2010年04月22日
縁切り状
師匠「縁切り状出したんかい?」 小生「はあっ?」・・・・・・・・・・とある昼下がりの会話はこんな不思議なすれ違いで始まった。師匠の発する一言が理解できず、脳内コンピューターが真っ白な発煙筒みたいなパニック状態に陥ってしまったのだ。ゼロも1もインプットされないので解を抽出できないようだ。河内弁?とも思ったが、うん十年暮らした小生の語彙集にも載っかっていない。恥を忍んで再度尋ねると、モグラに縁切り状を出したのか、との意味合いなそうだ。又々不可解・・・・・・・・・再度の恥忍びで教えを請うと、どうやら小生の畝作りが中途半端でモグラ対策が出来ていないとのご指摘のようだ。
赤いラインで囲った部分がモグラ道だそうです。

丸穴は師匠が指で空けた物、見ただけで地下道がわかるようです。

ただの亀裂にしかみえませんが、モグラ道の上部だそうです。

小生の畝立てをみて彼方此方指差しながら、此処も彼処も・・・・・・・・・確かに指された位置を見ると小さな亀裂が走っている。よくある事との認識しかなかったのだが、師匠は見過ごさなかったようだ。「モグラが走り回っている」、「縁切り状が出されていない」こんな言葉が飛び出してくる。再々再度の教えを請うと、内容は画像でご覧いただいたほうがわかりやすいでしょうね。図中、青いラインで囲った部分が切り抜きされていない、従ってモグラが自由に高速道路を造って走り回っているとの意味なんだそうな。ようやく理解できました。つまり、畝立てした部分は他の部分から分離し独立した丘状にせよとの教えのようです。モグラの通路を掘り切りで遮断するわけですね。
青いライン内に問題有り、とのご指摘。草地部分は作業道です。


畝が独立して、作業道などと接続していないのならモグラとの繋がりが断ち切られる、つまりご縁の切り離しと言うことで、縁切り状と表現するようだ。そして堀り切りを作ることを縁切り状を出すと表現するそうな。当地独特の語彙なのか師匠の造語なのかはよくわからぬが、意味するところはようやく理解できました。確かになんぼ立派な畝立てを行っても、モグラが走り回っては作物は水も栄養分も吸収出来ないですよね。おまけにモグラ穴は野ねずみ達の通行路ともなります。半分以上囓られたサツマイモ等をご覧になったことはありませんか。
独自の眼識とボキャブラリーを有される師匠です。

黄のライン内が問題解決した掘り切り、作業道との分離が必要だとか。

それにしても師匠の言葉は難しい。教えられて納得すると、なんとも味わい深い言葉なんだが、見知らぬ外国語の方が余程にわかりやすい位だ。師匠の言葉には辞書も翻訳ソフトも存在しない。恥を忍んで何度も教えを請うしか内容を理解する術が無いのだ。見習いという言葉(現在は死語だろうか)があるが、文字どおり、見て習って覚えるしか手段がないのですね。丁稚奉公の重要性を再認識した次第です。
植え込んだ果菜類全部にアンドンを設置しました。

赤いラインで囲った部分がモグラ道だそうです。

丸穴は師匠が指で空けた物、見ただけで地下道がわかるようです。

ただの亀裂にしかみえませんが、モグラ道の上部だそうです。

小生の畝立てをみて彼方此方指差しながら、此処も彼処も・・・・・・・・・確かに指された位置を見ると小さな亀裂が走っている。よくある事との認識しかなかったのだが、師匠は見過ごさなかったようだ。「モグラが走り回っている」、「縁切り状が出されていない」こんな言葉が飛び出してくる。再々再度の教えを請うと、内容は画像でご覧いただいたほうがわかりやすいでしょうね。図中、青いラインで囲った部分が切り抜きされていない、従ってモグラが自由に高速道路を造って走り回っているとの意味なんだそうな。ようやく理解できました。つまり、畝立てした部分は他の部分から分離し独立した丘状にせよとの教えのようです。モグラの通路を掘り切りで遮断するわけですね。
青いライン内に問題有り、とのご指摘。草地部分は作業道です。


畝が独立して、作業道などと接続していないのならモグラとの繋がりが断ち切られる、つまりご縁の切り離しと言うことで、縁切り状と表現するようだ。そして堀り切りを作ることを縁切り状を出すと表現するそうな。当地独特の語彙なのか師匠の造語なのかはよくわからぬが、意味するところはようやく理解できました。確かになんぼ立派な畝立てを行っても、モグラが走り回っては作物は水も栄養分も吸収出来ないですよね。おまけにモグラ穴は野ねずみ達の通行路ともなります。半分以上囓られたサツマイモ等をご覧になったことはありませんか。
独自の眼識とボキャブラリーを有される師匠です。

黄のライン内が問題解決した掘り切り、作業道との分離が必要だとか。

それにしても師匠の言葉は難しい。教えられて納得すると、なんとも味わい深い言葉なんだが、見知らぬ外国語の方が余程にわかりやすい位だ。師匠の言葉には辞書も翻訳ソフトも存在しない。恥を忍んで何度も教えを請うしか内容を理解する術が無いのだ。見習いという言葉(現在は死語だろうか)があるが、文字どおり、見て習って覚えるしか手段がないのですね。丁稚奉公の重要性を再認識した次第です。
植え込んだ果菜類全部にアンドンを設置しました。

Posted by とんび at 05:10│Comments(0)
│畑の作業
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