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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2009年08月12日

やはり鎮守の森で

外環状線を走って、河内長野の市街地からパイパス経由で橋本市へと抜けるとき、気になる森が存在する。なんとか探索をと訪ね歩いたが登路がわからず往生していたのだ。今回、三度目の正直でようやくルートを探し当て、訪問の機会に恵まれた。ルート探索は歩きに限るようだ、過去二回は車だったので見落としていたのだろう。やはり現場は想像どおりで神社を中心とした鎮守の森であった。中心となるのが地元、加賀田村(現在は河内長野市)の加賀田神社である。相当、歴史のある古い神社のようで、立派な作りの拝殿や本殿或いは社務所が設置されている。


            気になっていた森の主、地元の加賀田神社です。
     やはり鎮守の森で


由緒書きによると拝殿は江戸時代末期に火災にあったものを修復し、それを平成にはいって再度修復した模様。本殿は江戸時代中期の作といわれてますが、状況から見てそれ以降の再建とも思えるほど立派でした。ご祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后のお三方のようです。楠木正成の軍学の師匠であった大江時親の屋敷跡もこの地にあり、相当昔から開けていた農村だったようです。現在も農村的風景は残っていますが、新興住宅が沢山作られ、都市部に通う勤労者の住宅街へと変貌しています。

                   平成12年に再建された拝殿です。    
              やはり鎮守の森で
              本殿です。南側の後背地はまさに鎮守の森ですね。
     やはり鎮守の森で

北向きの社殿で南側が森となっているため日当たりはあまり良くないようです。雨上がりの天候でしたが、少々湿気を帯びた森は散策には不向きなようです。鎮守の森にふさわしく、横浜国大の宮脇昭氏(名誉教授)が口癖のように言われる、シイ・タブ・カシ・・・・・・・・を中心とする森のようです。この森が氏が語られる当地の「潜在自然植生」なのでしょう。鬱蒼たる巨木を見上げていると、まるでトトロの森にでも迷い込んだような感慨に捕らわれます。昔は辺り一面がこんな樹種で一杯だったのでしょうね。そんな森の中で、ご先祖様達は狩猟や採取の生活を続けてこられたのでしょうか。


        どこか古民家を忍ばせる社務所です。宮司さんは不在のようですね。
     やはり鎮守の森で
            奉納されていた絵馬、数百年の歴史はあるようです。
     やはり鎮守の森で


話を伺おうかと思ったのですが、宮司さんは居住ではないようです。何カ所かの神社を一括して管理しておられるのかも知れないですね。夏祭りと秋祭りがあるようですから、運がよければ該当日にお会いできるかも知れません。最近は村の古老や郷土史に詳しい方も少なく、故事来歴等がなかなかつかめません。ネットの時代とも言われますが、地方のローカルな事物については発信されてる方も少なく、情報過疎というのが実情でしょう。各地の団塊の世代に奮起をお願いしたい次第です。


      神社への参道です。ここもやはり桜、日本人にとって特別な花なんですね。
     やはり鎮守の森で








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