2008年12月22日
日溜まりの風景
農園の周囲に、日溜まりの里、と呼んでいる一角が存在する。雑木林の森だ。あまり手入れされていないので、中に入り込むのは困難だが、眺める分にはかっこうの森である。小鳥が好むような果実の樹は少ないのだろう、あまり群れている様子は見られない。いつしか森が森でなくなって久しいのだが、外観上は大きな変化ではないので注目されないようだ。かっては薪炭林として活用されていたのだろうが、燃料革命と生活様式の変化が森を見捨ててしまったのだろうか。森を守って来られてた人々も老いられた。後を引き継ぐ若い衆も存在しない・・・・・・・・・・ただ物好きな一部の人間がボランティアとして森へ通う程度だろうか。嘆いても始まらない。なんとか森の復活をと思うのだが、森の中に集落の中にお金が循環するようなシステムを作れたら一番いいのだろうが、これが至難の技なのだ。先日レポートした森林税も一つの方法論だが、この緊縮した市況の中で受け入れられるのは相当に困難なようだ。
農園の周囲に広がる雑木林の森、勝手に「日溜まりの里」と呼ぶ。
明日の希望よりも今日のコメ、というのが現実だろうが。明治維新の折に生じた物語を振り返ってみよう。戊辰戦争に続く北越戦争で壊滅状態となった越後長岡藩に小林虎三郎という逸材が出自する。佐久間象山の門下生で、吉田虎次郎(後の吉田松陰)と並び両虎と称された俊英だったそうだ。藩の窮状を見かねた、縁戚である三根山藩からの支援米100俵を、藩士への分配ではなく学校設立の基金に当てたという逸話である。山本有三氏の作品でご存じの方も多いかもしれないが、指針となる話ではなかろうか。噂の定額給付金の支給にも応用できそうな先例とも思えるのだが。
少し前の画像だが、山が真っ赤に燃えている。思い出すのは日本昔話。
今年は渡り鳥もあまりみられないようだ。例年だと、北国からのワタリであるジョウビダキがもう現れてもいい季節である。北満州やサハリン方面から数千キロの旅路を飛んでくる。途中で力尽き果てて帰らぬ者となるのも多いのだろう。冬場は小生の畑でよく遊んでいたのだが、この冬はまだ再会できていない。森が荒れ果ててしまったので越冬地を換えたのだろうか。
左の白い模様はススキの群落。ここも棚田として稲穂が実っていたのだが。

中央部の茶色い斜面もかっての棚田の跡です。

世間的には鳥インフルエンザとの絡みもあるのか、渡り鳥への反応は好意的とはいえないようだ。感染は防御しなければならないが、小鳥たちを否定するには直結しないとは思うのだが。鳥たちと人間たちとが共存できるような方策はないものだろうか。日溜まりの里を眺めながら、そんな想いにこだわっている。
終了しましたが「日本昔話」は大人も楽しめた数少ない番組でしたね。
