2008年03月13日
鎮守の森
地元に住みながら、まだ訪れた事もなかった。楠公さんの氏神でもある建水分神社である。何度聞いても覚えられない名称で、地元の人間は水分神社と愛称で呼んでいる。ちなみに正式な読み方は「タケミクマリジンジャ」という。ちょっと手が空いた昼下がり、カメラ1台をお供にぶらりぶらりと訪ねてみた。
ここは水分神社という愛称からもわかるように、水の要衝の地にある。昔には大和の国と河内の国とで水争いがおこり、軍配は大和の国にあがったそうだ。金剛・葛城の大半の水は大和側に流れているとか。この地には水越川があり、千早赤阪村、河南町、富田林市、の行政区を越えた広い流域に水を配分している。米作りの原動力でもあるのだ。収穫祭でもある秋祭りには、3市町村から20台前後のだんじりが出て賑やかなお祭りとなる。河内にわかの出番でもあるのだ。このときは、神社が丘の上にあるためか、下社の方へとお移りになられる。
楠木家を祭った南木神社、建水分神社の一角にある。
社の裏側には、うっそうたる樹林が広がっている。いわゆる鎮守の森である。全国各地にみられるが、神社やお寺の周囲には人がはいらぬ樹林帯が設けられている。ご先祖様たちが、「聖なる領域」として神聖視し保護し続けてきた場所なのだ。結果、森の中には地域の在来種である樹種が保存され、乱開発から種を守ってきた。西日本ではシイ、カシ、タブ類が多いようである。いわゆる照葉樹林だ。ここではヤブツバキやシャクナゲ或いはアラガシ、クスなどが目についた。部分的には檜が見られたが後の時代に植えられたものかもしれない。
何れにしても、ご先祖様達の英知によって、地域の在来種が守られてきた。過日の神戸・淡路大震災の折にも、鎮守の森によって延焼が食い止められたと聞く。また森によって災害を逃れた人も数多いとか。まさに命の森なのである。森が果たす機能は計り知れないものがある。保安林、水源涵養林、防災林、癒しの森、動植物を育てる森、種を守る森、・・・・・・・数え切れない程の役割を担っている。目に見えない価値を発見し評価する姿勢が大事だと思う。数字化して計量できるものしか信じようとしない、いわゆる「科学的思考」からは、もうそろそろ卒業してもいいのではなかろうか。
ここは水分神社という愛称からもわかるように、水の要衝の地にある。昔には大和の国と河内の国とで水争いがおこり、軍配は大和の国にあがったそうだ。金剛・葛城の大半の水は大和側に流れているとか。この地には水越川があり、千早赤阪村、河南町、富田林市、の行政区を越えた広い流域に水を配分している。米作りの原動力でもあるのだ。収穫祭でもある秋祭りには、3市町村から20台前後のだんじりが出て賑やかなお祭りとなる。河内にわかの出番でもあるのだ。このときは、神社が丘の上にあるためか、下社の方へとお移りになられる。
楠木家を祭った南木神社、建水分神社の一角にある。
社の裏側には、うっそうたる樹林が広がっている。いわゆる鎮守の森である。全国各地にみられるが、神社やお寺の周囲には人がはいらぬ樹林帯が設けられている。ご先祖様たちが、「聖なる領域」として神聖視し保護し続けてきた場所なのだ。結果、森の中には地域の在来種である樹種が保存され、乱開発から種を守ってきた。西日本ではシイ、カシ、タブ類が多いようである。いわゆる照葉樹林だ。ここではヤブツバキやシャクナゲ或いはアラガシ、クスなどが目についた。部分的には檜が見られたが後の時代に植えられたものかもしれない。
何れにしても、ご先祖様達の英知によって、地域の在来種が守られてきた。過日の神戸・淡路大震災の折にも、鎮守の森によって延焼が食い止められたと聞く。また森によって災害を逃れた人も数多いとか。まさに命の森なのである。森が果たす機能は計り知れないものがある。保安林、水源涵養林、防災林、癒しの森、動植物を育てる森、種を守る森、・・・・・・・数え切れない程の役割を担っている。目に見えない価値を発見し評価する姿勢が大事だと思う。数字化して計量できるものしか信じようとしない、いわゆる「科学的思考」からは、もうそろそろ卒業してもいいのではなかろうか。
Posted by とんび at 05:59│Comments(0)
│森のお仕事
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