2010年01月10日
えべっさん信仰
大阪ではえべっさん信仰が夙に名高い。代表格が今宮戎であろう。毎年1月10日前後に祭礼が行われ、大層な人出で賑わう。季節の風物詩でもあるようだ。えべっさんは調べてみると、本来は海の神様、漁業の神様であるようだ。一説によると、「えびす」とは異邦人のことを指し、外来の神との暗示的な意味も込められているようだ。大阪は商都、それがどうして漁業の神であるえべっさん信仰と結びつくのか不思議な現象だが、オオサカジンに於いては商売繁盛の神様との位置づけのようだ。ニュースを見ていると今宮戎神社で笹をいただき、ここに各種の吉兆と呼ばれる飾り物を付けて持ち帰り、神棚に祭っておくと運気が高まるそうな。まさに商売繁盛、笹もってこいこい・・・・・・・・・・であろう。
当地のえべっさん、出合戎です。笹のシンボルは同じですね。

もうひとつ不可解なのが当地のえべっさん、地元地千早赤阪村のとある地区にえべっさんが祭られており、同様に1月10日前後に祭礼が実施される。村は、別称「小さな絵本のような村」とも称されるように、純山村といった雰囲気の自治体である。当然、商店街など無きに等しく、商売に携わる方々など微々たるものであろう。無論、漁業とは縁もゆかりもない存在だ。地域の方がどうしてえべっさんを祭られるのか地元の方に問うてみたが要領を得なかった。楠公さんの時代から続いてるで・・・・・・古老の証言である。あえて推理の世界に飛んでみれば、かの楠公さんは現在で言う流通業・運送業に従事されていたとか、業の繁栄を願われたのだろうか。当地のえべっさんは楠公さんの産まれ在所に鎮座しておられる。
えべっさんの神殿です、簡素な作りが微笑ましいですね。
社務所では福引きが実施されてました。1等賞も出たようで。

さて物見高い小生のこと、早速にえべっさんを訪ねてみる。無論、本場の今宮戎のように大勢の参拝者が押しかけるような超名所ではない。地元の限られた人々がひっそりと信仰を守っておられる・・・・・・・・そんな印象であろうか。余所者の参拝は小生位なものであろう。ジジババと思しき方々が孫の手を引いて参拝に、というのが一般的なパターン。本職の神職はおられないようで、諸役も氏子さん達がお勤めのようだ。どことなく隠れキリシタン的な雰囲気が漂って、小生にとっては興味津々。地元の方には恐縮だが、かっこうの被写体でもある。さすがに正面切ってレンズを向けることは叶わないのだが。
所在地は楠公さんの産まれ在所のほん近くです。

孫の手を引いて続々と参拝に。ジジババ冥利に尽きるのでしょう。
どうも端から見てると、当地のえべっさんは地域の親睦会的な役割も果たしておられるようだ。まず参拝者が地域の人々に限定されるようで他地域の方は見かけないようだ。それに笹の授与と吉兆の販売は無いようだが、代わりに福引きを実施しておられた。多分事前に抽選券等が配布されているのだろう。役職者と参拝者は顔なじみの方々ばかりのようで、どう見ても集落固有の限られた祭礼のようだ。祭礼の根拠やいわれなど定かではないが、集落の方々が親睦を深め複数世代が共に楽しめる場が存在することは素晴らしいことであろう。山村の小さな集落のえべっさんにエールを贈りたいと思う。
軽トラ屋台が1台だけ出張っていました。いじらしいですね。
当地のえべっさん、出合戎です。笹のシンボルは同じですね。


もうひとつ不可解なのが当地のえべっさん、地元地千早赤阪村のとある地区にえべっさんが祭られており、同様に1月10日前後に祭礼が実施される。村は、別称「小さな絵本のような村」とも称されるように、純山村といった雰囲気の自治体である。当然、商店街など無きに等しく、商売に携わる方々など微々たるものであろう。無論、漁業とは縁もゆかりもない存在だ。地域の方がどうしてえべっさんを祭られるのか地元の方に問うてみたが要領を得なかった。楠公さんの時代から続いてるで・・・・・・古老の証言である。あえて推理の世界に飛んでみれば、かの楠公さんは現在で言う流通業・運送業に従事されていたとか、業の繁栄を願われたのだろうか。当地のえべっさんは楠公さんの産まれ在所に鎮座しておられる。
えべっさんの神殿です、簡素な作りが微笑ましいですね。

社務所では福引きが実施されてました。1等賞も出たようで。

さて物見高い小生のこと、早速にえべっさんを訪ねてみる。無論、本場の今宮戎のように大勢の参拝者が押しかけるような超名所ではない。地元の限られた人々がひっそりと信仰を守っておられる・・・・・・・・そんな印象であろうか。余所者の参拝は小生位なものであろう。ジジババと思しき方々が孫の手を引いて参拝に、というのが一般的なパターン。本職の神職はおられないようで、諸役も氏子さん達がお勤めのようだ。どことなく隠れキリシタン的な雰囲気が漂って、小生にとっては興味津々。地元の方には恐縮だが、かっこうの被写体でもある。さすがに正面切ってレンズを向けることは叶わないのだが。
所在地は楠公さんの産まれ在所のほん近くです。

孫の手を引いて続々と参拝に。ジジババ冥利に尽きるのでしょう。

どうも端から見てると、当地のえべっさんは地域の親睦会的な役割も果たしておられるようだ。まず参拝者が地域の人々に限定されるようで他地域の方は見かけないようだ。それに笹の授与と吉兆の販売は無いようだが、代わりに福引きを実施しておられた。多分事前に抽選券等が配布されているのだろう。役職者と参拝者は顔なじみの方々ばかりのようで、どう見ても集落固有の限られた祭礼のようだ。祭礼の根拠やいわれなど定かではないが、集落の方々が親睦を深め複数世代が共に楽しめる場が存在することは素晴らしいことであろう。山村の小さな集落のえべっさんにエールを贈りたいと思う。
軽トラ屋台が1台だけ出張っていました。いじらしいですね。

Posted by とんび at 05:12│Comments(0)
│山里の歳時記
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