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金剛山麓に緑豊かな桃源郷「とんびの里」を創りたい、そんな想いに駆られた万年青年達の悲喜交々を、南河内の風土と一緒に紹介します。

2010年09月24日

根来衆の末裔?

泉北ニュータウンに城がある、そんな馬鹿な。これが小生の偽らざる感想であった。山地や原野を切り開いて人工的に作られた街、そんなイメージを持っていたものだから、長い歴史と人々の暮らしがあったなどと想像できなかったのだ。だが調べて見ると、紛れもなく城趾があり奈良・平安朝頃まで溯れる歴史が存在した。早速現地調査へ、こうした事例は行動が早い。ニュータウンの一角、豊田という集落がその舞台。現地を訪ねるとだんじり小屋もあり、昔からの農村風景が広がっていた。どうやらニュータウンが作られた丘陵地帯の合間に存在した谷筋に田園地帯が広がり、人々の生活が延々と続いてきたようだ。


           小谷城郷土館、城趾の一角で民具や鉄砲等の展示を。
     根来衆の末裔?  
                    武家屋敷を彷彿とさせる土塀ですね。
     根来衆の末裔?

噂の主は小谷城、無論、城郭や石垣などは残っていない。城趾と思える場所で城主の末裔のかたであろうか、資料館を運営されている。残念ながら撮影禁止の為に内部状況を画像で提供出来ないが、近辺の民具や武具類あるいは農耕用具などが展示されていた。話を伺ってみると、戦国時代に城が落城した後、一族の方々が郷士として近辺に定着されたようだ。現場は標高80メートル程の小高い丘で、地形条件からみてもそんなに大規模な城とは思えないようだ。現在、丘の上の城趾には大きな病院が建設されており、病院の一角に小谷城趾の記念碑が設置されている。楠公さんとの縁も深く、南北朝時代には南朝方の武将として活躍されたようだ。


           本丸跡と思える場所に設置された城趾の碑。病院の敷地内です。
     根来衆の末裔?
           歴史遺産を残しましたとの説明が・・・・・・・・・・所有者の病院。
     根来衆の末裔?
                      道路沿いにも古城の碑文が。
                 根来衆の末裔?  

落城したのは戦国時代と上述したが、織田信長や豊臣秀吉による根来攻めの戦禍によるようだ。根来衆は紀州の根来寺を本拠とする宗門集団だが泉州方面にも勢力を伸ばし、近隣の神社仏閣や地域の領主などは全て根来党で小谷城も当然ながら根来衆に属していたため襲撃されて落城してしまった。大阪夏の陣・冬の陣では徳川方として参戦との記録もあるようですから、落城後も郷士として武人の生き方を継承されたのでしょう。資料館の主も何代かの後の子孫の方でしょう。立派な門構えや大和式の母屋など、どうみても通常の農家の作りではありません。やはり地域で一定の勢力を持った支配層だったのでしょうね。      


           風格のある民家ですね、こちらも城主一族の末裔でしょうか。
     根来衆の末裔?    
            名称はわかりませんが、城趾の一角に咲き誇っていました。
     根来衆の末裔?

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Posted by とんび at 05:12│Comments(2)里山に遊ぶ
この記事へのコメント
なんと懐かしいこと!
見に行ったことがあります。  いま住んでいる所にも、南北朝時代の焚き火の跡(?)や食器が埋もれている遺跡があるのです。
楠公さんとはなんだかご縁が有りそうです。
Posted by 森のどんぐり屋 at 2010年09月25日 09:49
先に訪問済みでしたか、レパトリーが広いですね。

河内の国と和泉の国は楠公さんの領土みたいなもの、彼方此方に遺跡が存在するようです。御地にもかかわりがあるようですね。そう言えば飯盛山城に登ったとき、森のどんぐり屋さん宅が見えたような・・・・・・・・?

中国の傍若無人とも思えるような行動を見るとき、楠公さんが生きておられたら・・・・・と願わずにはいられません。領海内で中国が何をしようと法に問われない、悪しき前例を作ってしまいました。政府筋からの強烈な圧力があったのでしょう。沖縄地検の次席検事の会見、悔しそうな表情が何とも気の毒でした。
Posted by とんびとんび at 2010年09月25日 21:42
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