石棺は北丘に。
    歴史の散歩道

さて肝心の前円後円墳ですが、金山古墳と称して国の史跡にも指定されてるようです、ぞれだけ珍しい形式なんでしょう。北円墳に石棺の埋葬があったようですが、今は復旧されて覗けるように整備されています。解説板等もありましたが、どなたが被葬者とは明示がありませんでした。発掘調査でも特定出来なかったのでしょうか。南河内には母なる大河「石川」が流れています。かって、難波の津(現在の大阪市住吉区あたりでしょうか)に上陸した大陸や半島系の人々は石川を小舟で遡って当地に住み着いたのではないでしょうか。元々居住していたと思われる縄文系の人々との対立抗争で優位を治め、勢力圏を拡大していったのは容易に想像できます。出雲民話の国譲りの話などはここらの悲哀物語ではないでしょうか。


                     北丘の石室への進入路です
    歴史の散歩道
    
    歴史の散歩道
    
お天気も下り坂となってきたようで、昨日までの小春日和がすっかり消え去ってしまいました。さすがにこうした日々には歴女の訪問も無きようで、小生一人が貸し切り状態で堪能させていただきました。同好の士がいないと言うこともたまにはいいものですね。
     

         北丘から眺望した農地。渡来した人々は肥沃な大地に歓喜したのでは。
     歴史の散歩道

同じカテゴリー(里山に遊ぶ)の記事画像
赤阪村小景
山里に錦秋を訪ねて
大阪産(もん)フェア
山野草の同定
源流学の村を訪ねて
凍り豆腐の里
同じカテゴリー(里山に遊ぶ)の記事
 赤阪村小景 (2010-12-13 05:12)
 山里に錦秋を訪ねて (2010-11-20 05:11)
 大阪産(もん)フェア (2010-11-11 05:07)
 山野草の同定 (2010-10-30 05:04)
 源流学の村を訪ねて (2010-10-08 05:06)
 凍り豆腐の里 (2010-10-07 05:13)

Posted by とんび at 05:11│Comments(6)里山に遊ぶ
この記事へのコメント
おはようございます。
古墳めぐり、以前、私もエリア内で見つけ行ったんです。
埋葬は特定できず謎のままで、その謎が好奇心をくすぐります。
訪れた時期は、熊笹がまだ群生してまして
今となっては
タイミングのズレで躊躇しています。
石室はおろか古墳のまわりは立入禁止でしたし。
これを機に思い出しながらブログ記事にしようかと思案中です。。。

今更ながらに尊敬しますのは、毎日毎日、このような丁寧なブログ、よく続けておられますね。
とんび様もお忙しい身であられるはずですのに。

なにが違うのでしょう。これも永遠の謎で永遠のテーマです。
Posted by 乙女椿 at 2010年02月11日 06:43
こんばんは。とうとう雨となりましたね。

古墳巡りは1200年~1300年程時空を遡りますので、確証が少なく、想像力に依存する部分が多くてそこが楽しいのかも知れませんね。

クマザサの中から見いだされた時は興奮されたのでは?

百姓身分の特権は、時間の融通無碍なところに有り、でしょうか。
本業に専念せずに、横道稼業に余念なき人も多いようです。

当地の農家のおやっさんも、詩歌に絵画に尺八に囲碁将棋に・・・・・・・・
プロ並みの才人をしばしば発見します。
Posted by とんびとんび at 2010年02月11日 21:27
おはようございます。
今朝、昨秋訪れた古墳の記事がやっとできました。

よろしければご覧ください。
とんび様の古墳の記事を拝見しなければ、きっとお蔵入りになってましたよ。
Posted by 乙女椿 at 2010年02月21日 05:36
おはようございます。

神社仏閣がお好きとは存じてましたが、古墳までレパトリーの内ですか。
博覧強記のご様子で、ますます世界が広がりますね。

御地にも古墳が多々存在するのですね。
かっての小生は、古墳=天皇の墓、と信じてました。

当たり前ですが、天皇を中心とする中央集権国家が出来る以前は、各地に豪族が群雄割拠し、大王が存在したのでしょうね。
権力を誇示するには、箱物を作るのが最短コースだったのでしょう。

動員された庶民に日当などが支払われた形跡はないようで、武力で強引に働かされたのではないでしょうか。

古墳も規模や被葬者ばかりに関心が向きがちですが、実際に作った人々の思いや日々の暮らしぶりからの視点も持ちたいものです。
Posted by とんびとんび at 2010年02月21日 06:26
おはようございます!

とんび様のおっしゃるように、造営には多くの労力と犠牲の上で遺されていることも忘れてはならないです。

ふだんの日常も同じことが言えますね。
関心を寄せる視点がともすれば一点集中。
それでは明確な答えや正確な判断は見い出せないと思います。
客観と主観。
コメント入れさせていただいた翌日、お返事読ませていただくのは楽しみです。
(とんでもない過大評価に苦笑いしてます)

私もそのぶん、今日お会いする方々に
お返ししなくっちゃ!

とんび様も良き1日でありますように
Posted by 乙女椿 at 2010年02月22日 07:24
こんばんは。

慈愛のこもったエールをありがとうございます。
齢を重ねますと、本日1日の有りがたみがしみじみと実感されます。

「日暮れて路遠し」の感は否めませんが、おっしゃるように積福と分福の工夫が必要なようですね。
先ほど覗いていたテレビで、東京下町の職人さんが毎日夜回りする映像が映っていました。「人は何処かで誰かにお世話になってるのだから、少しでもお返ししなくては・・・・・・・」そんな台詞にハッとしたものです。乙女椿さんと該当の職人さんが重なってしまいました。

時に政治家の皆さんからは、こんな深さと凄みをもった台詞が全く聞けないですね。残念です。
Posted by とんびとんび at 2010年02月22日 22:44
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。