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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2010年04月28日

森屋の高札場

しばらく留守にしまして申しわけございませんでした。休載中にも沢山の方がお立ち寄り頂いたようで恐縮致しております。又、ボチボチと再開させていただきますので、お暇な折りには覗いて見て下さい。今後ともよろしくお願いします。


             森屋地区の昔の消防署ですね。右書きの文字にご注目。
     森屋の高札場

高札ってご存じだろうか。時代劇ファンの方なら、何度か高札に群がる人々の姿をご覧になられたことがおありではなかろうか。恐らく江戸時代と思われる時代背景の中、お代官様の告知を板書した掲示板みたいなものに人だかりが生じている場面である。正式には為政者による法令の布告であったようだ。ということは、住民の少なからざる人々が文字の読み書きが出来たという背景が想像される。この高札を掲げた場所即ち高札場が当地の森屋(千早赤阪村)に現存しているとの情報を聞き込んだ。物好きな小生のこと、見逃す手はあるまいと早速に探索に。布告が目的だから、当然人通りの多い場所とは考えられる。国道を起点にあちこち踏査してみたが皆目わからない。30分ほど歩き回ってふと気づいたのが・・・・・・・・・・そうなんだ、高札の時代には国道は無かったのだ。


            森屋地区のメインストリート、この付近と推測したのですが。
     森屋の高札場     

当時の道路或いは人だまりが出来やすい場所、それを探索しなければならない。地元の方に聞き込んで、昔に使われていた幹線道路を割り出した。曲がりくねった軽自動車1台がやっとこさ位の道である。まずは水越川にかかる橋、ここは人々が集まりやすいだろうと調査すると、小さな社が2ヶ所もある。それに古い石塔が建っており何やら記載されているが文字がすり減って判読できない。かろうじて建立時期と思える明治5年の文字だけを拾った。どことなく意味ありげな雰囲気だが、高札と思しき物件が見あたらない。往事の幹線道路をしばらく歩くと、三叉路に出逢い、古い常夜灯が設置してある。よくよく見ると、常夜灯の後部に木造瓦葺きの小さな建物が。どうやらゴミの集積場として使用されているようだが、壁面には寄付の御礼状などが貼付してある。構造や立地条件等からみてどうもこの建物がかっての高札場であるように思える。

      
           聞き出した昔の街道です。当時には国道は無かったですね。
     森屋の高札場
               当時の地区の中心部と思えます、中の橋。
     森屋の高札場 
               いかにも高札場がありそうな雰囲気なんですが。
     森屋の高札場

高札制度は明治の始めに廃止されたはずだから、以来140年あまり現存してきたのだろうか。無論、中途での修復はあっただろうし、その役割も変遷してるだろうが、遺構が現存(この建物と仮定すれば)して実際に見学できるのは非常にありがたい。1ヶ月ほど前にレポートしたが、現在地の森屋は白木の殿さんの領地であった。即ち、河南町の白木に陣屋を構えた石川氏2万石の治世下にあった。従って高札も白木の陣屋から発せられたものと考えられる。驚くのは、当時の時代に文字の読み書きが出来る庶民が少なからず存在したと思えること。寺子屋の功績と住民自身の向学心によるものであろう。

         
             さらに村中の街道を上って行きますと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     森屋の高札場

かって何の書物で読んだのか記憶が定かでないのだが。大東亜戦争に敗北し、東南アジアで捕虜となった日本軍兵士が全員文字の読み書きが出来ると言うことを英蘭軍の将校は信じなかったそうだ。通訳を介して「自宅に手紙を書ける者は挙手せよ」との指示を出して、全員が挙手すると、驚嘆して言葉もなかったとか。あれから60有余年、現在の日本人と英蘭人との相違はどうでありましょうか。


           ありましたね。多分この建物が往事の高札場かと思います。
     森屋の高札場
        3本の道路が交差する辻です。住民への周知にはかっこうの場所ですね。
     森屋の高札場

話題の舞台となっています森屋地区、かっては相当栄えていたようです。水越川のずっと下手に当たる地域に大ヶ塚と呼ばれる集落があります。近世に繁栄した寺内町ですが、森屋の市に出向くのが不便なので市を開いたとの伝承があるようです。森屋地区は楠公さんの産まれ在所、近世以前にはこの地が南河内の中心部だったのかも知れないですね。白木の殿さんもそうした事情を熟知の上で、布告の場所を選択されたのではないでしょうか。       

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Posted by とんび at 05:05│Comments(0)里山に遊ぶ
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