2009年05月16日
水源地占領?
我が国は国土の70パーセント近くが山林で、古来、山紫水明の地と呼ばれてきた。おかげで見事な水質の水資源に恵まれ、渓流や河川の水をそのまま飲用できることを当然と考え暮らしてきた。ところが広い世界を見渡すと、生水をそのまま飲用できる国はきわめて少数で例外的であることがわかる。我々が当然と考え当たり前のこととしてきた生活が、いかに恵まれたすばらしい環境であったことか。最近はその水も次第に汚染されてきたとはいえ、まだ水道水を生で飲用することを可能としている。山々を守り樹木を大事に育ててきたご先祖様たちのおかげであろう。長い歴史と先人たちの弛まない努力とを冷静に評価しその恩恵に感謝すべきであろう。当たり前のことは当たり前ではなかったのである。
この偉大なる山々が我々の命を育んでくれています。水=命ですね。

こうしたすばらしい環境下で暮らしながらあまり山や樹木のことを考えてこなかったのが我々現代人ではなかろうか。そんな時に冷や水をぶっかけるようなニュースが流れてきた。端的に表現すると、お隣の中国資本が我が国の水源地帯を買いあさっているとの記事である。無論、山々や樹木にはそうたいした資産価値はない。狙いは地下の水源のようだ。本国が砂漠化し水資源が逼迫しているのは周知の事実、それに環境破壊を厭わない乱開発で国内の河川は汚れきっているとか。対象地は全国に及ぶようだが、近くでは奈良県の大台町、例の大台ヶ原近辺である。ここに中国人が現れ買収交渉の話を持ち出してきたとか。
山は森を作り、森は水を蓄え、水は人の命を育みます。

まだ具体的な締結にまでは至ってないようだが、現行の法体系では不動産の売買交渉を禁止する手立てはなさそうである。ご承知のように、農地に関しては農地法の第3条~第5条で所有権移転に一定の制約が課せられている。地目が山林であれば農地法ではなく森林法の対象となるようだが、農地法の規定のような制約条件は無いようである。いわば買い手と売り手の合意さえあれば所有権移転は可能だろう。昨今の林業不振で林家は経済的に苦しんでいる。いつなんどき、水源地帯の山林が外国人の手に渡るかもしれない。仮定の話だが、資金的に潤沢な中国資本が我が国の水源地帯を買い占めてしまったら、我々は水も飲めなくなってしまうのではなかろうか。同国の国内状況を勘案すると、買収した水源地帯で水を確保し巨大タンカー船団で本国への搬送、それを護衛するのは空母を中心とした中国海軍の機動部隊・・・・・・・・・・そんな図式が想像されて不安になるが単なる杞憂と割り切れるだろうか。
彼の雲達が雨をもたらすのだが、その雨を享受でき続けられるだろうか。

我々が歴史や伝統を軽視し、ご先祖様たちの努力に対して正当な評価を成して来なかったツケがこんな形で現れてきたのだろうか。今からでは遅いかもしれないが、早急に法体系の整備を図り所有権移転に一定の制約を課するべきであろう。ややもすると所有権の絶対性を主張しエゴに走る向きが強いが、所有権は無条件絶対ではなくあくまでも公共の福祉の範囲内で尊重されるものに過ぎないと思うがいかがであろうか。我々はつい最近大きな教訓を得たばかりである。市場の絶対性を信じた新古典派の経済人達が金融工学とかで暴走し、彼の覇権国家USAを破綻状態にまで落ち込ませてしまったのみならず世界中を混乱と経済的苦境に引き込んでしまった事を。自由放任のままで人々が幸福な生活に至れると思うのは幻想に過ぎないでしょう。
この清冽な清水も外国人の手に渡る可能性も。

