2008年09月06日
里芋三景
まもなく仲秋の名月を迎える季節となり、里芋も掘り出し可能な状態といえそうだが、小生の畑は少々貧弱。掘り出しには縁遠い成長ぶりだ。翻ってKさんの畑や師匠のNさんの畑をみると、今にも掘れそうな状態。何がどう違うねん・・・・・・・・と言いたいところだが、因果関係は原因があって結果があるもの。ぼやいていても始まらない。原因追及が先決だろう。里芋は人によっては泥イモとも水イモとも呼ぶ、すなわち水を好むのが基本的な性質。早い話がここへの対策が不十分だったようだ。
小生の里芋畑。なんとも貧相な里芋達だ。高さ50~80センチ位か。
Kさんの里芋畑。元気のいい里芋達だ。高さは1~1.5メートル位か。
師匠Nさんの里芋畑。高さは2メートル近くある。
同じような場所で同じように里芋を作ってこれだけの格差が出てしまう。腕の差や、と言われれば返す言葉もないのだが。作り方は師匠から習った。従って方法論的には大差ないはずである。問題はやはり水か。Kさんも師匠のNさんも水をふんだんに与えている。水路を造って、里芋を植え込んだ高畝の間に水を通しておられるのだ。小生の場合は、水路を造れない構造の畑でもあり、時折にバケツで水やりした程度だ。この違いが里芋の成長格差となって現れたのだろう。最も師匠は里芋の品評会で特等を取られるような人物、小生が気づかぬノウハウの蓄積があるのかも知れない。Kさんもこの道うん十年・・・・・・・・・・・キャリアの違いは如何ともし難い。
里芋畑の用水路。中央部が水の流れです。
それにしても見事な里芋畑だ。無論、師匠Nさんの自信作。
何処の世界でも同じ事だが、似たような取り組みを重ねながらも結果的に大きな格差をもたらすことがある。プロとアマとの違いとも言えるかも知れないが、良い結果を引き出す方は、目に見えない努力と工夫を重ねておられるようだ。現象面だけみて、なんでやろう、とぼやいても始まらない。深い観察と洞察力の中で、自己なりの方法論を構築していくしかないのであろう。日々研鑽、幾つになってもどんな世界でも変わらぬ原理のようだ。
小生の里芋畑。なんとも貧相な里芋達だ。高さ50~80センチ位か。

Kさんの里芋畑。元気のいい里芋達だ。高さは1~1.5メートル位か。

師匠Nさんの里芋畑。高さは2メートル近くある。

同じような場所で同じように里芋を作ってこれだけの格差が出てしまう。腕の差や、と言われれば返す言葉もないのだが。作り方は師匠から習った。従って方法論的には大差ないはずである。問題はやはり水か。Kさんも師匠のNさんも水をふんだんに与えている。水路を造って、里芋を植え込んだ高畝の間に水を通しておられるのだ。小生の場合は、水路を造れない構造の畑でもあり、時折にバケツで水やりした程度だ。この違いが里芋の成長格差となって現れたのだろう。最も師匠は里芋の品評会で特等を取られるような人物、小生が気づかぬノウハウの蓄積があるのかも知れない。Kさんもこの道うん十年・・・・・・・・・・・キャリアの違いは如何ともし難い。
里芋畑の用水路。中央部が水の流れです。

それにしても見事な里芋畑だ。無論、師匠Nさんの自信作。

何処の世界でも同じ事だが、似たような取り組みを重ねながらも結果的に大きな格差をもたらすことがある。プロとアマとの違いとも言えるかも知れないが、良い結果を引き出す方は、目に見えない努力と工夫を重ねておられるようだ。現象面だけみて、なんでやろう、とぼやいても始まらない。深い観察と洞察力の中で、自己なりの方法論を構築していくしかないのであろう。日々研鑽、幾つになってもどんな世界でも変わらぬ原理のようだ。
Posted by とんび at 05:08│Comments(0)
│畑の作業
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