2009年08月13日
台風一過
地震・雷・火事・親父・・・・・・・・・世の中で怖いもんの順番だそうだが、最後はともかくとして前三者は現在も同じであろう。事もあろうに、その怖い奴、地震と台風とが一緒にやってきた。地震は駿河湾が震源地のようだった。静岡県の方々は常々東海地震に備えて対策を講じておられたようだ。高い震度の割には被害もそう大きくなく、安堵されたことだろう。台風は水害がひどく特に兵庫県などは沢山の方が水で亡くなられた。お悔やみを申し上げたい。夜間の避難勧告など検討すべき課題も少なくないが、水の暴走には手の打ちようがないのが実態だろう。古来、治山治水といわれ、為政者の第一の課題とされてきたのも我が国の地形からして当然であろう。
クヌギとコナラはかっての里山の王者でもありました。

薪炭林として最適の樹種ですね。炭小屋の周囲にはてんこ盛りでした。

ど素人が淺知恵であれこれ言うべきことではないが、山や森が水を制御できなくなったのが大きな原因ではと想像してみる。宮崎駿氏のアニメ「もののけ姫」でも描かれているが、人間の生活と自然界の破壊とは相関関係みたいなところがあり、現在もその傾向が強いように思う。例えれば、ダムの建設や河川のコンクリート化或いは照葉樹林を伐採して根の浅い杉や檜の植林など。多くは生活上の必要性から生まれたものだが、結果として山や森や河川を破壊したのには相違ないだろう。
台風の雨水でしっぽりと濡れましたね。

欧州では河川のコンクリートを剥がし、樹を植え、流れを蛇行させて緩やかに改造しているという。どちらかというと、かっての在りし日の河川に戻そうとの動きのようだ。人間が科学を過信して、自然界をコントロール出来ると考えたところから悲劇は始まったように思う。まだまだ現在の科学では解明できない事象が沢山存在するようだ、素直な気持ちに戻って自然界への畏敬の念を取り戻すべきではなかろうか。山や森や川の力によって活かされていることを認め、その意志に反しないような生き様を模索すべきかと思う。具体例としては、山や森が雑木林であった頃の姿を復活し、水を地中深くしみこませていくことである。そう困難な事業ではあるまい。方向性の転換と明確な意志さえあれば可能な事だと思っている。
程よい雨は田畑や森への恵みではありますが

今、各地で様々なボランティア団体が森作りに取り組んでおられる。桜の植樹であったり、炭焼きであったり、竹林の伐採であったり・・・・・・・・・・活動内容は多種多様だが、目指すべき到達点は同じかと思う。まだ微々たる集団の少数派に過ぎないが、人間の生き方を根底からとらえ直し、自然界と共生した人間本来の姿を取り戻そうとの活動とも思える。そうした活動の延長線上で、現代科学への妄信とは違った形での災害対策も生まれてくるのではなかろうか。
ご先祖様達は水を龍神様として、恐れ敬い祭りました。

クヌギとコナラはかっての里山の王者でもありました。

薪炭林として最適の樹種ですね。炭小屋の周囲にはてんこ盛りでした。

ど素人が淺知恵であれこれ言うべきことではないが、山や森が水を制御できなくなったのが大きな原因ではと想像してみる。宮崎駿氏のアニメ「もののけ姫」でも描かれているが、人間の生活と自然界の破壊とは相関関係みたいなところがあり、現在もその傾向が強いように思う。例えれば、ダムの建設や河川のコンクリート化或いは照葉樹林を伐採して根の浅い杉や檜の植林など。多くは生活上の必要性から生まれたものだが、結果として山や森や河川を破壊したのには相違ないだろう。
台風の雨水でしっぽりと濡れましたね。

欧州では河川のコンクリートを剥がし、樹を植え、流れを蛇行させて緩やかに改造しているという。どちらかというと、かっての在りし日の河川に戻そうとの動きのようだ。人間が科学を過信して、自然界をコントロール出来ると考えたところから悲劇は始まったように思う。まだまだ現在の科学では解明できない事象が沢山存在するようだ、素直な気持ちに戻って自然界への畏敬の念を取り戻すべきではなかろうか。山や森や川の力によって活かされていることを認め、その意志に反しないような生き様を模索すべきかと思う。具体例としては、山や森が雑木林であった頃の姿を復活し、水を地中深くしみこませていくことである。そう困難な事業ではあるまい。方向性の転換と明確な意志さえあれば可能な事だと思っている。
程よい雨は田畑や森への恵みではありますが

今、各地で様々なボランティア団体が森作りに取り組んでおられる。桜の植樹であったり、炭焼きであったり、竹林の伐採であったり・・・・・・・・・・活動内容は多種多様だが、目指すべき到達点は同じかと思う。まだ微々たる集団の少数派に過ぎないが、人間の生き方を根底からとらえ直し、自然界と共生した人間本来の姿を取り戻そうとの活動とも思える。そうした活動の延長線上で、現代科学への妄信とは違った形での災害対策も生まれてくるのではなかろうか。
ご先祖様達は水を龍神様として、恐れ敬い祭りました。

Posted by とんび at 05:08│Comments(0)
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