2010年10月08日
源流学の村を訪ねて
奈良県の川上村と言えば、県の南東部に位置するかなり険しい山村である。今でこそ国道が走り、道路も改修されて利便性が高まったが、一昔前は山間僻地の類に属するムラであったろうと思う。村の歴史に寄れば、縄文時代の遺跡が存在するようだし、神武天皇の東征時には村に立ち寄られたとの伝承もあるようだ。山深い紀伊半島の中央部でありながら相当古くから開けたムラのようです。この村も例によって、楠公さんとの絡みから訪ねたのだが、後南朝の宝庫のようだ。本日は後南朝の遺跡を訪ねる時間的余裕は無かったので森と水の源流館のみを訪問する。
何処まで行っても深い山々と渓谷ばかりです。

かっては筏師達が巧みな腕で材木を運んでいたのですが。

ここには名物館長のタッチャンこと辻谷達雄氏がいらっしゃる。山で何度かお会いした事があるが、自然観察員とか館長とか言った肩書きが不要なほどの気さくな方。山仕事に徹したたたき上げの林業家といった趣で、該博な知識と豊富な経験それにおだやかでユームラスな話しぶりが人々を引きつける。この方が提唱されるのが「源流学」、新たに開かれた学問分野(?)のようだ。氏の定義によれば、源流学とは源流を通して人と自然の役割について考え、行動し、その経験の中から一人一人が答えを見いだしていく取り組みだそうな。
山仕事の中心には必ず囲炉裏が、暖房であり調理具であったのでしょう。

商売道具のぶり縄です。木登り専用ですね。

仕事部屋には山道具一式が何時でも使える状態で。

産業革命以降、急激な社会制度の変更もあって、多少は物質的に恵まれたものの、人々がアイディンティティを見失い右往左往しているのが現状ではないでしょうか。こうした中で、源流の自然、環境、生き物、生活、風土、人や物の交流、産業、歴史、遊び、等々について様々な事を知り行動していくことが源流学だと考えておられるようです。我々が見失ってしまったもの、或いは見失いそうなものを、先人達の智慧、技術、自然の中での暮らし方などから学び取って未来の子ども達に手渡したい・・・・・・・・・そんな想いが新たな学問(?)の開拓となったようですね。
ダムでせき止められました、筏も魚の遡上も不可能です。

かっての奥山も山頂付近までの大半が人工林となりましたね。

様々なカリキュラムが組まれておりますが、現場での体験がメイン。人間は体を使って学んだものが一番記憶に残るようです。タッチャン学長もそこらを充分に配慮しておられるのでしょう。これからどう展開され、どのように発展していくのか想像もつきませんが、新たな取り組みに大きな期待を寄せたいと思います。明治維新は江戸から遠く離れた辺境の薩長土肥から始まりました。日本と日本人の復活は、東京から遠く離れた辺境(失礼)の地である川上村から始まるのでしょうか(?)。
何処まで行っても深い山々と渓谷ばかりです。

かっては筏師達が巧みな腕で材木を運んでいたのですが。

ここには名物館長のタッチャンこと辻谷達雄氏がいらっしゃる。山で何度かお会いした事があるが、自然観察員とか館長とか言った肩書きが不要なほどの気さくな方。山仕事に徹したたたき上げの林業家といった趣で、該博な知識と豊富な経験それにおだやかでユームラスな話しぶりが人々を引きつける。この方が提唱されるのが「源流学」、新たに開かれた学問分野(?)のようだ。氏の定義によれば、源流学とは源流を通して人と自然の役割について考え、行動し、その経験の中から一人一人が答えを見いだしていく取り組みだそうな。
山仕事の中心には必ず囲炉裏が、暖房であり調理具であったのでしょう。

商売道具のぶり縄です。木登り専用ですね。

仕事部屋には山道具一式が何時でも使える状態で。

産業革命以降、急激な社会制度の変更もあって、多少は物質的に恵まれたものの、人々がアイディンティティを見失い右往左往しているのが現状ではないでしょうか。こうした中で、源流の自然、環境、生き物、生活、風土、人や物の交流、産業、歴史、遊び、等々について様々な事を知り行動していくことが源流学だと考えておられるようです。我々が見失ってしまったもの、或いは見失いそうなものを、先人達の智慧、技術、自然の中での暮らし方などから学び取って未来の子ども達に手渡したい・・・・・・・・・そんな想いが新たな学問(?)の開拓となったようですね。
ダムでせき止められました、筏も魚の遡上も不可能です。

かっての奥山も山頂付近までの大半が人工林となりましたね。

様々なカリキュラムが組まれておりますが、現場での体験がメイン。人間は体を使って学んだものが一番記憶に残るようです。タッチャン学長もそこらを充分に配慮しておられるのでしょう。これからどう展開され、どのように発展していくのか想像もつきませんが、新たな取り組みに大きな期待を寄せたいと思います。明治維新は江戸から遠く離れた辺境の薩長土肥から始まりました。日本と日本人の復活は、東京から遠く離れた辺境(失礼)の地である川上村から始まるのでしょうか(?)。
Posted by とんび at 05:06│Comments(0)
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