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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2010年06月26日

灯芯作りの里

奈良県で灯芯作りが行われている・・・・・・・・ふとした奇縁でそんな話を聞き込んだ。物好きな小生のこと、これは是非とも訪ねなくては、そう決心するのに時間は要しなかった。私宅から車を走らせること1時間半余り、奈良盆地の中央部に位置する安堵町(あんどちょう)がその舞台であった。安堵町といってもピンと来にくいでしょうが、大和郡山市の南隣という表現でおおよその位置は掴めていただけるだろうか。此処は大和川の上流域にあたり、多くの支流が交差する低湿地帯にあたったようだ。その環境がイ草作りに最適だったようで、、地場産業として盛大に取り組まれてきたとか。但し、昭和40年代末頃までの話だそうで、最近は過去形で語られるようですね。


          灯芯作りを再現されています、右側男性がイ草から髄を抽出しています。
     灯芯作りの里
                  ご当地では綿花も栽培されているようですね。
     灯芯作りの里 

現場を歩き回ってみたが。広がるのは水田ばかりでイ草の栽培地は発見出来なかった。聞き及ぶところでは、今頃が収穫期にあたるそうだが、需要の減少と費用対投資効果の点検によるものでしょう。イ草の用途は畳表が主体だったが、天然物から工場生産の人工物へと変化しましたし、灯芯もローソクの利用減少で販路が無くなって来たのでしょう。灯芯、そうローソクの中心部に存在する白い芯のことである。この材料がイ草とは本日まで全く存じなかった。


                商品となった灯芯です。イ草の髄が短く裁断されています。
     灯芯作りの里  
                           乾燥させたイ草です。
             灯芯作りの里 

秋に植えたイ草を今頃収穫し、その内部から髄を取りだして乾燥させローソクの芯として活用するそうだ。奈良はご存じのように寺社の街、かっては膨大な消費量だったのだろう。現在もイ草を他府県から搬入して、神社仏閣向けの灯芯作りは実施されているようだ。栄枯盛衰は世の習いだが、かっての伝統産業が次第に廃れていくのは寂しい限りである。ご当地で活躍した人物に今村勤三氏(明治期の政治家・奈良県の父)がおられるが、氏の自宅跡が歴史民俗資料館として公開されている。約500坪にも及ぶ大きな邸宅で、灯芯作りの資料も展示してあるので、興味をお持ちの方は覗かれたらいいでしょう。


               今村勤三氏宅跡が歴史民俗資料館として公開されています。
     灯芯作りの里
                 イ草から抽出された髄、灯芯の原料となります。
     灯芯作りの里

又、この地には太子道という街道が存在する。かの聖徳太子が飛鳥の官庁街から斑鳩の法隆寺へと馬で通われたルートのようだ。太子が休息された馬休めの石と称する物も現存しており、時間があればゆっくり歩かれるのも一興でしょうね。      


            飽波神社、馬休めの石はこの境内です。鳥居前の道が太子道。
     灯芯作りの里

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Posted by とんび at 05:14│Comments(0)里山に遊ぶ
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