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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2009年09月08日

大ヶ塚八朔市

大ヶ塚(南河内郡河南町)は石川の右岸沿いの高台にある。遠くから遠望すれば城郭のような地形なのだ。ここは寺内町とも呼ばれ、一種の宗教都市として栄えた歴史を持つ。いわばバチカン市国や高野山のような存在であろうか。無論、規模的にはそんなに大きなものではない。かって貝原益軒が著書で大ヶ塚の賑わいを紹介したそうだが、村に500戸もの民家があり・・・・・・・・・との表現だそうで、当時としては大層な繁盛ぶりであったのだろう。ここの中心は顕証寺で戦国時代の創建のようだ。本尊が阿弥陀如来だそうだから、浄土真宗いわゆる門徒衆に属する寺院であろう。町教委の資料によれば、江戸時代中期に皇室から拝領した人形を飾って一般に見せたのが八朔市の始まりであるとか。


           何処も祭りの主役は子ども達でしょう。浴衣姿が絵になります。
     大ヶ塚八朔市
                顕証寺の正門です。一種独特な形ですね。
         大ヶ塚八朔市


地元の古老に伺ってみると、それはそれは年に一度の大きな楽しみであったとか。サーカスや芝居小屋までかかり、9月の初旬の三日間、大勢の参拝客で昼夜を問わず大層賑わったようだ。現在は諸般の事情で9月の第一土日と決められているようです。往事の賑わいはないが、地元では保存会まで作られ大事に継承されている。好奇心旺盛な小生のこと、時間を作って覗いてみたのはいいが、少々早すぎたようです。露店などは店開きの準備中で、参拝客もまばら、やはり夕闇迫る頃が良さそうでした。


          ただいま開店準備中のようですね。昼にはオープンのはずなんだが。
     大ヶ塚八朔市
      丁度昼時、ラーメン食べたかったなあ。屋台とラーメンは不思議と似合います。
     大ヶ塚八朔市


門徒衆はかって加賀の国や伊勢の国で時の権力者に抵抗を続けた輝かしい歴史があります。独立自尊の気風が強いのでしょうか。大ヶ塚では神社仏閣を中心とした街作りのようですが、堺のような自治権を持った独立国家或いは抵抗勢力としての存在では無かったように思われます。顕証寺と一須賀神社を中心に自然発生的に広がって栄えた街・・・・・・そんな性格が強いようですね。八朔市も地域住民のイベントとして或いは生活用具の購入場所として維持発展してきたようです。無論、人の集まるところに宗教活動ありで、布教等も行われたのでしょう。顕証寺に参拝したら、法話を人形で表現する舞台が設置されてました。下記の画像です。


          法話が人形で表現されています。布教活動の道具だったのでしょう。
     大ヶ塚八朔市

     大ヶ塚八朔市

 
祭りのハイライトとも言える夕暮れ時に再度出直ししようと思っていたのですが、時間が取れずじまいでした。残念ながら来年に期待をつなぎたいと思います。忘れないように日時を控えておきましょう。例年、9月の第一の土日が祭礼日だそうです。祭りは伝統として継承されてきた無形の資産、大事に次の世代へと送り届けて行きたいものです。


           八朔市は9月の第一の土日、忘れないように記録しておこう。
     大ヶ塚八朔市
                     明治中期の町内地図です。
     大ヶ塚八朔市







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Posted by とんび at 05:08│Comments(0)山里の歳時記
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