2009年01月01日
新たなる始まりに
新年あけましておめでとうございます。このブログも皆様に支えられまして1年近く続けてこれました。1週間も続くかな、と言う不安が大きかった最初の頃が嘘のようです。時折にコメントを頂くことや、無言でクリックを続けてくださる方や、メールを送って下さる方々など、多くの方々の支えによるものと感謝致しております。南河内の山里周辺のたわいのない話を綴ったものが大半ですのに、よくも毎日お立ち寄りいただきまして、まことに恐縮する次第です。本年も出来うる限り、日々更新して参りたいと願っております。お暇な折にはお気軽にお立ち寄り下さい。
当地の産土の神です。簡素なお社ですが、身が引き締まりますね。

さて世間様が騒々しくなってきましたね。昨年9月でしょうか、リーマンブラザーズの破綻を契機に大変動が生じてしまったようです。識者によっては1930年代の大恐慌の復活とまで評論する向きもあるようです。確かに経済が停滞し、消費が低迷し、雇用が崩れ、不安だらけの毎日でしょう。しかしながら物事は因果関係であって、必ず原因があるもの。言葉を換えれば自らが招き寄せた結果とも言えます。極論かも知れませんが、大量生産・大量消費という社会構図、いわば物欲に誘引された社会の仕組みが破綻したとも言えるのではないでしょうか。天から、時代から、社会の枠組みを変換するよう求められているのかも知れません。いわば産みの苦しみの時期にはいった可能性がありますね。ここで参考となるのが、ブータン王国のワンチェク前国王が提唱される「国民総幸福量(GNH)」という新たな指標です。GDPに変わる、依って立つべき座標軸と思えるのだが、いかがなもんでしょうか。

よく言われる例え話に、食肉の事例があります。牛肉1キロを生産するに飼料作物60キロを生産し消費するとの話です。1キロの牛肉を得るために多くの資金が回転したくさんの人が従事します。従って統計数字は大きなGDPとして表示されます。だが結果は1キロの収穫でありそれなりの人数しか満足できません。もしもこれが60キロの収穫を食料とできれば(牛肉ではなく穀物等で生活できれば)、GDPは小さくとも多くの人々が食べていけれる、という例え話です。示唆に富んだ内容ではないでしょうか。

世界有数の経済大国と呼ばれながらも、人々の心には逼塞感と寂寥感が満ちあふれ、希望の無い日々をおくっているとの印象が強いようです。打開策を政治家や政府に期待しても無駄でしょうね。結局、政治家や政府は我々自身の投影に他ならないでしょうから、我々自身が変わっていくしか方法は無さそうです。具体的方策は人によって異なってくるでしょうが、ただ一つ明確なのは、欲望肥大化路線からの決別でしょうか。要求されるのは自らの智慧と汗とによって新たな路線を確立していくことでしょう。オバマさんやかっての某国宰相のように、「change、構造改革」といった言語明瞭・意味不明のスローガンに惑わされる事なく、福沢諭吉翁が語るような、独立自尊の生き方から生まれてくる新たな方向性に期待したいと思います。
神様の守護兵かな、門衛の役割を。

少々話が固苦しくなってしまいました。新春早々にしかめっ面をしても野暮なだけでしょう。幸いお天気も良さそうです。初詣に近くのお寺とお宮さんに出掛けましょうかな。産土の神にご挨拶して、今年一年の精進を誓うのも、人として必要な事でありましょう。ご家族ともどもお元気でお過ごし下さい。本年のご多幸とご健康を祈念しております。
お社ではかがり火が迎えてくれます。邪気や邪念を焼き尽くすとか。
当地の産土の神です。簡素なお社ですが、身が引き締まりますね。

さて世間様が騒々しくなってきましたね。昨年9月でしょうか、リーマンブラザーズの破綻を契機に大変動が生じてしまったようです。識者によっては1930年代の大恐慌の復活とまで評論する向きもあるようです。確かに経済が停滞し、消費が低迷し、雇用が崩れ、不安だらけの毎日でしょう。しかしながら物事は因果関係であって、必ず原因があるもの。言葉を換えれば自らが招き寄せた結果とも言えます。極論かも知れませんが、大量生産・大量消費という社会構図、いわば物欲に誘引された社会の仕組みが破綻したとも言えるのではないでしょうか。天から、時代から、社会の枠組みを変換するよう求められているのかも知れません。いわば産みの苦しみの時期にはいった可能性がありますね。ここで参考となるのが、ブータン王国のワンチェク前国王が提唱される「国民総幸福量(GNH)」という新たな指標です。GDPに変わる、依って立つべき座標軸と思えるのだが、いかがなもんでしょうか。

よく言われる例え話に、食肉の事例があります。牛肉1キロを生産するに飼料作物60キロを生産し消費するとの話です。1キロの牛肉を得るために多くの資金が回転したくさんの人が従事します。従って統計数字は大きなGDPとして表示されます。だが結果は1キロの収穫でありそれなりの人数しか満足できません。もしもこれが60キロの収穫を食料とできれば(牛肉ではなく穀物等で生活できれば)、GDPは小さくとも多くの人々が食べていけれる、という例え話です。示唆に富んだ内容ではないでしょうか。

世界有数の経済大国と呼ばれながらも、人々の心には逼塞感と寂寥感が満ちあふれ、希望の無い日々をおくっているとの印象が強いようです。打開策を政治家や政府に期待しても無駄でしょうね。結局、政治家や政府は我々自身の投影に他ならないでしょうから、我々自身が変わっていくしか方法は無さそうです。具体的方策は人によって異なってくるでしょうが、ただ一つ明確なのは、欲望肥大化路線からの決別でしょうか。要求されるのは自らの智慧と汗とによって新たな路線を確立していくことでしょう。オバマさんやかっての某国宰相のように、「change、構造改革」といった言語明瞭・意味不明のスローガンに惑わされる事なく、福沢諭吉翁が語るような、独立自尊の生き方から生まれてくる新たな方向性に期待したいと思います。
神様の守護兵かな、門衛の役割を。

少々話が固苦しくなってしまいました。新春早々にしかめっ面をしても野暮なだけでしょう。幸いお天気も良さそうです。初詣に近くのお寺とお宮さんに出掛けましょうかな。産土の神にご挨拶して、今年一年の精進を誓うのも、人として必要な事でありましょう。ご家族ともどもお元気でお過ごし下さい。本年のご多幸とご健康を祈念しております。
お社ではかがり火が迎えてくれます。邪気や邪念を焼き尽くすとか。

Posted by とんび at 05:00│Comments(0)
│つれづれなるままに
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