2008年07月03日
狭山池
数日前に水守りさんの事を書かせてもらったので、ついでと言うわけではないが、南河内の水瓶である狭山池を訪ねてみた。ここは1400年程前に開かれた治水・灌漑用のため池である。ダム式のため池としては日本最古のものらしい。ため池といえばすぐに弘法大師伝説となるのだが、この池はお大師さんよりも古い。奈良時代の築造のようだ。大阪府の手によって整備され、周囲は桜並木の遊歩道となって市民の憩いの場にもなっている。メタポ対策でかサイクリングやウオーキングの人々が多数おられた。
満々と水を蓄える狭山池。(大阪狭山市)
この池は国家プロジェクトとして取り組まれたようだ。当時の基幹産業である農業にとって、水は最大の資源である。狭山にため池を作ることで下流域の、富田林市・羽曳野市・松原市・堺市・大阪市の南部あたりまでが恩恵を被ることとなる。池の完成で膨大な新田開発が為されたようだ。今風に言えば、八郎潟の干拓事業みたいなものかもしれない。池の北側に、府立の狭山池博物館(無料なのだ)が存在するので立ち寄って見られたどうだろうか。お客さんは少ないし、冷房完備だし、図書室はあるし、コーヒーは安いし・・・・・・・・・・夏場の避暑にはうってつけの場所かも。(橋下さん、ごめんなさい)
無茶苦茶涼しい水爆の世界 (府立狭山池博物館)
さてアホな話は別として、水稲に水が必要なことは古今東西変わらぬ原理である。上流域に水がないと、いわゆる天水頼みとなり、水稲栽培が非常なリスクを抱える事となる。水は天からもらい水・・・・・・・・というのは民謡の歌詞で留め置きたい。当地も狭山池の水源で下流域がどれだけ潤ったか。国費投入の効果は充分あったと考える。現在もこの池水は水稲栽培に利用されているが、肝心の栽培農家が高齢化・減少化しているのを、築造者達はどんな目で見られておられるだろうか。
ふるさとの山、金剛山は、何も言わずに見守っておられるが。
当時の最新技術を駆使して池は築造されたようだ。発掘された資料が博物館に展示されている。数点を表示するので、技術の高さをご覧下さい。池から水を誘導する、各種の樋門や水路の構築物です。
発掘されたスコップ。形は今と一緒ですね。木製で鉄板が張ってあります。
ため池の博物館なので、水稲栽培についてはあまり資料がないようです。それでも米作りと水との関係を再認識するには、うってつけの教材かと思えます。お暇がありましたら是非お尋ね下さい。2階の図書室には、少数ですがいい書籍をプールしてくれてます。3階のコーヒールームと行ったり来たりしながら、のんびりと読書の時間もいいかもしれませんよ。
狭山池の堤防で見つけました。何の花でしょうね。
