2008年09月03日
産土神(うぶすなのかみ)
小さい頃から氏神様とは仲良くして育った。九州の片田舎であったので、昔からの習俗が色濃く残っていたのであろう。大阪にきてはや40年余り、こちらの方が故郷みたいなものになってしまった。ここ南河内も大阪とはいえ、どちらかというと田舎に近い環境と風俗が残っている。近くの集落の産土神を訪ねてみた。訪ねた場所は旧の三日市村、高野街道に則した宿場町である、否あった。とっくに街道はすたれ宿場の旅館等も残ってはいないのだが。
中央部の黒っぽい森が産土神の神域だ。
三日市村は石川の上流域の河岸段丘に開けた村である。川沿いに旧の高野街道が通っており、宿場町として栄えたのは上述した。現在は大阪市内に通勤するサラリーマンのベッドタウンであろうか。何せ大阪の中心部の難波まで電車で30分なのだから。それでも田舎の風情は一杯だ。下記の画像をご覧下さい。こんな森(産土神の森)がいたる所に残っているのですから。
産土神の森。いわゆる鎮守の森である。在来種の樹木がしっかりと残っている。
産土神は土地の神様である。かっては村々の高台に存在され人々の信仰を集めていた。ここ三日市村の産土神も村全体を見下ろす東南部の高台にある。名称を赤坂上之山神社という。三日市村に住み着く人はこの神社に挨拶し、新築時には地鎮祭を行って居住の許可を求めたそうだ。


なんとも簡素な作りのお社である。質実剛健でいいかな。

さてこの産土神だが、小生は氏神さんと同じものと思っていた。だが神道の世界では明確に区別されているそうだ。産土神は上述したように土地の神様、すなわち地縁社会をベースとした神様である。翻って、氏神様とは氏すなわち一族の神様であり、血縁社会をベースとしたものだそうだ。本来は土地の神様である産土神と一族の神様である氏神との両神を祭っていたが、一族が固まり住んだ土地に他の人々がはいりこみ、他の人々にとっては産土神を自分たちの氏神として祭ったようだ。長い歴史の中で両者が混同され、いつしか産土神と氏神との区別が曖昧模糊となってきたようである。
みごとなハス池である。開花時期でないのが残念だが。

お隣は禅宗(曹洞宗)のお寺さんである。神仏が仲良く同居しておられるのは日本独自の光景かもしれない。一神教の世界観を持つ人々にとっては何とも野蛮な光景にうつるのであろう。だが、八百万の神々を共存させる、日本人の懐の深さを良しとしたいものである。物事を白と黒にしか識別できない絶対神を信仰するよりも、神々の共存を認める生き方の方が、これからの社会構築には有益なのではあるまいか。21世紀以降には日本人のこうした包容力が世界をリードするのでは、と密かに期待している。
Posted by とんび at 05:07│Comments(0)
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