それにしても我々は身近にある大きな価値を見過ごして暮らしてきたようです。物事を真摯に見つめ考える習慣が失われてしまったのが大きな要因でしょう。そしてこの喪失にはマスコミの責任も大きいようです。意図的に享楽的な話題を提供し、人々を安楽なその日暮らしの生活に導こうとする姿勢が顕著なようですね。大手の新聞社や放送局が赤字に苦しみ、毎年のように収益を減らしているのもある意味当然の結末かもしれません。因果応報。マスコミをマスゴミと表現する方々もおられるようだが、無理のない話かもしれませんね。
ご参考までに(中国資本による水源地買収)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/econpolicy/253036/
この偉大なる山々が我々の命を育んでくれています。水=命ですね。

こうしたすばらしい環境下で暮らしながらあまり山や樹木のことを考えてこなかったのが我々現代人ではなかろうか。そんな時に冷や水をぶっかけるようなニュースが流れてきた。端的に表現すると、お隣の中国資本が我が国の水源地帯を買いあさっているとの記事である。無論、山々や樹木にはそうたいした資産価値はない。狙いは地下の水源のようだ。本国が砂漠化し水資源が逼迫しているのは周知の事実、それに環境破壊を厭わない乱開発で国内の河川は汚れきっているとか。対象地は全国に及ぶようだが、近くでは奈良県の大台町、例の大台ヶ原近辺である。ここに中国人が現れ買収交渉の話を持ち出してきたとか。
山は森を作り、森は水を蓄え、水は人の命を育みます。

まだ具体的な締結にまでは至ってないようだが、現行の法体系では不動産の売買交渉を禁止する手立てはなさそうである。ご承知のように、農地に関しては農地法の第3条~第5条で所有権移転に一定の制約が課せられている。地目が山林であれば農地法ではなく森林法の対象となるようだが、農地法の規定のような制約条件は無いようである。いわば買い手と売り手の合意さえあれば所有権移転は可能だろう。昨今の林業不振で林家は経済的に苦しんでいる。いつなんどき、水源地帯の山林が外国人の手に渡るかもしれない。仮定の話だが、資金的に潤沢な中国資本が我が国の水源地帯を買い占めてしまったら、我々は水も飲めなくなってしまうのではなかろうか。同国の国内状況を勘案すると、買収した水源地帯で水を確保し巨大タンカー船団で本国への搬送、それを護衛するのは空母を中心とした中国海軍の機動部隊・・・・・・・・・・そんな図式が想像されて不安になるが単なる杞憂と割り切れるだろうか。
彼の雲達が雨をもたらすのだが、その雨を享受でき続けられるだろうか。

我々が歴史や伝統を軽視し、ご先祖様たちの努力に対して正当な評価を成して来なかったツケがこんな形で現れてきたのだろうか。今からでは遅いかもしれないが、早急に法体系の整備を図り所有権移転に一定の制約を課するべきであろう。ややもすると所有権の絶対性を主張しエゴに走る向きが強いが、所有権は無条件絶対ではなくあくまでも公共の福祉の範囲内で尊重されるものに過ぎないと思うがいかがであろうか。我々はつい最近大きな教訓を得たばかりである。市場の絶対性を信じた新古典派の経済人達が金融工学とかで暴走し、彼の覇権国家USAを破綻状態にまで落ち込ませてしまったのみならず世界中を混乱と経済的苦境に引き込んでしまった事を。自由放任のままで人々が幸福な生活に至れると思うのは幻想に過ぎないでしょう。
この清冽な清水も外国人の手に渡る可能性も。

それにしても我々は身近にある大きな価値を見過ごして暮らしてきたようです。物事を真摯に見つめ考える習慣が失われてしまったのが大きな要因でしょう。そしてこの喪失にはマスコミの責任も大きいようです。意図的に享楽的な話題を提供し、人々を安楽なその日暮らしの生活に導こうとする姿勢が顕著なようですね。大手の新聞社や放送局が赤字に苦しみ、毎年のように収益を減らしているのもある意味当然の結末かもしれません。因果応報。マスコミをマスゴミと表現する方々もおられるようだが、無理のない話かもしれませんね。
ご参考までに(中国資本による水源地買収)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/econpolicy/253036/
Posted by とんび at 05:13│Comments(0)
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