2009年03月30日
弘川寺さくら祭り
例年のことだが、4月の第一日曜日には弘川寺でさくら祭りが開催される。河南町の古刹である弘川寺はご存じの方も多いだろう、かの西行法師の終焉の地でもある。河南町の花が桜、それに西行法師が愛した花も桜ということもあって、ここにはたくさんの桜樹が植え込まれている。無論、里山倶楽部の面々の力によることが大きい。毎月裏山にはいり、桜守りとして樹の手入れを行っているのだ。前置きはそのくらいにしてさくら祭りの概要をお知らせしておこう。
弘川寺の正門付近。河南町の奥座敷、葛城山の山麓にあります。
弘川寺のさくら祭り
◇期 日 平成21年4月5日(日曜日)
◇時 間 午前9時30分~午後3時
◇会 場 弘川寺およびその周辺
◇交 通 富田林駅から金剛バスで約30分 終点の弘川
寺で下車 徒歩数分
◇車 河内小学校が駐車場となります。 無料です。
少し早めに弘川寺を訪ねてみたが、桜は開花が始まったところ。丁度、お祭りの日曜日あたりが満開かも知れない。前日の4日はライトアップも想定されているようで、かの橋下知事も参加される予定とか。寺内で草刈りをやっていたおじさまが刈払機を止め、4日には是非おいでやと誘ってくださった。あいにく所用があって参加は困難だが、夜桜もいいものだろう。お好きな方は飲み物持参でご参加を。(付近には店舗等は全くありません)
寺内の一角、枝垂れ桜が見事に咲いていますね。
周辺部も一面の桜ですね。
弘川寺は西行法師の終焉の地と書いたが、北面の武士(現在の皇宮警察官に相当だろうか)として活躍していた彼が、妻子を捨て身分を捨て何故放浪生活に至ったのか今も謎のようである。失恋説もあるようだが定かではない。明確なのは各地を流浪したあと晩年をこの地で過ごしたようだ。そして辞世の歌とも評される下記の和歌を残して73歳で亡くなったとか。
ねかはくは 花のしたにて 春しなん その
きさらきの もちつきのころ (山家集)