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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2010年10月07日

凍り豆腐の里

当地の金剛山は全国で富士山に次いで登山者の多い山として知られている。小生もその端くれの一人だが、少々サボり気味だ。ここの登山口に「多聞」という小さな集落があるのだが、ここがかっては凍り豆腐の里として名を馳せた事はあまり知られていない。高地の山間部という地理的条件、それは同時に冬の厳しさを現すのだが、この環境が凍り豆腐の製造にマッチングしたようで財をなした家も多かったとか。地元の古老に聞くと、山陰方面から冬期になると出稼ぎの人々が多数来訪されたようだ。稲作や漁労が終わった冬期には格好のアルバイトであったのだろう。


            まずは大豆を水に浸けてからの製造開始、今も同じでしょうね。
     凍り豆腐の里
            各種の帳簿も整備されたようです。現在の財務諸表でしょうか。
     凍り豆腐の里

残念ながら地元ではその実績を伝えるような遺物が公開されていません。まれに聞き及ぶのみで、直接見聞できないところが辛いところですね。このたびふとした奇縁で、お隣の橋本市で凍り豆腐の製造用具に遭遇する事ができました。大豆を絞って豆乳を取り出すのは今も同じだが、型入れして水分を切った物を夜間の冷え込みで凍らせるのだとか。橋本市も800メートル前後の南葛城山があって、その山頂付近で製造されたようだ。地元の人々が牛で資材を運びあげ冷え込む夜間に作られたようですね。多分、当地の多聞でも同じような方法論で製造されたのでしょう。


         水切り器、出来た凍り豆腐の水分を切って凍らせる前準備としたようです。
     凍り豆腐の里
                 今も昔も豆腐製造に包丁は必需品ですよね。
     凍り豆腐の里

やがて製造技術が信州方面へと伝わり、条件の良さから彼の地が一大産地となるのと並行して当地の凍り豆腐産業は廃れていったようです。冷凍技術等のハイテク化もあったのでしょう。現在は凍り豆腐の製造は一軒も為されていません。「山の豆腐屋」として、金剛山の湧水を使った通常の豆腐を製造販売するお店が一軒だけでしょうか。企業30年説ではありませんが、栄枯盛衰は世の習い、生老病死と同じでしょう。何れは廃れゆくものですから、やむを得ないのですが、かってこの地に凍り豆腐の製造産業があって興隆を極めていたことは記憶に留めておくべきでしょうね。    


                豆腐を押し出して細分化する用具のようですね。
     凍り豆腐の里
         橋本市では江戸時代の後期に凍り豆腐の製造が始まったとの記述が。
     凍り豆腐の里

 

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Posted by とんび at 05:13│Comments(0)里山に遊ぶ
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