2010年08月23日
消えゆく民具達
人間は考える葦である・・・・・・・・とか言う言葉は、かの哲人パスカル氏の発言のようだが、人間の特徴を一言で表現しておられるようだ。言葉のとおりで、人間は火の活用から始まって種々の道具を開発し、暮らしの利便性を高めてきた。反面、時代の流れと共に、開発された道具が消えていくのはある意味当然の宿命かもしれない。回顧談に浸る訳でもないのだが、簡単に忘れ去ってもいいものかとつい疑問に思ってしまう。思えば味のある道具達の何と多いこと。出来れば残しておきたい物も多々存在する。残念ながら個人では敵わぬことだが、一部の品については博物館や資料館等がその役割を果たしてくれ、時折、参観出来ることをとても有り難く思っている。
模型のレプリカですが、何に使用する道具でしょうか。

仲間と農に携わっている関係もあって、どうしても農の民具に目が行ってしまうのだが、生活用品或いは趣味的な分野においても興味深い品々は数多い。近隣の場所で比較的目に尽きやすい、消えゆく民具達を幾つか紹介しておきましょう。簡単に忘れ去ってはならない恩恵を受けた品々です。
まずはやはり農関係の民具から。画像の順にいきますと、(1)簑傘 (2)縄ない機 (3)石臼 (4)脱穀機 (5)み、といった道具達。簑傘は現在の雨合羽、縄ない機はロープ製造器、石臼は製粉機、脱穀機はハーベスター、みは現在もみとして使用されてますね。但し素材がプラスチックに変更され竹製の物は殆ど見かけません。
簑傘付けて野良仕事、あの道具です。
手作業による縄ないから機械化へ

石臼ですね、マニアの方は今も使っておられます。

ハーベスターが出現する一時代前の脱穀機でしょうか。

みです。現在も使用されますが大半はプラスチック製ですね。

趣味的用品ではカメラ、いわゆる銀塩カメラと称されたフィルムを使用するカメラです。一世を風靡した道具ですが、デジタルカメラに席巻され、一部のプロが使用する程度でしょう。私宅にも何台も眠っています。銀塩カメラなりの良さがあるのですが、現像やプリントを外部に依頼せざるを得なくて、デジタルの即時性に大きく負けますね。モニターで確認しプリンターでアウトプット、この利便性には敵いません。何より有り難いのがパソコンを利用した即時転送や画像処理、プリント写真では真似の出来ない領域ですね。
かって主役であったフィルムカメラです。何所のご家庭にも眠っているのでは。

生活用品では代表例としてちゃぶ台をあげておきましょう。今風に表現すればダイニングキッチンのテーブルセットとでもなるのでしょうか。家族の団らんの場であり、来客の応接の場でもあり、憩いの食卓でもありました。用が無いときはたたんでしまい込めるのが大きな利便性。食事は豊かでは無かったかも知れませんが、お袋の味が満ちていたように思います。現在のような個食や孤食、しかもお袋の味ではなく単なる袋の味(インスタント食品)となってしまった食卓風景にどんな意味があるのでしょう。社会は家庭の延長線上に存在します。最近、世の中がおかしくなってきた・・・・・・・・そんな発言を屡々聞きますが、根っこは家庭の食事風景に根本要因があるのではないでしょうか。
家庭の中心的な役割でしたちゃぶ台、これが無くなって日本がおかしくなった?
模型のレプリカですが、何に使用する道具でしょうか。

仲間と農に携わっている関係もあって、どうしても農の民具に目が行ってしまうのだが、生活用品或いは趣味的な分野においても興味深い品々は数多い。近隣の場所で比較的目に尽きやすい、消えゆく民具達を幾つか紹介しておきましょう。簡単に忘れ去ってはならない恩恵を受けた品々です。
まずはやはり農関係の民具から。画像の順にいきますと、(1)簑傘 (2)縄ない機 (3)石臼 (4)脱穀機 (5)み、といった道具達。簑傘は現在の雨合羽、縄ない機はロープ製造器、石臼は製粉機、脱穀機はハーベスター、みは現在もみとして使用されてますね。但し素材がプラスチックに変更され竹製の物は殆ど見かけません。
簑傘付けて野良仕事、あの道具です。

手作業による縄ないから機械化へ

石臼ですね、マニアの方は今も使っておられます。

ハーベスターが出現する一時代前の脱穀機でしょうか。

みです。現在も使用されますが大半はプラスチック製ですね。

趣味的用品ではカメラ、いわゆる銀塩カメラと称されたフィルムを使用するカメラです。一世を風靡した道具ですが、デジタルカメラに席巻され、一部のプロが使用する程度でしょう。私宅にも何台も眠っています。銀塩カメラなりの良さがあるのですが、現像やプリントを外部に依頼せざるを得なくて、デジタルの即時性に大きく負けますね。モニターで確認しプリンターでアウトプット、この利便性には敵いません。何より有り難いのがパソコンを利用した即時転送や画像処理、プリント写真では真似の出来ない領域ですね。
かって主役であったフィルムカメラです。何所のご家庭にも眠っているのでは。

生活用品では代表例としてちゃぶ台をあげておきましょう。今風に表現すればダイニングキッチンのテーブルセットとでもなるのでしょうか。家族の団らんの場であり、来客の応接の場でもあり、憩いの食卓でもありました。用が無いときはたたんでしまい込めるのが大きな利便性。食事は豊かでは無かったかも知れませんが、お袋の味が満ちていたように思います。現在のような個食や孤食、しかもお袋の味ではなく単なる袋の味(インスタント食品)となってしまった食卓風景にどんな意味があるのでしょう。社会は家庭の延長線上に存在します。最近、世の中がおかしくなってきた・・・・・・・・そんな発言を屡々聞きますが、根っこは家庭の食事風景に根本要因があるのではないでしょうか。
家庭の中心的な役割でしたちゃぶ台、これが無くなって日本がおかしくなった?

Posted by とんび at 05:05│Comments(0)
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