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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2010年02月10日

非理法権天

うまし水の里、小さな絵本のような村・・・・・・・・・・・この地には感性豊かな御仁が潜んでおられるようだ。いずれも大阪で唯一の村、千早赤阪村を表現したキャッチコピーである。おそらく役場のスタッフの方々であろう。外部からコピーライターを雇えるほどの財政的余裕は無さそうだし、普段の地道な活動状況を拝見してると、何でも自前でやってやろうの発露ではあるまいか。河内長野市との合併話がご破算となって、厳しき独立独歩の道を歩まれることとなった。数年先には再建団体(破産相当)突入の可能性が控えており、前途は予断を許さないが、個人的には村が残ってくれたことにホットしている。


          楠公さんを称える奉建塔です。全国の小学生からの募金によるとか。
     非理法権天
                     付近は小さな公園となっています。
     非理法権天 

ここは楠公さんの村、村から輩出した唯一の偉人ではあるまいか。彼のことを土豪とか山賊とか意図的に矮小に評価する向きもなきにしもあらずだが、楠公さんの存在無くして後醍醐天皇の建武の中興はあり得なかったであろう。功績は素直に評価したいと思う。だがその楠公さんも、献策を封じられ無理な戦法を強制されて僅か43歳での戦死である。結果論だが、後醍醐天皇は楠公さんを生かしきれなかったのではあるまいか。彼の産まれ在所は村役場の少し上手にあたる高台にある。今は資料館が建っており、機会があれば覗かれるようにとお勧めしたい。


               奉建塔の周辺はスイセンが最盛期となっています。
     非理法権天  

             非理法権天

産まれ在所から少し歩き出すと、奉建塔が立つ公園へと連なっている。今はスイセンが最盛期で、花見物の観光客が毎日のように散策を楽しんでおられる。奉建塔には楠公さんの言葉であり楠木軍団の旗印でもあった「非理法権天」の文字が刻まれている。言葉の意味は、非道は道理に勝たず、道理は法度に勝たず、法度は権門に勝たず、権門は天子に勝たず、の趣旨のようだ。個人的には天は天子ではなく素直に天と解釈したいのだが、楠公さんの思いや行動から判断すれば天子の意味に相違ないようです。自らの理想と信念に従って生涯を走り続けた楠公さん・・・・・・・・・・・・やはり数百年に一人出るような偉人のようですね。
    

                村の穏やかな田園風景がどこまでも広がっています。
     非理法権天 
                    菜の花の密を集めに来たようですね。
     非理法権天

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