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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2009年02月14日

王族達の眠る土地

共同農園の近くに金山古墳という小さな墳墓が存在する。気にはなっていたが訪ねる機会もなく、近くの道路を走り抜けるだけであった。ふとしたきっかけで立ち寄ってみたのだが、小さなながら立派な古墳で、国指定の史跡のようだ。そういえばここ南河内は古墳地帯でもある。北部には羽曳野市から藤井寺市にかける「古市古墳群」という巨大な墳墓地が存在する。それと石川の東部には近つ飛鳥の墳墓地もあり、いわば王族達の眠る土地とでも言えようか。人間は生まれ在所に墓地を作る傾向がある。ここら一帯は王族達の出身地であったのかも知れない。


     金山古墳。一般的な前方後円墳ではなく、円墳が二つくっついています。
王族達の眠る土地


竹ノ内街道のレポートの折にも触れたが、太子の里からこの金山古墳あたりは、かっての蘇我氏の勢力地。彼等がどんな人物かどこの出自かなどは専門家にゆだねるとして、どうも高度な文化をもった渡来人には相違ないようだ。一説にはフェニキアあたりから来訪した海上交易に優れた民族ではとのミステリーもあるようでなかなか興味深い。この界隈は「近つ飛鳥」と言う別称もあって相当に昔から栄えた土地のようである。

              
               北の円墳の山頂からから見た南の円墳。

王族達の眠る土地
             
                 上空から見たらこんな感じになります。
       王族達の眠る土地

           柵内が石棺を納めた被葬地のようです。北の円墳。
王族達の眠る土地           


近つとは距離感を表し、当然に反対語の遠つも存在するであろう。この距離感は想像の域を出ないが、当時の国際港である浪速の津(現在の住吉大社あたりだろうと思う)から見た遠近感であったろう。都である飛鳥の里よりも近い位置にある飛鳥の里・・・・・・・との意ではなかろうか。当然、都の飛鳥よりも古い時代に渡来人達が住み着いたのではとないかと思われる。そうなってくると、この地に眠る王族達の正体は・・・・・・・・・・・と疑問詞がついて非常におもしろい。金山古墳にどなたが被葬されているのか解説はなかったが、眠れる死者にどちらのご出身でと聞いてみたい気がする。


     円墳頂部から望む富田林の市街地。その奥の方には大阪の街が。
王族達の眠る土地


 


 


 



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Posted by とんび at 05:14│Comments(0)里山に遊ぶ
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