2008年12月21日
注連縄作りに挑む
正月も間近に迫った師走、迎春の準備をしなければと柄にもない発想にひたり、注連縄作りにチャレンジすることに。生まれて初めての体験である。注連縄は購入する物、そう思いこんでいた。だが南河内の山里に暮らし始めて、うん十年・・・・・・・・・・・・よくよく観察してみれば、当地には家庭での注連縄作りの伝統が残っていた。もっとも過去形で語らねばならないのが残念ではあるのだが。古老が生きておられる間に技術の伝承をと殊勝な心がけで探していたら、滝畑の山奥で注連縄作りの講習会があるのだとか。絶好のチャンスと時間を割いて参加してみた。地元の区長をしておられたTnさんが伝統技術の保持者であられ、滝畑に昔から伝わる注連縄作りをご存じの無形文化財(?)でいらっしゃるようだ。願ったりかなったりの機会である。
山里は寒い、赤々と燃える囲炉裏端から離れたくなかった。
茅葺きの古民家が会場だ。まるで日本昔話の世界である。
会場は滝畑に伝わる古民家の一角、庭先をお借りして講習が始まる。伝統技術の保持者であられるTnさんの勇姿を覗いてみよう。地元で植木職をしておられる長老だ。子どもの時分から親御さんに仕込まれて覚えたのだとか。現在は地域でも作れる方が少なくなったそうだ。
本日の講師であるTnさん。まずは素材のワラ打ちからスタート。
受講生もワラ打ちに。午前中が滝畑仕様、午後が街中仕様の作成予定だ。
これが滝畑バージョン、ひも状の形をした注連縄である。
滝畑地区は石川の上流地域にあたり、河岸段丘に川沿いに作られた集落である。ダム建設で多くの民家が地区を去られたそうだ。残った人々も高台のわずかな土地に移り住まれ、生活も一変してしまったようだ。川が生活の原点で、注連縄も川の上流を上手として飾るようだ。つまりひも状の細い部分が上流に向くように設置するそうだ。川に直角となる民家は東が上手の方角に当たるのだとか。
小生の練習用作品、まず最初
はワラの撚り方の習得から。
見てると簡単そうだが、やって
みるとなかなかに困難。
玄関先に飾ってあった作品、こ
れも一種の注連縄なのだろうか。
なんと、この講習会は昼食付きだった。弁当を持参したのだが、おいしそうな茶がゆ定食、地元の郷土食だそうな。こちらをいただこう。ダイコンの煮込み鍋まで添えてあった。素材はすべて地元の滝畑地区で取れたものだそうだ。調理は、自称料理名人の地元の奥様。

午後は一般に市販されてる街中バージョンの作成。講師のTnさんがお手本を示して下さる。午前中で要領を飲み込んだのか、皆さん鮮やかな手つきで取り組んでいかれる。小生は不器用を地でいくようなタイプなので、思うようには作れない。撮影中心となってしまうようだ。
講師の動きを時系列で追ってみよう。まずは3本のワラを撚っていく。

だんだんとそれっぽくなってきた。

後は形を整えて飾り付けを実施するだけですね。

これは小生の作品、少々貧弱な注連縄ではありますが。土台のみです。


飾り付け用の青物、山で採取したも
のだ。
1,ウラジロ
2,ヒイラギ
3,ユズリハ
4,モッコク
この他に和紙で作る御幣があ
る。折り方が難しい作り方だ。
御幣の折り方の講習、ここでもTnさんが大活躍。地元のお宮さんも彼の作品。

残念ながら時間切れで最後の飾り付けまでには至らなかった。だが、作り方の骨子は皆さん飲み込まれたようだ。材料さえ入手できれば一人でも作れそうな気配である。主となる素材のワラは餅米用のワラを稲木で天日干ししたものでないと役に立たないようだ。今風のコンバインによる収穫だと入手できない素材である。稲作の機械化と共にこうした伝統文化も消え去っていくのだろうか。岩湧山の茅場が目の前だ。山頂は快晴で小春日和みたいな雰囲気である。山へも登りたいのだが、時間が足りない。
岩湧山の山頂付近、目の前に広がっている光景だ。

でも最近は、外した後に持っていく神社のとんどが無いので、ゴミに出すのはいやで、飾らなくなってしまいました。
残念です。
「悪法も又法なり」、との順法精神には疎いようですので、畑でしっかり燃やそうと思ってます。
よろしかったら一緒に燃やしましょうか。火で焼くのは邪気を払うとか天に帰るとかの意味合いもあるようですね。人間様のご都合で、ゴミ収集車へというのはいかがなものでしょうか。
